
こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、株式会社ビーライン 代表取締役の大坪 悟 (おおつぼ さとる) さんです。※2025年12月現在
「食を通じて人々に笑顔と幸せを届ける」をモットーに、富山県の食文化を全国、そして世界へ発信している大坪さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
起業の原点と、ビーライン誕生まで

👇 音声でも聴けます
昆布ガリと事業の広がり
大坪悟さんは、富山県で「昆布ガリ」を開発し、飲食店を12拠点展開。自身は寿司を握らないが、寿司県の魅力を発信する代表的な企業の代表である。
アッティ
大坪さん、よろしくお願いいたします。
大坪 悟さん
よろしくお願いいたします。
アッティ
全4回になりますけれども、たっぷりお話をいただきたいと思います。
僕、昆布がり大好きなんですよ。
大坪 悟さん
ありがとうございます。
アッティ
普通にガリなのに昆布が入ってる、富山の「昆布ガリ」。多分、多くの方が食べたことあると思うんですけど、これを開発されたのが大坪さんっていうね。
いきなりよく分かんない紹介をしてるんですけれども (笑)。
飲食業も、今、何店舗やってるんでしたっけ?
大坪 悟さん
12拠点ございます。
アッティ
おー、すごい。12拠点というと、12店舗あるってことですか?
大坪 悟さん
そうですね。
アッティ
全部富山県ですか?
大坪 悟さん
銀座に1店舗ライセンスのお店があるほか、石川県にもちっちゃな回転寿司を1店舗やっております。
アッティ
なるほど、素晴らしい。
特に最近、富山県は「寿司といえば富山」ということで、寿司県の力を一生懸命発信してるところなんですが、その代表的な活動をされている会社さんでもあるなと思っています。
しかしながら、「寿司」って言いながらも寿司を握ることができない経営者である、というね (笑)。そこも素敵だなと思いながら、全4回でたっぷりお話を聞いていきたいと思っています。
公務員レールへの反発
大坪悟さんは、厳格な公務員志向の家庭に反発を覚え、友人にいた経営者の子供たちを通じて「自由な決断ができる」経営の道に憧れを抱きました。
アッティ
まず最初に、大坪さんご自身について、幼少期の頃から深掘りしていきたいと思います。
もともとどんなご家庭で、どんな性格のお子さんだったんですか?
大坪 悟さん
生まれは富山県高岡市で、「普通の一般家庭」という言い方が正しいのかなと思っております。
父は地方ゼネコンの役員をやっておりまして、「しっかり高校行って、大学行って、公務員とか、そういったものになっていく」って想像を踏まえて、私たち兄弟2人の教育をしてくれてたのかなと思います。
そんな中で兄はそのレールに乗りながら、公務員になっていきました。
アッティ
なるほど。
大坪 悟さん
私はどちらかというと、それに反発するというか…
周りの友人たちに経営者のお子さんが多かったので、そういった部分に憧れを持っておりました。
自分で自由な決断・判断ができるってところに対しての職業に憧れがあったと思います。
アッティ
子どもの頃って結構やんちゃなタイプ、アクティブなタイプ、どちらだったんですか?
大坪 悟さん
そうですね。自分としては普通だと思っていましたが、アクティブな部分もあったんだと思います。
アッティ
なるほど、なるほど。
お兄さんが公務員の道に行かれながらも、周りに経営者の方が多かったということで、少しずつそちらに気持ちが向いていったと。
そんな中で、最終的には今、経営者になられているわけですけど、経営や飲食業などを「やってみたいな」と思ったのはいつ頃からだったんですか?
三者面談で経営者の道へ
大坪悟さんは、高2の三者面談で教師に将来を危ぶまれた悔しさと、周囲の経営者の影響から、自らも経営者の道を志しました。
大坪 悟さん
まずですね…中学校3年…いや、「経営者になる」って決めたのは高校2年生です。
アッティ
早いですね、やっぱりね。
大坪 悟さん
三者面談のときに。
アッティ
なるほど。
大坪 悟さん
私は「悟くん」って先生に言われていたんですけども、「悟くんは、このままだと将来が不安です」と言われまして。
アッティ
三者面談で…やんちゃそうですね。
大坪 悟さん
それで、先生に「将来こういうふうになりました」って思ってもらいたいなと思って、経営者の道を志しました。
アッティ
その三者面談で「悟くん、このままだと不安だよ」って言われたときに、「私は経営者やります」みたいなことを、そこで宣言しちゃった感じですか?
大坪 悟さん
心の中で強く思った、っていう感じですね。
アッティ
なるほど。
アッティ
周りに経営者の方が多かったというのも、一つの要因だったんですか?
大坪 悟さん
そうですね。
親御さんが経営者の方が多くて、その家に遊びに行ったときに、その子どもたちの考え方などを間近で見ることができて影響を受けました。
仲間との出会いと起業
大坪悟さんは関東の大学時代、ホテルで働く幼なじみのシェフに起業を打診。自身はイベント等の経験はあったが専門スキルがなかったため、富山出身の友人3人でチームを組み、経験があり参入しやすい飲食業から会社を立ち上げました。
アッティ
高校のときに経営者になることを決めたということですけれども、実際に高校を卒業して、このビーラインという会社の立ち上げまでは、どういうふうに進んだのか教えてもらっていいですか。
大坪 悟さん
私、関東の大学に行っておりまして、そこでですね、当時ホテルシェラトンで働いていた幼なじみがいまして。
ディズニーランドのところ、あの辺ですね。
アッティ
ディズニーランドの横にあるシェラトンホテル。
大坪 悟さん
フレンチから入って中華など、様々な料理ができるシェフがいましたので、その彼とよくお食事をすることがあってですね。そのときに、将来的に経営者になりたいんだと話していました。
私自身も飲食店であったり、イベントのオーガナイズであったり、「人を楽しませる」という観点から、いろんな経験をさせていただきました。
その中で、専門的な分野の能力を持ち合わせてなかったものですから、専門的な能力を持ち合わせてる友人を集めて、起業したいんだ、ということを伝えさせていただいて。
彼自身も迷ってたところはあったんですけれども、「じゃあ富山に帰って一緒にやろう」ということで。飲食店っていう間口が広い、入りやすい経営っていうところから、飲食店を始めさせていただきました。
アッティ
それは飲食のプロを少し集めた、みたいなイメージだったんですか?
大坪 悟さん
はい。
アッティ
そこで飲食に行こうと思われたのは、どういった理由からなんですか?
大坪 悟さん
私自身が学生時代に携わっていて、お金を稼げる業態・業種っていうのが飲食店だったんですよね。
建設業もやったことがなければ、製造業もやったことがない。「じゃあ自分で出来ることは」って考えたときに、イベントの企画と飲食、この2本立てで。
アッティ
イベントの企画も、その当時は行われてたわけなんですね。
実際、起業をしようとしたときの友人の方って全員富山の方ですか?
大坪 悟さん
3人全員、富山です。
アッティ
みんな志は一緒で、「会社を作ろう」「飲食でやっていこう」みたいな形になったんですか?
大坪 悟さん
はい、そうです。
社名「ビーライン」に込めた意味
「売上10億円」の目標を逆算思考で達成した大坪悟さん。社名「ビーライン」には、目標への「最短距離」と人が集う「蜂の道」の意味があり、ニーズからの逆算を意識して名付けた。
アッティ
そのときの夢みたいなものって、何かあったんですか?
大坪 悟さん
35歳までには10億円、というところは、適当ながら数字の目標は立てさせていただきました。
当時はですね、まず数字的目標が必要だと思っていて、目標から逆算していろいろ準備をしなきゃいけないと思ってたので。
アッティ
35歳までに売上10億でいこうと。これ、もう今達成されてますよね?
大坪 悟さん
はい。10年以上遅くなりましたけれども (笑)。
アッティ
なるほど。でも素晴らしいですね。
今もその3人で、今もずっと続けてらっしゃるんですか?
大坪 悟さん
私と専務は一緒に今もやってるんですけれども、もう1人のシェフは体を壊して転職をしてしまいました。
アッティ
なるほど。
それと、ちょっと気になったのは会社名なんですけど、「ビーライン」っていう名前は、どういったところから来たんですか?
大坪 悟さん
直訳すると「最短距離」とか、そういう意味合いなんです。
最短で会社を目標に持っていくって意味であったり、店舗名にもなっていたので「みんなが集まってくる蜂の道」っていう意味もあったり。
その2つの意味を掛け合わせて、ビーラインという名前にさせていただきました。
アッティ
これは大坪さんが考えたんですか?
大坪 悟さん
そうです。
アッティ
大坪さん、名前を付けるのがめちゃくちゃ得意ですよね。
他のお店の名前もそうですけど、昆布ガリなど素敵な名前が多いです。
大坪 悟さん
ありがとうございます。
アッティ
何となく、ひらめくものなんですか?
大坪 悟さん
そうですね。「まずそこにどんなニーズがあるかってところから逆算して考える」ってことは意識するようにはしてます。
アッティ
なるほど。わかりました、ありがとうございます。
それでは、あっという間でしたが今週は以上とさせていただきたいと思います。
次回は、このビーラインさんでどういう事業を行ってらっしゃるのかについてお伺いしていきます。
足し算経営から、仕組みで伸ばす会社へ

👇 音声でも聴けます
最初の挑戦と赤字続きの現実
大坪悟さんは、起業初期に「やりたいこと」を優先し、イタリアン・フレンチとDJブースを組み合わせた店づくりに挑戦します。
しかし集客と数字は想定通りにいかず、お客様が1日1〜2組の日もあり、半年ほど赤字が続きました。
アッティ
前回は、幼少期からどう育ってきたのか、そしてビーラインという飲食事業をなぜ立ち上げたのか、そういったお話を伺いました。今日は事業の内容について聞いていきたいと思います。
まずビーラインという会社を立ち上げて、飲食業をスタートしていくんですけど、最初は何をやられたんですか?
大坪 悟さん
学生時代にイベント企画をやっていた経験があったので、イタリアン・フレンチをカジュアルに食べられるレストランを作りました。
さらに隣にDJブースを設けて、レストランと合体したような形のお店にしたんです。
アッティ
それは最初から「これをやりたい」っていうイメージにあったんですか?
大坪 悟さん
そうですね。やるべきことや経営は全く分からなくて、「やりたいことの実現」を優先して作ったのが、その「ビーライン」というお店でした。
アッティ
会社名と同じだったわけですね。
これ、何でDJブースを入れたんですか?
大坪 悟さん
当時イベントのオーガナイズもやっていて、イベントでいろんな人が集まってくださっていたので。
食事をしながら踊りたくなったら隣で踊れる、そういう東京のお店を参考にして、2WAYで楽しめる空間を作りたいと思ったからです。
アッティ
富山にはあんまりないイメージですよね。
大坪 悟さん
当時は、富山にはなかったスタイルだと思います。
アッティ
初めて事業をやってみて、どうでした?
大坪 悟さん
平日も週末も、自分が考えた経営計画とは程遠い数字でした。
お客様が1日1組、2組の日もありましたし、「やらなければいけないこと」ではなく「やりたいこと」を優先した結果、初月から半年くらいずっと赤字が続きました。
足し算経営の10年と転換期
大坪悟さんは、店舗を増やせば売上は伸びる一方で、粗利や利益など内部構造を見ていなかったと振り返ります。
その後、意図的に経営の先を行く先輩たちと出会い、業種を越えて経営の原理原則を学ぶことで転換期を迎えました。
アッティ
業態が合わなかったのか、飲食業の学びが足りなかったのか、そこでどう考えたんですか?
大坪 悟さん
今思えば、どちらもだったと思います。
ただ当時はそこまで整理して考えていなくて、とにかく必死に「やり方を変えて生き残らなきゃ」という感覚でした。それで結婚式の二次会などをコンテンツとして入れ始めました。
アッティ
経営としての飲食業は数字もマーケも発信も要素が多いですが、学びはどうしてたんですか?
大坪 悟さん
10年目くらいまでは成長というより、ずっと傍聴していた感覚です。
足し算しかできなくて、10年目くらいまでは何も学んでなかったなと思います。
アッティ
初期の成績ってどうだったんです?
大坪 悟さん
飲食店は足し算で店舗を出せば、出した分だけ売上は上がると思います。
でも粗利や、最終的に関わる人を笑顔にするための利益、そういう内部構造は全く考えていませんでした。
アッティ
転換期はありました?
大坪 悟さん
目指すべき経営者や先輩など、経営の先を行く方々と出会う機会を意図的に増やして、そこでやり方を学んだのは大きいと思います。
試行錯誤の業態展開と「尖る覚悟」
大坪悟さんは、地下立地の難しさを踏まえ、山室地区で居酒屋業態へ転換し、豚に特化するなどニーズ起点で再構築。
一方で、3人で意思決定すると折衷案になり尖れない難しさもあり、「最終決定は社長が覚悟を持ってやる」と痛感しました。
アッティ
イタリアン・フレンチ・DJブースから始まって、そのあと業態はどう変わっていったんですか?
大坪 悟さん
中央通りの地下でやる難易度が高いと感じたので、「お客様が何を求めているのか」「ニーズは何か」を考えました。
人口が比較的多い山室地区のグリーンモールで、今度は何の変哲もない居酒屋を始めたんです。
アッティ
普通の居酒屋をやったんですね。
大坪 悟さん
ただ普通の居酒屋だとパンチがないので、豚に特化しました。
なのに店名が「又兵衛」になってしまって、豚の店だと分からない (笑)。
アッティ
又兵衛…豚とあんまり関係ない (笑)。ネーミングセンスはいまいちだったかもしれないですね。
大坪 悟さん
3人いるので折衷案を取ってしまうんです。折衷案を取ると、ああなる。
尖らないといけないし、最終決定は社長が覚悟を持ってやらなきゃいけない。そこは考えさせられました。
アッティ
学びとして、どういうものが事業に生きてきたと思いますか?
大坪 悟さん
ある先輩から「形に見えないと」と気付かされました。
「形から入って心に至る」って言葉が胸に刺さって。頭の中にあっても、それを形にする場がなかったんです。
そこから計画書を作ったり、落とし込む仕組みを回したり、そういうことをやり始めたのが10年目以降です。
仕組み化と人材育成
大坪悟さんは、10年目以降に「形から入って心に至る」という学びを得て、計画書や仕組みを回す形へと移行。
社員70名超・アルバイト300名超の組織では、想いだけでは伝わらず、型やルールで浸透させる必要がありました。
アッティ
今、社員さんって何名いらっしゃるんですか?
大坪 悟さん
70名を超えてきました。
アッティ
70名となると、思いだけで「分かるだろう」って人数じゃないですよね。
大坪 悟さん
それに加えて、飲食業は社員だけじゃなくフロントに立つのはアルバイトの方々で。アルバイトの方々も300名を超えてきています。
アッティ
300名に考え方を伝えるのは、本当に難しいですよね。
大坪 悟さん
そうですね。日々いろんな問題はありますけど、ストレスというより、そこを楽しめるようにもなってきたなと思っています。
アッティ
じゃあビーラインのお店に行くと、アルバイトさんと触れても「そこに大坪さんがいる」と感じる人がいっぱいいる、みたいな (笑)。
大坪 悟さん
いやー、それは全然 (笑)。プレッシャーでしかないです。
アッティ
あっという間ですが、今回は以上にしたいと思います。
次回はいよいよ、今特に力を入れている「お寿司」について伺います。
富山の寿司を「仕掛ける」側の思考

👇 音声でも聴けます
握れなくても、寿司を選ぶ理由
大坪悟さんは「寿司も握れないし、料理もできない」と語りつつも、富山の食文化を世界へ広げる挑戦として寿司業態に踏み出します。
アジア展開の中で「地元に誇りを持つ人々」と触れ合った経験が富山への視線を強め、「富山湾の鮮度」を軸に寿司で勝負したい気持ちにつながっていきました。
アッティ
ビーラインさんがやってらっしゃるのは、今、12店舗ですよね?
大坪 悟さん
はい。
アッティ
その業態について、過去の業態も含めてお話をいただきました。
その中で「特に力を入れて、成功に近づいているものが寿司業態である」という話がありましたけれども。
富山県はいま「富山といえば寿司」ということでプロモーションを行なっていますが、大坪さんは寿司握れるんですか?
大坪 悟さん
いや、私は寿司も握れないですし、料理もできません。
アッティ
そこが面白いですよね。
飲食をこれだけやってこられて、包丁ぐらいは握れるんですか、少しは。
大坪 悟さん
包丁…、握ったことはあります。
アッティ
握ったことはあるぐらいなんですね (笑)。
それで寿司に行くのが素晴らしいなと思うんですけど。まず、なぜ寿司をトライしようと思われたんですか?
大坪 悟さん
当時、2011年に北京に火鍋店を出したり、台北で手羽先のお店を出したり、アジアに展開していきたいって思いがありました。
そこでアジアの方々と触れ合って話を聞くと、皆さん自分の地元の料理に誇りを持ってらっしゃる方ばかりだったんですね。
いざ自分たちが富山に目を向けたときに、「私は富山の何に誇りを持っているんだろう?」と感じました。
そこで富山って言ったら、富山湾という「天然のいけす」といわれるものがあって、鮮度の高い魚が、お客様の口に運ばれるお寿司屋さんがある。
そういった現実を目の当たりにして、「2番煎じ3番煎じになるかもしれないけれど、お寿司で挑戦してみたい」と思って始めました。
挑戦の一手は「富山空港」から
寿司業態の1号店は新幹線開業前の富山空港。石川県勢が強い中、同価格帯で「富山に特化した寿司屋」として勝負することにやりがいを感じ、社員一丸で進みました。
アッティ
寿司業態を最初に始めたのは、空港からですか?
大坪 悟さん
はい、富山空港からです。
アッティ
そのときは何年だったんですかね?
大坪 悟さん
新幹線が来る前です。
アッティ
来る前。結構早いですね。
大坪 悟さん
新幹線が来るって決まってたので、行政が公募をかけても誰もいらっしゃらなかったようです。
アッティ
富山空港の店舗の場所に、ということですよね。
確かに、これから飛行機がどんどん減便になるのは分かっていて、店を出すのはかなり勇気がいりますよね。
でもそこでまずトライをしようとされたわけですね。寿司をやってみてどうでした?
大坪 悟さん
手応えはありました。当時から、私どもがやろうとしている価格帯のお寿司屋さんって、あんまり件数がなかったんです。
さらに言うとライバル店は、どちらかというと石川県から進出している寿司屋さんが多かったので、「富山に特化して勝負できる寿司屋」という意味でやりがいもありました。
評価が分かれるところはあるかもしれないですけど、「それでも信じてやろう」という思いに社員一同がなった、というのはあります。
アッティ
確かに当時、「富山駅の周辺に寿司屋があんまりない」とか言わていましたよね。
「富山は魚だ」みたいな雰囲気はありましたが、寿司寿司って感じじゃなかった。
大坪 悟さん
そうですね。歴史上、富山駅前半径何キロ以内では初の回転寿司だったのかもしれないです。
伸び悩み→SNSと県外評価で反転
寿司業態の当初の売上は「今の5分の1くらい」で、1年ほど伸び悩みます。
その後はSNSなどを通じて県外客の評価が広がり、宣伝・呼び水効果として来店増につながり、新幹線開業も一因として追い風になりました。
アッティ
空港の次に出店されたのが駅周辺、という流れですよね。
その賑わいは相当だったんじゃないですか?
大坪 悟さん
当時は、今の5分の1ぐらいの売り上げで、それが1年ぐらい続く状況でした。
アッティ
そんなに上がらなかったんですね。
その状態を打破したきっかけは何だったんですか?
大坪 悟さん
時代の変化でSNSなどから県外のお客様のご評価を、空港・駅前ともにいただけるようになって。それが宣伝効果、呼び水効果になって、お客様数が増えていきました。
アッティ
北陸新幹線が通った影響も大きいんですよね。
大坪 悟さん
はい、新幹線開通も、要因の一つです。
10m先の勝負、ホテルとの連携
大坪悟さんは、駅前エリアの拡大局面で「隣にホテルが建つ」タイミングを捉え、朝食からディナーまでの運営を任される展開へと進みます。
当初は寿司に限定していませんでしたが、10mほどの距離でも勝負できると判断。昼夜は海鮮に振り切り、朝は和食を提供する形で価値を作っていきました。
アッティ
その次のトライはどうされたんですか?
大坪 悟さん
真隣にホテルができる、ということで。「そのホテルの朝食からディナーまでをお願いできないか」という話がありました。
アッティ
寿司で?
大坪 悟さん
いや、「寿司で」というお話ではなくて、寿司を含めてという形で。
お客様も増えてきたので、10mほどの距離でも寿司で勝負できると判断しました。そこで昼夜は海鮮系に振り切り、朝は当時、一般的な和食を提供していました。
アッティ
私もそのホテルで朝食を食べたことがあるんですが、朝から圧倒的な魚が出てくるのは他にないですし、魚の質も高くて本当に美味しいですよね。
大坪 悟さん
ありがとうございます。
寿司を「文化」にする学校構想
大坪悟さんは「寿司県富山」の発信が大きな追い風になった一方で、駅前周辺には高価格帯のカウンター寿司がまだ少ないという課題も感じていました。
また民間でできる取り組みとして、寿司を「文化」として根付かせるため、県外の学生が寿司を学び、地元で語れる環境をつくる「寿司の学校」を構想しています。
アッティ
「寿司といえば富山」って言葉も出てきたわけですが、あれも相当追い風になってるんじゃないですか?
大坪 悟さん
本当にその通りで。富山県の皆様が知事はじめ、ああいうふうに「富山と言えば寿司」とやってくださったのは、私どもにとって本当にありがたかったです。
アッティ
寿司だけでいくと何店舗あるんですか?
大坪 悟さん
寿司だけでいくと、石川県に1店舗、銀座店、富山の駅前に4店舗。さらに空港に1店舗あるので、全部で7店舗ですね。
あとは観光列車の中でもお寿司を握らせていただいております。
アッティ
どこの観光列車ですか?
大坪 悟さん
ベル・モンターニュ・エ・メールです。
アッティ
あの中の寿司ってそうなんですね。すごいですね、経営の柔軟性に驚きますね。
寿司の話に戻ると、駅前には今4店舗ありますよね。もともとはほとんどなかったと思うのですが、いま客観的に見て「富山の寿司」の発信はどうでしょうか。
まだまだ挑戦すべき段階ですか、それともかなり良い状態に来ていますか?
大坪 悟さん
ミドルから低単価の回転寿司は駅構内にも増えました。
ただ富山には、職人の方がカウンターだけで高価なお寿司を美味しく提供できる方々がたくさんいらっしゃると思うんですが、そういったお店が駅前周辺にはまだ少ないのかなと思っています。
アッティ
その一方で寿司を文化にしようとしている活動もされてるじゃないですか。
寿司の学校を作ってるって話を聞きたいんですけど、そちらはなぜやろうと思われたんですか?
大坪 悟さん
うちのアルバイトは300名中、8割以上が富山大学の学生さんで、さらに半分以上が県外の方です。
県が「寿司県富山」を立ち上げてくださった中で、民間として何ができるかを考えた結果、教室のような場をつくりたいと思いました。希望者が4年間かけて寿司を学び、地元に戻って「富山で寿司を覚えた」と語れる環境を整えたいんです。
そのほうが、うちの店を宣伝するというより、「富山で過ごした4年間の思い出の一つ」として、寿司を握れるようになった経験をコミュニケーションツールにできる。そんな姿を想像しています。
アッティ
富山県人もいけるんですか、もちろん。
大坪 悟さん
まだオープン前なのでこれからですが、その思想のもとで、誰でも通えるように、たとえば福祉施設の方々も利用できるような場にしていきたいと思っています。
アッティ
すごい職人をガーンと作るというより、文化を作るために触れてもらって、ちょっと握れるぐらいの感覚で作るような学校、という感じですかね。
大坪 悟さん
やるからには、しっかりしたカリキュラムで進めたいと思っています。短期でも、1ヶ月ほどで集中して学べる形にできれば理想です。
現在は「飲食人大学」の副校長で、『3ヶ月でミシュランを取った』という本を出されている方にもご協力いただきながら準備を進めています。
アッティ
大坪さんはそこで寿司を握る勉強しないんですか?
大坪 悟さん
それこそアッティさんと一緒にやってみたい (笑)。
アッティ
1ヶ月で少し握れる感じになるんですかね?
大坪 悟さん
握りだけだったら、なると言われております。
アッティ
握りだけってことは、包丁とかになるともっと時間はかかるってことですよね。
大坪 悟さん
はい。ただ、なれると言っても一流になれるかって言ったら全くそんな話ではないです。
アッティ
おっしゃる通りですね。とはいえ、文化にするにはこういう期間は必要だと思いますし、本当素晴らしいなと思います。
話してるとあっという間で、本当はもっと聞きたいんですが、今回は以上にしたいと思います。寿司についてたっぷりお話をいただきました。
次回は「ふるさと」テーマについての思いなどを聞きたいと思っています。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲

👇 音声でも聴けます
昆布ガリについて
大坪悟さんは、寿司以外でも印象を残すため「昆布ガリ」を開発。北前船のストーリーを背景に、脇役のガリを主役へ押し上げる発想で、当時のシェフとネーミングも含め形にしました。
アッティ
前回は、いま最も事業として成功に結びついている寿司事業について、たっぷりお話をうかがいました。
なかでも私が驚いたのは「昆布ガリ」です。あれ、本当に大好きなんですよ。
大坪 悟さん
ありがとうございます。
アッティ
どうやって開発したんですか?
大坪 悟さん
当時は、寿司そのものでは私たちも後発で、二番煎じ・三番煎じの立場でした。だからこそ、何か印象に残るインパクトを作れないかと考えたんです。
そこで富山の北前船のストーリーも絡めながら、ガリを脇役ではなく主役にできないかと当時のシェフと一緒に、ネーミングも含めて試行錯誤し、開発しました。
アッティ
店舗も商品も、一つひとつにきちんとストーリーがありますよね。目的も明確で、最初は「ネーミングが面白いな」くらいに思っていたんですが、それ以上に深みがあることに驚きました。
昆布ガリは富山県内のいろんな場所で購入できますので、ぜひ皆さんにも手に取っていただきたいです。
ふるさと富山について
大坪悟さんは、富山で過ごした18年と、起業してからの20年を「ありがたい」と感じています。
息子には、富山に誇りを持ちながらも世界を見て、地球人として生きてほしい。ただ、郷土愛を外してしまうと、自分の価値は薄れてしまう、そんなことも伝えています。
アッティ
最終回の第4回ということで、まずは大坪さんに「ふるさと」への思いを伺いたいと思います。
富山に限らず世界各地を訪れてこられた視点で、率直に語っていただければ嬉しいです。
大坪 悟さん
私は富山で生まれ育ち、大学に行くまでの18年間をここで過ごしました。さらに起業してからの20年間も富山で暮らし、こうして生活できていることを本当にありがたく感じています。
だからこそ息子たちには、富山への誇りを持ちながら、日本人として、そしてこれからの時代はコスモポリタン・地球人として世界を見て生きてほしいと、いつも伝えています。
ただ根幹にある「ふるさと富山を思う気持ち」だけは、絶対に外してほしくない。そこを失うと、人としての価値は半減してしまうのではないか…そんなことを教育の中で話しています。
アッティ
素晴らしいですね。県外に出た経験や、さまざまな事業に取り組んできたからこそ生まれた視点、という感覚でしょうか。
大坪 悟さん
私は、1人でも多くの人に出会い、1つでも多くの場所へ行き、1つでも多くの経験をすることを心がけています。
そうしていく中で、富山の良さは実際に行ってみて、出会って話して、その土地の人と触れ合うことで、改めて実感できるものだと強く感じています。
お気に入りの飲食店
アッティ
お気に入りの飲食店を皆さんに聞いているのですが、県内における飲食店、お願いいたします。
大坪 悟さん
ガネーシャグループの本田大輝社長が手がける寿司劇場「とっととやれや」です。
奇想天外で、まだ完成形ではないのかもしれませんが、時代の変化に合わせて変化・対応しながら、私たちとは違う角度で寿司を提供しているのが面白い。期待感のある寿司屋だと思い、推薦しました。
アッティ
今晩行く予定なんですけど、すごく楽しみで。予約取れないぐらい大人気になってるって話も聞きます。
本田さんとは、よく情報交換されてるんですか?
大坪 悟さん
富山県内で同業の情報交換といえば、本田大輝さんとはよくやり取りしています。
その中で、飲食業という枠にとどまらず、私たちが造語として呼んでいる「観光飲食業」という観点で、いろいろ挑戦していく必要があるのではないか、そんな話もしています。
リクエスト曲
アッティ
大坪さんの大好きなリクエスト曲を1曲いただきたいと思います。
大坪 悟さん
RADWIMPSの「棒人間」です。
アッティ
これはなぜこの歌を?
大坪 悟さん
作詞・作曲者の意図は分かりませんが、私が聴いて感じるのは「マジョリティの中でマイノリティな感性を持つ人間が、それでも生きていこうとする」思いが込められた曲だということです。
私自身、中学・高校の頃から経営者になりたいと思っていました。経営者はどちらかといえばマジョリティではなく、マイノリティの存在だと思っていたので、その感覚が重なって、より響く曲だと感じています。
これからの夢や目標について
大坪悟さんは、富山の「美味い」を全国・世界へ広げることを目標に掲げています。
商品を増やすだけでなく、技術者を育て、世界で活躍できる環境をつくることまで含めた挑戦です。
アッティ
最後の最後になりますが、大坪さんのこれからの夢や目標について、お聞かせいただけますでしょうか?
大坪 悟さん
富山の「美味い」を、全国へ、そして世界へ広げていく。1つでも多くの商品を届けるだけでなく、技術者を育て、その成長を後押しし、世界で活躍できる環境をつくり上げることが、私の目標です。
アッティ
なるほど。ありがとうございます。
今月全4回にわたってお話をいただきましたが、感想としては、大坪さんの柔軟性には驚きました。
「単なる飲食業」って言うと失礼かもしれませんが、業態だけでなく一つひとつに込められた目的・目標、想いが深くありながら、成功への道も作られている感覚がありました。
ぜひ富山の美味いを世界にどんどん発信していただきたいですし、富山県人としてもそれを楽しませていただければと思います。
それでは今月のゲストは、株式会社ビーライン代表取締役の大坪悟さんでした。大坪さん、1ヶ月間ありがとうございました。
大坪 悟さん
ありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。
