こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、合同会社ハピオブ 代表社員の島田 勝彰さん (しまだ かつあき) さんです。※2024年10月現在
「全ての人が活躍する社会をつくる」というビジョンを掲げて大活躍の島田さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
合同会社ハピオブを設立するまで
社名「ハピオブ」の由来
合同会社ハピオブの島田勝彰さんは「全ての人が活躍する社会をつくる」というビジョンを掲げています。
社名は社員の言ったフランスのことわざ「ノブレス・オブリージュ (高貴な者の義務)」から着想。「貴族 (ノブレス)」を「幸せ者 (ハピネス)」に置き換え、「ハピオブ」と名付けられました。
アッティ
島田さん、どうぞよろしくお願いします。
島田勝彰さん
よろしくお願いします。
アッティ
全5回になりますので、たっぷりとお話を聞かせていただきたいなと思っております。
まず最初に「ハピオブ」という名前は、何か由来があるんですか?
島田勝彰さん
社名は「ノブレス・オブリージュ」というフランスのことわざが由来になっております。
「ノブレス」というのは「貴族」という意味ですが、われわれは貴族ではないので「幸せ者」ということを「ハピネス」という言葉で表現して「ハピネス・オブリージュ」。
これを略して「ハピオブ」と。
アッティ
これはご自身で考えられたんですか?
島田勝彰さん
弊社の尾藤 (びとう) という社員が、私のことを「ノブレス・オブリージュな人だね」と言ってくれたことがきっかけです。
アッティ
その方もすごいですね、そういう言い回しで表現されるという。
自己紹介と会社概要
島田勝彰さんは、富山市出身で、富山大学 人間発達科学部の一期生です。
生涯教育を専攻後、大学職員を経て独立。現在は合同会社ハピオブを創業。
行政や民間企業の人材育成、教育システムの構築支援など、ファシリテーターとして県内を中心に活動しています。
アッティ
まず最初に、島田さんの簡単な自己紹介と、会社のご紹介をいただけますでしょうか?
島田勝彰さん
改めまして、島田勝彰 (しまだ かつあき) と申します。
出身は富山県富山市の八人町 (はちにんまち) という、総曲輪 (そうがわ) の近くのまちなかの生まれです。
富山大学を出て、大学職員をした後に、現在の「ハピオブ」を創業したという経緯になります。
「ハピオブ」は、主に行政や民間企業さんの人材育成ですとか、教育の仕組み作りを支援する会社です。
支援の仕方としては、プログラムを作ることもあれば、ファシリテーターやコーディネーターという形で、会議や経営のご支援をすることもあります。
そういった形で、主に県内を中心にいろいろなことをさせていただいております。
アッティ
もともと大学の職員でいらっしゃったんですか? そこから自分で起業を?
島田勝彰さん
そうですね。
アッティ
やっぱり人材育成の会社をしたいとか、何かそういう想いがあったんですか?
島田勝彰さん
そうですね。私自身が富山大学の教育学部出身なんです。
私のときは教育学部が「人間発達科学部」という学部でして、そこの一期生の卒業生なんですよ。
アッティ
そうなんですね。
島田勝彰さん
大学では「生涯教育」を専攻していたので、教員ではないんですよね。
でも「教育に携わるような仕事がしたい」と思い、大学で職員をやりながら勉強をさせていただいて。それを踏まえて独立したという感じです。
幼少期のエピソード
富山市総曲輪で育った島田勝彰さんは、幼少期から仮面ライダーなどのヒーローに憧れ、賑わう商店街を駆け回る活発な子どもでした。
祖父母の本屋で過ごした商店街での思い出も多く、ヒーローへの憧れは現在の人材育成の仕事にも影響を与えています。
アッティ
「人材育成に携わりたい」というのは、たぶん大学のときからおありだったと思います。
もう少しその前を振り返っていくと、お生まれが富山ということですよね。幼少期はどんな感じの方だったんですか? 周りからはどう言われます?
島田勝彰さん
仮面ライダーなどのヒーローがとにかく好きで、総曲輪通りのあたりを仮面ライダーの変身ポーズして走り回るような子でした。
祖父母が「ユニー」という商業施設で本屋さんを営んでまして。幼稚園が終わると、その本屋に預けられて、閉店ギリギリまでユニーで過ごすっていう、そんな幼少時代を過ごしていました。
アッティ
じゃあユニーの中でヒーローごっこしてたみたいな、そんな感じですか?
島田勝彰さん
はい。あまりにも移動するので首に鈴を付けられてまして、ちょっとした有名人だったみたいです (笑)
アッティ
(笑) じゃあ、そうとう元気な子だったんですね?
島田勝彰さん
そうですね。
アッティ
面白いですね。
今でこそ総曲輪通りはだいぶ人が少なくなっていますけど、当時は結構多くの人がいらっしゃって。その中でもヒーローの格好でそこらへんを走ってたみたいな感じなんですね?
島田勝彰さん
そうですね。本当に総曲輪通りなんかは、自転車で通れないくらい端っこから端っこまで人がいたので、当時は本当に賑やかなまちなかでした。
「まちなか」といっても、人数はそんなに多くない小学校だったので、本当に和気あいあいとした幼少期を過ごした感じですね。
アッティ
ヒーローを自分の夢にしてるとか、そういうことはなかったんですか?
島田勝彰さん
将来の夢を聞かれたら、「仮面ライダー」って幼稚園のときは言ってました。
アッティ
やっぱり言っていた (笑)
島田勝彰さん
正直、その気持ちは今もないわけではなくて。
アッティ
ほう、今でも残ってる?
島田勝彰さん
「ヒーロー」って言葉自体への憧れは、今でも仕事の中で意識することがあるので、アイデンティティはそのままかなという。
アッティ
そのヒーローが、人材育成にどのように入ってるかをもう少し聞いていきたいなと思います。
プロを目指したサッカー少年時代
島田勝彰さんは、小学3年から高校3年までサッカーに打ち込んでいました。
4兄弟全員がサッカーをし、プロ選手を目指して水橋高校で週4〜5回の練習に励む日々。
本田圭佑選手の1学年下で、星稜高校と対戦するなど、プロに近い環境で本気でサッカーに取り組んだ青春時代を過ごしました。
アッティ
幼少期、ヒーローごっこをしながら育ってきた島田さん。
そこから学校に入って、小・中・高校と、どんな活動をされてきました?
島田勝彰さん
小学校3年生ぐらいからサッカーにのめり込みました。
高校3年生ぐらいまではプロサッカー選手を目指して、サッカー1本の青春時代ですね。
アッティ
当時Jリーグなどで活躍されてて夢見た人って、どういう方がいらっしゃいますか?
島田勝彰さん
富山県だと柳沢敦 (やなぎさわあつし) さんとか。
アッティ
同世代ですか?
島田勝彰さん
ちょっと上の世代です。
たまたまその当時、柳沢敦さんの出身校の富山第一高校で活躍されていた方がコーチだったので、身近にプロに近い人がいる環境でサッカーを教わりました。
週4〜5ぐらいの勢いでずっと練習してましたね。
アッティ
それはやっぱり、プロサッカー選手を目指すとこまでも考えたんですか?
島田勝彰さん
今はなくなってしまったんですけど、水橋高校のサッカー部に入ってました。
私は4兄弟の長男で、兄弟みんなサッカーをしていたんですね。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
私は本田圭佑さんの1個下なんですけど、本田さんの出身校の星稜高校と戦っていたりとか、本気でサッカーをしてましたね。
アッティ
水橋高校、特にそのとき強かったですよね。
教育の道へ進んだ理由
高校までサッカーに打ち込んだ島田勝彰さんは、プロ選手の道を諦めた後、友人の「教員に向いている」という一言をきっかけに教育の道へ進みます。
しかし、資格に甘えたくないという想いから、教員ではなく、富山大学人間発達科学部に進学。
大学では学業と部活動の両立を図りながら、新しい形での教育との関わりを模索しました。
アッティ
高校までサッカー漬けでいて、なぜサッカーをやめちゃったんですか?
島田勝彰さん
今思えばすごい後悔してるんですけど、「プロになれない」って自分で割り切った時期があって、そこで「サッカーから距離を置きたい」って思ったんですね。
そのときに自分の人生を振り返って「サッカーを取ったら、自分に何が残るんだろう?」と考えていたら、たまたま友達に「お前よく喋るし、先生とか向いてるんじゃない?」みたいなことを言われて、それが教育学部に行くきっかけになりました。
ただ、なんとなく学校で先生をするというよりも、「サッカーを教えているコーチのようなことができたら面白いな」と思って。そういう経緯があって、教育に少し興味を持ち始めたんですね。
アッティ
きっかけは「お前よく喋るしな」みたいなところだったと。
島田勝彰さん
はい。弁が立つというか、よく「うまいこと言うよね」みたいな。
アッティ
でも教員免許を取って、あえて先生になろうとしなかったっていうのは、どうしてだったんですかね?
島田勝彰さん
自分の中の変なプライドというか…。
今もそうなんですけど、「資格を取ると資格に甘えそうだな」って自分がすごくあって。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
本当に自分は甘えん坊といいますか、楽な方、楽な方に行くタイプなんですよ。
資格を取ってしまうと、たぶん「もうそれでいいや」みたいな、そんな人生になりそうな気がしたんです。
「それだったら、違う形で教育に携わりたいな」と、大学進学のときに思って。
それでたまたま地元の富山大学が「教育学部を人間発達科学部に変える」という年だったので、「だったらチャレンジしてみようか」ということで進学を決めたんですよね。
アッティ
「いつでも緊張感を持ってたい」みたいな感じなんでしょうね。
島田勝彰さん
それは結構あるかもしれないですね。今もそうかもしれないです。
アッティ
「落ち着いた人生はあんまり好きじゃない」みたいな?
島田勝彰さん
「安定」の話をするときに、「独楽 (コマ)」の話をするんです。
コマが安定してる状態って、綺麗に回ってるときじゃないですか? そういう「安定」の方が、自分はしっくりくるんです。
自分がちゃんとリズム良く回ってる状態みたいなものを意識してるかもしれないですね。
アッティ
なるほど。
そこから富山大学に行かれて。人間発達科学部ですかね? 教育学部が変わったときですよね。
大学時代は、ずっと教育の学びをし続けた感じだったんですか?
島田勝彰さん
そうですね。先輩は「先生を目指す教育学部」でしたが、私は「人間発達科学部」だったので、結構いろんなことをさせていただいた4年間でした。
学業も一生懸命やってたつもりなんですけど、大学でも4年間部活をしてたので、どちらかというと部活・サークル、そういった課外活動みたいなところに力を入れた4年間でしたね。
アッティ
教育に進んでいきたいというところから独立まで、これからお話を聞けるのがすごい楽しみです。
今回は、まずジャブということで、生まれたときから学生時代について話をお聞きいたしました。
ハピオブ設立の経緯
新卒で富山大学の職員になった経緯
リーマン・ショック後の就職氷河期に直面した島田勝彰さんは、教育学部出身で周囲に就職への関心が低い中、資格にこだわらない生き方を模索。
卒業3ヶ月前に大学の先生から「大学職員」の道を提案され、働きながら学べる環境を求めて富山大学職員の道を選択しました。
アッティ
島田さん、2週目になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
島田勝彰さん
よろしくお願いします。
アッティ
前回は、生い立ちから含めて大学時代までのお話をいただきました。
子ども時代は「仮面ライダーのようなヒーローになりたい」というところから始まって、「お前、よく喋るよな」と友人に言われたことから、教育を目指し始めたということで。
富山大学に入られて、その後、大学の職員になられたんですよね? 富山大学の職員になられたんですか?
島田勝彰さん
そうですね。
アッティ
富山大学で勉強して、そのまま職員になったと。どういう経緯でそうなったんですか?
島田勝彰さん
語ると非常に長くなるんですけども…
アッティ
できるだけ短めでお願いします (笑)
島田勝彰さん
消極的な理由もいろいろあって。
アッティ
そうなんですか?
島田勝彰さん
私は就職活動らしい就職活動をあんまりやってないんですね。
リーマン・ショックの影響をすごく受けた年で、「就職氷河期」といわれていました。
そんな中で就職活動をするのって「本当に自分の行きたいところを決められるのかな?」みたいなことや、教育系の学部ということもあって「就職」に対して、あまり感度の高い人が周りにいなかったんですね。
アッティ
やっぱり教員になる人が多かったんですか?
島田勝彰さん
そうなんです。もしくは教育系の専門機関に行く人が多かったので。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
私は特に資格にこだわるつもりもなかったので、「自分がどんな生き方をしたらいいのかな」っていうのがわからなかったんです。
大学の先生や、部活の顧問の先生に進路について相談をしたら「大学職員という道もあるんじゃないか?」というアドバイスをいただいて。
それが4年生の、卒業する3ヶ月ぐらい前のことなんですよ。
アッティ
本当に就職活動をされてなかったんですね。
島田勝彰さん
「どうしよう…」と思っていたときに、そういった話をいただいて「それだったら、ぜひ残りながら」って。
大学院への進学も考えたんですけど、ただ勉強するというよりは働きながら勉強できる環境を望んでいたんです。
それで、その話に乗っかったという感じですね。
大学職員時代の仕事内容
島田勝彰さんは富山大学職員として学生支援を担当。最初は大学生の延長のような感覚だったが、就職・進路相談など、学生生活の相談窓口として活動します。
自身の学生経験を活かしながら3年間携わった学生支援の経験が、後のハピオブ設立のきっかけへと繋がりました。
アッティ
大学の職員っていっても、何されてるのかがよくわからないんですけど、どういうことをされてたんですか?
島田勝彰さん
大学の職員っていっても本当にいろんなことがあって。
入試を担当する職員さんもいらっしゃれば、いわゆる学科付きの教員の活動だったり、学生の生活を管理するって仕事もあったり、本当にいろいろありますね。
アッティ
教員免許を取る取らないは置いておいて、「人に物を教えていきたい」とか「人材育成をしていきたい」ってところから、職員になってっていうのは自分の中で一つのルートとして繋がっていたんですか?
島田勝彰さん
結果的に繋がってはいるんですけど、その当時、そこまで戦略的だったかって言われると…
目の前にその道があったので、「まぁ、いいかっ」って気持ちのほうが強かったですね。
アッティ
「言ってくれたし、やってみようかな」みたいな感じだったんですかね。
島田勝彰さん
その当時はそうですね、結果的に今は繋がってるんですけど。
アッティ
でも実際、学生から職員になるってなかなかないことじゃないですか?
島田勝彰さん
私だけですね、他の大学から新卒で職員になるってケースはあったと思うんですけど。
たぶん自分が在籍していた大学を卒業して、そのまま職員になるってケースはほとんどないと思います。
アッティ
そうですよね。実際なってみてどうでした?
島田勝彰さん
正直にいうと「大学生の延長」みたいな感覚でした。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
最初1年は、学生時代の後輩が大学にいるわけじゃないですか。
アッティ
そうですよね。
島田勝彰さん
自分は先輩として残ってるような感じで、「同じ学校に通いながら座る席だけ違う」みたいな。
最初は違和感満載でしたね。違和感というか、社会人という感覚はあまりなかったかもしれないです。
アッティ
もちろん授業とか受けるわけじゃないんですよね?
島田勝彰さん
はい。
アッティ
受けないですよね。授業の段取りとかをするのがメインだったわけですよね?
島田勝彰さん
メインの仕事は、学生支援のお仕事でした。学生の生活環境の相談事だったり。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
それこそ就職とか進路の相談を受ける窓口がメインの業務で。
そういった意味では、4年間の学生生活も自分の強みの一つになっていて、いろんな相談を聞くのが私の主な役割でした。
アッティ
これからハピオブさんの話を聞いていきますけど、遠くから広く学生を見ることによって、生活面など、ふだん学校教育では教えられないことに繋がっていったんじゃないですか?
島田勝彰さん
そうなんです。結局、ハピオブを作るきっかけは、この大学職員の仕事が本当に大きくて。
振り返れば一つの線に見えるんですけどね。大学職員として過ごした3年間は、本当に私にとってかけがえのない時間でした。
アッティ
3年間もいらっしゃったんですね。
島田勝彰さん
そうですね。
任意団体の設立
島田勝彰さんは、就職活動で首都圏学生との経験値の差に悩む地方学生を支援するため、東京への研修旅行やインターンシップなどを企画しました。
学生の需要に応え、自身が顧問として任意団体を設立。学生主体の活動を支援する体制を整え、地方学生の成長機会の創出に取り組んでいます。
アッティ
任意団体の立ち上げについてお聞かせください。
島田勝彰さん
それは、それこそ学生の相談を聞いたことがきっかけでできた団体です。
富山の学生が、東京などの首都圏で就職を考えると、首都圏の大学生と同じ面接会場で同じ席に座って話をするわけですよ。
首都圏の学生は「世界一周行ってきました」とか、「長期でこんなインターンシップに参加しました」とか、いろんなことが喋れるのに、富山の学生は…
アッティ
プラス、標準語でね。
島田勝彰さん
そうなんです。こっちはもう地方のカタコトの言葉で、大した経験も喋れないっていう。
そんな学生の相談をいただいてたので「それだったらみんなで一緒に東京に行ってみよう」って。
それこそ今、アッティさんがやっていらっしゃるインターンシップジャーニーの真似ごとを学生と一緒に始めてみて、そういったことを求めてる学生が結構多いと気づきました。
アッティ
面白いですね。
島田勝彰さん
それが「みんなで団体でやれたらいいよね」っていうきっかけになって、任意団体を立ち上げました。
アッティ
それはやはり、島田さんが中心になって作ったものなんですか?
島田勝彰さん
私が一応顧問みたいな立ち位置になってましたが、中心はそのときの大学生ですね。
アッティ
学生主体で。
島田勝彰さん
「学生団体」という形で団体を立ち上げました。
私は個人事業主的な形で創業ではないですけれども一応任意団体を持ってたので、基本的にはそこに学生団体がぶら下がる形で。
「学生が主体的にいろんな活動ができる環境を」ということで、やってました。
ハピオブ設立の経緯
島田勝彰さんは、地域企業からの仕事を学生と共に請け負い、アルバイト以上の学びの機会を提供しています。
当時、富山には長期インターンシップなど多様な経験の場が少なく、その需要に応えるため起業を決意。現在の多様なキャリアパスの先駆けとなる取り組みを実践しました。
アッティ
その団体では、たとえば東京に連れていくだけでなく、他にどういうことをされていたのですか?
島田勝彰さん
県内の企業さんからお仕事を受注して、学生と一緒にやったりとか。
たとえば、地図を作る仕事などもやりましたし、物を売るサポートもしましたし、イベントのスタッフなど、いろいろやりました。
今でいう「単発バイト」みたいなお仕事を受注して、学生と一緒にやることで、学生とすればバイトの時間を削れますし、質の高い学びになって、しかも就職活動で喋れるんですよね。
アッティ
今はボランティアもたくさん出来るようになってきてますし、それこそ大学受験も総合型の受験があったりとか、ある意味で「勉強だけじゃない」みたいな経験が「すごい貴重な経験」って扱いをされますよね。
島田さんが取り組んでいたものは、その初期の段階のものかもしれないですね。
島田勝彰さん
私がまだ卒業したての頃って、教員は現役で受からないとか、学業の成績が重視される世の中だったんです。
ベンチャー企業みたいなところでは「海外に行ったか」とか、「学生の間に長期のインターンシップに参加したかどうか」みたいなことを問われたんですけど、富山には全然なかったんですよ。
アッティ
そう思いますね。
島田勝彰さん
それが、私が自分で会社を作ったきっかけにもなるんです。
アッティ
そうなのですね。
島田勝彰さん
「会社を作って、自分の会社に長期でインターンする学生を受け入れて、その成果を就職活動で喋る」みたいな枠組みを作る。
そういったことが大学の中ではなかなかできなかったので、外に出て作ろうというきっかけになってるんです。
アッティ
私も知り合いと話してると、会社の中にインターン生、それも就職活動のためのインターンというよりは、長期のインターンで入ってらっしゃる方がかなり多いです。
実際、スタートアップ企業を立ち上げちゃって「大学は留年し続けながら、実は仕事してます」みたいな人が普通にいたりとかして。多様性がすごくなってますよね。
島田勝彰さん
昔に比べて、普通にストレートで入ってストレートに出ること自体が、一つの選択肢にしかなってないので。
「当たり前とか、普通という概念がちょっとずつ多様化してるな」というのは、すごく感じます。
大学の役割の変化
大学への進学率は上昇し、現代の大学教育は全入時代を迎えました。
従来の学業重視から、多様な経験を積む場へと価値が変化。大学時代の様々な経験が就職後も活きる貴重な財産となり、時代を超えて大学教育の価値を高めています。
アッティ
大学の価値がちょっと変わってきてる感じを受けますよね。
島田勝彰さん
そうですね。進学率そのものは上がっているので、高等教育に興味を持つ高校生は増えている一方で、大学は全入時代です。
昔のように「頑張って試験を合格して入ろう」という大学が一部に限定されて、「少子化の世の中で需要と供給のバランスが変わってきてるな」というのはすごく感じます。
アッティ
「別にゴールが就職ではない」というのはわかります。
その大学で「遊んでばかりいる」「勉強ばっかりしている」じゃなくて、実は「未来の第一歩を踏み出す学びをするところが大学だ」みたいなとらえ方をしてる方が多い感じがしますよね。
島田勝彰さん
「大学はやっぱり、いろんなことが経験できるところが良いところだな」と思うんですよ。
この4年間、6年間の人もいると思うんですけど、経験の豊富さは、やっぱり就職などで働いた後にも活きているような気がします。
これはもう、どの時代も変わらないかなと。
アッティ
そうですよね。時代が変わるの中での、ハピオブさんの位置づけがちょっと面白いものになってきてるような気がしますね。
また次回以降、その話を聞いていきたいと思います。
島田勝彰さんの仕事内容
独立のきっかけ
島田勝彰さんが富山大学職員を退職し独立した理由は、東日本大震災の影響と、より専門的なキャリア教育を実践したいという想いがあったからです。
学校教育では学業が重視される中、「社会で求められる職業観やキャリアマインドを育成する場を作りたい」という想いが起業の原動力となりました。
アッティ
島田さん、3回目になりますが、どうぞよろしくお願いします。
島田勝彰さん
よろしくお願いします。
アッティ
富山大学に入られて、そこから職員になって、その流れの中で「人の教育・育成に力を入れていく」という方向性を示しながらずっと来られてるということでした。
富山大学の職員からいよいよ独立をして、スタートアップ企業を立ち上げてという話になってくるかと思います。
まず、富山大学の職員は3年間でしたよね?
島田勝彰さん
はい。
アッティ
3年間を経て独立をされたのは、どういうきっかけでそうなったんですか?
島田勝彰さん
理由は2つあって、一つは私が大学職員になって1年目に起きた東日本大震災。この出来事が大きな理由の一つになっています。
もう一つは、やっぱり自分のやりたかったことが「学校」というくくりの中ではなかなかやりきれないということ。
活動が大きくなってきたときに「法人格を持ってやった方がいいよね」って声をいただいて独立した経緯がありますね。
アッティ
「自分のやりたかったこと」というのは、どういったことだったんですか?
島田勝彰さん
一言で言うと「キャリア教育をもっと専門的にやりたい」ということです。
「学校」というくくりの中だと、どうしても学業が大事になってくるんですね。一方で、社会に出たときには「職業感」や「キャリア観」「キャリアマインド」みたいなものが大事になってくる。
それを知りながら「どうやって伝えていくか」っていうのは、正直、大学職員の私の範疇ではないところではあったんですけど、学生が求めてくることはそういうことで…
アッティ
そうですよね。
島田勝彰さん
「体現できる場所を作ってあげたいな」って気持ちは、職員2年目ぐらいのときからありましたね。
ハピオブの事業内容
島田勝彰さんの事業の柱は当初、長期インターンシップの開発・運営と企業の採用支援でした。
事業の特徴は、企業説明会での双方向コミュニケーション手法で、学生が主体的に質問する場を設定すること。
段階的に興味関心を広げる教育的アプローチで、学生と企業の効果的なマッチングを実現していました。
アッティ
今でこそインターンは増えてきてますけれども、学生時代に「働くこと」に繋がる経験はなかなかできないし、考え方を持てる機会も少ないですよね。
そういうことで立ち上げた会社がハピオブになるんですか?
島田勝彰さん
旧社名は「AtionOne (エイションワン)」 という名前なんですけれども、10年目の節目で「ハピオブ」という会社名に変えました。
アッティ
具体的にはどういうことをされていたんですか?
島田勝彰さん
そのときにやっていたのは2つあります。
一つは、長期実践型のインターンシップの開発と運営ですね。
企業の方とタイアップして、企業側が求めている課題とやりたいことに対して、学生と一緒にできるものを考えてプログラムにするという取り組み。
もう一つは、企業さんの採用フェーズの支援ですね。
これに関しては大学職員の頃から学生の声を聞いていて、企業さんからも「イベントをしたい」とか「学生がうちの会社のことをどう思ってるか知りたい」みたいなニーズを聞いていたので。
「それだったら学生と一緒に、そういった採用イベントを何か企画してやってみませんか?」と、そういうご提案をしていました。
アッティ
2つめの「採用フェーズの話」は、各企業ごとにやってたってことですか?
島田勝彰さん
企業ごとにやらせていただいてました。
例えば、3~4社の企業を呼んで、小規模な合同企業説明会のようなことをいくつかやらせていただいてましたね。
アッティ
それこそ企業側からすると「これをしたい」「こういう人を求めてる」って思いながらも、「学生が何を求めてるか」「学生が何を考えてるか」って、正直全然わからないんですよね。
あんまり考えてない企業が結構多くて、よくよくやっていくと「学生のニーズをどう合わせるんだ」って話になる。
商売も全て「ニーズ」なんでしょうけど、そこの繋ぎをされてたんですかね?
島田勝彰さん
そうですね、学生は学生で聞きたいことがあるんですけど、どう聞いたらいいかわからない。
企業も企業で伝えたいことがあるんだけど、どう伝えたらいいかわからない。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
私が今やってる「ファシリテーター」とか「コーディネーター」みたいな存在が必要だなっていうのは、大学職員時代から感じていたんです。
私もしくはうちの社員がその役割を担って、結果として、学生と企業がお互いに聞きたいことを聞きあえて、マッチングが生まれたらなと。そういったサポートをしてた感じですかね。
アッティ
具体的なアクションのイメージは、学生と企業を合わせるって感じですか?
島田勝彰さん
そうですね。
アッティ
「その間にいる」みたいなイメージなんですかね?
島田勝彰さん
普通の説明会だと、企業がまず喋るんですね。そうではなくて、学生が企業のことを何となく調べてきて、気になることをとにかく質問するっていう。
企業さん側が2人ぐらいと、学生が7~8名で円になって座って。
アッティ
最初からずっと質問をするわけですね?
島田勝彰さん
最初から質問ですね。その中で、企業が本当に伝えたいことがあったら伝えるぐらいで。
「主体性を大事に」って最近言われていますけど、企業さんが一方的に会社の説明をしても学生に伝わらないんです。
学生が聞きたかったら聞くんですけど、結局あんまり実が入ってない状態で聞いても右から左に流れちゃうんですよね。
「最初に聞きたいことを絞る」みたいなことは、イベントで工夫してたかもしれないです。
アッティ
そうなると「最初から学生が調べてきて聞く」=「興味ある企業しか聞かない」みたいな感じになるんじゃないですか?
調べる段階で、例えば企業のホームページとかいろんな発信がかなりレベル高くないと、実は通用しないみたいなことってならないんですか?
島田勝彰さん
その点は、これもちょっと教育の工夫もあって。「最初はそれでいい」って、学生には伝えます。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
いわゆる「興味がなければ、興味のないところは調べなくてもいい」と。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
ただ「自分の見えてる世界が当たり前じゃないってわかったときに、自分の興味関心だけで物事を決めるのって怖いよね?」と。
アッティ
そこ、すごい大事ですよね!
島田勝彰さん
そのときに材料として「実は県内にこんな企業あるんだけど、ちょっと調べてみない?」とか。
アッティ
最初からじゃなくてね。
島田勝彰さん
そうですね。なまじ教育系出身だったので、自分の当たり前を疑えるようにさせることで「今まで見えてなかった部分への興味関心を広げる」みたいなことを、少し意識してやっていましたね。
仕事で意識していること
島田勝彰さんは、主体性と自分事化を重視したキャリア支援を展開しています。
社員の成長に応じて新会社設立の機会を提供し、事業領域を拡大。採用支援で培った「認識のずれを調整するスキル」を活かし、行政と住民の対話促進など、まちづくり分野へと活動範囲を広げています。
アッティ
キャリア支援、人材採用、マッチングなどで、特に意識してることって何かあるものですか?
島田勝彰さん
「主体的に考えているかどうか」ってことをすごく大事にしています。
今、富山県が取り組んでいるウェルビーイングの構成要素の一つに「主体性」という項目があるんですよ。
「自分事として考えられているか」ってなったときに、働く場所や生き方そのもの、自分がそれこそヒーローじゃないですけど、主人公のように自分自身を捉えられるかってすごく大事なんです。
どんなポジションでもいいんですけど、「自分事として、働き方や生き方を捉えられるかどうかということを納得するまでちゃんと調べましょう、企業と話しましょう」ってことを常に大事にしていますね。
アッティ
面白いですね。それを今は、ハピオブさんでやってらっしゃる状況ですか?
島田勝彰さん
そうですね。
アッティ
ハピオブ以外にも、会社をお持ちだと聞いたのですが?
島田勝彰さん
基本的には、採用は採用で専門に分けているってところと、今このハピオブの業務の範囲が「教育からまち作り」とか「コミュニティ」まで結構広がってまして。
アッティ
へぇ~!
島田勝彰さん
「専門的なご相談ほど広く」というふうに、分けさせていただいてるところはありますね。
アッティ
そうするとそれは、会社を分けてやってらっしゃるんですか?
島田勝彰さん
結果的にそうなっています。分けるときに、社員に社長を任せたりとかですね。
戦略的に組織運営できたらいいんですけど、どちらかというと「社員が活躍する場所を作ってあげたいな」って想いもあって。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
社員が一つのプロジェクトをうまく成功させたら「じゃあ会社を作ってもいいんじゃないか」ということで、その会社を任せるという形で法人を別で作るとか。
アッティ
なるほど。
先ほど「教育からまち作り」という話がありましたが、その「まち作り」はどういうことをやってらっしゃるんですか?
島田勝彰さん
企業と学生のお互いの認識のずれを合わせるのと、まち作りは一緒なんですよね。
行政のやりたいことと、住民の考えてることの目指してる世界観って実は一緒なんですが、お互いの伝え方のプロセスがちょっとずれてることって多いなと。
アッティ
行政の発信は、とてつもなくわかりづらいですからね。
島田勝彰さん
行政も面白い取り組みをされてるんですけど、それが上手く住民に伝わっていなかったり、住民も意見ではなく文句になっちゃってて、本当に伝えたいことがうまく伝わってなかったりするんですよね。
今のこのコーディネーター的な動きが、住民との対話の場作りにちょっとずつシフトチェンジして幅が広がっているような形ですかね。
コーディネーターの役割
島田勝彰さんは、コーディネーターとしての役割を最小限に抑え、あえて司会者を置かない場づくりを重視しています。
全員が主役となれる環境を整えることで、参加者の自発的な対話を促進。「繋ぐ」をテーマに、きっかけづくりに注力し、その後は当事者たちの主体性に委ねる手法を実践しています。
アッティ
こうやってお話を聞いてると、島田さんは話をされるのがめちゃくちゃお上手ですよね。そういう意味でも、ばりばりコーディネーターができておられるんでしょうね。
でも今の事業体を聞いていると、コーディネーターが何人もいないと成り立たない事業に見えるんですが、やっぱりそういう形なんですか?
島田勝彰さん
実際には「社員にコーディネートできる人材になる能力を育んでもらいたい」という想いはあります。
でもどちらかというと、下手に進行役や司会を作るような場作りをしない方がいいんですよね。
例えば、司会とかを決めちゃうと、場が止まるときに必ず司会が介入しますよね。でも司会を作らなかったら、必ず参加者の誰かが介入してくれるんですよ。
アッティ
助けてくれると思わないですからね。
島田勝彰さん
主人公が決まっていると、みんな脇役を意識しちゃうんですよね。
そうじゃなくて「全員が主人公であり、1人の人間なんだから、お互いフラットに話そうよ」っていう場を作る。
そういう場作りさえできれば、意外と、あとはみんなが議論を勝手に活性化させていくみたいなところがあるんですよ。
アッティ
なるほど、なるほど。
島田勝彰さん
「下手に介入しない」みたいなところは、実は結構大事にしていますね。
アッティ
採用の部分では企業と学生を繋ぐ。まち作りでは県民・市民と行政を繋ぐ。
そういう意味で、「繋ぐ」ってことがテーマになってらっしゃいますかね?
島田勝彰さん
「繋がりを作る」ということはすごく大事にしてますね。
僕らがやっていることは、うしろを伴走するというよりは、どちらかというとその場作りというか、きっかけになるような「最初のスタートを作ること」が大事なんですよ。
もちろん伴走するケースもあります。でも、どちらかというと本人たちが主体的にどんどんやっていく形であることを意識していますね。
アッティ
「繋ぐきっかけは作るから、そこからは自分たちでできるだけやっていってね」みたいなパターンですよね。
面白いですね。今、教育からまち作りへとステージが変わってきているところなんですね。
「この後のメッセージが楽しみでならないな」と思って聞いておりました。次回はそんな話も聞かせいただきたいと思います。
富山情報ビジネス専門学校の校長就任
富山情報ビジネス専門学校について
島田勝彰さんは、まちづくりの活動の中で学校のミッションやビジョン策定に携わりました。これがきっかけとなり、富山情報ビジネス専門学校の副校長を経て、37歳で校長に就任。
北陸最大の学科数を持つ総合専門学校で、IT、建築、医療など多様な分野の教育を統括しています。
アッティ
島田さん、4回目になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
島田勝彰さん
よろしくお願いします。
アッティ
富山大学の職員を経て、そこから事業を立ち上げて、例えば採用活動において企業と学生を繋ぐ、まち作りにおいて行政と市民県民を繋ぐという事業をされているということでありました。
そこから教育に携わる話で大きなステップを踏まれたということで、ちょっとお聞かせいただけますか?
島田勝彰さん
富山県のまち作りに携わっている中で、たまたま学校経営ですとか、学校教育の現場に携わることでお声がけいただきまして。
今は「富山情報ビジネス専門学校」で、校長を兼務させていただいている状態です。
アッティ
すごいですね。校長先生とスタートアップ企業を同時にやってるって聞いたことないですけどね。
島田勝彰さん
そうですね、全国にもそんなにいらっしゃらないんじゃないかなと。
アッティ
そうですよね? 今、おいくつでしたっけ?
島田勝彰さん
今年37歳です。
アッティ
37歳で校長先生、すごいですね!
「校長」というだけで「すごい」と思ってしまいますが、校長先生になったきっかけはどういったことだったんですか?
島田勝彰さん
もともとは学校のミッションやビジョンを作るお仕事で、コーディネーターとして関わらせていただいてたことがきっかけです。
その中でご縁をいただいて「学校の現場に関わってみませんか?」ってことで。当時は副校長という立場から入らせていただいて、今年 (2024年) から校長という立場でやらせてもらってます。
アッティ
富山情報ビジネス専門学校ですよね?
島田勝彰さん
はい。
アッティ
これはどういったことを学ぶ学校なんですか?
島田勝彰さん
北陸では一番学科数の多い総合系の専門学校です。
ITの分野もあれば、建築の分野もありますし、医療系の分野もあったり、公務員だったり、本当に幅広くて多種多様な専門性を学べる専門学校ですね。
校長の役割
島田勝彰さんは執行役員的立場で校長として重要な決断を担う一方、ハピオブでの経験を活かして、学生・教職員とのコミュニケーションを重視しつつ専門学校全体の運営に携わっています。
異なる専門分野間や地域企業との連携を促進し、多様な学科を持つ強みを活かして相乗効果を創出しているところです。
アッティ
校長の役割って、どんな役割なんですか?
島田勝彰さん
これ本当に皆さんによく聞かれるんですよ「校長ってどんな仕事ですか?」って。
アッティ
興味津々です。
島田勝彰さん
冗談半分で「ハンコを押す仕事です」って言ってるんですけど。
アッティ
どこかの経営者みたいですね (笑)
島田勝彰さん
学校って誰かが決断しないといけないことが結構多いんですよね。
大事なお子さんを預かっている現場になりますので、「校長」という人間が決断しなきゃいけないことをしっかりと決断することが一番大きな仕事になります。
私はその中でも、現場の学生や教職員とのコミュニケーションを特に大事にしていますね。
アッティ
校長と経営は、また別なんですか?
島田勝彰さん
学校法人さんによって異なります。一緒のような立場もあれば、別のような立場もあるので、実際は本当にいろいろやり方があります。
私の場合は、専門学校の経営といいますか、全体を責任として預かっているという、企業でいう執行役員のような立場になるんですかね。
アッティ
今まで話を聞いていて、島田さんは「コーディネートをする」「コミュニケーションをより深める」というところに長けていると思います。
執行的な役割とすると、「学生と何かを繋いでコミュニケーションをどんどん取らせていく」みたいなところに力を入れていく役割なんですかね?
島田勝彰さん
やっていることは、ハピオブでやっていることとさほど変わりはなくて「対象が違う」という言い方の方がいいかもしれないですね。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
「学生と地域を繋ぐ」や「一つの専門的な学びと別の専門的な学びを繋げる」、最近の言葉でいうと「いかにシナジーを生み出して付加価値を作っていくか」みたいなことです。
総合系の専門学校なので、本当にいろんな組み合わせを作れるんですよね。
それを地域の企業さんと協力しながら作っていく、ってことを仕掛けるということをすごく大事にさせてもらってます。
専門学校の実践的教育
富山情報ビジネス専門学校では、企業と連携した実践的な課題解決型教育を展開しています。
Webクリエイターや情報ビジネス学科での企業プロジェクトを通じ、多くの学生が協力企業への就職を実現。学生の7割が地元、3割が留学生という多様な環境の中、学生主導のアイデア創出を重視。
「つくり、つくりかえ、つくる」という教育目標のもと、自己変革とチャレンジの循環を促進する教育を実践しています。
アッティ
地域の企業と繋ぎ合わせるってのは、例えば具体的にどういったことなんですか?
島田勝彰さん
例えば「Webクリエイター学科」では、企業さんが作ってほしい動画を授業の中で制作して、それをプレゼンテーションして実際に使っていただくというものがあります。
「情報ビジネス」というマーケティングを学ぶ学科では、実際にデータ分析をして、その分析から新しい商品プランを作って提案して、企業さんが実際にそれを販売されるとか。
企業さんの課題を授業の中で形に変えて、企業さんと一緒に地域の課題解決としてアウトプットしていくというような流れです。
アッティ
プロジェクトに携わった学生が、その企業に入るということも起きてるわけですよね?
島田勝彰さん
富山県内の就職は80%ちょっとになりますので、高等教育の中では、県内にとどまり就職する学生が非常に多いですね。
アッティ
それはいいですね。
島田勝彰さん
実際に学んでいる間に企業さんと触れ合う機会を得て、「その企業のことをいいな」と思って就職するケースは本当に多いですね。
アッティ
入学する学生は、やっぱり富山の人が多いんですか?
島田勝彰さん
そうですね。富山の学生が7割ぐらいで、あとの3割は留学生ですね。
主にネパールとか、そういった国からが多いんですけれども、留学生も大体70~80名ぐらい在籍してますね。
アッティ
結構おられますね。
建築、IT、医療もそうだし、いろんな学びがある。ましてや外国の方もたくさんいて、多国籍というか、本当に多様化した環境下の中で学べるという。
そこに対してコミュニケーションを深めていくって意味では、何か面白いものが生まれそうです。
島田勝彰さん
おっしゃる通りで、そこから何か新しいものができることって本当にたくさんあって、そのアイデアって無限にあるんですよね。
それを教職員であるわれわれが作るというよりも「いかに学生にそういう機会を提供して学生側からアイデアを出させるか」というのは今もすごく大事にしているんです。
ちょっとずつですけど、学生起案でいろんなことを提案してもらえるようになったのですごく嬉しいですし、それを責任持って決断する立場かなと思っています。
アッティ
経営も校長も、トップとしての方針があるわけじゃないですか?
この学校の方針を立てられたことによって、学校はやっぱり大きく変わってきてるって実感はありますか?
島田勝彰さん
学園全体とすれば「つくり、つくりかえ、つくる」という教育目標があります。
「自分をつくって、またつくりかえて、どんどん新しい自分をつくっていこう」って教育のあり方を大事にしてるんですよね。
それと「チャレンジする」ということが紐づいています。
チャレンジすることで、また新しい自分につくりかえられて、それがまた新しい自分を作る原資になっていく。そういう循環が、ちょっとずつですけれども今できてきてるんじゃないかなとは思います。
ヒーロー願望から人を育てる喜びへ
島田勝彰校長は、学生や教職員との関わりを通じて学校経営の魅力を実感しています。
幼少期の「ヒーローになりたい」という願望が、現在は「ヒーローを育てる」という立場に変化。生徒の成長や達成を見守る喜びを、子どもの成長を見守る親の気持ちになぞらえています。
アッティ
校長、楽しいですか? (笑)
島田勝彰さん
難しいところもいろいろとあるはあるんですけど、学生とのコミュニケーションを取れる現場の責任者って位置づけでいうと、学生の達成感ある表情などを見られたときは嬉しくなります。
また、教職員が頑張って何か成し遂げたときの一体感などもすごく楽しいんですよね。
この「学校」というものが持っている魅力は、校長というポジションにつかないとわからなかったかもしれないですね。
アッティ
第1回目の幼少期に「ヒーローになりたい」って話がありましたけど、なんだかヒーローを作る側の役割になってるような気がしますよね。
島田勝彰さん
今こういうポジションをさせていただいてて、それはすごく思うことがあります。
昔はやっぱり自分が当事者で「自分が一番のヒーローになりたい」と思ってたんですよね。
でも『僕のヒーローアカデミア』じゃないですけれども、活躍する人を生み出していくことの楽しさっていうものも私の中にはすごくありますね。
アッティ
なるほど、いいですね。
島田勝彰さん
ハピオブのビジョンも「全ての人が活躍する社会をつくる」なんですけど、これは、ハピオブとしてもそうですし、今のこのポジションとしてもそうなんですよね。
活躍する人がどんどん社会に増えていけば、それは僕も嬉しいし、社会もハッピーなんじゃないかなとは思います。
アッティ
やっぱり仕事の喜びってそこですか?
島田勝彰さん
自分が何かできたときの達成感も当然ありますけど、自分の関わった人が何か出来たときは、それこそ子どもが何かできるようになったときのような喜びもあります。
わかりやすくいうと、赤ちゃんが立てるようになったときみたいな喜びの感覚が仕事のやりがいですね。
アッティ
人って初期の頃はやっぱり社会を知らない、そして周りを知らないだけに「主語が全部自分」だったんでしょうけど、だんだん対象が周りの人になっていくんでしょうね。
いやぁ~、いいですねぇ!校長先生、最高です!次回も楽しみです。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲
ふるさと富山について
島田勝彰さんは、富山で生まれ育ったことに対して満足感が高いと感じています。
特に人との出会いに恵まれ、小中高それぞれの段階で出会った仲間の言葉が人生の転機となった経験から、富山の最大の魅力は「人」だと確信。
人々がより一層活躍できる社会づくりに貢献したいと考えています。
アッティ
島田さん、全5回のうち5回目の最終回となりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
島田勝彰さん
よろしくお願いします。
アッティ
幼少期の頃から始まって、大学時代、そして富山大学の職員、そしてスタートアップ企業を立ち上げて、今は富山情報ビジネス専門学校の校長先生になられてるというお話をいただきました。実感したのは、「人材育成」が一つの大きなテーマだということです。
今回は、島田さん自身のふるさと富山への想いを語っていただきたいと思います。
島田勝彰さん
5回にわたって本当にいろいろとお話させていただいて振り返ってみて、「自分は本当に恵まれてるな」と思いました。
私自身、この富山で生まれ育ったことに対してすごく満足度が高いんですよね。
それは人との出会いが一番大きくて、小学校、中学校、高校と育っていく中で、それぞれのフェーズで素敵な友達や仲間に支えてもらったことが大きくて。
自分の進路や生き方も、仲間の言葉で決まることが結構多かったんです。
アッティ
そうですよね。
島田勝彰さん
そういった意味で、改めて僕は、このふるさと富山の持っている魅力は「人」だなって思うんですよね。
その「人」がもっとイキイキする社会だったり、フィールドを作ることができると嬉しいなと思います。
アッティ
それは本当いいですね。まさにそれが富山のためにもなりますしね。
富山県内で大好きな飲食店
アッティ
お気に入りの飲食店をお聞かせいただけますか?
島田勝彰さん
中央通りに「ハッピー食堂」という素敵な食堂があるんですよ。
アッティ
ありますね。
島田勝彰さん
私は特に、焼肉定食が好きなんです。
アッティ
なるほど。
島田勝彰さん
私は富山のまちなかに育ったこともあって、あの雰囲気がもう実に富山らしくて!
すごく好きですね。
アッティ
今でも結構行かれてるのですか?
島田勝彰さん
そうですね、たまに懐かしくなって。
「なんかあの味食べたいな…」と思ったら、ふらっと行っちゃいますね。
アッティ
ああやって続いてるお店って、ほとんどなくなってきましたよね。
島田勝彰さん
そうですね。
懐かしさを感じられるお店って、やっぱり減ってきてますよね。
アッティ
まちづくりとして「懐かしさを感じられるお店を残していく」ということも、大事なことかもしれないですよね。
リクエスト曲
アッティ
島田さんからのリクエスト曲をいただきたいと思います。
島田勝彰さん
Mrs. GREEN APPLE (ミセス・グリーン・アップル) さんの「僕のこと」という歌をリクエストさせていただきます。
アッティ
この曲を選んだ理由を教えてください。
島田勝彰さん
2つ理由がありまして、一つは歌詞自体がすごく素敵で、人生と向き合う自分を奮い立たせてくれるような歌だということ。
もう一つはシンプルに、娘が非常に好きでして。
アッティ
どういう言葉が好きなんですか? 奮い立たせるって。
島田勝彰さん
自分が「生きているんだ」ってことを伝える歌なんですよね。
生きていると当たり前なんですけど「自分が生きているんだ」って思える瞬間というか、そういう歌詞を聞くと「毎日一生懸命頑張ってる自分は、大変だけど生きてるってことだよね」って思えるので、頑張りたいときに聞きたい曲ですね。
アッティ
音楽は力がありますよね。
島田勝彰さん
そうですね。
アッティ
それでは島田勝彰さんのリクエストで、Mrs. GREEN APPLEの「僕のこと」です。
これからの夢や目標について
かつての島田勝彰さんの「ヒーローになりたい」という想いは、「ヒーローを育てる」立場へと進化を遂げ、今は「全ての人が活躍する社会をつくる」という理念を掲げています。
「人口減少時代でもいろんな生き方を見つけられる」とポジティブに捉えており、37歳の現在も人生の中間地点と考え、より広い視野で新たな挑戦を続けていく予定です。
アッティ
最後の最後になってまいりましたけれども、島田さんのこれからの夢や目標について、たっぷりとお話をいただきたいと思います。
島田勝彰さん
アッティさんにご紹介いただくときに言っていただいている「全ての人が活躍する社会をつくる」という言葉。これから私がやりたいことも変わらず、その一言です。
私ももちろんですが、みんなが活躍できる社会ができると、きっと笑顔も増えるでしょうしね。
これからの社会は人も減っていきますけど、ネガティブなことばっかりじゃないと思うんですよ。
きっといろんな人がいろんな生き方を見つけられる社会になると思うので、私もその一翼を担えるように、これからも頑張っていきたいなと思っております。
アッティ
「校長先生」って肩書きだけ聞くと、「人生の終盤」みたいな感じの雰囲気がありますけれども、もちろんまだ中間の段階ですよね?
島田勝彰さん
もっと広い世界で、自分ができることを追求していきたいなって気持ちがありますね。
人生100年時代なので、学び直しなどを含めると、この100年でできることってまだまだあるなと。
私もまだ63年ぐらいあるので、もっと生き方を追求していくこともできると思いますし、視野を広げるためにいろんなチャレンジもしていきたいなと思ってますね。
アッティ
なるほど。全5回にわたって話をお聞かせいただきました。
島田さんがお話いただいた「人材育成」とか「人と人との繋がりを作ること」であるとか、本当にどんどん先を行かれていますよね。
今でこそ当たり前の雰囲気がだんだん出てきてはいますが、昔はそんなこと考えられもしなかったですよ。やっぱり「主役は自分」みたいな感じのパターンが非常に多かったような気がします。
「俺はヒーローになりたいんだ」ってところから「ヒーロー作りをしてる」という意味では、島田さんの経営のスタイルや、考え方が、どんどん変わってきてらっしゃるんじゃないかなと勝手に思いました。
人材育成の話をたっぷりお聞かせいただくのは、実はこれまであんまりなかったので大変勉強させていただきました。ありがとうございます。
今月のゲストは、合同会社ハピオブ代表社員の島田勝彰さんでした。島田さん、1ヶ月間どうもありがとうございました。
島田勝彰さん
ありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。