こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、富山県 南砺市長の田中 幹夫(たなか みきお) さんです。※2023年9月現在
世界遺産五箇山合掌造り集落を有する南砺市の歴史文化、自然などを活かし、世界に誇る一流の田舎を目指して活動を続ける、田中さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
南砺市長 田中さんの経歴
田中市長の生い立ち
田中幹夫さんは61歳で、南砺市の山奥、利賀村 (標高約650m) の出身です。
幼少期は、11月から4月半ばまで雪に囲まれ、最大4mを超える積雪がある環境で育ちました。この豪雪地帯での生活経験が、現在の街づくりの考え方に影響を与えています。
アッティ
田中さん、よろしくお願いします。
田中幹夫さん
こんにちは、どうぞよろしくお願いします。
アッティ
政治家の方は、新田知事に続く2人目ということで、富山県の市長の中でも「一番饒舌 (じょうぜつ)」と噂の田中市長に今回お越しいただきました。
全5回の放送で、市長の想い、そして南砺の魅力をたっぷり語っていただきたいと思っております。
それでは早速ではありますけれども、市長は今おいくつになられるんですか?
田中幹夫さん
今61歳です。※2023年9月1日現在
赤いちゃんちゃんこを着て、稲を背負っていますね。
アッティ
見た目通りの年齢でございますね。
田中幹夫さん
どういう意味? (笑)
アッティ
どういう意味かよくわかりませんけどね (笑)
市長のお生まれはどちらで?
田中幹夫さん
私はね、南砺市の一番山奥の利賀村に生まれました。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
利賀村ですから、僕の家は標高が650mぐらいあるんじゃないかな。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
だから、普通の人たちと見てる景色は全然違うんですよ。
アッティ
生まれたときから?
田中幹夫さん
そう。もう11月になると雪が降り始めて。
アッティ
11月!?
田中幹夫さん
11月ぐらいにね、もう雪が降るんですよ。
そしてどんどん増えていって、正月ぐらいになると3mほどになって、ひどいときだと4m以上になりますかね。
アッティ
ほー、すごいですね。
田中幹夫さん
それで大体4月の半ばぐらいまで雪があるんですよ、家の前に。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
そういうところで生まれて、中学校までそこに住んでました。
アッティ
1年のうち半分が雪。
田中幹夫さん
(笑) 半分までいかないけど、近いね。
もう本当に豪雪地帯なんだけど、そういうところで暮らしたからこそ「こういう街がいいな」とか思ったのかもしれないですね。
ボート部と寮生活
田中幹夫さんは、利賀村には高校がないため、八尾高校に進学し寮生活を送りました。
高校では3年間ボート部に所属。初めは不安でしたが次第に面白さを感じるようになります。高校時代の思い出は、ボートと寮生活です。
アッティ
利賀村に生まれて、学生時代はどんな感じだったんですか?
田中幹夫さん
利賀村は、坂上小学校があって、利賀中学校があって、高校がないもんだから。
アッティ
どちらの方まで?
田中幹夫さん
大体みんな、井波、平、砺波、福野、八尾だとかに行くんですよ。
アッティ
そうすると…
田中幹夫さん
僕は八尾高校へ行って、寮に入るんです。
アッティ
あちらは寮もあったんですね。
田中幹夫さん
3年間、寮で生活をして、なおかつボート部。
アッティ
有名ですよね、八尾は。
田中幹夫さん
ボートをやったことはなかったんですけど、入学してすぐにボート部に入ったんです。
最初は「こんなの身体がもつかな」と思ったんですが、やっぱり3年間やると面白いもんだなと。
だから、高校時代の思い出は、ボートと寮生活しかないような気がします。
東京での大学生活
田中幹夫さんは、東京の工学院大学に進学しました。
当初は新宿キャンパスを期待していましたが、実際は八王子から始まり、様々な波乱を経験。アパート生活や飲み屋でのアルバイトなど、学生時代を楽しみます。
しかし、常に地元への想いがあり、特に父親の病気をきっかけに「早く帰郷したい」という気持ちが強くなりました。
アッティ
八尾高校の次は、どこに行かれたんですか?
田中幹夫さん
もともと私自身が理系だったので、東京の工学院大学に。
アッティ
東京へ。
田中幹夫さん
電気工学科。これはもう、新宿にあるので選んだようなものですよ。
まずは、都会中の都会に行きたかったので。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
だから「新宿に校舎があるなんて、素晴らしい学校だな」と思いましたね。
でも、1〜2年は八王子の校舎に。
アッティ
ありゃ~、ありがちな話ですね。
田中幹夫さん
それからはもうね、波乱万丈。まぁ、すごかったですよ。
アッティ
その時分の八王子というと、結構田舎ですよね。
田中幹夫さん
国立 (くにたち) ってところにアパートを借りたんですよ。
そしたらね、高校時代の友達が4月に遊びに来たの。その友達は、1ヶ月で会社を辞めてきたやつだから、家でぐちゃぐちゃしてるわけ。
アッティ
はいはい。
田中幹夫さん
それで洗濯機の水が1階にこぼれちゃって、アパートを追い出されて。
アッティ
追い出された。
田中幹夫さん
4月中にアパートを出て、違うところを探したんですよ。
そこがちょうど私がアルバイトしてた飲み屋さんの2階で、そこに住み着いたんです。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
その頃の体重は、75キロぐらい。
アッティ
結構ありますね。
田中幹夫さん
でも、スラッとしてたんですよ。髪の毛もフサフサ。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
何を言いたいかっていうと。
アッティ
モテてたということですか?
田中幹夫さん
そう!
アッティ
写真があれば見たかったんですけど。
田中幹夫さん
いやいや、ないんです (笑)
アッティ
ないんですか? あえてなくしてる可能性もありますけどね (笑)
田中幹夫さん
(笑)
アッティ
都会中の都会に行ってみて、自分の気持ち的にどうでしたか?
田中幹夫さん
「やっぱり一度は都会で暮らしてみたいな」と思ったのは、今の若い子たちとよく似てるかもしれないですね。
ただ僕は、最初から「帰りたいな」とは思ってたので。
アッティ
うんうん。
田中幹夫さん
東京で学ぶこともあるだろうと思って。
アッティ
最初から戻ろうと思っていたんですか?
田中幹夫さん
あんまりいい話じゃないんですけど、ちょうど僕が大学3年生の頃に親父が病気になったんですよ。
だからもう「より早く帰りたいな」と思ったんです。
YKK就職と地元との繋がり
田中幹夫さんは、大学卒業後にYKKに入社。多くの社員が海外勤務を目指す中で、地元との繋がりを重視します。
週末だけ利賀村に戻る生活を続けるうちに、地域おこしやまちづくりに熱心な青年団の仲間たちとの心理的距離を感じ「まずいな」と感じていました。
アッティ
大学を卒業して、すぐ富山県に戻ったんですか?
田中幹夫さん
そうそう、富山県のYKKに入社しました。
アッティ
実際どうでしたか? YKKに入ってみて。
田中幹夫さん
みんながね、海外を目指すんですよ。ファスナー技術だったので。
アッティ
なおさら海外ですよね。
田中幹夫さん
5年ぐらいでね、海外を目指す。
アッティ
海外経験はあるんですか?
田中幹夫さん
いや、ないんです。
アッティ
ないんですか!?
田中幹夫さん
もう利賀村に帰りたかったんです。
アッティ
(笑) でも、利賀村に戻られたんですよね。
田中幹夫さん
いや、僕は「1.5〜2時間ぐらいで利賀村まで戻れる」という距離感で、YKKに就職したんです。家の田んぼのこととか、「何かあったら利賀村に戻らないと」って思いがあったので。
その頃の利賀村って、地域おこしとか、まちづくりとか、村づくりなどでみんなが真剣になってた頃で、僕だけYKKにいて土日だけ帰るわけ。
アッティ
そうですよね。
田中幹夫さん
そのときに青年団のみんなと会うと。
アッティ
「おいおい」みたいな。
田中幹夫さん
みんな地域のことを真剣に考えてるのに、僕だけね、土日だけ帰って。
アッティ
「週末だけじゃないか」みたいな感じになって。
田中幹夫さん
それが、僕にとって嫌でね。
アッティ
ちょっと寂しさがあって。
田中幹夫さん
そうそう、だから地域の若い人たちとお付き合いをしていて「これはまずいな」と思ったのが、5年目ぐらいだったかな。
アッティ
この後、利賀村に戻られる話になると思うのですが、今回は以上とさせていただきます。
南砺市長に就任するまで
利賀村に戻ったワケ
田中幹夫さんは、利賀村の地域おこしに熱心な同世代の活動を見て、自身の週末だけの関わりに物足りなさを感じました。
「利賀村の発展に本格的に貢献したい」という想いから、村役場の求人に応募しUターンを決意。この決断が、キャリアの転換点となりました。
アッティ
前回たっぷりとお話をいただいたんですけど。
田中幹夫さん
余計なこと言ってなかった?
アッティ
いえいえ、全然大丈夫です。生まれから、YKKで働かれた話をお聞きしました。
その後、生まれた利賀村に戻られたということですけど、どういった理由で戻られたんですか?
田中幹夫さん
1回目にも少し話したのですが、ちょうどその頃、利賀村が地域おこしを一生懸命やっていて、同世代の青年団の皆さんが毎日真剣に議論をしてるんです。
僕は土日しか帰ってない男なので、その話に加わって何かを話しても、周りから見ると「お前また月曜にはいないじゃないか」と思われるような気持ちになって。
そういう体験を何回かして「もうちょっと、どっぷり入らなきゃいけないかな」と思ったときに、村役場で求人募集があったので「受けます」と。
アッティ
募集に乗ったって感じなんですか?
田中幹夫さん
そうなんです。
政治へ関心を持つキッカケ
田中幹夫さんは、当初政治家を目指す意図はありませんでした。利賀村役場に入った理由は、過疎化に直面する村の再生に参加したいという想いからです。
小さな村だからこそ、新しいアイデアを実現できる可能性に魅力を感じ「みんなで力を合わせれば何かできる」という信念が、田中さんの原動力でした。
アッティ
田中さんは、いつ政治に興味を持って、市長を目指したのですか?
田中幹夫さん
役場に入った頃は、そんなことを全く思ってないですね。
アッティ
そのときは、まだなかったのですか?
田中幹夫さん
利賀村は雪国だし、生活道路が非常に細かったり危なかったりするので、政治に頼る部分はたくさんあったと思うんですよね。
そういうのを目の当たりにしてるってのはありましたけど、その頃は村役場ですからね。全くそんなことを考えてはいなかったです。
アッティ
YKKってすごい大きな会社じゃないですか? そこから村役場に行かれたので、もうその時点で「この利賀村を背負いながら俺はやっていくんだ」みたいな気持ちがあったのかなと思ったんですが。
田中幹夫さん
その頃は「村長になろう」とかそういう気持ちではなくて、「利賀村のみんなが力を込めている、過疎からの村づくりに参加したい」って想いが強かったです。
アッティ
一番ベースになる考えですよね。
田中幹夫さん
まち作りで新しいことをやれるような可能性もあったし、何もしなかったら人口がどんどん減っていく小さな村なので「少し踏ん張って頑張ってやってみれば、いろんなアイデアが出て、みんなでやれば何かできそうだな」って思ったのが魅力でしたね。
合併と市議会議員就任
田中幹夫さんは、利賀村の役場職員として16年勤務後、2016年の市町村合併時に政治への道を歩み始めました。
当初は市職員への転身を考えていましたが、合併に伴う議員割り当ての議論の中で、周囲からの推薦もあり市議会議員に立候補することを決意。これが田中さんの政治家としてのスタートです。
アッティ
利賀村の村役場に入られて、そこから南砺市長になるまでは、どのような流れだったんですか?
田中幹夫さん
合併ですね、2016年。利賀村役場に入って16年ぐらい経ったときに、合併についての議論がスタートしたんです。
私はもともと合併賛成派だったので、合併して大きなアイデアの中で「利賀村って存在価値あるよね」って言い続けてたんですけど、その中で「市議会議員が必要だよ」みたいな。
アッティ
役割があるんだよと。
田中幹夫さん
「地域に何人かずつに割り振られるんだよ」ってことが、合併のいろんな協議会で決まるわけですよ。
アッティ
そうですよね。
田中幹夫さん
そういう中で、市議会議員が割り振られて、「人口によって割り振られるんだな」とか言いながら、みんなで議論を見守ってたんです。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
そうこうしているうちに、地域の中で「じゃあ、市議会議員には誰が出るんだ?」みたいな話になってきて。
アッティ
そうですよね。
田中幹夫さん
その頃から自分は、一番最初のスタートは市議会議員ではなくて市の職員。うちの女房じゃないけども「村の職員から市の職員になるってかっこいいね」みたいな。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
自分たちで思ってたのであまり人には言わないけど、「そうか、市の職員か」みたいなね。
アッティ
いよいよ市の職員。
田中幹夫さん
そう言ってたらね、突然いろんなところで名前が挙がったらしく、それでもう決意しなきゃならなくなって、市議会議員になったと。
アッティ
そこで初めて、政治を志したってことになるわけですね。
南砺市長就任とやりがい
田中幹夫さんは、4年間の市議会議員を経て南砺市長に就任しました。
市長の仕事は365日24時間体制で、常に情報に敏感である必要があり、SNSの活用も重要です。6万人弱の市民と共にまちづくりを進める大きな責任を感じながら、職員とその家族の幸せも考慮しています。
アッティ
市議会議員を経て、そこから市長になられたわけですよね? 何年ぐらい経ってからですか?
田中幹夫さん
1期4年で。ちょうど合併の町だから、市長選挙と市議会議員選挙が同時なんですよ。
アッティ
なるほどなるほど。
田中幹夫さん
だから、1期は市議会議員をやってました。
2期目にさしかかって「今度はどういう市を目指すか」ってときに、実を言うと若いメンバーと「どうする?」「これはもう若いリーダーを1人選ぼうよ」みたいな議論をずっとしてた覚えがありますね。
アッティ
市長の楽しさ、大変さってのはどんなものなんですか?
田中幹夫さん
365日24時間、市長ですから。
アッティ
そうですよね。
田中幹夫さん
少なくとも「どんな情報がいつ入ってくるかわからない」ってことは、ずっと思ってますよね。
アッティ
確かに。
田中幹夫さん
ずっと思ってるのが当たり前の生活ですので、これは少し慣れてきたなって思います。
アッティ
今で、やっと慣れてきた感じですか?
田中幹夫さん
今は「こんな情報が入ってきたら、次は何しようか」とか、何となくわかるようになりました。
これは実を言うと、SNSの力もあるんです。
アッティ
情報が早いですからね。
田中幹夫さん
そうそう。
大きくて広い範囲のまちに6万人弱の市民の方がいらっしゃって「その地域を、みんなで頑張って素敵なまちにしたい」って想いを一つにして取り組んでいくんです。
本当に大きな役なので、覚悟を持って取り組みを進めています。
アッティ
そうですよね。
田中幹夫さん
職員もたくさんいて、それぞれ家族がいるわけですから、やっぱりしっかり幸せになってもらいたいなと思うんですよね。
アッティ
逆に、やりがいというか楽しみっていうのは?
田中幹夫さん
もちろん、やりがいはあります。
4年間、市議会議員としていろんな質問や、いろんな提案をさせていただきましたが、短時間で形になることってあんまりないんですよ。
でも、市長として熱い想いを持って「こういうことをやりたいんだ」って伝えると、少しスピード感を持って取り組んでいけるようになるんです。
こういったところに喜びを感じました。
アッティ
お話を聞けば聞くほど内容の濃い話だらけになるんですけれども、今回はこれで以上とさせていただいて。
次回は、この続きということで、市長としての想いや南砺市の魅力などをお聞かせいただければと思います。
「一流の田舎」南砺市
南砺市の魅力
南砺市は、世界遺産、無形文化遺産、日本遺産など多くの認定遺産を持つ町です。
しかし、田中幹夫市長は、8つの町村が長い歴史で築いてきた景観と精神文化、いわゆる「土徳」を最大の魅力と考えています。
アッティ
前回は、南砺市長になるまでと、市長のやりがいや大変さについて、お話をいただきました。
今回は、南砺市のことについてお聞かせをいただきたいなと思います。
利賀村や五箇山があり、美味しいレストランがあり、最近ではアニメの聖地としても有名だという話も耳にしますが、「南砺市の魅力はこれだ」って話をいただきたいなと。
田中幹夫さん
南砺市の魅力は、本当にいっぱいあるんですよ。
世界遺産「五箇山合掌造り」だとか、ユネスコ無形文化遺産の「城端曳山祭」と「福野夜高祭」、日本遺産「木彫刻のまち 井波」。このように、認められてる遺産がたくさんある町。
僕はそれもすごく魅力的に感じますが、8つの町と村が本当に長い歴史を紡いで作り上げてきた景色。そしてその中にある精神文化。われわれはそれを「土徳 (どとく)」って言ってるんですけど。
アッティ
土徳。
田中幹夫さん
土の徳なんです。人を魅力的にしたり優しくしたり、何かを作るときにイメージをアップさせたり、そういう力のようなものが大きな魅力だと思ってます。
これはもしかしたら風かもしれないし、空気かもしれないし、匂いかもしれないし、景色かもしれないし、人かもしれない。
まさにこの自然と、そこにずっと住み着いた人たちの魅力を「南砺の一番の魅力にしたいな」と思っています。
「都会」と「田舎」という言葉が相反するかどうかは別として、僕はこれが「一流の田舎だ」って言ってるんですよね。
目指すのは「一流の田舎」
田中幹夫市長は南砺市を「一流の田舎」と表現。長い歴史と自然が作り出した景観を「神が作った」とし、そこに住む人々の魅力を引き立てていると考えています。
また、棟方志功や現代のアーティストの例を挙げ、南砺市が芸術家の成長を促す環境であることを強調。南砺市を「アートの街」「芸術文化の街」として発展させたいという構想を持っています。
アッティ
いいですね「一流の田舎」。
田中幹夫さん
僕はヨーロッパにあんまり行ったことはないんですけど、パリの真ん中もいいかもしれないけど、パリからちょっと行ったらすごく素敵な景色があって、お店に入るとジャガイモと肉の美味しい料理が食べられる。
ちょっとワインを飲んだり、チーズを食べたり、あれって幸せを感じるじゃないですか?
アッティ
そうですね。
「何百年も続いている歴史の中で、当たり前に生活している」という感覚ですよね。
田中幹夫さん
まさに南砺は、ずっと昔からある山など、古い歴史の話をするようなときにも「あの景色だったよね」ってところがまだ残っている。
われわれは「そこをもっと誇らしく思って暮らしていくべきじゃないかな」と思って、「一流の田舎」って言葉をずっと使い続けてるんですよ。
〇〇文明などの大都市は人間が作っていますが、もしかしたら「田舎は神が作って、私達が住まわせてもらってる」そういう景色なんじゃないかなと思うんです。
だからそこでは、われわれの人間性も、小さな小さな力も何か美しく見えると。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
そんなふうに考えたいんですよ。
アッティ
「土徳」という話もありましたけれども、市長を含め住んでらっしゃる方々はそう感じられますけど、他から入ってこられた方も「明らかにここは違う、ここはちょっと空気が違う、風が違う」って感じられます?
田中幹夫さん
南砺市だけではなく、砺波も小矢部も高岡も同じだと思うんですけど、景色が違うだけで少しほっとする。
そして例えば、棟方志功さんが6年8ヶ月南砺市にお住まいになって、いろんな人たちと交流をして、彼自身の作風が変わって、将来ヨーロッパなり、世界に認められるような作家になった。そのきっかけの一つは「住むことだった」と認識しているんです。
そういうことが、まさに「一流の田舎」の成功例で、「棟方志功さんというエビデンスを見たらどう?」みたいな。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
そういうことを考えると、例えば「ピーエーワークス」さんとか。
アッティ
そうですね。
田中幹夫さん
もう「鈴木忠志」さんとか、あと「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」とか。
アートなど、そういったもの作りの人たちは「南砺市で成長できるんじゃないかな」と思ったりすると、「アートの街」「芸術文化の街」というふうにしたくて。
人口減少への対策
南砺市の田中幹夫市長は、人口減少時代において「選ばれる地域」になることが重要だと考えています。
そのために、地域の魅力をアピールし、適切な政策を打ち出す必要性を強調。具体例として、ゴールドウインとの「PLAY EARTH PARK」事業を挙げ、これを「エコビレッジ構想」の一環として位置づけています。
この構想は、環境問題の解決とビジネス創出を両立させる試みです。
アッティ
理想がありながらも、世の中は完全に人口減少の時代になってきてるじゃないですか?
破綻していく行政もこれから増えていく中で、「行政同士の戦いだ」って言い方も出るでしょうし、行政が生き延びるためには、税収も人口も必要だって話も出ると思います。
そこらへんについては、どうお考えですか?
田中幹夫さん
まずは、この地が選ばれなければいけない。
アッティ
そこですよね。
田中幹夫さん
「人が選ぶ」ということもそうだし、例えば「この地にあった企業が、南砺を選んでくれる」っていうところも大事なので、ある意味ではアピールしなければならないし、そういう政策を打っていかなきゃいけないなと思います。
例えば、今度ゴールドウインさんと一緒にスタートする「PLAY EARTH PARK」という事業があるんですが、あの場所を何とかして「エコビレッジ構想」のひとつに。
アッティ
ほう。
田中幹夫さん
「エコビレッジ構想」の「エコ」は、「エコロジー」と「エコノミー」をかけてるんですけど、地球環境の問題を解決しつつ、ビジネスにもしていくという。
大きな企業じゃないかもしれないけれども「小さな小さなビジネスがいくつか固まっていけばいいな」と思って、そこをモデル地区にしながらやってたんですよ。
そこにわれわれの想いと同じように「子どもたちの遊び場を、地球を遊ぼう」って大きな構想で入っていただけたのは、「自分たちが計画したものと合った企業が来てくれたな」って思います。
アッティ
そうですよね。
先ほど言われていた魅力、自然であるとか土徳であるとかは、いただいたものである。そこから育まれた人がいて、人が住んでることだけでなく、そこを求めてくる人たちも当然いると。
田中幹夫さん
はい。
アッティ
「非常にいい話だけど、この人たちが飯を食えなきゃいけない」ってなると、絶対に経済に繋がらなきゃいけない。そこはしっかりと縦軸で考えてらっしゃるってことなんですよね。
次回は、市長のプライベートについての話などを聞かせいただきたいと思います。
南砺市のまちづくり
田中幹夫市長のプライベート
田中幹夫市長は、2023年9月23日に62歳の誕生日を迎えます。年齢を重ねるにつれ、プライベートの時間を大切にするようになりました。
子育ての忙しい時期を経て、現在は子どもたちが独立し、妻との二人暮らし。市長職のかたわら、自由な時間を持てるようになり、生活にメリハリがついてきました。
アッティ
前回は、南砺市の魅力をたっぷりとお話いただきましたが、今回は、市長のプライベートなどを聞いていきたいなと思います。
まずはじめに、なんと9月23日に、お誕生日を迎えられるということで。
田中幹夫さん
えー!? 調べてるんですか? そうなんですよ。
アッティ
誕生日おめでとうございます!
田中幹夫さん
ありがとうございます。明日ね、62歳になります。
アッティ
62!?
田中幹夫さん
62歳です。
アッティ
おめでとうございます。どうですか、62になって。
田中幹夫さん
プライベートの時間を大事にするようになりましたね。今までは…
アッティ
プライベートの時間ってあるものなんですか?
田中幹夫さん
ありますよ。メリハリみたいなものが。
子育てのときっていうのは、結構忙しい時期だったから。
アッティ
そうですよね。
田中幹夫さん
ちょうどこういう仕事をするときに高校生とか中学生の子がまだいたから、どこか遠足へ行ったり、どこか遊びに行ったりだったんだけど、徐々に私の手を離れて。
アッティ
そうですね。
田中幹夫さん
今、全部離れてる。
アッティ
もう「1人」みたいな?
田中幹夫さん
そうそう妻と2人だけで生活してるので、もう本当に自由ですよ。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
ちょっとした時に、結構時間が取れます。
SNSを活用した情報発信
田中幹夫市長はSNSを積極的に活用し、南砺市のPRと情報発信に力を入れています。
市内の飲食店や地域の魅力の紹介によって、フォロワーが増加。自身で投稿を行い、ハッシュタグなども意識して活用しています。
SNSは、情報収集の手段としても重要で、まちづくりに役立つ価値あるツールです。
アッティ
田中市長は、SNSでの情報発信をされてるじゃないですか?
それを見ていると、「全てにおいて充実された生活をされてるな」と。一方で、どこからどこまでがプライベートで、どこまでが仕事かが正直わからないところもあります。
SNSに相当力を入れてらっしゃるイメージがあるのですが、発信に対しての考えってどんな感じですか?
田中幹夫さん
フォロワーがどんどん増えてきたりするんですね。
「発信をたくさんの方に見ていただく」というのはPRですので、僕は市内でご飯食べたら必ず載せるようにしてます。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
「あの店美味しいでしょ」って言うと、いろんな人が見てくれて、そこに来店してくれることもあるので。
逆に「お前は美味しいものばっか食べてるな」って人もいるけれども、コロナのときもテイクアウトしたものをアップしたりしてたんですよ。
だから、僕はそういうのは「誰に何を言われようともPRしたいな」と思ってます。
アッティ
ご自身で全部やってらっしゃるんですか?
田中幹夫さん
そうそうそうそう。あとはいろんな人に会ったこととか、本当に面白い嬉しいニュースがあったときなどは、アップしたいと思ってます。
アッティ
SNSを見ていると、市長だけでなく、南砺市の魅力が伝わってきますよね。
田中幹夫さん
市民の方が知らないところがあるじゃない? まさにそういうところが、やっぱり発信が悪かったんだと思ってます。
今考えるとそれは、市外の人に対しても発信力がなく、市としての様々な観光PRもなかなか難しい状況であると。
アッティ
そうですよね。
田中幹夫さん
SNSはどうやって繋がっていくかが難しく、私の場合はハッシュタグ経由で見てくれる人が多くなってきてるので、やっぱりそこは意識してますよ。
アッティ
何となく市長首長の役割は、それこそ防災も含めた情報発信のイメージが強くあります。
SNSが出る前は、皆さん発信に苦労されてるイメージがありましたけど、SNSが出た瞬間、それをうまく使えてる人と使えてない人の違いがものすごい出てるような気がしますよね。
田中幹夫さん
まちづくりの中で、僕らの仲間でもたくさん利用しているわけですよ、首長以外にもね。
アッティ
政治家の皆さん。
田中幹夫さん
SNSを調べると、すごいヒントがいっぱいあるんですよ。だから見るのも仕事。
アッティ
そうですよね。
田中幹夫さん
逆に言うと、SNSなどを活用してるってことを知らせるのは、多くの人たちに意味のあることだと考えています。
こういうのをお互い利用することは、まち作りにとって本当に価値あるものなので。
アッティ
それと政治家の皆さんにとっても一つの努力ですよね。SNSを使った情報発信は、ぜひやってほしいなと思います。
田中幹夫さん
でもね、発信するって大事なことなんだけど、僕なんか遊んでる発信しかしてないことがあるので、怒られることもあります。
アッティ
(笑) それ難しいとこありますよね、確かに。
田中幹夫さん
そうそう (笑)
若者と協働したまちづくり
田中幹夫市長は、30〜50年後のまちづくりを見据え、若者との協働を重視しています。
若者が自由に活動できる環境づくりを自身の役割と考え、世代間の交流を促進。高校生の1,000万円プロジェクトなどを通じて、若者のアイデアを尊重し、地域への愛着を育むことを目指しています。
アッティ
田中市長というと、若者の皆さんと一緒に事業を起こしたり、若者にどんどん仕事を任せてまちづくりをしたりというイメージがあります。
若者と一緒にやってくことに対して、意識されてることってあるんですか?
田中幹夫さん
われわれの計画は、30年後とか40年後とか50年後の理想のまちを想像して、バックキャスティングでまち作りをやっていこうって手法で進めてるじゃないですか?
今、30年後40年後にプレーヤーである若い人たちと手を組んでおかないと、今後なかなかうまくいかないんじゃないかなって。
アッティ
おっしゃる通り。
田中幹夫さん
若い人とはジェネレーションギャップがあるので難しい点があるのですが、そこは「やりたいことがやれるような空気を作る」ってことが僕の仕事かなと。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
それと「これからの大学生」「これからの高校生」「これからの中学生」は逆に、その人たちが今度は一つ上の壁にならないように。
例えば、若い商工会青年部とかJC (青年会議所) のメンバーと一緒にまちづくりをやれるような、そういう空気を作りたい。
アッティ
いいですね。
田中幹夫さん
高校生の1,000万円プロジェクトに対しても、「なぜ、こんな税金の使い方をするのか」みたいなことを言われます。
でも、「高校生、中学生が将来何をやりたいのか?」「このふるさとにどんな望みを持っているのか?」、この地域で一生やりたいものがあるって人が1人2人見つかれば、これで十分いい事業だと思ってるんです。
そういうところも含めて、市内の若い人たちをごちゃまぜにするぐらいのパワーが高校生にはある。
アッティ
いいですよね。
田中幹夫さん
この間から商工会青年部のイベントに高校生が出たり、高校生のイベントをみんなが手伝ってくれたり、そういう繋がりって絶対どこかで効果が出てくるんです。
アッティ
「そこに必ず市長が混じってらっしゃる」ってのがいいですよね。
田中幹夫さん
62歳が高校生といろんな話をするのって楽しいですよ。
アッティ
そうですよね。このラジオの4回目のゲストで、東京で活躍している28歳の起業家で、ポテトメディアの古井さんって方がいるんですよ。
富山の出身で、学生のときに起業して、政治のメディア発信の会社を作ってる人なんですね。
彼が明確に言っていたのは「今後政治に関わるかどうかは置いておいて、政治に関わる事業はずっとしていく」と。その理由は、これから日本はかなり苦しくなるから。
田中幹夫さん
そう。
アッティ
苦しくなるとき、そのときにいない人たちに責任を持たすのではなく、そのときにそこにいる自分たちが責任を持たなきゃいけないからだって。
田中幹夫さん
おっしゃる通りです。
アッティ
今の話を聞いて「本当にフィットするな」と思いますよね。
田中幹夫さん
そうなんです。先輩の皆さんに対して「この地を作ってくれた」という尊敬の念はありますけど、これからはもう「まちづくりに若い人たちがどれだけ参画してくれるか」ってことが、カギになると思います。
アッティ
なるほど。
次回はいよいよ最終回の5回目ということで、ふるさと富山に対しての想いなどを聞きたいと思います。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲
ふるさと富山について
田中幹夫市長は、富山県と南砺市を「ふるさと」として特別な想いを持っています。
立山などのわかりやすく自慢できるもののほか、富山県内のコンパクトさや、日本の中心に位置する地理的優位性も魅力です。
アッティ
前回は市長としての話、南砺市の魅力についての話などをいただいてきましたが、今回最終回ということで、ふるさと富山県、そしてふるさとの南砺市についての想いを語っていただきたいなと思います。
田中幹夫さん
やっぱり生まれ育ったまち、富山はやっぱり特別ですよね。
アッティ
うん。
田中幹夫さん
わりと忘れがちになるんですけど、「ふるさと」って言葉がよいですね。
「ふるさと」って言えば富山、「ふるさと」って言えば利賀村、こういうのは誰にでもあって、それを自慢できるのが富山だと思っています。
立山があったり、きれいな水が流れてたり、わかりやすく自慢できるものがありますよね。
でも僕が中学生か高校生くらいの頃、地元の起業家の方から「富山県は、素敵な県なんだと。県庁まで、どこからも1時間以内に行けるコンパクト感がすごいんだ」って言われて、「なるほどな」と。
「東京に出てみろ、富山からは飛行機で1時間ちょっと、どこへでも行ける。実を言うと、富山は日本の真ん中なんだぞ」って。
それが大人になってきたら、「逆さ日本地図」ってのがあってね。
アッティ
はいはいはい。
田中幹夫さん
「やっぱりそうなんだ、もしかしたら富山ってアジアの真ん中なのかもしれない!」って。
今になって、そこに繋がってきてます。
人生のこだわり
田中幹夫市長は、人生のこだわりとして「人の見方」を重視しています。
ネパールでの経験から、国籍や年齢に関係なく全ての人が平等な「地球人」であり、同じ立場にあると考えるようになりました。
アッティ
今62歳でいらっしゃって、人生のこだわりはどこに持ってらっしゃるんですか?
田中幹夫さん
人を見るときに、どう見るか。
アッティ
どう見るか?
田中幹夫さん
例えば、僕は「ネパール」って国が大好きで、ネパールに何十回も通ってるんですよね。
アッティ
ええっ!? そうなんですか。
田中幹夫さん
「インドではカーストが大変だ」っていうけど、ネパールの山の中に行くと仏教徒たちがみんなで仲良く暮らしてるんです。
その中にはカーストがあるんだろうと思いますけど、その方々が日本人の僕を受け入れてくれて。そういうところでずっと人を見てたら「われわれは全員、地球人なんだ」と。
アッティ
うんうん。
田中幹夫さん
「地球にいる人は、みんな平等だ」って、いつも思ってるんですよ。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
「子どもも、お年寄りも、外国の方も、何にも関係なくて。この地球に住んでる者全てはみんな平等なんだよ」って、ネパールで感じました。
アッティ
なるほど。
田中幹夫さん
僕は、それをずっと思ってます。だから面でもないし、上下 (うえした) でもない。球だと、どこ見ても一番上なんですよね。
アッティ
面白い。
田中幹夫さん
一番上なのか、みんな一緒なのか。上下じゃなく、球面の上にみんないる。
アッティ
市長のアイデンティティがそこにあるのは、非常に面白いですね。
田中幹夫さん
地球人ですから。
富山県内で大好きな飲食店
アッティ
お気に入りの飲食店をお聞かせいただけますか?
田中幹夫さん
春乃色食堂 (はるのいろしょくどう) ってお店。夏におでんを出してるんです。
アッティ
ほうほう。
田中幹夫さん
このあいだ、もう36度ぐらいのときに、おでんと冷やし中華を食べたんです。
アッティ
あ~、すごい!
田中幹夫さん
これ最高に美味しいのよ! 福光の「春乃色食堂」。
アッティ
福光なのですね。わかりました。
リクエスト曲
アッティ
全てのゲストの方にお聞きしてるんですが、市長の大好きな曲をリクエストいただければ。
田中幹夫さん
僕は「大学で東京に行った」って言ったでしょ。
あのとき、たぶん僕と同い年の松田聖子さんがデビューしてちょっとぐらいのときだったの。初めてLPを買ったのが、松田聖子さん。
アッティ
松田聖子さん。
田中幹夫さん
青い珊瑚礁をね、ずっと聞いてた。
これからの夢や目標について
田中幹夫市長の夢と目標は、現在進行中のプロジェクトや新事業を成功させることです。一方で、人口減少に伴う厳しい選択や判断の必要性も認識しています。
個人的な目標は、健康で楽しく過ごせる家庭と職場を作ること。最終的な目標は、南砺市民全員がニコニコ笑顔でいられるまちづくりです。
アッティ
最後の最後になりますけれども、田中市長のこれからの夢、目標についてお聞かせいただけますか?
田中幹夫さん
仕事の面では、今いろんなところでスタートを切ってるプロジェクトや新しい事業を成功させることです。
でも、これから人口がどんどん減っていく中で、やっぱり厳しい選択も必要になります。例えば、水道とか下水道の施設のメンテナンスをどうするかなどです。そういった厳しい判断もしなければならない時代だということなんですね。
個人面では、めちゃくちゃ健康で、もう毎日毎日楽しくていつも笑顔でいられるような家庭と職場を作ることです。
アッティ
いいですね。
田中幹夫さん
市民が全員ニコニコ笑っている、そういうまちが目標ですね。
アッティ
いいですね。
田中幹夫さん
はい。
アッティ
ニコニコ笑顔のまち、素敵ですね。
今月のゲストは、富山県南砺市長の田中幹夫さんでした。田中さん、1ヶ月間ありがとうございました。
田中幹夫さん
どうもありがとうございました。
アッティ
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お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。