
こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、株式会社リボン 代表取締役の米山 勝規 (よねやま まさき) さんです。※2026年3月現在
官僚から転身し、空き家再生に取り組む一方、市議として「未来につなぐ 砺波を活かす」を掲げる、大活躍の米山さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
米山勝規さんの原点と厚労省時代のはじまり

砺波の自然とゲームの少年時代
米山勝規さんは富山県砺波市の栴檀 (せんだん) エリアで育ち、兄や姉について田んぼや林を駆け回って遊んでいました。
兄の影響でドラクエ3にも夢中になり、中学・高校ではソフトテニス部、さらに姉の影響でスノーボードにも打ち込み、自然の中とゲームの両方に親しんだ少年時代を過ごしています。
アッティ
全4回になりますけれども、生い立ちから今の活動まで、しっかりたっぷりお話を聞いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
米山勝規
ぜひ、よろしくお願いいたします。
アッティ
私も何度か米山さんとお会いしたことがあるんですけれども、「なぜこうしたんだろう」「なぜ今に至るんだろう」と思うことが多々ありまして、実はもう楽しみでしょうがないです。
まず最初に、幼少期はどんなお子さんでいらっしゃいました?
米山勝規
私は幼少期、富山県砺波市の栴檀 (せんだん) のエリアという、ちょっと山間のところですね。
今でいう中山間地域といわれるような山の方に生まれまして、周りは田んぼや林など、そういう自然環境が豊かなところでした。
兄弟が3人いて、兄と姉がいたので、兄弟についていって野山を駆け巡って、鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり、野球をしたり、外で遊ぶことが多かったなという記憶があります。
アッティ
自然の中でずっと育った、みたいな感じなのですね。
米山勝規
そうですね。林の中に太い木があって、その木に大きい穴が開いてたりするのでそこに隠れる、みたいな。
アッティ
野山が本格的ですね。
米山勝規
本格的です。ガッツリ遊びましたね。
アッティ
なるほど。そうすると、どちらかというと内向的で家の中にいるというよりは、外に出ていろんな人と遊んでいる、そんなタイプですか?
米山勝規
そうですね。ところがですね、ゲームにもハマってました。
アッティ
当時はどういったゲームをされていたんですか?
米山勝規
ドラクエですね。
アッティ
ドラゴンクエスト。
米山勝規
4つ上の兄がいるんですが、僕が5歳くらいのときに、兄がドラゴンクエストにハマり出して。
僕、日本語も読めないのに、ひたすらレベル上げをする係で、まずはドラクエのやり方から、という感じでしたね。
アッティ
小さいからまだ日本語が読めないのに、すごいですね。
とりあえず倒してこい、と(笑)。
米山勝規
とりあえずレベル上げをしろと。
でも、ゲームを進めたら、めっちゃ怒られるんですよ。「旅の扉は進むな」と。
アッティ
「なんで俺の楽しみ取るんだ」みたいな。「レベルだけ上げとけ」みたいな。
米山勝規
小学生時代や中学時代は、完全にハマってましたね。
アッティ
なるほど。そうすると、小学校、中学校、高校と、あまりスポーツをしてはなかったんですか?
米山勝規
家ではドラクエやファイナルファンタジーなどオーソドックスなゲームをやってましたが、実はスポーツも好きで、中学も高校もソフトテニス部でした。
アッティ
なるほど。
米山勝規
そして、中学ぐらいからスノーボードが流行ったんですよ。
世の中的にも流行ったし、僕の姉がスノーボード大好きでガンガン行っていたので、それについていく感じで始まりました。だから、かなりスポーツをする方だったと思います。
アッティ
砺波市の方であれば近くにも夢の平スキー場もありますし、行きやすいですもんね。
早稲田理工と勉強漬けの日々
米山勝規さんは高校時代の失恋をきっかけに勉強へ気持ちが向き、数学や物理に打ち込む日々が続きました。
その流れで早稲田大学理工学部の電気情報生命工学科へ進学。大学では厳しい理系の学業に向き合いながら、テニスサークルにも入り、少しずつ学生生活の幅を広げました。
アッティ
大学はどちらでいらっしゃったんですか?
米山勝規
大学は東京で、早稲田大学に行きました。
アッティ
文系、理系で?
米山勝規
理系で、理工学部ですね。
アッティ
なるほど。どちらかというと、研究もそうですし、論理的に数学とか物理みたいなものが得意な感じですか?
米山勝規
そうですね。理工学部でも電気系のところに行ってました。
電気情報生命工学科という、マニアックな難しそうな名前のところに行ってました。
アッティ
それが今にどう活きているのか、それも聞きたいですね。後ほど。
米山勝規
そうですね。活きて……活きてます、活きてます(笑)
アッティ
大学時代はどんな感じでいらっしゃったんですか?
米山勝規
少しさかのぼりますが、高校時代にひょんなことから女性恐怖症になりまして。
アッティ
それ聞いていいですか?(笑) 軽く、軽く。
米山勝規
大好きな女の子にしっかり振られたことをきっかけに。
ちょっと変わった振られ方だったなと思うんですけど、詳細は飲みながら、後日ということで(笑)
アッティ
分かりました。
米山勝規
そういったこともあって、思いっきり勉強に走ったんですよね。
ずっと数学か物理をしていて。数式は嘘をつかないけれども、女性は嘘をつく、と。そういう高校時代でした。
アッティ
なるほど。意味深ですね(笑)
米山勝規
いや、ちょっと危ないですね。その当時の解釈ですね、今は全くそうじゃなくて。
アッティ
高校大学時代、女性不信でいたと。
米山勝規
そうですね。大学の初期ぐらいまではそんな雰囲気で、ずっと勉強する、みたいな感じでしたね。
アッティ
勉強がメインの生活になったということですね。
ゲームや野山を駆け巡っていた人が、そういう経験もしながら、気づいたら勉強ばかりしている人になって、早稲田大学に入ったみたいな感じですか?
米山勝規
本当にそうですね。在学中も、理系学科はかなり試験も厳しいし、単位を取るのも大変で、しっかり学校に行く生活をしてました。
まずテニスサークルに入ったんですけど、そこで何となく女性恐怖症を解消して、大学時代はエンジョイしました。
アッティ
大学時代は、勉強とテニスと、そして女性を楽しむと(笑)
米山勝規
ちょっと危ない表現がありましたね(笑)不適切な表現ではありますが、間違ってはいないです。
厚労省を選んだ理由と最初の仕事
米山勝規さんは就職活動では電力会社も受けていましたが、自己分析を通じて公共性の高いものを安定して支える仕事に関心があると気づき、公務員を志望。
理系出身ながら文系区分で厚生労働省に入り、大臣官房でオンライン申請の普及や社労士向けの説明を担当していました。
アッティ
大学時代を経て、いよいよ社会人になるということで、どちらに入られたんですか?
米山勝規
厚生労働省に入ったんですね。
アッティ
これはどうしてそちらへ向かわれたんですか?
米山勝規
きっかけは2つぐらいあるなと思っています。
就活をしている最中、僕は電気系の学科ですから、もちろん電力会社も受けていたんですよ。でも自己分析をして「なんで電力会社なんだろう」と考えて。
そのときに「結構広く公共のものを扱うような、誰でも使うようなものを扱っていないと不便だし、それを安定的に提供するんだ」と、そういう業界に興味を持っていたんだなと気づいたんです。
そこで大学のサークルの先輩を見たら、都庁に就職していたんですね。
そこで「公務員もありなんじゃないかな」と思って、そこで一気に公務員も視野に入って、結果的に厚生労働省に落ち着きました。
アッティ
でも、理系、ましてや理工学部ですよね。
そこから厚労省に入る方って大勢いるものなんですか?
米山勝規
珍しいです。入り方が大きく2つあって、理系と文系の入り方があり、厚生労働省ってお医者さんとかも入ってるんですよ。
でも、僕は文系の入り方をしているので、そういう意味では珍しいんです。
アッティ
なるほど。でも厚生労働省というだけで、多岐にわたるじゃないですか。
そこの、どういった分野の仕事をされていたんですか?
米山勝規
入省して最初に配置されたのは、大臣官房、統計情報部情報企画室情報第一係です。
部署名が長すぎて、電話に出るときに『自分、何て名乗ろう』と戸惑いましたね。
アッティ
大学で学んだことと、何か絡んでいるのですか?
米山勝規
採用時に「さすがにこれは情報系に入れとけ」ってなったんだと思いますけど。
アッティ
どういう仕事なんですか?
名前はすごいんですけど、具体的には。
米山勝規
ちなみに大臣官房っていうのはいわゆる総務部みたいなものですね。
内容としては、オンライン申請を推進する係だったんです。雇用関係とか社会保険関係の申請って、国への申請が結構あるんですよ。
「社労士さんがやるような申請をオンラインでやりましょう」というのをガンガン推していた時代なんですね。
オンラインシステムもあって、それを社労士さんが100人集まるような会場で僕がプレゼンする、みたいなこともしてました。
アッティ
社労士さん相手に。すごいですね。
米山勝規
入省1年目で、手続きも何もわかってない人が「オンラインでやりましょう」っていう、そういう推進係でしたね。
白書業務と3年半での退職の決断
米山勝規さんは厚生労働白書をつくる部署へ異動し、幅広い分野を抱える厚生労働省の全体像を見渡しながら、各部署との調整や取りまとめを経験。
図書館で数字を拾いExcelでグラフを作る作業を重ねる中で視野を広げ、2011年に3年半で厚生労働省を離れました。
アッティ
オンライン申請の係ではあるけれど、それを深掘りして何年もやるものなんですか。それとも、もっと多岐にわたってやるものなんですか?
米山勝規
多岐にわたってやりますね。基本的には2、3年で異動があるんですよ。
大臣官房だった人が老健局とか、介護系のところに行ったり、いろんな異動があるんです。
僕も1回目の異動で、厚生労働白書をつくる部署に異動になりました。これも官房系で、いろんな部署とやり取りができるんです。
厚生労働省って、厚生省と労働省が合体してますから、めちゃくちゃ広いんですよ。
アッティ
広いですよね。白書なんて全体にまたがりますもんね。
今まではどちらかというとオンライン申請主体だったところが、一挙に全体を見るみたいな話ですよね?
米山勝規
「全部知りなさい」みたいな感じで、調べたり、問いかけたり、取りまとめたりしていく。
今思えば本当にいい機会だったなと。
アッティ
学びにはなりますよね。全体を把握できますしね。
米山勝規
はい、そのときにExcelの使い方も覚えました。自分でグラフを作ってましたからね。
図書館に行って、数字を拾い出して。AIもないですから、誰も手伝ってくれなくて。
アッティ
AIがあったら、だいぶ楽だったかもしれないですけどね。
米山勝規
そうですね。
それでですね、2011年に僕、厚生労働省を辞めてるんですよね。
アッティ
そうなのですね。厚生労働省には、何年ぐらいいらっしゃったんですか?
米山勝規
3年ちょっと、3年半ぐらいですね。
アッティ
意外に短いですね。
米山勝規
ええ。今思えば、短い間にいろんなことをしたなと思いますが。
アッティ
これ、ちょっと衝撃的ですね。厚労省を3年半で辞めたと。
たっぷりとお話をいただきましたので、次回は「なぜ辞めたのか」、そして「なぜ今この富山県にいるのか」からスタートして、またお話いただきたいなと思います。
厚労省を離れた先で見つけた、空き家再生という仕事

厚労省を辞めた3つのきっかけ
米山勝規さんが厚生労働省を辞めた背景には、今の妻との結婚が決まっていたこと、事業主など多様な人と出会う機会が増えていたこと、そして2011年の東日本大震災がありました。
霞が関のビルで大きな揺れを体感し、人生はいつ終わるか分からないと実感したことが、大きな転機になっています。
アッティ
前回は、幼少期からドラクエや野山を駆け巡る少年時代、そこから早稲田大学に進み、さらに厚生労働省に入ったというお話をいただきました。
そして、なぜかそこを3年半で辞められたと。その後、富山に戻ったというお話がありそうなんですが、まず、なぜ厚労省を辞められたんですか?
米山 勝規
はい。きっかけは3つあって、1つ目はその年に今の妻と結婚することが決まっていたことです。
2つ目は、ちょうどその頃、公務員の方だけじゃなく、世の中の事業主の方など、いろんな方と知り合う機会が増えていたこと。
最後が、2011年の3.11です。
アッティ
東日本大震災ですね。
米山 勝規
はい。あのとき僕は、霞が関の20何階建てのビルの中腹にいたんですけど、本当に揺れて。
デスクがガッタンガッタン飛び跳ねるような揺れ方をして、「これ、もう死ぬな」と本気で思ったんです。
でも死ななかったし、テレビで見たら東北の方が大変なことになっていて。
同期にも東北に行っている人がいたんですよね。彼らも大丈夫だったんですけど、それでも本当に紙一重だなと感じました。
「いつ何時、死んでしまうか分からない」そういうことを体感してしまって、「これはもう人生を考え直そう」と思ったんです。そういうことが重なっていました。
アッティ
なるほど。東日本大震災をきっかけに、自分自身の仕事を問い直したということなんですね。
米山 勝規
そうです。もっとさかのぼると、父の存在も大きかったですね。
父は、僕が4歳か5歳ぐらいのときに独立開業して、富山の射水市でハウスメーカーをやっているんです。
その背中は結構まぶしくて、本当に楽しそうに仕事をするんですよ。何かに誇りを持っている、そういう人を見ていて「自分はどうだろう」と。
それもありました。憧れがあったんです。
アッティ
別に厚生労働省で働いていること自体に、強い不満があったわけではなかったんですか?
米山 勝規
そんなに不満だったという意味ではないですね。
東京での模索と失意の富山Uターン
米山勝規さんは厚労省を辞めた後、父のように自分で稼ぐ事業主を目指して東京で3年間模索しましたが、思うような成果は出せず。
父から「戻ってこい」と声をかけられ、最初は地域を盛り上げようという前向きな気持ちではなく、戻る以外の選択肢がないという思いで富山へ戻りました。
アッティ
厚労省を辞められて、その後はどうされたんですか?
米山 勝規
その後は東京で「やっぱり父のように事業主になりたい、自分で稼げる人間になりたい」という思いを持って動いていました。
ただ、一向に成果が出なくて…。東京で3年間、いろいろ試しましたが、思うようにはいきませんでした。
アッティ
3年やっても成果が出なかったんですね。
米山 勝規
はい。父も事業主ですから、「独立しようと思ってるのに、もう3年も芽が出ないのはダメだ」と言われたんです。
実はそういうやり取りは2回あって、2年ほどしたあたりで1回言われたときは、「いや、まだ諦めない」と返しました。でも、さらに1年して「もう期限が来たぞ。1年で成果が出ないなら、どういうことだ」と。
厳しい方ではなかったですけれども、「もう戻ってこい。不動産業でもしたらどうだ。面白いぞ」と言ってくれたんです。
アッティ
なるほど。それで富山に戻ろうと。
米山 勝規
そうですね。そこで、もう観念しました。さすがにもうダメかなと思って。
決して「地域おこしをしよう」とか、「何かを持ち帰って盛り上げてやろう」とか、そういう前向きな気持ちで戻ったわけではなかったです。
「戻る以外の選択肢がないな」ぐらいの、本当にそういう感じで戻りました。
アッティ
奥さんとは、もう結婚されていたんですよね?
米山 勝規
はい。妻が富山県の人間なんですよ。じゃないと、そういう戻り方はできなかったかもしれないですね。
アッティ
なるほど。そういう意味では、戻るのも運命だったのかもしれませんね。
米山 勝規
そうですね。
不動産業との出会いが独立の原点に
米山勝規さんは、富山に戻った後、父の勧めで射水市新湊の不動産会社 株式会社エコフィールで修業を始めました。
宅建もなく、富山での仕事も車の運転も手探りの状態でしたが、周囲に支えられながら学ぶ中で、空き家に人が住み直す姿を見て、自分自身が生き直している感覚と重なり、独立への思いが固まっていきます。
アッティ
富山に戻ってからはどういう事業を始められたんですか。
米山 勝規
父の提案どおり、不動産業で独立しようと決めて、父が「独立を許してくれる社長を紹介するぞ」ということで、射水市の新湊にある不動産会社で働き始めました。
株式会社エコフィールという会社で、かなり古くからやっていて、社長も本当にいつも笑顔で、「あんた、独立しられ。3年で独立しられ」と言ってくれて。
アッティ
面白いですね。「独立しられ」って言ってくれるんだ。
米山 勝規
すごいですよね。こんなことあるのかなと思って。
そこで数年間、修業させていただきました。
アッティ
不動産業は当然、初めてですよね。実際やってみてどうでしたか?
米山 勝規
そう、全く初めてです。宅建も持ってないですし、富山で仕事をしたこともなく、車の運転も怖かったです。
東京では全然運転してなかったので、車の運転のちょっとしたコツまで教えてもらっていました。「あそこ通っちゃダメだぞ」みたいなことまで含めてですね。
本当に何も知らない状態で戻ってきて、知らない人たちがしっかり教えてくださった。「こんなすごいことあるんだな」と思って、感動でしたね。
アッティ
不動産業そのものに対しては、どう感じましたか?
米山 勝規
最初はもちろん分からなかったんですが、途中で、空き家に誰かが住むという場面を経験するわけですよね。
それを見ているうちに「僕は東京でなかなか自分を活かせなかった」そういう感覚を思い出して、空き家が自分に重なった瞬間があったんです。
ちゃんとしたタイミングで、きちんと合意があれば、また輝くし、活きるんだと。「あれ、自分、今、生きてるな」と思った瞬間があって。
そのときに、「もうこれで独立したい。独立してやっていきたい。そういう仕事だ」と感じたんですよね。
リボンの社名に込めた想い
米山勝規さんは会社名を考えるとき、自分の中にはまず「REBORN (リボーン)」という言葉がありました。空き家も自分も生まれ変われるはずだ、という実感があったからです。
そこに妻の「やっぱり、リボンでしょ」という一言が加わり、ご縁を結ぶ意味も込めて「株式会社リボン」という社名に落ち着きました。
アッティ
会社の立ち上げが「リボン」という会社じゃないですか。これは、どういうところから来ている社名なんですか?
米山 勝規
最初は、「再生」という意味があったんですよ。自分にも重ねていった「REBORN」という言葉ですね。
空き家も自分も生まれ変われるはずだという強い思いがあって、REBORNはいいなと思っていたんですが、妻に相談したら「やっぱり、リボンでしょ」と言われて。
それで、「そうだね、いいね」となって、株式会社リボンになりました。
アッティ
なるほど。原型は「REBORN」だけど、ご縁結びの「リボン」でもあると。
米山 勝規
そうです。「ご縁結びのリボンだね」と、すごくいい感じに落ち着いたわけです。
人が活きる場をつくる理念と実践
米山勝規さんの今の理念は「人が活きる場をつくる」です。
「自分も、スタッフも、お客様の物件も活かしていく」という考えのもと、空き家の相談にも簡単には無理と言わず、解決策を考え抜いています。
畑付きアパートのような取り組みも、住む人同士の交流を生み、場所を活かす実践のひとつになりました。
アッティ
不動産事業をするうえでの理念は、どういうものなんですか?
米山 勝規
この理念もある程度変遷があったんですけど、今は「人が活きる場をつくる」です。
「活きる」ということが、おそらく僕のテーマなんだなと。
「自分も活かしていくし、一緒に働くスタッフも、お客様が持っている物件自体も活かしていく。その場づくりなんだ」という気持ちで企業理念を言語化したんです。
アッティ
その考え方のもとで、リボンとしてやっている特別な事業的なものって何かあるんですか?
米山 勝規
事業でいうと、空き家の相談が多いですね。不動産会社なので普通といえば普通なんですが、僕はそれに対して諦めないんです。
その相談事がどうしたら解決するかをとことん詰めていって、時間がかかることも多いんですけど、しっかりご提案する。「うちは無理だわ」ということを極力なくすようにしています。
どんな空き家が来ようとも「絶対に何か方法があるはずだ」と常に考えていますね。
アッティ
面白いところでは、北陸初の畑付きアパートも始めたとか。
米山 勝規
これもそうなんですよ。アパートの裏に畑があるんです。
アッティ
それはオーナーさんの畑なんですか?
米山 勝規
僕がオーナーです。
アパートを建てる計画が完全にできた瞬間に、隣の畑の所有者の方が「これも買ってくれない?」という話になって。
でも、もう事業計画はできていたので変更できない。そこで「じゃあ、畑をそのまま使えばいいんじゃない?」ってなったんです。これもまた、妻の一言なんです。
アッティ
なるほど。そこでも奥さんなんですね。
米山 勝規
そうです。妻が「畑、そのまま使えばいいじゃないか」と言い、「確かに」となって出来上がりました。
実際のところ、「畑があるから借りたいです」という人はいないんですよ。たまたま新しいアパートだったから住みたい、という方が多いんですが、畑はセットで。
しかも、僕が自分で耕して、種を植えるところまで一緒にやるんです。
アッティ
一緒にやるんですか?
米山 勝規
一緒にやるんです。でもそうすると、入居者の方も気になるんですよね、自分で植えてるので。
収穫して食べて、それを隣の人にあげる。そうすると交換や交流が生まれるんです。
アッティ
畑を通じて交流が生まれるわけですね。面白いです。
米山 勝規
縁結びのリボンですからね。
アッティ
さすがですね。
米山 勝規
結果オーライです。
アッティ
厚生労働省から不動産業へ、という流れも含めて、本当に面白いですね。ありがとうございます。
ちょうど奥さんの話も出てきましたので、次回はぜひ奥さんと共同している話、そして市議会議員としてのお話もお聞きできればと思っています。
家族と地域がつないだ、新しい挑戦

妻が育てた「musubibi」
米山勝規さんの妻は、空き家を活用してゲストハウスとおむすび屋さんを運営。
娘と一緒に過ごせる場を考えたことが出発点となり、結果として登校拒否の子どもや親も立ち寄れる、やわらかな居場所へと広がっていきました。
アッティ
前回は、東京で厚労省を辞められて、富山に戻って不動産業を始められたというお話を伺いました。
今回は、前回・前々回でも少し出ていたんですが、奥さんがいろんな場面でキーになる方だなと感じていて。
例えば、会社名を「REBORN」にしようと思っていたら「リボンがいいんじゃない」と言われたり、いろんな大事な場面で登場されているんですが、奥さんご自身も何か事業をされているとうかがいました。このあたりはどんな感じなんですかね?
米山 勝規
はい、そうですね。妻はここ数年は、ゲストハウスとおむすび屋さんをやっております。
アッティ
おむすび屋さん!? ゲストハウスでおむすび屋さん? 別々にやってるんですか?
米山 勝規
同じ建物なんです。
空き家を購入して、それをゲストハウスにしつつ、おむすび屋さんもできるような形にしました。
アッティ
おにぎりを売ってるんですね。
米山 勝規
はい。イートインの飲食店です。
アッティ
ゲストハウスはどんな感じなんですか?
米山 勝規
2階に泊まれる形です。
一般的な中古住宅を購入したので、上に4部屋ぐらいあったんですよね。それを活かしています。
アッティ
なるほど。それとおむすび屋さんをやってると。
それ以外は、どういったことをやってらっしゃるんですか?
米山 勝規
あとは、「トーキョーコーヒー」って聞いたことあります?
アッティ
ないです。東京のコーヒー屋さんではなくて?
米山 勝規
なくて。「トーキョーコーヒー」っていう活動があるんですよ。東京じゃなくて、登校拒否の「トーキョーコーヒー」。
登校拒否をしているお子さんを持っている人たちも集えて、子どもたちも一緒に来られる。「交流ができる空間って大事だよね」という活動を、ちょっと面白い言い方で表しているんです。
実は、その「musubibi」というゲストハウス兼おむすび屋さんが、そういう場所になっているんですよ。
アッティ
これもつながってるんですね。なるほど。
具体的に言うと、登校拒否のお子さんや親御さんが来て、そこで普通に交流していくような感じですか? 特に先生がいるわけでもなく。
米山 勝規
でもなく。交流とか、お手伝いとかですね。
おにぎり屋さんのお手伝いをしてみたり、ゲストハウスのお手伝いをしてみたり。
うちの娘もそこに行って、お手伝いをしたり、学校以外の時間をそこで過ごしたりしています。
アッティ
ちょっと奥さんご本人ではないのであれですけど、なぜ奥さんはそれを始められたんですか?
米山 勝規
そうですね。なんでですかね。
本当にご縁ですよね。最初から「これをやろう」と思ってやっていたわけじゃなくて、ゲストハウスづくりを始めたあたりから、いろんなことを引き寄せていって。
おむすび屋さんも、後から「娘がそこにいてもいい場をつくりたかった」という思いが出てきたんです。
「娘とやれることは何かな」と考えたときに、いろんな飲食店はあるけど「おむすび屋さんなら娘と一緒にいられるかな」というくらいがスタートですね。
アッティ
なるほど。そこから、トーキョーコーヒー的なことも始まっていったわけですね。
もともと奥さんが「そういう交流の場をつくりたい」と考えておられたんですか?
米山 勝規
考えてなかったです。後から、そういう活動があるってわかったんです。
アッティ
これは全国的な活動なんですか?
米山 勝規
そうです。そういう活動の概念があること自体、知らずに始めたのですが、あとから「それ、トーキョーコーヒーじゃん」みたいな感じで知り合いも増えていって。
専用の場所ではないんですけど、そういうこともある場所になっています。
アッティ
エリアとしては、やっぱり砺波を中心に人が集まってくる感じなんですか?
米山 勝規
市外からの人の方が多いかもしれないです。
アッティ
そうなんですね、へぇ面白いですね。
奥さんもそうやって事業を始められていって、米山さんご自身の事業との相関関係ってあるんですか? それぞれの事業同士のつながりという意味で。
米山 勝規
僕がやってる不動産業との関わりは、ほぼないですね。「ゲストハウスの運営は、ちょっとサポートできるかな」ぐらいです。
アッティ
意外とバラバラにやってらっしゃる感じなんですね。
米山 勝規
そうです。
倫理法人会で変わった家族観
米山勝規さんは独立開業を考えていた時期に倫理法人会と出会い、「事業の成功には家族の犠牲が必要だ」と思い込んでいた自分に気づきます。
「家族を大事にしていい」という学びが、不動産業や地域への向き合い方にも大きくつながっていきました。
アッティ
今、不動産業も順調になってこられて、その中で倫理法人会の活動もかなりやられてますよね。
米山 勝規
そうですね。
アッティ
前回、小路さんがゲストで来られたときにも熱く語ってくれました。
米山さんは以前、会長をされていたんですよね。
米山 勝規
私は小路さんの2代前の会長なんですよ。
僕も11年ぐらい所属していて、独立開業する前から倫理法人会に入ってるんです。
アッティ
奥さんと一緒に所属されている感じなんですか?
米山 勝規
妻は所属してないです。
アッティ
あ、そうなんですか。
なぜ倫理法人会に所属されて、また会長まで務められたんですか?
米山 勝規
それもご縁で。
僕が独立開業したいと言い出したタイミングで、すぐ事業主の方と知り合って、「倫理法人会っていう朝の面白い会があるよ」と教えてもらったんです。本当に、そんなスタートです。
アッティ
そういうスタートだったんですね。やってみてどうですか?
米山 勝規
いいですよ。何がいいかというと、僕、独立しようと思っていたとき、「事業を成功させるには家族を犠牲にしないといけない」と思ってたんですよ。
アッティ
なるほど。大前提がそうだったんですね。
米山 勝規
なぜか、そう思っていて。
でも、そんなことはないと。「家族が大事なんだ」ということを、かなりメインで教えてくれる会なので「家族を大事にしていいんだ」という気づきがあったんです。
空き家再生から市議へ
米山勝規さんは、空き家を早い段階で流通させることが町の衰退を防ぐ仕事だと実感。
栴檀の地域で議員の後継を求められたときも、家族や地域を大事にする学びと妻の活動が重なり、市議会議員への挑戦に自然につながりました。
アッティ
本業である不動産業から、いわゆる社会貢献的なことも行われてきていて、今は砺波市の市議会議員も務めていらっしゃると。
なぜ市議会議員をやるようになったんですか?
米山 勝規
今の倫理法人会の話ともかなりつながっていて、「日本創生」っていう言葉が結構出るんですが。
アッティ
前回、小路さんもおっしゃってました。
米山 勝規
小路さんも叫びます(笑)
アッティ
叫ぶ(笑)
米山 勝規
日本創生の手前に地域・地方の創生があって、その手前に職場がちゃんとしていて、その手前に家庭がちゃんとしていて、そしてその手前に自分自身がちゃんとしている。そういう考え方を教えてもらっているんです。
そして仕事では、空き家の再生をやっている。地域のためだとも思っていますし、空き家を放置すると町が廃れていくんですよね。そこを、なるべく早い段階で流通させていく。これは素晴らしい仕事だなと。
そこに、僕の住んでいる栴檀の地区があるんですが。初回に「野山を駆け巡っていた」と話した、あの場所ですね。
アッティ
野山を駆け巡っていたところですね。
米山 勝規
そこに今も住んでいるんですけど、その地区の市議会議員さんが辞められることになって。議員定数も減るし、「次の市議会議員は、もう地区から出さなくてもいいのかな」という議論があったらしいんです。
町の中で、「誰かを立てなくてもいいのかな」というところで、「ところで米山くん、どうだろう」と。
アッティ
いきなり聞かれたわけですね。
米山 勝規
「あれ、僕ですか(笑)」と。
でも、その流れの中で、地域おこしだと思っていたし、家族も大事、地域も大事って学んでいた。そこで嫁さんもゲストハウスを運営している。
アッティ
町のためにやってるわけですよね。
米山 勝規
町のために動いている。「これは、断る意味がわからん」って。やれない理由はいっぱいあったんですけど。
アッティ
やらなきゃいけない理由も山ほどあった、みたいな感じですね。
米山 勝規
そうです。断る理由を、とりあえず僕の中で潰していって、それで「やります」と。
議員活動で広がった視野
米山勝規さんは立候補の過程で、地元の知り合いばかりの前で話す恥ずかしさや心理的な負荷を味わいます。
それを越えるうちに自分の思いも整理され、議員活動を通じて美術や地域行事など新しい世界に触れられる面白さと役割の尊さを感じました。
アッティ
市議会議員って、本業・副業という言い方は置いておいても、事業をやりながらできるわけじゃないですか。
とはいえ、仕事が倍になるようなイメージもありますし、市議会議員ってお金のためというより完全に町のためじゃないですか。
米山 勝規
そうですね。
アッティ
それをやってみて、というより、そもそも選挙に出るって今まで経験のないことだったと思うんです。そこにも新鮮さやハードルがかなりあったんじゃないかなと思うんですが、どうですか?
米山 勝規
選挙については、結果的に砺波で僕が出た改選のタイミングは無投票だったんですよ。
アッティ
そうなんですね。
米山 勝規
結果的には。ただ、その前段階では、いろんな人の前でやっぱり喋るんです。
「私は立候補しました」とか、当日のタイミングでもそうやって人前で話す。これは相当な心理的負荷でしたね。初めてのことですし。
アッティ
例えば、倫理法人会の会長もやられていて、喋ることには慣れていらっしゃるんでしょうけど、それとはまた全然違うものでしたか?
米山 勝規
また違います。「この人は何を言うんだろう」みたいな空気の中で、いろんなところで喋り続ける。自分の思いを伝える。
これが最初、恥ずかしかったんですよね。特に地元ですし、父も母も見てるんですよ。
アッティ
そうですよね。みんな見てますからね、知り合いが。
米山 勝規
学習発表会みたいな気持ちになっちゃって。知り合いのおじちゃん、おばちゃんがいる中で喋る。その独特の変な恥ずかしさを最初は味わいました。
でも、それを突破したら、すごく楽になってきて。しばらくしたら、その恥ずかしさみたいなものはなくなっていって「いや、どうして僕はここに立ってるんだろう?」っていうのも、ちゃんと考えられるようになっていくんですよね。
アッティ
逆に頭が整理されてくる、と。
米山 勝規
そうなんです。喋れば喋るほど、自分の頭がどんどん整理されてきて、「次、こういうふうにしたいな」とか、「こういうこと思ってたな」というのもわかってくる。そういう不思議な経験もしましたね。
アッティ
市議会議員も含めて、その抱負であるとか夢っていうのは、次回またお聞きしたいなと思ってるんですが、市議会議員となってからどのぐらい経つんですか? 1年は経ってないですよね?
米山 勝規
まだ1年経ってないんですよ。4月に選挙があったので、もう少しですかね。
アッティ
議会や町の活動など山ほどありますけど、やってみてどうですか?
米山 勝規
いや、面白いですよ。会社の仕事もありますから、大変なんですけど。
だけど、行ったこともないところにも行くし、言ってしまえば、興味がないと思っていたところにも行くんですよ。そうすると、やっぱりそこには生活があったりする。
例えば、僕は美術系には全然興味がなかったんですけど、美術館のオープンや展示会のオープンにお邪魔させていただくことがあって。子どもたちが作っているものが展示されていたり、足跡とか手のマークなどがあったり、「なんか面白いな」って思うんです。
そうやって、触れることがなかったものにどんどん触れていける。これは特別な役割だなと思って、どんどん尊くなってきて。
アッティ
いいですね、たぶん天職だったんでしょうね。
もちろん、まだこれからもいろいろありますから、今の時点ではわかりませんけども。
第1回から第3回まで、幼少期に野山を駆け巡っていた方が、まさに不動産業もやって、市議会議員もやっている、そういったお話をたくさんいただきました。
次回は、富山県に対する思いであるとか、これからの夢についてお話をお伺いしていきたいと思います。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲

ふるさと富山について
米山勝規さんは、東京での暮らしを経たからこそ、帰省のたびに見える立山の景色や、富山の人の温かさにあらためて気づいています。
最近は砺波との交流も深まり、ふるさとの魅力を外から見直した実感が、今の活動の土台になっています。
アッティ
第1回では、まさに野山を駆け巡っていた幼少期のお話がありました。その子が大学を出て、東京で厚労省に勤めて、そこから富山に戻って不動産業、そして今は市議会議員をされている。
こうやって並べると、すごい経歴ですね。
米山 勝規
本当ですね。怪しいですね(笑)
アッティ
次の仕事で履歴書を見たら、びっくりしますよね。「なんなんだこれは!?」と思うほどの転身ですね。
そんな米山さんに、まずお聞きしたいのですが、大学、そして厚労省での仕事を経て富山に戻ってこられて、このふるさと富山に対する思いはどうですか?
米山 勝規
ふるさと富山に対しては、東京に行った経験は本当に大きいなと思います。もともと地元は好きでしたけど、東京に行ったら東京が好きになって、「東京も面白いな」と思ったんです。
そういうのも好きなんですが、やっぱり帰省するたびに、特に立山が見える瞬間なんかは「こんなところあるんだ」って思うんですよね。
地元にいたのに、東京での経験や、いろんな県外の経験があるからこそ、そこの良さというか、素晴らしさに気づけたなというのはあります。
アッティ
なるほど。どうですか、富山の人は。
米山 勝規
人も温かいですね。悪いことができないんですよ、人間関係が近すぎて(笑)。
温かいし、ちゃんとしていないといられない、みたいな。
アッティ
その富山県の中でも、今メインの活動は砺波市じゃないですか。砺波はどうです?
米山 勝規
砺波。実は会社が射水にあるものですから、半分は射水で、半分は砺波って感じなんですが、最近はかなり砺波が多くなっているというところで。
だから、最近になって富山の中でも砺波の人と知り合うようになったんですよ。
アッティ
そういうことなんですね。考えてみたら、高校も砺波ですか?
米山 勝規
高校も砺波です。
戻ってきてからずっと射水でしたから、最近、本当に砺波との交流がどんどん深まっていて、いろんな方に出会って。
そんな段階です、まだ。
アッティ
面白いですね。そうすると、まだまだ広がりが見出せそうな場所でもあるし、新しい市議会議員という武器を手に入れて、そこからのつながりも増えますから、楽しみですね。
米山 勝規
はい、楽しみですね。
お気に入りの飲食店
アッティ
富山のお気に入りの飲食店があれば教えていただきたいです。
米山 勝規
会社が射水にありまして、僕はカレーが好きなので、本格的なインドカレーをやっている「ホットスプーン」というお店があるんです。
何かあるごとに行っていて、従業員と一緒に行ったりもする、お気に入りのお店です。
アッティ
これはインドカレーですか?
米山 勝規
インド・パキスタンと言われる感じですね。
アッティ
パキスタンなんですね。
米山 勝規
はい。ナンを使って、ライスもありますけど。ナンをちぎってカレーにつけて食べるような、そういう本格的なところですね。
アッティ
確かにあそこら辺は、パキスタン系のお店が結構多いですからね。
私、あんまりパキスタンのカレーって食べたことないですが…インド料理は大好きなんですけどね。1回トライしてみたいと思います。
米山 勝規
はい、ぜひぜひ。一緒に行きましょう!
アッティ
行きましょう! 射水のどこら辺ですか?
米山 勝規
射水の小杉駅のそばですね。旧8号線沿いです。
アッティ
なるほど、楽しみにしております。ありがとうございます。
リクエスト曲
アッティ
米山さんの大好きな曲を1曲いただきたいと思います。
米山 勝規
これは高校のときに、しっかりと心に焼きついたスピッツの「チェリー」です。
アッティ
これはもしかして、高校のときの失恋の出来事ですか?
米山 勝規
あの出来事のことは、今は置いておきましょう(笑)
高校のときの、あれ何て言ったかな? 歌を歌うイベントで。
アッティ
合唱コンクールですか?
米山 勝規
そう! 高校のときの合唱コンクールで歌った曲で、非常に青春を感じる曲だなと。
アッティ
なるほど、スピッツの「チェリー」ですか。
米山 勝規
チェリーです。
アッティ
合唱コンクールで歌う曲なんですね。
米山 勝規
そうなんですよ。意外ですよね。
アッティ
意外ですね。でも今、もしかしたらこういう曲が歌われているのかもしれませんね。
わかりました。それでは米山さんのリクエスト曲で、スピッツの「チェリー」です。
これからの夢や目標について
米山勝規さんは、不動産業や市議会議員としての活動を通じて、新しいものを足すよりも、今あるものを活かすことを大切にしています。
砺波から富山、そして日本全体へと、その考え方が重なり合いながら広がっていく未来を思い描いています。
アッティ
では最後の最後になりますけれども、米山さんのこれからの夢や目標についてお聞かせいただけますでしょうか?
米山 勝規
これからの夢。今までのこと、不動産業での空き家対策、そして市議会議員では空き家対策ももちろんですが、本当に町全体が良くなっていくために何ができるのか。これ、僕の中ではやっぱり「活かしていくこと」だと思ってるんですよね。
キャッチフレーズにも「砺波を活かす」と入れていますが、何か新しいものを追加するという意味ではなく、それもあるかもしれませんが、やっぱり今あるものを活かしていく。
「本来の良さとか、進化みたいなものを活かしていくことが、地域ごとにできたら相当面白い町になる」そういうふうに信じてるんですよ。
まずは地元からですし、砺波市全体に広げていって、きっと富山県全域に広がっていって。
アッティ
ですよね。
米山 勝規
これがやっぱり、日本全体に広がっていくと思うんですよね。こうやって伝播していく。
それで、他の地域でも同じ思いの人がいて、重なっていく。そういったことを思い浮かべながら、夢として描いていますね。
アッティ
人口減少の時代ですから、なかなか新しいものを作ることがすべてである時代では、もうなくなってきていますもんね。
米山 勝規
そうですね。
アッティ
まさにおっしゃる通り、今あるものをどう活かしていくかっていうのが一番のテーマでしょうし、REBORNですね。
米山 勝規
REBORN。
アッティ
奥さん的には「リボン」になっちゃいますけど、本音はREBORNというね。再生に向けて進まれるということで、楽しみにしております。
では、全4回にわたって、米山さんからお話をいただきました。
今月のゲストは、株式会社リボン 代表取締役で、砺波市議会議員の米山勝規さんでした。米山さん、1か月間ありがとうございました。
米山 勝規
ありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。
