こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、カターレ富山のプロサッカー選手 椎名 伸志 (しいな のぶゆき) さんです。※2023年6月現在
4度の靭帯断裂からカムバックし、富山の不屈のシンボルとしてフィールド外でもボランティアで大活躍の椎名さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
プロになるまで
椎名選手の幼少期
椎名伸志選手は札幌出身で、小学1年からサッカーを始め、サッカーを最高の遊びとして楽しみます。
地元のプロチーム「コンサドーレ札幌」の影響で、漠然とプロ選手への憧れを抱いていました。
アッティ
椎名さん、どうぞよろしくお願いします。
椎名伸志さん
よろしくお願いします。
アッティ
今期 (2023年)、カターレ調子いいですね!
椎名伸志さん
そうですね。まだ始まったばかりですけど (笑)
アッティ
(笑) でも上位につけてますんで、いい感じでスタートしてるなと思います。
今回は全5回にわたって、サッカーはもちろん、フィールド以外での活躍もたっぷりとお聞きしていきたいなと思っております。
椎名伸志さんは、皆さんからどう呼ばれてるんですか?
椎名伸志さん
チームメイトからは「ノブ」と呼ばれてます。
アッティ
じゃあ私も、頑張って「ノブ」と呼んでみたいと思います。
ということで椎名さんは…
(笑) 失礼、いきなり「椎野さんは」って言っちゃいました。
椎名選手は、お生まれはどちらなんですか?
椎名伸志さん
北海道の札幌出身になります。
アッティ
札幌になるんですね。札幌には、いつ頃までいらっしゃったんですか?
椎名伸志さん
中学卒業まで。
アッティ
幼少期は、どんな感じの方だったんです?
椎名伸志さん
人見知り…。
本当にサッカーが最高の遊びだったって感じで、四六時中サッカーしてた記憶があります。
アッティ
サッカーは、いつ頃からやりだしたんですか?
椎名伸志さん
小学校1年生ですね。
アッティ
何かきっかけみたいのはあったんですか?
椎名伸志さん
近所のお兄ちゃん的な存在の人がいたんですけど、そのお母さんに誘われて「ちょっと体験行ってみない?」みたいな感じで行き始めたのがきっかけです。
アッティ
クラブチームというか、何かスクールみたいなのがあって、そこからスタートしたという感じなんですか?
椎名伸志さん
そうですね。
アッティ
やってみてどうでした? 最初は?
椎名伸志さん
もう楽しすぎて。父が草野球的な感じで野球をしていて、ボール遊びはサッカーか野球か、球を投げるか蹴るか、みたいな遊びをずっとやってたんです。
でも、そういうクラブチームというか習い事的な感じで行ったのがサッカーが初めてだったので、もう楽しくて仕方なくて。
アッティ
なるほど。
椎名伸志さん
近所の友達よりも多くの友達と一緒に球を蹴れるっていう行為に、そのときはすごく喜びを感じた記憶が残ってますね。
アッティ
小学校1年から、もうずっとサッカーやってる感じですか?
椎名伸志さん
そうですね。サッカーと、水泳もやっていました。
アッティ
水泳もやってたんですね。
椎名伸志さん
はい、やっていました。
アッティ
札幌というとね、当然雪が非常に多いということもあって、野球やサッカーなどの外でやるスポーツが、雪のシーズンはどうしても止まってしまうイメージがありますけど、年がら年中サッカーをやってる感じだったんです?
椎名伸志さん
冬の間は、「フットサル」という体育館でやる競技をやっていました。
あとは、ちょうど僕が小学生の頃に札幌ドームができて、僕は運よくそこの近くの小学校に通っていて、札幌ドームの中には展望台? すごい景色がきれいに見える場所があるんですけど、そこのテープカットもやらせてもらって。
アッティ
小学校のときに?
椎名伸志さん
そうです。
アッティ
すごい!
椎名伸志さん
そんな思い出がありますね。
アッティ
じゃあ逆に、むしろいい環境でサッカーをやってらっしゃったんですね。
椎名伸志さん
そうですね。
アッティ
その頃って、夢みたいなものは何かあったんですか?
毎日のようにサッカーをやっていたので、プロサッカー選手?
椎名伸志さん
本当に漠然としてですけど、やっぱり身近にプロサッカーチーム「コンサドーレ札幌」があったので。
アッティ
そうですよね。
椎名伸志さん
そういったチームの試合を見に行くことで、「自分も歓声を浴びながらプレイしてみたいな」っていう気持ちは持っていたと思います。
アッティ
「プロになってみたい」みたいなものは、やっぱりあったんでしょうね。
青森山田高校への進学
椎名伸志選手は、より高いレベルでプレーするために青森山田高校に進学しました。
全国大会常連校で軍隊のように厳しい環境でしたが、1年時からレギュラーとして活躍し、3年時にはキャプテンを務めます。
先輩たちの良い面、悪い面を観察し、いろんな経験を積み重ね、人との絡み方やコミュニケーションの取り方などを学びました。
アッティ
小学校、中学校と、札幌でサッカーをされてきて、高校は青森山田高校に移られたんですよね?
これはもう北海道外ですよね、青森ですもんね。
椎名伸志さん
はい。
アッティ
「青森山田」というとサッカーだけじゃなくて、いろんなものが強い高校ってイメージがありますが、札幌もサッカーが盛んですよね?
なぜ札幌の高校やコンサドーレの下部チームなどでなく、青森山田を選ばれたんですかね?
椎名伸志さん
僕の3〜4個ぐらい上の先輩が、当時同じクラブから静岡の高校に行っていて、その選手が日本代表のアンダーカテゴリーに絡むような選手だったんです。
北海道は選手権などに出れる高校もあるんですけど、レベル的には正直、全国で勝ち上がっていけるような高校はあまりなくて。
自分もプロ選手を目指す上で、「やっぱりレベルの高いところでプレーしてみたい」「全国で活躍できるような環境に身を置いてみたい」っていう気持ちが中学校3年生の頃にだんだん高まってきて、一番近い青森山田高校っていうのが (笑)
アッティ
(笑) 一番近いっていうのもあったんですね、海は渡るけど。
椎名伸志さん
静岡に行く勇気もなく。
アッティ
ちょっと海を渡れば着くところみたいな?
椎名伸志さん
はい。で、全国大会の常連で、みたいな感じで。
「一緒に練習に参加」みたいなのをお願いしていきましたね。
アッティ
たくさんのJリーガーも出てらっしゃいますよね、青森山田は。
椎名伸志さん
そうですね、ここ最近、ここ数年でガッと上がってきた感じはあるんですけど。
アッティ
うんうん。
椎名伸志さん
全国大会でも、結果を出せるようになっていったところだと思ってます。
アッティ
でもそれだけ強いチームに入られると、日頃のトレーニングであったり規律であったり、相当厳しいものがあったんじゃないですか?
椎名伸志さん
もう軍隊でした (笑)
アッティ
軍隊 (笑)
椎名伸志さん
時間の制限を含め、あいさつなど「自分の人間形成の中で、高校時代の経験が本当に大きかったな」っていうのは、今でも思いますね。
アッティ
カターレの椎名さんを見ていると、ずっとキャプテンシーを持って、キャプテンとしての様々な役割を担ってこられてきたんじゃないかなと思いますが、青森山田での役割はどうだったんですか?
椎名伸志さん
ありがたいことに、1年生の頃からレギュラーチームに絡ませていただいて。
アッティ
すごいですね。
椎名伸志さん
良くも悪くも、1年生のときからキャプテンや先輩たちを見てきて、良い部分も悪い部分も自分なりに噛み砕いた上で「こういうキャプテンにはなりたくない」と。
アッティ
反面教師でね (笑)
椎名伸志さん
(笑) 反面教師で。
本当にいろんな経験がうまく積み重なって、人との絡み方やコミュニケーションの取り方だったりは、高校時代が一番考えてできていたのかなって、今思いますね。
アッティ
3年のときはキャプテンでいらっしゃったんですか?
椎名伸志さん
そうです、はい。
3年生のときの大きなケガ
椎名伸志選手は、高校3年時に全治6〜8ヶ月の前十字靭帯損傷を負いますが、4〜5ヶ月で復帰して全国選手権に出場。リスクを承知で復帰を決断し、痛みを抱えながらも決勝まで進みました。
賛否両論ありましたが、ケガのリスクはスポーツ選手共通の課題であり、そのときの自身の判断は間違っていなかったと確信しています。
アッティ
3年のときに、全国大会に出られてるんですよね?
そのとき、ひとつ大きなケガがあったという話を聞いておりますけれども。
椎名伸志さん
3年目の7〜8月頃にケガをして、基本的には6〜8ヶ月のケガって言われました。
アッティ
大きいですね。
椎名伸志さん
選手権に出て活躍するために青森山田高校に入ったので「どうにかして復帰できないか」ってことで、監督と話したり、チームのトレーナーと話したりして、復帰できる策をつくっていただきながら、そのプログラムに沿って選手権の出場を目指したみたいな感じでしたね。
アッティ
実際、選手権には出られたわけですよね?
椎名伸志さん
はい。怪我から4~5ヶ月で出て、正直、賛否両論あって。
アッティ
治るのに6〜8ヶ月かかるって言われながら、4ヶ月ぐらいで出たと。
椎名伸志さん
そうですね。リスクを承知で自分の判断で出たんですけど、それを支えてくれたメディカルトレーナーも叩かれ、いろんな出来事がその3年生のときにあったなと思いますね。
アッティ
「今が大事なのか、将来が大事なのか」ということですよね?
でも、結果的にはどうだったんですか?
椎名伸志さん
少なからず痛みを抱えながらではあったんですけど、再発することなく決勝までプレーできました。
「その後しっかり休養を取る」っていう約束の中でのプレーだったので、個人的には「その判断をして間違いなかったな」と自信を持って言えますね。
アッティ
そのときのケガは、前十字靭帯だったんですよね?
椎名伸志さん
そうですね。
アッティ
前十字靭帯は、やっぱり後でも引きずるものなんですか?
椎名伸志さん
正直、オペすれば治るようなもので、何て言うんだろうな、人の体の動きの癖や、なりやすい体質もあると言われています。
スポーツをやっている以上、こればっかりは、みんなが平等に持っているようなリスクだと。
アッティ
そうですよね、この後、何度もそうやってケガされたりしてますのでね。
大学進学を選んだ理由
椎名伸志選手は高校3年時のケガが影響し、直接プロ入りではなく大学進学を選択。ケガの回復と大学からの誘いが決め手となりました。
当初はプロ志望だったのですが、夏の大会でのケガでJリーグからのスカウトはなく、大学経由でJリーガーを目指すことになります。
アッティ
青森山田で選手権に出て、ひとつの形を作って、そこからいよいよ、進学もしくはプロにっていう話だと思います。
大学を選ばれて進学されたっていうのは、何か理由があるんですか?
椎名伸志さん
もともとプロ志望でやっていたんですけど、やっぱり夏にケガをしてしまったのがとても大きくて。
アッティ
なるほどなるほど。
椎名伸志さん
ケガの治りも含めて「大学を経由するのが理想なんじゃないのか」っていうのがあったなか、ありがたいことに大学側からもお声掛けいただいたので、迷いなく大学進学を選びました。
アッティ
そのとき、スカウトは来てたんですか? Jリーグからは。
椎名伸志さん
いや、Jリーグは来てなくて、ちょうどその夏の大会で「この出来次第」っていうか「見に来るよ」みたいな話は監督からされていたんですけど、人生うまくいかないもんで。
アッティ
ケガというのが、やっぱり大きかったんでしょうね。
椎名伸志さん
自分の中では、大きかったです。
アッティ
そこから大学に進学されて、大学でも活躍されて、いよいよJリーガーを目指されたということだと思います。
今回は以上とさせていただきまして、次回は、いよいよJリーガーとして、プロとしてスタートされる話を聞いてまいりたいと思います。
プロデビューとケガ
流通経済大学でのサッカー
椎名伸志選手は、流通経済大学に進学。多くのJリーガーを輩出する競争が激しい大学で、単位取得に苦労しながらもプレーします。
大学生活の目標は、4年間で実力を磨き、プロチームからのスカウトを受けること。高校卒業時から、プロ入りの強い希望を持ち続けていました。
アッティ
前回は、幼少期から青森山田高校時代までのお話をいただきました。
青森山田で全国選手権の決勝まで行かれて、そこからスカウトにはかからず、大学に進まれたということでしたけれども、大学生活はどんな感じでいらっしゃったんですか?
椎名伸志さん
もう単位を取るのに必死で (笑)
アッティ
(笑) それは、優遇はされないわけですよね?
椎名伸志さん
ある程度の優遇はあったんですけど、でもやっぱり出席しなければいけなくて。
アッティ
はいはいはいはい。
椎名伸志さん
もう本当に、学校に行って、頑張って出席して、そこで何かを学んだとかは正直覚えてないですね。
アッティ
流通経済大学ですよね? 流通経済大学っていうと、サッカーの日本代表が練習試合で戦う相手というイメージがあったりしますけど、やっぱりだいぶサッカーが盛んなのですよね?
椎名伸志さん
そうですね。高校時代のトップチームの中心選手が集まるっていうよりは、ちょっと下で埋もれてたような選手たちがこぞって集まってくるような大学でした。
それでも本当に「レベルが高い中でサッカーさせてもらったな」っていう思いはありますね。
アッティ
やっぱりそこからJリーガーになる方も多いんですか?
椎名伸志さん
多いし、逆にそこで潰れる選手たちもたくさんいますね。
アッティ
かなり勝負の厳しい場所ではあるわけですよね。
大学のときの目標みたいなものって、何かあったんですか?
椎名伸志さん
高校卒業と同時にプロにいきたい気持ちは本当に強かったので、この4年間で揉まれながら「プロチームからのスカウトをいただけるような活躍をしたいな」っていう目標はありました。
松本山雅でプロデビュー
椎名伸志選手は、大学3年時のケガで4年次のほとんどを棒に振りますが、最後の2ヶ月で松本山雅FCからオファーを受けます。
松本山雅 (まつもとやまが) での経験を通じ、熱心なファンに支えられるJリーグの雰囲気を実感しました。
アッティ
実際、4年間大学生活を過ごされて、スカウトから声はかかってきたんですよね?
椎名伸志さん
最後の年にかかってきたんですけど、これもまたケガの話になってしまうんです。
アッティ
2回目のケガですか?
椎名伸志さん
2回目のケガが、大学の3年の冬。
アッティ
一番大事なときですよね?
椎名伸志さん
そうなんです、「なんでこんなときに」って…
大学3年の冬にケガをして、4年目のシーズンはほとんど棒に振ってしまって、最後10月ぐらいにやっと復帰できました。
アッティ
4年生の10月ぐらいに?
椎名伸志さん
はい。
アッティ
ほぼ終わりのときですね。
椎名伸志さん
「残り1〜2ヶ月での勝負だな」っていうところで、ありがたいことに声をかけていただいて。
アッティ
声をかけてくれたところっていうのは?
椎名伸志さん
松本山雅FCというクラブ。
アッティ
信州の。あそこは1回、J1にも上がってらっしゃいますよね?
椎名伸志さん
そうです。僕が入団したのが、ちょうど2013シーズンかな? そのシーズンはJ2にいて、その年にJ1に昇格しました。
アッティ
J2のときに入って、J1も経験したということなんですね?
じゃあ、松本山雅が一番盛り上がっているときですよね?
椎名伸志さん
初めてJ1のカテゴリーに上がったときだったので、盛り上がりはかなりすごかったと思います。
アッティ
実際オファーが来てJリーガーになってみて、手応えみたいなものってあったんですか?
椎名伸志さん
正直、自分にかけてた期待値みたいなのが高すぎて。
アッティ
自分自身に?
椎名伸志さん
自分自身に。
アッティ
「これぐらいはできるだろう」みたいなとこがですか?
椎名伸志さん
って思ってたところが、足りないところだらけというか、プロの厳しい世界に押しつぶされていた1年目でした。
出場機会こそ47試合中半分ぐらいはあったんですけど、ほとんどが途中出場であったりとか。
「自分の思い描いてたとおりにはいかないキャリアのスタートだったかな」と思います。
アッティ
でありながら、次の年はもうJ1なんですよね?
椎名伸志さん
そうですね。ただそこで、大きな補強などがあったりして、なかなか試合に出ることができない中で、カターレ富山の方から声掛けいただいて。
「夏にこっちに移籍してきた」という形になります。
アッティ
松本山雅にいたのは、1年半ぐらいですか?
椎名伸志さん
1年半ですね。
アッティ
北海道を出て、一番近い青森に行って、そこから東京ですよね? 大学はね?
椎名伸志さん
えーと、茨城。
アッティ
茨城、松本と行っていますが、地域的なもので何か感じることってあったものですか?
椎名伸志さん
松本でですかね? そうですね、松本山雅っていうチーム自体が、本当にファンやサポーターに支えられているようなクラブでした。
初めてプロキャリアをスタートさせたチームで、僕にとって「プロ選手ってこういう感じなのか」って思えるぐらいファンやサポーターが熱くて、大衆で押し寄せてアウェイチームをジャックしちゃうような。
まちの中でも声をかけていただいたりとか、「本当に温かいまちだったな」という思い出があります。
アッティ
2023年6月現在、松本山雅はJ3でカターレ富山と同じカテゴリーですけれども、富山で試合するときもすんごい人数来られますもんね?
椎名伸志さん
そうですね。松本が来た試合が、一番人が入るんじゃないのかな。
アッティ
「カターレのサポーターよりも多い」みたいなときがあるような気がしますよね (笑)
椎名伸志さん
ジャックされてしまいますね。
アッティ
それだけサッカーが盛んなところで、Jリーガーとしての経歴をスタートさせたということなんですね。
4度のケガとの戦い
椎名伸志選手は、プロ生活で計4回の大きなケガを経験。3〜4年周期でケガに見舞われますが、周囲の支えで乗り越えてきました。
ケガを通じて、当たり前の日常の大切さや周囲への感謝の気持ちや、ネガティブに捉えずに前向きな姿勢を保つことを学び、これらの経験が今の人生にも活かされています。
アッティ
高校で一度ケガをされて、大学3年の大事なときにケガをされて、全部で4回ケガされてるって話を聞いたんですが、Jリーガーになってのケガもあったわけですか?
椎名伸志さん
そうです。松本から富山に移籍してきて、5試合ぐらい経ったときに、また同じケガをしてしまいました。
さらにその3年後に、4度目のケガをするという。
アッティ
大事なときに、いつもケガがついてくるという。
椎名伸志さん
3年に1度、4年に1度ぐらい。
「ワールドカップよりも早い」って、みんなにネタにされてました (笑)
アッティ
それは、どういう心持ちで乗り越えていくものなんですか?
椎名伸志さん
乗り越えられたのかわからないですけど「諦めずに続けてこれたから今がある」と思ってますし、本当に「1人じゃ乗り越えられなかったな」と。
そのときそのときに出会った人であったり、言葉であったりに支えられて「何とかしがみついて、今いるのかな」と思ってます。
アッティ
ケガによって、周りの人への感謝であったりとか、そういったものが生まれてくるっていうのは、やっぱりあるものなんでしょうね。
椎名伸志さん
ありますね。見えなかったものが見えるというか、オペをした翌日なんて、当然ですけど歩けないですから。
アッティ
なるほど。
椎名伸志さん
歩ける喜びであったり、階段を上れる喜びであったり、汗をかける喜びでだったりを「喜び」として捉えられるっていうのは、当たり前が当たり前じゃないというか、そういったことに気付けたことは本当に良かったなと思いますね。
アッティ
椎名選手はサッカーだけで人生を終わらせるわけでも当然ないでしょうし、その後の人生を歩まれる中で、ケガのときの想いとか周りの支えであったりとか、そういった感情が何か大きな力になる可能性がある気もしますよね。
椎名伸志さん
そうですね、ネガティブに捉えてたら、もうやってらんないし (笑)
そういう意味で、さっきも言いましたけど「自分を前向きにさせてくれるような環境だったりとか、人に出会ったりとかっていうのが、本当に自分にとっては大きかったな」と思いますね。
アッティ
松本に1年半いらっしゃって、そこからカターレ富山に移籍されたということですけれども、次回は、カターレ富山での話をお聞きしていきたいなと思っております。
カターレ富山への移籍
J3カターレ富山移籍の決め手
椎名伸志選手は、J1の松本山雅からJ3のカターレ富山への移籍を決断します。
当時はプライドもあり、カテゴリー降格への葛藤もありましたが、それよりも「選手として試合に出場することで得られるものの方が多い」との判断が決め手となりました。
アッティ
前回は、松本山雅でJ2、J1を経験した話と、大きなケガを何度もされてどういう心持ちで乗り越えてきたのかという話をお聞きしました。
今回はいよいよ、カターレ富山に来てみて、この富山に来てみてという話を聞いていきたいと思います。
1年半松本にいらっしゃって、そこでカターレ富山から声がかかったということですが、当時の松本山雅はJ1ですよね?
椎名伸志さん
はい、そうですね。
アッティ
カターレ富山はJ3ということで、「移籍しよう」と思ったのは、何かきっかけというか、決め手みたいなものってあったのですか?
椎名伸志さん
やっぱり「選手として試合に出場したい」っていう気持ちがありました。
でも、その頃の自分はプライドがちょっと高くて「J1からJ3のクラブに移籍する」というのは、心の中でちょっと引っかかりがあったのが正直なところです。
それでもやっぱり「選手として試合に出場することで得られるものの方が多い」とそのときは思ったので、それが決断した決め手となりましたね。
アッティ
実際JリーガーになったときはJ2だったわけじゃないですか? そこから1年後にJ1に行って、そこからJ3にっていうと「やっぱりちょっと心の葛藤があられたんじゃないかな」と思いますけども。
椎名伸志さん
そうですね。そのときは、チームの先輩であったり、これまでお世話になった指導者であったりとかに相談しましたね。
アッティ
実際、富山という地にもほとんど来たことがなかったんじゃないですか?
椎名伸志さん
初めて来ましたね。
アッティ
そうですよね。「そこはどこのチームだ」みたいな、そんな感じもあったんじゃないかなと思いますけれども、実際、カターレ富山に来てみての感想はどうでしたか?
椎名伸志さん
チーム自体ですか?
アッティ
チーム自体。
椎名伸志さん
天然芝のグラウンドが2面あったり、クラブハウスがあったりと「本当に環境に恵まれているチームだな」と思いましたね。
最悪だった富山県の印象
椎名伸志選手の富山県への第一印象は良くありませんでした。
郵便局での冷たい対応に嫌気がさし、富山県民の閉鎖的な性格を実感。事前に聞いていた評判以上に閉鎖的と感じ、「まずいところに来てしまった」と不安を抱きました。
アッティ
この富山県という地に来てみての感想はどうだったんですか?
椎名伸志さん
僕にとっての、この富山県のファーストインプレッションはあんまり良くなくて…
アッティ
良くなかったんですか!?
椎名伸志さん
はい。郵便局に行ったときに、対応してくれた方の冷たい対応にちょっと嫌気がさしてしまいまして。
アッティ
郵便局に何か物を持っていって送ろうとしたときですか?
椎名伸志さん
そうです。そのときに、めちゃくちゃ冷たく対応されて…
思い込みなのかもしれないですけど、でもこれは思い込みじゃないなと。
アッティ
「富山県人、こんなやつばかりなんじゃないか」と思って?
椎名伸志さん
「ちょっと冷たすぎる」と。なんかもうコミュニケーションを拒まれてるような感じがして。
最初の印象は、最悪の状態から始まりましたね。
アッティ
なるほど、なるほど。
椎名伸志さん
来る前から少し「閉鎖的な県民性」みたいな感じは聞いてはいたものの、「これは閉鎖的というのかな?」と思うぐらいの。
アッティ
もっとマイナスからのスタートだったんですね。
椎名伸志さん
人によるとは思いながらも、ちょっと「あれ、まずいところに来てしまったのかな」みたいな、そんな印象があった気がしますね。
富山への印象の変化
椎名伸志選手は富山在住9年で、特に最近3〜4年で富山への印象が大きく変化。4度目のケガをきっかけに、クラブや地域への恩返しの気持ちが芽生え、積極的に地域と関わるようになります。
当初は「よそ者」感覚でしたが、人々との出会いや新たな発見を通じて富山の魅力を再認識。ケガを抱えた選手を支えてくれたクラブへの感謝が、この変化の大きな要因となっています。
アッティ
富山に来られて、これで何年経つんですか?
椎名伸志さん
9年になります。
アッティ
もう9年経つんですね。長いですよね、そう考えると。
「9年経ってみて」というわけではないですけど、スタートはマイナスからでしたけれども、富山に対する印象は変わってきました?
椎名伸志さん
変わりました。
変わったのは、ここ2〜3年、3〜4年ぐらいですけど。
アッティ
最近ですね。
椎名伸志さん
はい、すごく変わりましたね。
アッティ
どのように変わってきました?
椎名伸志さん
4度目のケガをした2019年。そこから、キャリアを終えた後のことも考えるようになったときに「ここまでケガを負ってる自分を在籍させてくれるクラブに対して、また富山県に対して何か恩返ししたいな」みたいな、そういう気持ちが芽生えてきました。
今までは自分から何か情報を取りに行くとか、そういったものがなかったんですけど、人に会ったりとか情報を取りに行ったりする中で「富山県ってこんなに楽しいところがあるんだ」とか、「めちゃくちゃ明るい人たちがいるじゃん」みたいな。
アッティ
なるほど。
椎名伸志さん
そういった気づきや出会いが、富山の印象を変えてくれましたね。
アッティ
最初の5年ぐらいは、「もうサッカーだけやって、富山に興味なし」みたいな感じだったんですかね?
椎名伸志さん
よそ者的な感じで「富山何もない」みたいな、ありきたりな人だったような気がします。
アッティ
「そんなに楽しくもなく」みたいな感じだったんですね。
でもそれが「恩返しをしたい」までになるっていうのは、やはりそのケガの影響は大きかったんですね。
椎名伸志さん
第2回のときも話したんですけど「ネガティブに考えたらやってられない」みたいな気持ちがあったり、あとは、先ほども言いましたけど「大ケガを抱えてる選手を在籍させてくれるクラブって、そうない」と思ったり。
やっぱりそれに対する感謝っていうのは、すごく大きかったなと思いますね。
恩返しのボランティア活動
椎名伸志選手は富山への恩返しとして、不登校児童の支援活動を開始し、企業の協力を得て職業体験などの活動を展開しました。
子どもたちとの交流を通じ、彼らの多様性や可能性を再認識。最初は「遊んでくれるお兄ちゃん」として接していた子どもたちが、徐々にプロサッカー選手としての椎名選手を認識する様子を見て、この活動が地域社会との新たな繋がりを生む機会となっていることを実感します。
アッティ
「富山に少しでも何か恩返しをしたい」という気持ちが湧いてきて、サッカー以外で、いろんなボランティア活動をして「富山に恩返しをしている」って聞いたことがあります。
そのような活動を、ちょっとご紹介いただけますかね?
椎名伸志さん
4度目のケガをしたあと、「恩返ししたい」っていう想いをいろんなとこで話していたときに、たまたま友人から「不登校の団体が今立ち上がったから」と。
アッティ
不登校の?
椎名伸志さん
はい。「そこと組んで、何かできるんじゃないのか」っていう話がありました。
それから2〜3週間の間に、僕は何か資格を持ってるわけじゃないので「子どもたちと一緒に遊ぶことだったらできるよ」ということで、不登校の子どもの支援活動みたいな感じでスタートしましたね。
アッティ
それは、その子どもたちと何かいろんな事業をして触れ合っていくようなイメージなんですか?
椎名伸志さん
コロナ禍を含めて2〜3年活動していく中で、ボランティアだったところから手出しでいろいろやっていくことになり、そこからさらに、応援してくれる企業さんたちが少しずつ出資してくれるようになりました。
今は、富山の中で先頭を引っ張っていってくれるような企業さんたちの職業体験であったりとか、そういった活動を少しずつ増やしていっているところです。
アッティ
それは、企業に不登校の方が職業体験で入っていくようなイメージなんですか?
椎名伸志さん
そうですね。僕が企業と団体とを繋ぎ合わせて、「ひとつのイベントとして一緒にやってもらう」みたいな形ですね。
アッティ
そうやって子どもたちと触れてみてどうでしたか?
椎名伸志さん
僕にとっては「他と何ら変わりのない子ども」というか。
アッティ
ですよね。
椎名伸志さん
本当に明るくて、人によりますけど、本当に興味を示したら全力で熱中しちゃう。もう「外の声なんて聞こえないよ」みたいな感じの子もいれば、わりと落ち着いて俯瞰で物事を見ている子どももいたりとか。
子どもが僕に対してもそうだし、僕が子どもに対しても「何ら変わりない、本当に人と人との関わり合いっていうか、そういったのがうまく成り立ってるのかな」と思いますね。
アッティ
子どもたちは、Jリーガーと触れあってみて、何か反応ってあるものなんですか?
椎名伸志さん
今でこそ、プロ選手として見てくれてるというか。
アッティ
今でこそ? 最初はそうでもなかったんですか?
椎名伸志さん
最初はそうじゃないんですよ。
本当になんかもう「よく遊んでくれるお兄ちゃん」みたいな感覚から、「プロのサッカー選手なんだよ」っていうお母さんの説明が少しずつ入って。
アッティ
テレビにも出てるし、みたいなね。
椎名伸志さん
そこから「じゃあ、みんなでサッカーの応援に行ってみようか」みたいな感じで、「あのお兄ちゃん、こんなところでサッカーしてる人なんだ」みたいな。
アッティ
なるほどなるほど。
椎名伸志さん
そういう進みでしたね。
アッティ
いいですね。その体験は椎名さんにとって、子どもたちだけじゃなく、各種団体や企業の方と触れる機会が増える良いきっかけになったのかなと思います。
ボランティア活動での気づき
椎名伸志選手は、ボランティア活動を通じて地域貢献の重要性を再認識します。
特に子どもたちを対象とした活動に注力し、不登校支援や子ども食堂への協力を行うことで、Jリーガーとしての知名度を活かした社会貢献の価値を感じ、与えることの喜びを実感しました。
アッティ
今までサッカー主体で動いてきた椎名選手にとって、ボランティアをした経験ってどうでしたか?
椎名伸志さん
本業というか、軸としてはプロサッカー選手というのがあるので「試合を見に来てもらいたい」って想いが少なからずある中で、「やっぱり入口は興味を持ってもらうことだな」と。
最初は「よく遊んでくれるお兄ちゃんだったところから、サッカーに興味を持ってもらう」という、本当に下からのステップアップだけど「チームとしても、そういったところがすごい大事なのかな」っていう新しい気づきというか。
もちろんチームでも、そういったイベントごとを行っているものの、選手はそこまで深く考えて取り組まないので、自分でアクションを起こしてみることで「本当に草の根活動だけど、こういったところが地域に根付くっていうことなのかな」っていう気づきはありましたね。
アッティ
いろんな企業もそうですし、いろんな個人の方も、こうやってボランティアをされてる方って山ほどいらっしゃると思います。
1人のJリーガーとしてボランティアをやることの価値であったりとかは、何か改めて考えることってありましたかね?
椎名伸志さん
そうですね、良くも悪くも、僕たちって、目立つ職業なので。
アッティ
そうですよね。
椎名伸志さん
本当にいろんなボランティアの方たちはいると思うのですが、たとえば僕がやることで取り上げてくれるメディアがあったりとか。
アッティ
そうですよね、おっしゃるとおりで。
椎名伸志さん
「プレーヤーとしての価値だけじゃなくて、そういった価値も選手の役割として必要なのかな」っていうのは思いましたね。
アッティ
なるほど。不登校の子どもたちの事業以外にも、何か活動はされてるんですか? そういった社会貢献の活動っていうのは。
椎名伸志さん
不登校に限らず、大きなテーマとして「子どもたち」っていうのがあります。
ひとつは、子ども食堂に対してKFCさん、ケンタッキーフライドチキンさんと提携して。
アッティ
はいはい。
椎名伸志さん
店舗で売れ残ったチキンをこども食堂に無料配布するっていう取り組みをやってみたり、そういったこともしてます。
アッティ
不登校に限らず、子ども食堂もそうですけど、子どもたちの変化というか、喜んでいる姿を見て感じるものって何かあります?
椎名伸志さん
「与えることで得られる喜びの方が、すごい大きいんだな」っていうのは、本当に一番大きな気づきだったような気がします。
アッティ
「喜んでもらうためにやってるんだけど、気づいたら自分の喜びになってる」っていう。
椎名伸志さん
それが「いろいろ活動してみて感じた大きなひとつなのかな」って思います。
アッティ
サッカー選手に限らず、いろんな本業をされてる方って山ほどいらっしゃいますけど、その人たちにとってみても「本業だけやるんじゃなくて、いくつかのコミュニティに属したり、いくつかの事業をすることによって相乗効果を生む」ってことが、当たり前のようにあるのかもしれないですよね。
椎名伸志さん
そうですね。
アッティ
それでは今回は以上とさせていただいて、次回は、いよいよ今期のカターレ富山についてお話を聞いていきたいなと思っております。
カターレ富山でのサッカー
カターレ富山の今期の調子
カターレ富山は今シーズン好調なスタートを切っています。
新監督の下で戦術が変化し、守備重視から攻撃重視に転換。椎名選手は攻撃的選手として、守備から攻撃への繋ぎ役やスイッチの役割を担っています。
アッティ
前回は、カターレ富山に移籍してからの感想や、サッカー以外のボランティア活動といった話をお聞かせいただきました。
今回は、いよいよカターレ富山について聞いていきます。
今シーズンは良いスタートを切られていますが、今期のカターレ富山、まず調子はどうですかね?
椎名伸志さん
スタートとしては悪くない出来なのかなと。
上位につけてのスタートとなったので、すごくいいスタートを切れてると思います。
アッティ
昨シーズンと違うことって何かあるんですか?
椎名伸志さん
今シーズンに関しては、監督が変わったっていうのもひとつ大きくあるんですけど、戦い方のベースとして、攻撃守備を一体として考えるのが一般的なんですけど、どっちかというと攻撃に手をかけている。
昨シーズンに関しては、守備に手をかけてる。こういったチームの変化があるなと感じてます。
アッティ
それはやっぱり監督の考え方からそうなってるものなんですかね?
椎名伸志さん
そうですね。
アッティ
攻撃をかなり重視されてるということでありますが、椎名さんの選手としての役割は、フィールドの中においてはどうなんですか?
椎名伸志さん
僕は攻撃的な選手なので、守備から攻撃への繋ぎ目であったりとか、攻撃のスイッチであったりとか、そういった部分が自分の役割なのかなと思ってます。
ホームゲームでの意識
椎名伸志選手は、特にホームゲームでの勝利を重視しており、多くの観客が集まる試合では「絶対に落とせない」という強い意識があります。
「新しい観客や、初めて観戦する人々を落胆させたくない」という想いが強いです。
アッティ
今こうやって良いスタートが切れてるところではありますけど、やっぱりシーズンは長いじゃないですか? 当然ね、波があったりすると思います。
この数年の経験の中で、「ここは特に気をつけてる」みたいなことって何かあるものですか?
椎名伸志さん
それは試合に関してですか?
アッティ
試合に関して。
椎名伸志さん
特にホームで、お客さんがたくさん入ってる試合に関しては「もう本当に落とせないな」みたいな想いはあります。
アッティ
やっぱりそこは、すごい意識されてるものなんですか?
椎名伸志さん
そうですね、「落胆させて帰らせるわけにはいかない」っていうのと、「その試合が初めてだ」っていうお客さんもいたりするので。
あとは組織として、クラブとして集客をかけている試合は、選手として「この試合は、何が何でも落とせない」みたいな想いはありますね。
アッティ
実は、この番組の2回目のゲストが左伴社長だったんですね。
過去の社長さんとの比較はできませんけれども、圧倒的に経営的な感覚をお持ちの方じゃないですか?
椎名伸志さん
そうですね。
アッティ
集客面であったりとか、そういった考え方もものすごいあると思いますけど、そういう影響ってあるものなんですか?
椎名伸志さん
その影響があってなのかわからないですけど、ホームでの戦績がすこぶる良いです。
アッティ
なるほどなるほど。やっぱり、そういうのが浸透してる可能性はありますよね。
J2昇格への期待
カターレ富山の目標は、J2昇格です。
左伴社長の下でSNS活用など地域密着の取り組みが強化され、ファンとの距離が縮まっています。
アッティ
チームとしての今年の目標は、どこにあるんですか?
椎名伸志さん
やはり「J2昇格復帰」というところになると思います。
アッティ
以前、左伴社長と話をしていたときは、「J2に上がることが全てではなくて、J2に上がるためにはチームの強化も必要だし、それプラス、いかに地域に根ざすかってことも非常に大事だ」って考え方を言われていました。
そこらへんはどう思われますかね?
椎名伸志さん
特に大きく変わった点のひとつとして、SNSを使った発信っていうところもありますね。
アッティ
なるほど。
椎名伸志さん
第3回のときも話したんですけど、やっぱり知ってもらわないと始まらない。
アッティ
そうですよね。
椎名伸志さん
そういった点で、左伴社長になってから大きな変化がありました。
そしてやっとコロナが明けて、そういう活動に対して、選手も積極的に地域の方々との距離みたいなものを縮めていける、今はいい時期なのかなと思ってますね。
アッティ
「地域の方との距離が縮まってる実感」みたいなものって何か感じます?
椎名伸志さん
直接的に感じるかって言われれば、難しいです。
でも、選手としては難しいんですけど、SNSで流れてくる情報などで、ファンやサポーターの期待を感じることは多くなりましたね。
アッティ
期待の中で「J2に上がってほしい」っていう声は、やっぱり強いですか?
椎名伸志さん
そうですね。「このクラブは環境的にも、ここにいるクラブではない。このカテゴリーにいるクラブではない」と思います。
僕たちは詳しいことはわからないですけど、左伴社長も「経営的にも資金的にも、J2、J3にいるようなクラブではない。そういった潜在能力がある」みたいな話も話しておられましたので。
アッティ
以前その左伴さんが「J3もJ2も、実はチームとしての強さはあんまり変わらないんだ」「それ以外の要素も全体的なこととして大事だ」みたいなことをおっしゃられてた記憶があります。
実際、J2、J1も経験されてる椎名さんにしてみたら、今のカターレ富山の「チームとしての強さ」っていうのは、どう思われます?
椎名伸志さん
まだまだ未完成なところもありますし、選手が口を出すところではないのかもしれないんですけど…
ここ数年、守備重視の監督になったり攻撃重視の監督になったりを繰り返していたので、チームとして、クラブとして、もう少し「富山とはこういうチームだ」みたいなものがあってもいいんじゃないのかな、っていうのは思ったりもしますね。
アッティ
今年の攻撃的なチームっていうのは、今のカターレにとっては良いって感じなんですか?
椎名伸志さん
個人的にはここ9年在籍して、攻撃的なチームの方が、この富山県の方々に見せるものとしてはいいんじゃないのかなと。
アッティ
そうですね。
椎名伸志さん
「たくさんチャンスがあって、点数がたくさん入って盛り上がる」みたいなほうが、クローズな試合をしてるよりは、県民に好まれるんじゃないかなと思ってます。
アッティ
もちろん玄人なファンもたくさんいらっしゃると思いますし、サッカーに詳しい方もいらっしゃると思いますが、まだ全然根付いてない土地だとすると、最初は「点数が入らないと楽しくないよ」みたいに思う方は多いのかもしれないですね。
「その方が、われわれも見ていて楽しい」っていうのは、初期の段階でやっぱり思いますよね。
引退後のビジョン
31歳の椎名伸志選手は、4度のケガを経験しながらも現役続行への意欲を持っています。
引退後のビジョンはまだ未定ですが、サッカーへの情熱は強く、成長意欲も高いです。将来に向けて様々な経験を積みたいと考えており、現役選手としての知名度を活かして多様な人々と交流し、可能性を広げたいと考えています。
アッティ
今、椎名選手はおいくつになるんですか?
椎名伸志さん
31です。
アッティ
31歳で、もう4度もケガをされていることと、年齢だけでいうと、やっぱり選手としてはだいぶんピークを越えてきてることかと思いますが、引退後のビジョンを考えることってあるものなんですか?
椎名伸志さん
ケガをしてからは毎年のように「引き際」みたいなものを考えることもありますけど、まだ明確なビジョンはないですね。
アッティ
ケガもありますけど、今の自分の体調面、実力面も含めて「まだまだいける」ってのはやっぱりあるんですか?
椎名伸志さん
30歳を超えてからですけど「より一層サッカーが楽しくなってきた」というか、まだまだ「上手くなりたい」みたいな、そういう欲があるうちは、まだ自分でもできると思ってます。
ただ、そういったものがある中でも、引き際というか、終わったあとのことも少なからず考えないといけないのは自分でもわかっているので「今は選手としてできることを精いっぱいやりたいな」って思います。
アッティ
「そこに期待しながら、われわれも楽しんでいきたいな」と思います。
でも先ほど言われたように、4回ケガをされてることによって、もしかしたら他の選手よりも「将来ビジョンをより考えるところに立ってらっしゃるのかな」って気はしますけどね。
サッカー選手を終えた後「こういったこともしてみたい!」みたいな、何となくのアイディアって何かあるんですか?
ボランティアもされてて、いろんなところの活躍があるだけに、まだ模索段階かもしれませんけども。
椎名伸志さん
「まだ、いろんなものに触れてみたいな」っていう感覚、「いろんなものや、人に触れていった中で、自分が興味を示すところに向いていきたいな」っていう想いは、まだありますね。
アッティ
ボランティア活動も、子ども対象っていうのが多かったりしますけれど、もっと違う視点のこともやられると幅が一気に広がるのかなと。
引退後のことというよりは、人間の幅を広げることって考えれば、今活躍されてる椎名さんだからこそ広げられる可能性が高いのかなって気はしますよね。
椎名伸志さん
そうですね。ありがたいことに選手だからこそ、経営者に直接会ったりとかできるので「アッティ含め、いろんな方々のすねをかじっていきたいな」と思ってます (笑)
アッティ
(笑) 名刺1枚で飛び込むというよりは、サッカーボール1個持って飛び込めば、みんなが振り向いてくれるはずだと思いますので「いろんなことにトライしていってほしいな」と思います。
それでは今回は以上とさせていただいて、次回は、ふるさと富山についての想いであるとか、そういったことについてお話を聞いていきたいと思っております。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲
ふるさと富山について
椎名伸志選手は9年半の富山生活で、富山を第二のふるさとと感じています。
自然の美しさ、特に称名滝や立山連峰の雄大さに魅了され、子どもも感動する景観の素晴らしさを再認識し、富山の未知の魅力をさらに探求したいと考えています。
アッティ
今回は、全5回のうちの最後の5回目になってまいります。
これまでの話の中で、富山の印象はマイナスからのスタートだったという話がありましたけれども、9年半ぐらい経ってくると、椎名さんにとって「ひとつのふるさと」になってらっしゃるという気がします。
ふるさと富山についての、今の想いはどうですかね?
椎名伸志さん
まだまだ本当に知らない富山の面白いところや、良いところっていうのはたくさんあると思っているので「もっともっとそういったところに触れたり、自分で足を運んでみたりしたいな」って想いがあります。
アッティ
富山の好きなところって、何かあります?
椎名伸志さん
僕、結構、自然が好きで、称名滝 (しょうみょうだき) は好きですね。
アッティ
われわれ富山に住んでる人間が気づかないことに、県外から来られた方が気付くってことが多いような気がするんですけれども、やっぱり自然ですかね? 富山の良さっていうのは。
椎名伸志さん
そうですね、あとは日常的に見える「立山連峰のかっこ良さ」。
アッティ
当たり前化してるようなところもありますけど、実は。
椎名伸志さん
僕、息子が2歳なんですけど、車の運転中に「パパ、立山連峰かっこいいね!」みたいな感じで言ってくると、笑っちゃいながらも「子どもでも、やっぱりこのかっこよさがわかるのか」って思ったりもしますね。
アッティ
特に、この冬は天気のいい日が多かったですからね。
椎名伸志さん
そうですね。
アッティ
毎日のように、すごい雄大な立山連峰が見えていましたからね。
やっぱり富山県人にすると、あれを見て、何か心躍るというか、元気になるってとこがあるような気がしますよね。
椎名伸志さん
外から来た人たちが見て圧倒されるというか、また富士山とは違うような圧を感じます。
アッティ
連峰ですからね。
椎名伸志さん
はい。「かっこよさ」みたいなものは、あるのかなと思いますね。
富山県内で大好きな飲食店
アッティ
富山のお気に入りの飲食店って何かあります?
椎名伸志さん
僕は「秋吉」が大好きで。
アッティ
秋吉! いいですね。
あれはもう何か焼き鳥というよりは、ひとつのジャンルになってますよね。
椎名伸志さん
本当にそうですよね。
家族でもそうだし、お店に行けないときは、テイクアウトして家で楽しんだりとかもしてますね。
アッティ
なるほどなるほど。
あれはなんだかんだで福井発祥ですけど、それこそ全国にもあったりしますのでね。
椎名伸志さん
僕、奥さんが福井の出身で。
アッティ
そうですか!?
椎名伸志さん
「これは福井だ」って毎回マウント取られながらも (笑)
アッティ
(笑) なるほど、そうなんですね!
ちなみに奥さんとの出会いって、どこのどういう出会いだったんですか?
椎名伸志さん
ここでは話せないかな (笑)
アッティ
じゃあ、聞かないようにしますね (笑)
でも同じ北陸という意味では、北陸を大事にされてる奥さんだと思います。秋吉の話も非常にいいですよね。
リクエスト曲
アッティ
椎名選手から、リクエストの曲、大好きな曲についていただきたいなと思いますけど、何かございますか?
椎名伸志さん
miwaの「Faith (フェイス)」という曲が好きです。
アッティ
これは何か理由があります?
椎名伸志さん
ケガをしてるときに東京の施設でリハビリしていたのですが、その中でご縁があって、miwaさんとご一緒させていただく機会がありまして。
アッティ
そうなんですか!?
椎名伸志さん
はい、そのときに歌っていた曲がこの曲で。
曲としては、たぶん応援ソングになってると思うんですけど、歌詞の中に「迷っているなら進めばいい」っていうところがあって。
ケガでなかなか前に進めない自分が、曲によって、言葉によって何かひとつ背中を押されたような気持ちになった思い入れの深い歌になってます。
アッティ
なるほど。今でも、やっぱり聴く機会は結構あるんですか?
椎名伸志さん
ありますね。何かことあるごととか、試合前に聴いたりもします。
本当に自分にとっては、そのときのつらい気持ちを思い出させてくれる曲でもあるし、ひとつ、何か背中を押してくれる曲になってるのかなと。
アッティ
人生の応援ソングになってるっていうことですね!
椎名伸志さん
はい。
アッティ
なるほど、わかりました。
それでは椎名選手のリクエスト曲で、miwaさんの「Faith」です。
これからの夢や目標について
椎名伸志選手の最大の目標は、カターレ富山のJ2昇格です。
長年在籍し、チームの苦難を共にしてきた経験から、現役中の昇格という目標達成に向けて全力を尽くす決意でいます。
アッティ
最後の最後になりますけれども、椎名さん個人として、これからの夢、目標についてお聞かせいただけますでしょうか?
椎名伸志さん
僕自身、まず選手としては、先ほども話しましたけど、やっぱりJ2に昇格復帰したい!
これは、自分が富山に来てから掲げている目標のひとつでもあって、やっぱり在籍してるうちにというか、自分の体が動くうちになんとか達成したい目標のひとつではありますね。
アッティ
もちろんチームとしてもJ2を目指してらっしゃいますけれども、椎名さん個人としても、やっぱりそれが一番大きな目標ですか?
椎名伸志さん
そうですね。やっぱり在籍年数も一番長くなりましたし、これまで悔しい想いをしてきた仲間たちの想いも知っているので「自分が在籍してる間に何とか上に上がりたいな」って気持ちは本当に強くありますね。
アッティ
特にここ数年の間でも、やっぱりわれわれサポーターにしても、急に「J2に行きたい」っていう気持ちがより強くなってる感じはしますよね。
そういった意味で、もちろんマスコミも含めてですけど、全体が盛り上がってるなと。
特に今期はいいスタートが切れていますので、「今年何としても、J2に行って欲しいな」っていう想いがありますね。
椎名伸志さん
はい。
アッティ
J2に行ったら行ったで大変だってことは、以前、左伴社長がおっしゃられていましたけれども、そうなるとそれでまたより強いサポーターの力というかね、地域に根ざした活動がより活きるところだと思いますので、われわれも楽しみにしております。
それでは今月全5回にわたって、椎名選手からお話をいただきました。
話を聞いて、今期好調なカターレを支える男の横顔がよく見えるようになりました。J2昇格に向けて、アッティもしっかりと応援してまいります!
今月のゲストは、カターレ富山の椎名伸志選手でした。椎名さん、1ヶ月間ありがとうございました。
椎名伸志さん
ありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。