【源 和之さん】株式会社源 代表取締役社長

【源 和之さん】(株)源 代表取締役社長

こんにちは、アッティです。
アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!

今回のゲストは、株式会社 源 (みなもと) 代表取締役社長の源 和之 (みなもと かずゆき) さんです。※2022年12月現在

富山のお土産、駅弁として、富山県内に知らない人はいないと言っても過言ではない鱒寿司「ますのすし本舗 源」の経営をされている源さんに熱く迫っていきます!

株式会社 源

この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。

放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。

目次

源さんが(株)源へ入社するまで

【源 和之さん】(株)源 代表取締役社長。テーマ1

源さんと(株)源の簡単な紹介

要約

株式会社源の6代目社長である源和之さんは、富山出身で現在44歳。

鱒寿司の株式会社源は、創業130年。駅弁業は114年の歴史があり、富山県民にとって馴染み深く、全国的にも人気が高い名物です。 ※2022年12月2日時点

アッティ
源さん、よろしくお願いします。

源和之さん
よろしくお願いします。

アッティ
富山のお土産として源の名前を知らない方って、富山県人の中にはほぼいないと思います。

源和之さん
嬉しいですね。

アッティ
そして全国の駅弁の中でも、トップクラスの人気があるという源の鱒寿司。富山県人としては当たり前になっていますけれども、あえてそれを深掘りをしてまいりたいなと思っております。

全5回と長くなってまいりますので、源さんのお名前はどうお呼びすればよろしいですかね?

「和之さん」とお呼びすればいいですか? 「カズ」でいいんですか?

源和之さん
「カズ」でぜひ。

アッティ
「カズさん」にしときましょうか。

源和之さん
嬉しいです、ありがとうございます。

アッティ
第1回目ということでもありますので、会社がどうというよりはカズさんのことを聞いていきたいなと思ってます。

現在おいくつになるんですか?

源和之さん
今年44歳になりました。※2022年12月2日時点

アッティ
44歳。社長になって、何年経つんですか?

源和之さん
6年ですかね。

アッティ
じゃあけっこう、お若いときに社長になられて。

源和之さん
はい、私で6代目になるんですけども。

アッティ
6代目!? 株式会社源って創業何年なんですか?

源和之さん
今年で130年近くになると思います。

アッティ
すごい!

源和之さん
ただ、今の皆さんがよく知っていただいている駅弁業を始めてからは、114年になります。

アッティ
114年、130年のうち114年。どちらにしても長いですね。

それで6代目になられる。歴史がありますね。130年前って、世の中はどんなときだったんですかね?

源和之さん
江戸時代の後期になります。

それ以前の歴史は私も受け継いではないんですが、最初は富山県下の城下町の方で、旅館や料亭をやっていたと聞いております。

アッティ
江戸時代ですもんね。富山県内の企業でこれだけ続いてる会社さんって、他にありますかね?

源和之さん
いや、それこそうちは料亭が出発で、鱒寿司は…という話でありますけども。

今、七軒町にあります鱒寿司屋さんはもっともっとそれ以前からご商売されてますから、大先輩の方々ですね。

アッティ
じゃあこの業界として、本当皆さん長いわけですね?

源和之さん
そうですね。

アッティ
なるほど大先輩がいらっしゃるんだ、素晴らしい業界ですね。

現在44歳、社長業はこれで6年ということでありますが、もともと富山出身ですよね?

源和之さん
もちろんそうです。

幼少期の思い出

要約

源和之さんは、富山の鱒寿司「源」の一族として育ち、幼少期から鱒寿司が身近にありました。

地元で「源」として見られることに対して、「独立したい」という想いから、高校は富山を離れて北海道の札幌へ進学します。

アッティ
富山出身で学生時代、幼少期をふまえて、どんな子どもだったんですか?

源和之さん
ごくごく普通の子だったとは思います。

ただやっぱり商品としてもそうですし、郷土料理としての鱒寿司っていうものは、富山の皆さんに非常に愛していただいた食品でありますから、そういった視点で見られることも多くてですね。

アッティ
そうですよね。

源和之さん
私自身は、早くそういった部分から逃げ出したいわけじゃないですけど、「独立したい」という想いもありまして。

珍しく、高校は県外の方に旅立たさせていただきました。

アッティ
県外はどちらですか?

源和之さん
北海道の札幌に。

アッティ
北海道の!? 高校ですか?

源和之さん
高校に行かせていただきました。

アッティ
それは先ほど言われたように、ご自身の名前がもちろん「源」であるし、会社名も「源」であるし。

富山では「源」って名前がとてつもなくポピュラーすぎるから、いつなんどきでも、どういうときでも、やっぱり「あの鱒寿司の源の」みたいな言い方をされる感じでいらっしゃったってことですかね?

源和之さん
そういう意味で皆さん気遣いをしていただくのも嬉しかったんですけども、やはり「自分でいろいろ挑戦したい!」ということも、その頃から思っていたんじゃないかなと思います。

アッティ
高校の話はのちほどとして、幼少期に鱒寿司は、本当に生活の中ですぐ近くにあったものなんですか?

源和之さん
ありましたね、やっぱり。特に家族経営という感覚で、源代々、この鱒寿司に関わってきましたから。

何か試食があるたびに、家にはお寿司が (笑)

アッティ
(笑) しょっちゅう家の食卓には、そういったものが並んだというわけですか?

源和之さん
そうですね。

アッティ
もう本当に「生活と一緒にありながら来た」ということですよね。

北海道での高校生活

要約

源和之さんは中学卒業後、先生の勧めで富山を離れ、札幌の東海大学附属高校に進学。

自立を望んでの選択で、下宿生活をしながらスキーやスノーボードに打ち込む日々を過ごしました。

アッティ
先ほど言われたようにちょっと逃げ出したわけじゃないけど、「新しいトライをしてみたい」と思って北海道に行かれたということですけれども、なんで北海道を選ばれたんですか?

源和之さん
これはやっぱり、学校の先生のおすすめがあったのが大きかったですね。

僕は附属中学校が出身なんですけども、先輩方にも何人か北海道の札幌に通ってる方がおられたということで。

何より僕が強い想いを持って「早くこの富山を離れて、生活も含めて自立したいんだ」ということをお話したときに、「こういう高校もあるよ」ということでお勧めいただいたのが、札幌の東海大学の附属高校でした。

アッティ
それは寮だったんですか?

源和之さん
近くに下宿を借りまして。

アッティ
高校生からもう下宿で!?

源和之さん
はい。

アッティ
自分で食事を作って?

源和之さん
食事は、下宿のおばちゃんが。

アッティ
なるほど。

源和之さん
ただ、洗濯であるとか、身の回りのことは自分でしなきゃいけないので。

そういった点から「ひとつひとつ自分でちゃんと考えて、自分で選んで生活していく」ということを学ばせてもらったなと思ってます。

アッティ
北海道は富山と比較すると寒いイメージが当然あるんですが、生活面はどうだったんですか?

源和之さん
何よりも、僕はスキーやスノーボードが大好きだったんで。

アッティ
そうなんですね、じゃあ、なおさらいい場所だったんですね。

源和之さん
放課後は友達と、スノーボードの板をかついで近くのスキー場にスノボしに行くという、スノボ三昧の日々でしたから (笑)

アッティ
そんな3年間だったんですね (笑)

海洋学部を選んだ理由

要約

源和之さんは高校卒業後、幼少期から自然に感じていた「家業を継ぐ」という流れに乗ることを考え、海のことを学ぶために海洋学部を選びます。

高校時代には接客業を通じて、仕事の楽しさも学びました。

アッティ
そこから卒業されて、どちらに行かれたんですか? 富山に戻られたんですか?

源和之さん
そのあとは静岡の、東海大学の海洋学部に進学させていただきました。

アッティ
海洋学部っていうのはやっぱり鱒寿司というか、そういったところに繋がるから、ということでの選択だったんですか?

源和之さん
そうですね、やっぱり海に携わる仕事に就いている以上「この海のことを学んでおくことが一番だろう」ということで、大学は海洋学部を選ばさせていただきました。

アッティ
そうするともう早い時期から「会社に入ろう」「できれば継ぎたい」みたいな気持ちってあったものなんですか?

源和之さん
「継ぎたい」というよりかは、「この流れに乗らなきゃだめだろう」っていう方が強かったですね。

アッティ
「当たり前に流があるところに、もう当たり前のように乗っていく」というようなイメージだったってことですよね?

小さいときから、そんなイメージだったんですか?

源和之さん
小さい頃は特に強かったです。

アッティ
そうですか。

源和之さん
やっぱり中学、高校は反抗期もありますので。

アッティ
なるほど、それで高校は北海道に行ったということですからね。

源和之さん
高校でスノーボードをするときとかはリフト代等が必要で、アルバイトをけっこうしたんです。

接客業がとても楽しくてですね、目の前にお客様がおられて、料理を作って、料理を出して喜んでいただくっていう、その楽しさを学ぶことができました。

そのような経験から「大学もそういった進路に、だんだん心が動いていったのかな」と思います。

アッティ
北海道の寒いところからポカポカした静岡に移られて、海のことを学ばれたということなんですね。

源和之さん
はい。

アッティ
なるほどなるほど。

吉野家への就職で得た経験

要約

源和之さんは大学卒業後、叔父が経営する吉野家に就職。東京で店舗運営を学び、食品マネジメントのスキルを磨きました。

店舗のマネジメントを任され、自ら考え行動する重要性を体得。この経験は、現在の仕事に大いに役立っています。

アッティ
大学で勉強されて、そこから富山に戻ってこられたんですか?

源和之さん
そのあとは、叔父がフランチャイズのチェーンをいくつか経営している中で、吉野家さんを経営されてまして。

アッティ
そうですか。

源和之さん
当時、もう20年前ですけれども、食品業界でチェーン展開で多店舗展開をするにあたって、「マネジメントが効率よく、レベルが高いところはどこですか?」と言われると、マクドナルドと吉野家さんだったんですね。

そうした業界としてのレベルの高さもありましたので、吉野家D&Cに就職させていただいて、そこで食品に対するマネジメントをいちから学ぼうということで、東京で就業させていただきました。

アッティ
吉野家の店舗に実際立たれてたわけですか?

源和之さん
もう「並みいっちょう!」ってやってましたね。

アッティ
つゆだくとか作って?

源和之さん
そうですね、よくご存じで。

アッティ
それは東京でですか?

源和之さん
そうです。

アッティ
おじさんが吉野家をやってらっしゃったということで、そこに入ったと。

その学びって、やっぱり今でもだいぶ活きているものなんですか?

源和之さん
そうですね、特に店舗をひとつ任されますので。

誰か助けてくれるわけでもないですし、今までの人生以上に、自分で物事を切り開かないと解決していかないっていうことを、もう身体で感じるしかなかったような時間でした。

チェーン店なので決められたことをやらなきゃいけないんですけども、人をうまくスケジューリングするにしても、またお店の収益を上げていくとしても、言われた通りのことをやっていたらなかなか上がらない。

怒られながらちょっと変わった事をやってみたりとかしながら、「自分で考えてやってみる」っていうことを特に学ばせていただいたなと思っています。

アッティ
大学を出てすぐですから、20歳ちょっとで店舗1店舗を任せられて、マネジメントもしていたってことなんですかね?

源和之さん
そうですね。

富山で7店舗立ち上げ

要約

源和之さんは吉野家での仕事を続けましたが、BSE問題で出店計画が停止します。その後、叔父の新チェーン「まいどおおきに食堂」の立ち上げを手伝い、7店舗を設立。

最終的に株式会社源に入社し、従業員の誇りや会社の素晴らしさを実感します。

アッティ
吉野家を経て、源の会社に入られたんですかね?

源和之さん
まだその…

アッティ
まだあるんですか!? 結構長いですね。

源和之さん
吉野家での仕事が楽しくて、今度は逆に富山に帰る気がなくなったんです。

でもちょうどその頃に、吉野家さんもBSEの問題がありまして。

BSE問題
牛海綿状脳症 (BSE) は、牛の病気の一つ。日本では2001年にBSE感染牛が初めて見つかり問題になりました

アッティ
ありましたね。

源和之さん
出店計画もぐっと止まってしまって、新店を任されたりですとか、新しいエリアを任されたりっていうチャンスがなくなってしまったんです。

ちょうどそのときに叔父が「新しいチェーンを展開するので、立ち上げから手伝ってほしい」ということで、声をかけてくださって。

「これはスキルアップするチャンスだ」ということで、これを機会に富山に帰ってきました。

アッティ
ちなみにそれはどういった店舗だったんですか?

源和之さん
「まいどおおきに食堂」ですね。

アッティ
富山にもありますよね。

源和之さん
はい、何店舗が残っております。

アッティ
富山のは、源さんがやってらっしゃるんですか?

源和之さん
僕が全部立ち上げて、あと石川の方は久安と、福井の方も四ッ谷食堂など。

アッティ
そうなんですね。

源和之さん
計7店舗を立ち上げさせていただきました。

アッティ
会社のことは、第2回目にじっくりと聞こうかと思いますけれども、そうなんですね。

そういった経験もありながら、それで源の会社に入られたんですかね?

源和之さん
ようやく入りました。

アッティ
富山に戻ってこられて、会社に入られて、実際入ってみてどうでした? 140年の会社ですからね。

源和之さん
従業員の皆さんが、何よりも誇りを持ってこの仕事に就いていることであったりとか。

いろんな方に出会う中で、すごく嬉しかったのが「立山そばで、自分の子どもが成人になるまで立派に育て上げることができました」と言われる従業員の方もおられて。

「立山そばひとつで、その方の人生をしっかりと満喫する形で定年まで迎えさせられる」そんな仕事に携われるんだということを体感として感じる中で、「素晴らしいところで働くことができるんだな」という気持ちになりました。

アッティ
なるほど、ありがとうございます。

第1回目は、こうやって「カズ」の話を聞かせていただいたんですけれども、2回目は今おっしゃられたように、入社をした株式会社源さんのお話をじっくりと聞いてまいりたいと思っております。

(株)源のこれまで

【源 和之さん】(株)源 代表取締役社長。テーマ2

(株)源の歴史

要約

株式会社源は、140年近い歴史を持ち、元々は旅館や料理屋を経営していました。

初代金一郎が「旅人の心をふるさとの味で慰めたい」との想いから、鱒寿司を駅弁業として広めることを決意。そうして現在の「鱒寿司の源」に至ります。

アッティ
前回は源さん自身の生い立ちであったりとか、経歴、会社に入るまでのお話を聞かせていただきました。

今回は、会社の方、鱒寿司をメインに扱ってらっしゃいますが、もう前回の段階で、立山そばもそうだし、まいどおおきに食堂もそうですけれども、いろんなことをやってらっしゃるって話が少しずつ見えてきております。

実際、株式会社源の歴史を踏まえて、少し会社の紹介をしていただけますでしょうか?

源和之さん
会社の歴史からお話します。

今年(2022年)で140年近くの歴史があるんですが、今でこそ皆さん「ますのすし」「鱒寿司の源」という認識をいただいておりますが、140年前の当時は、城下町で旅館や料理屋をやっておりました。

そうした中で、当時からたくさんの方が売薬さんを通じてこの富山に来られることになったんですけども、何よりも当時の初代金一郎が「旅人の方々にただ泊まっていただくだけでなく、富山をしっかりと楽しんでいただいて、富山を好きになっていただけるような、そんな新しい商売ができないか」ということを考え始めて、「旅人の心をふるさとの味で慰めたい」という言葉を残させていただきまして。

それまで徳川吉宗公に称賛されていた鱒寿司を、富山のお祝い事の料理で食べるだけでなく、全国の方に知っていただくことで、「この富山を、とても美味しいものがある、確かなものがある場所」として認知いただくためにも、全国に発信できないかということで、今、七軒町にあります鱒寿司屋さんに習うとともにですね、駅弁業として発展させようということで今日まで来てまいりました。

すいません、だいぶはしょってしまいましたけど。

アッティ
いえいえ、140年があっという間に経っちゃいました。

鱒寿司自体は、いつ頃から富山にあったんですか?

源和之さん
鱒寿司自体は、さかのぼると室町時代からといわれています。

アッティ
えっ、そうなんですか!?

てっきり源さんのところが何か開発されて作られたのかなと思ってたら、そういうことではないんですね?

源和之さん
とんでもないです。

当時は滋賀県にある鮒寿司 (ふなずし) のように「神通川でとれるサクラマスを長期保存できないか」ということで、お米に漬け始めたのが始まりといわれております。

それがだんだんと「ご飯がもったいないから、ご飯も一緒に食べよう」と。またそういったサクラマスの「なれずし」だけではなく、江戸時代に入りますと、今度は酢を使った江戸前寿司が流行るようになりまして。

きっと富山の売薬さんが聞きづてで、いろんなことを聞いてまわる中で、富山の「なれ」のサクラマスの寿司も「江戸前寿司のように作ることによって、さらに美味しく食べられるのではないだろうか」ということで、今の原型になっていったといわれております。

なれずし
「熟れ鮨 (鮓)」「馴れ鮨 (鮓))」。主に魚を塩と米飯を熟成させ乳酸発酵させた食品のこと

(株)源の事業内容

要約

株式会社源は、鱒寿司以外にも富山の郷土料理が入った弁当やお惣菜、「うま煮」、立山そばなどを展開。

また、吉野家やまいどおおきに食堂などのフランチャイズ事業も手掛けています。

アッティ
(株)源は、最初は料亭などをやられてたんですよね?

源和之さん
そうです、はい。

アッティ
そこからそのまま鱒寿司に移られたということですけれども、今、現状いろんな事業をされてるじゃないですか?

「源といえば鱒寿司だ」みたいなイメージはすごい強くあるんですけれども、それ以外のこともちょっとご説明いただけますか?

源和之さん
「旅人の心をふるさとの味で慰めたい」ということで、基本的には富山駅での事業が中心になります。

鱒寿司を売店で販売する以外は、料亭の味を繋いでいこうということで、幕の内弁当を中心に富山の郷土料理が入ったお弁当を複数出しております。

また、お惣菜だけでも美味しく酒のアテに食べられるようにということで、「うま煮」という海鮮を使ったお惣菜シリーズも販売しております。

アッティ
美味しいですよね、うま煮。

源和之さん
電車に乗る方には「パッと、間食でお腹を満たしていただこう」ということで、お蕎麦、立山そばなんかも。

アッティ
私大好きです、立山そば。

源和之さん
ありがとうございます、嬉しいです。

アッティ
食べるたびに、インスタとかそういったとこにあげてますんで (笑)

源和之さん
今度何か専用のお蕎麦を作らなきゃいけない (笑)

アッティ
他にはどうなんですか?

源和之さん
あとは「富山に豊かな食を広げよう」ということで、フランチャイズ事業もやらせていただいています。

1回目でお話された「吉野家」であったり、「まいどおおきに食堂」。また、関連会社ではそういったいろんなものを取り扱っています。

そうした富山の歴史の中で、「いろんなところで、食に対して地域の方に喜んでいただこう」ということで、一時期は富山市や県の食堂なんかもやらせていただいていたと聞いております。

アッティ
そうなんですね!? お寿司だけでなく、飲食業もかなり力を入れてやってらっしゃる。

大半は富山なんですかね?

源和之さん
そうですね。ただ、お寿司は、皆さんにお土産などいろんなところで使っていただけるようになりました。

アッティ
今は東京の百貨店とかにも、普通に並んでらっしゃいますもんね。

源和之さん
何よりも嬉しかったのが、5年前になるんですけども、富山で販売するお寿司にアンケートをつけさせていただきまして「2ヶ月間 5,000食の中で、どういった方々が食べられているんだろう」ということで調査をしたことがあるんです。

沖縄から北海道、47都道府県から返信がありまして。皆さんのご協力を得て「本当に全国の方に、たくさんの方に食べていただいてるんだな」ということで、嬉しくなった思い出もあります。

アッティ
なるほどなるほど。今は海外旅行がなかなか行きづらくなってますけれども、私は海外旅行に行くときに必ず持っていきますね。

源和之さん
海外旅行にですか!?

アッティ
ちょっと言い方が悪いんですけど、飛行機の中でよく食べてます (笑)

周りの人から何か嫌な目でよく見られるんですけれども、そうやって食べることを、いっときルーティンワークにしていました。

源和之さん
ありがとうございます。

アッティ
「これが富山のものだよ」みたいなことを見せようと思いながらしていましたね。

北陸新幹線とコロナの影響

要約

北陸新幹線開業は富山に多くの観光客をもたらし、源の鱒寿司の売上も飛躍的に増加しました。

しかし、コロナ禍では売上が3割に減少。そんな中でも「富山の歴史」の強さのおかげで全国のスーパーから依頼があり、鱒寿司を広く販売し続けることができました。

アッティ
源さんには、ここに至るまで140年という長い歴史があります。

最近でいうと、例えば北陸新幹線が通ったとか、今回のコロナの問題でも大きな影響を受けてるかと思いますけれども、そこらへんについてはどういう状況になったものですかね?

源和之さん
北陸新幹線開業は、大変素晴らしいことでした。

当時私も「100年に一度の大チャンス」というようなことを言わせていただいたとおり、富山駅が開業したときと同じようにですね、たくさんの方がこの富山に来られる機会を得られましたんで、たくさんの方に買っていただくとともに、富山の魅力を発信できたなと、私自身喜んでおりました。

ただ実は、開業前は大変厳しい時代がありまして。皆さんの記憶にないかもしれないですけれども、特急列車の車内販売がなくなってしまったりとか。

アッティ
そうですよね。

源和之さん
実は北陸の魅力がなくなったということじゃなくてですね、ちょっと運悪く、やっぱり天災なんかもいろいろと重なった中でですね。

アッティ
確かに確かに。

源和之さん
この北陸自体が全国から注目されない時期があったものですから、そういったことから比べると新幹線開業というのはガラッと変わった時期でありました。

アッティ
実際やっぱり商品の動きっていうのは、相当すごかったんですか?

源和之さん
旅行を含めて、富山駅を利用される方が5倍から10倍に跳ね上がりました。

アッティ
それは100年に一度どころじゃないイベントですよね!

新幹線が通ってけっこう時間が経ってきてますけど、ここにきて逆の悪影響として、やっぱりコロナの問題があると思いますけれども、それは影響としてはどうですかね?

源和之さん
いや本当に富山駅自体、うちだけではないと思いますけども、売り上げは3割ぐらいまで落ちてしまいましたので、商売を続けていくことはすごく厳しかったです。

それでもそういった時期にこの富山に来られる方、また富山を旅立たれる方が少なからずおられましたので、そういった方々のために朝早くからお店を開けて利用していただくことを心がけました。

何よりもこれまで皆さんにご利用いただいた「富山の歴史」という力強さがありましたので、全国のスーパーさんから「ぜひ富山の鱒寿司を取り扱いたいんだ」というご依頼もいただきました。

アッティ
いいですね、嬉しいですね。

源和之さん
実はそちらの方で、全国の方にたくさん発送させていただくことができました。

本当に皆さん、どうもありがとうございます。

アッティ
こうやって源自身140年の歴史がありながら、最近では新幹線であるとかコロナであるとか、いろんな影響を受けながらではありますが、富山の代表的な企業として、代表的なお土産として、魅力を発信されているということで、本当に素晴らしいことだなと思っております。

今回は以上とさせていただきまして、次回につきましては、源さんの新しい取り組みについてお話を聞いてまいりたいと思っております。

(株)源の新たな挑戦

【源 和之さん】(株)源 代表取締役社長。テーマ3

子どもたちが絵を描いた包装

要約

株式会社源は農林金融公庫の提案で、子どもたちが富山のお米「富富富」を育て、鱒寿司を作り、そのパッケージに絵を描くプロジェクトを実施しました。

アッティ
前回は、源さんの歴史や取り組み、いろんなトライをされてるということをお聞きしました。

今回は、新しい取り組みについていろいろお話を聞いていきたいなと思っています。

新聞にも載っていましたけれども、子どもたちがパッケージの絵を描いた鱒寿司を販売されたり、そういった活動も含めて少しご説明いただけますか?

源和之さん
鱒寿司のパッケージに、子どもたちに絵を描いていただいたところからお話させていただきます。

農林金融公庫さんからお話をいただきまして、子どもたちがSDGsに携わるにあたって、富山のお米「富富富 (ふふふ)」の稲作づくりを子どもたちに体験してもらいたい。

そうした中で「お米を作るだけでなく、実際に二次・三次産業の加工食品として富山の郷土料理である鱒寿司を子どもたちにも作ってもらって、SDGsに関わる富山の一連の産業を体験していただきたい」ということでご提案いただきました。

私どもから「鱒寿司は郷土料理として富山を発信するだけではなく、何よりも分ける喜び。この郷土料理を通して、食を通して、みんなで食を楽しむ。そういった想いを込めて、鱒寿司を作らせていただいております」という鱒寿司への想いを伝えさせていただいて、そうした機会から「米作りだけではなく皆さんの想いも、絵を描くようなことで表現する機会を作れないか」ということでご提案して、実際に絵を描いていただくことになりました。

アッティ
実際に米を作るところも子どもたちが行って、「富富富 (ふふふ)」を作って、それで自分たちで鱒寿司も作ったんですか?

源和之さん
はい、鱒寿司も実際に。

アッティ
子どもたちが作って?

源和之さん
作っていただきました。

アッティ
パッケージには自分たちの絵も描いて。それは売られてるわけなんですか?

源和之さん
はい、お店に並んでおります。

アッティ
すごいですね。

「富富富 (ふふふ)」の鱒寿司って、過去にもあったものなんですか?

源和之さん
はい。「富富富」を県の方で作られて、その年から期間限定で販売させていただいています。

アッティ
期間限定でですね、なるほど。

このパッケージの鱒寿司はいつまで販売されてるんですか?

源和之さん
2022年の12月まで販売させていただいています。

アッティ
12月中ですね。そうすると、皆さんも食べることができると思いますので、あとちょっとですからね、ぜひともご購入いただきたいなと思います。

働く人たちに優しいAI

要約

株式会社源には、鱒寿司を通して富山の品質や安全性を発信し、他産業の支援をしたいという想いがあります。

その想いから、コロナ禍ではAIを活用した予測発注システムを開発。「働く人たちに優しいAI」として、働きやすい環境を提供し、働く楽しさを増やす工夫をしています。

アッティ
社会貢献を踏まえた事業もされていらっしゃいますけれども、新しい取り組みとして、例えば冷凍の鱒寿司であるとか、海外に向けての活動であるとか、本当にいろんなトライをされてると思いますので、そこらへんも少しお聞かせいただけますか?

源和之さん
もともと鱒寿司を全国に発信しようという中で、歴代の祖父や父もそうですけども想いとして持っていたのは、ただ郷土料理を伝えるだけではなく、何よりもこの郷土料理「鱒寿司」を通して、富山のもの作りの品質の高さであったり、安心や安全性、こういったものをしっかりと発信することによって、他の産業のお力添えをできないだろうかと。

そういう想いを持って作っていたこともありますから、コロナの時期でなかなか全国に届けられない、また皆さんにそういった機会を提供できない中で、富山のイメージをまた違う形でお伝えできないかということで、たくさんの事業に関わらせていただきました。

そうした中でDX、AIの開発に取り組みまして。

アッティ
AIですか!? いきなりAIがきましたね (笑)

源和之さん
郷土料理からポンと (笑)

アッティ
飛んでいきましたけどね、どうぞどうぞ。

源和之さん
簡単に言ってしまうと、よくある予測発注システムにはなるんです。

ただ、この予測発注システムを食品のロスを減らす機械としてよく使われるような使い方をするのではなく、「人に優しい、働く環境に先進的に取り組む場所である」そういった発信にも使えないだろうかという想いを乗せました。

何よりもAIを活用する場所を、数字を当て込むことではなくて、店長たちが発注をすることによってお客様から「店頭にお寿司が並んでないです」とか「欲しい商品がないです」とお叱りを受ける、そんな機会の中で、毎日悩む発注作業を精神的に軽減できないか?

そういった観点から「働く人たちに優しいAIを作ろう」ということで開発させていただきました。

アッティ
「働く人たちに優しいAI」ですね。

何となくイメージ的には、例えばイベントがあったらたくさん用意しとかなきゃいけないであったりとか、いろんな外部要因があったりすると思うんですけれども、そういう様々な要因が全部この中に入っていて、AIが判断しながら予測をしていくってことですかね?

源和之さん
そうなんです。そして何よりもですね、お店で働いてくれている人たちは本来、僕が接客業が好きだったように、お客さんと接する時間がとても楽しい時間なんです。

しかし、こういった発注作業が難しくなればなるほど、発注作業によってずっとバックヤード。

アッティ
なるほど。短くなっちゃうわけですね、その時間がね。

源和之さん
そういう意味で「働くことの楽しさ」っていうものを、「ロスの軽減のためとはいえ、奪ってたな」という苦しい思いもありましたから。

こういった部分を減らすことで、「本来の働く楽しみというものをしっかりと増やすことができないだろうか」と思い、開発させていただきました。

アッティ
面白いですね、AIなどはシステムでありながらも、そのバックボーンにある目的は「働く人たちの楽しみをもっと増やしてあげたい」であったりとか、例えば先ほどの子どもたちと一緒に鱒寿司の事業をするのも、バックボーンにあるのは「もの作りをもっと広げていきたい」とか。

表面上は事業として何かあるんでしょうけど、裏にはしっかりした目的がそれぞれあるっていうのがなんか面白いな、と思いながら聞かせていただきました。素晴らしいですね。

やっぱり鱒寿司は、もちろんそれは食品でありますし、源さんはいろんな食品にずっと関わられていると思います。先月、能作さんが来られて産業観光についてお話をいただいたんですが、もう何かこの段階に至ってくると食品ではなくて、富山の産業観光の一部というかメインに繋がってくると思いますが、産業観光についての想いっていうのは何かありますかね?

源和之さん
これは家訓としてもあるんですけれども、うちの社是には「良心と愛和」というものを掲げさせていただいてるんです。

何よりも「人が幸せであること」これを正しく選択して、「関わる人たちが幸せであるように物事を作っていく」ということを大切にしていこうということで、引き継いできました。

鱒寿司そのものは郷土料理ですので、大切にしていきたい商品のひとつでありますけれども、何よりも「鱒寿司を通して関わる人たちが幸せになること」、それを大切にひとつひとつの事業の関わり方というものを考えて出させていただいております。

アッティ
今それこそコロナもだいぶあけてきましたので、ここからいよいよ、それこそ円安の時代でもありますから、外国人も踏まえてたくさんの方が富山に来られると思います。

1回来て終了ではなくて、何度も何度もリピーターとして来ていただきたいなって思ったときに、やっぱり間違いなく「食」っていうのは、そこのど真ん中にある、われわれにおけるPRの一番の中心だと思います。

そういった意味では、この鱒寿司、並びにいろんな事業の食に関わることが、富山の観光、そしてまた産業観光に繋がる大事な役割だと思いますのでね、大変期待しております。

源和之さん
ありがとうございます。

冷凍鱒寿司の開発と販売

要約

株式会社源は、先代から30~40年以上にわたり冷凍鱒寿司の研究を続けてきました。

コロナ禍で冷凍食品の価値が見直され、「Rejyu (レジュウ)」として商品化。個食化を考慮した小分けパッケージに加え、冷凍庫に常備しやすい仕様としました。

アッティ
「冷凍鱒寿司もやっていらっしゃる」って話を聞いて、非常に興味あったんですけど。

源和之さん
冷凍自体は、もう先代から。

アッティ
ずっとやっていらっしゃるんですか?

源和之さん
実は30~40年以上の研究を積み重ねておりまして。

それこそご年配の方はご存知だと思うんですけど、冷凍食品というと、どうしても日常食のイメージが強いものですから。

アッティ
そうですよね。

源和之さん
そうしたイメージを持った食品に対する郷土料理への価値観というものを否定される方も多かったので、なかなか出す機会ができなかったんです。

けれども、このコロナを迎えて「食の大切さ」というものを認知していくとともに、冷凍食品に対する価値も非常に上がってきましたので、満を持して「Rejyu (レジュウ)」という商品を。

アッティ
Rejyu (レジュウ)」ってどういう意味なんですか?

源和之さん
「冷凍する」という意味で。

アッティ
なるほど。

源和之さん
フランス語で、そういう言葉があるそうです。

アッティ
なるほどなるほど、そうなんですね。

冷凍っていうのは郵送で送るのがほとんどであって、どちらかというと「お土産的なものとして郵送で送る」っていうのが主体なんですか?

源和之さん
今はそれを探りながらやっているところでもあります。

「いろんなところで美味しく食べていただきたい」「富山を感じていただきたい」というところが、この商品の、もの作りのコンセプトに定めさせてもらいましたので。今は個食化も進んでおりますから。

アッティ
そうですよね。

源和之さん
「ひとつひとつ小分けで食べられるように」というようなパッケージングをさせてもらってますし。

アッティ
なるほど。

源和之さん
冷凍は日持ちの部分もあるんですけれども、どちらかというと「冷凍庫に入っていれば、食べたいときに買いに行かずともすぐ食べられる」、そういったシチュエーションを考えて商品として販売させてもらっています。

その中で、お客様の反応を見ながら。

アッティ
面白いですよね。

源和之さん
トライアルしているところでもあります。

アッティ
冷凍が正しいかはちょっと分かりませんけど、いつか、もしかしたら宇宙にも持っていけるかもしれないですよね。

源和之さん
ぜひ持っていきたいですね。

アッティ
「月で普通に生活をする」みたいなことが起きる可能性があるときに、「月旅行の途中に食べてます」みたいなことって普通にあるかもしれませんしね。いろんなとこに使えそうですね、楽しみです。

それでは今回は以上とさせていただきます。次回はいろんな疑問や質問を中心に、鱒寿司や源さんについてお聞きしたいなと思っております。

源さんへのQ&A

【源 和之さん】(株)源 代表取締役社長。テーマ4

様々な押し寿司への挑戦

要約

株式会社源は、鱒寿司以外にも「鯖寿司」や「ぶりの寿司」など多種類の押し寿司を季節限定で提供しています。

アッティ
今回はですね、なんとお土産として、お寿司を持ってきていただきました。

目の前に2つ「のどぐろ寿司」と「かに寿司」があるので、今日はそれを食べながらいろんなことを質問していきたいなと思っております。

せっかくなのでね、まずは「のどぐろ寿司」の方から食べさせていただきたいと思います。

源和之さん
ぜひご賞味ください。

アッティ
いただきます。

非常にコクがあって美味しいですね。

「のどぐろ寿司」実は初めて食べさせていただきました。この「かに寿司」もそうですけれども、比較的小さいじゃないですか?

「鱒寿司メイン」みたいなイメージがありましたけど、こういう特殊なお寿司っていうのはたくさんやってらっしゃるんですか?

源和之さん
これ以外に「鯖寿司」であったりですとか、もちろん「ぶりの寿司」であったり「鯛寿司」であったりということで。

白身魚がもちろん中心になりますけども、実は様々な押し寿司に挑戦しております。

アッティ
これは、それぞれ期間限定なんですか?

源和之さん
そうですね、やっぱりシーズンシーズンに美味しいものを食べていただこうということで。今は冷凍技術もありますけども。

やはり「朝、港であがった獲れたてを使う」ということを基本に選定させていただいて、押し寿司を作っております。

アッティ
私は東京とかに出張に行くと、夜遅い時間に帰ってくることが多いんです。

そのときは大体「源さんの鱒寿司をひとつ購入させていただいて、家に帰って次の日の朝みんなで食べてる」みたいなことがしょっちゅうあるんです。

源和之さん
ありがとうございます。

アッティ
子どもたちはもう「また鱒寿司?」みたいなことを言うぐらいだったりするので、こういう新しいお寿司があるといいですね。

今度購入して、家に持ち帰りたいなと思います。

鱒寿司の形状と味の違い

要約

鱒寿司の桶が丸いのは、丸い形が均等に圧力を分散させ壊れにくいためです。

源の鱒寿司は、鱒の部位を配置を工夫しており、食べる箇所によって味の変化を楽しめるようになっています。

アッティ
源さんは、いろんな取り組みをされているんですけれども、今回は私の周りの人から「こんな質問を聞いてくれ」みたいなことがいくつかあったので、少しお聞かせいただきたいなと思います。

源和之さん
嬉しいです。

アッティ
この「のどぐろ寿司」であるとか「かに寿司」は四角い形をしてるんですけど、「鱒寿司」は丸じゃないですか? 丸には何か理由があるんですかね?

源和之さん
鱒寿司は「押し寿司」ということで、かなりの圧力で押しをかけるんです。

これがやっぱり円ですと、均等に桶の方に力が分散されるために壊れにくいというのが一番の理由になります。

アッティ
丸だと、真ん中と外って味は違うんですか?

源和之さん
これは各お店によってこだわりがあると思います。

特に源は「電車の中でパッと食べていただく」というシチュエーションをイメージしておりまして、円の真ん中、切り分けて三角になる先の部分、一口目にあたる部分にはハラミの脂のこってりした方。

アッティ
やっぱり違うんだ!?

源和之さん
はい。一口目でしっかりと旨みを感じていただく。まずグッと味の深いような感覚を楽しんでいただいて、外には鱒の背の部分を使っておりますので、どちらかというあっさりとしながら魚本来の味付けを楽しんでいただく。

このように常にまた次の手を取りやすいような食べ方ができるように、そうしたお魚の身の並べ方を含めて考えております。

アッティ
このうんちくは使えますね、家族に話してみます。

丸でもやっぱりそれぞれ場所によって部位を変えてるんですね、それは確かに合ってますよね。

源さんの一番好きな押し寿司

要約

源和之さんは、鱒寿司が一番好きですが、大人になってからは「ぶりの寿司」も気に入っています。

「立山そば」のメニューでは、社員に反対されましたが、カレーが一番のお気に入りです。

アッティ
押し寿司はたくさんありますけど、カズさんが一番好きだと思われている押し寿司ってどれなんですか?

源和之さん
すごい難しい質問ですね (笑)

アッティ
いろんなとこに影響するとまずいかもしれないけど (笑)

源和之さん
小さいときからずっとやっぱり鱒寿司を食べ続けてるんで、もうこれは絶対的に大好きなひとつですね。

アッティ
そうですよね。

源和之さん
大人になってから祖父が開発した「ぶりの寿司」なんかも、やっぱりお酒のアテにも良くなってきたので。

アッティ
酸っぱみがあっていいですよね。

源和之さん
はい。

アッティ
なるほどなるほど。

源和之さん
これは多分、そのときの気分気分で一番は変わると思います (笑)

アッティ
そうですよね (笑)

「カズさん自身が好きシリーズ」として、もうひとつ言うならば、「立山そば」もいろんなメニューがあるじゃないですか?

最近はカレーがあったりとか、前はホタルイカもあったりとかしましたけど、一番好きなメニューは何ですか?

源和之さん
これ、開発したときに大反対されたんですけども。

アッティ
そうなんですか (笑)

源和之さん
カレーって言おうと思ったんですけど、とろろ昆布もいいなと思って (笑)

でも、最近のイチオシはカレーです。

アッティ
カレーですね。

ちょっとマニアックな話ではあるんですけど、あの店舗になる前、いわゆる新幹線が来る前の店舗があったじゃないですか? そこでも1回カレーやってましたよね?

源和之さん
トライアルで、よくご存知で!?

アッティ
私は、あれ大好きだったんですよ!

源和之さん
ありがとうございます。あのときに勝手に出して大反対されて引っ込められたんです (笑)

アッティ
そうなんですね (笑)

私はあれが好きでしょうがなくて。でも、今はちょっと味が変わってませんか?

源和之さん
味付けは、今の方がマイルドになって。

アッティ
そうですよね。美味しいです美味しいです。

源和之さん
ありがとうございます。

アッティ
出張に行くときはなかなか難しいんですけど、帰ってきたときに食べるとちょうどよくて、食べさせていただいています。

源和之さん
嬉しいです、ありがとうございます。

アッティ
ちなみに私のフェイバリットは、とろろ昆布とお揚げさんですね。

合わせてトッピングをするのがもうネバネバになって、揚げにとろろがまとわりついて食べるってのが大好きで。

そんなことを勝手に作ってやってますね。

源和之さん
嬉しいです。

アッティ
いろんな食べ方があるので、皆さんもトライをしてみられるといいんじゃないかなと思います。

鱒寿司の味の改良

要約

株式会社源では、鱒寿司の改良を毎年続けており、特に酢や塩の加減を魚の状態に応じて調整しています。

4年ほど前には、もっと美味しい寿司飯にするために炊飯器を新しく変えたりなど、常により良い味になるように追求しています。

アッティ
これは聞いていいのかちょっとわからないんですけれども、よく周りの方から「源の鱒寿司、最近美味しくなったよね」みたいな言葉を聞くことがあったりするんです。

私も確かに、ちょっと本人を目の前にして失礼ながら「昔と比べたら、どんどん美味しくなってきてるんじゃないかな」って気がしてるんですけど、そういったことはないですか?

源和之さん
「美味しくなった」って言ってただいただけでも、大変嬉しいです。

アッティ
逆だと困りますけどね (笑)

源和之さん
鱒寿司については、毎年毎年、改良を積み重ねています。

特にご年配の方が「美味しくなったね」と言われるのは、サクラマスがちょうどこの神通川や日本海側で獲れなくなってきた時期と重なるんじゃないかなと思います。

獲れなくなってきて、鱒寿司を作るにあたって「サクラマスの量がどうしても圧倒的に足りない」といったときにですね、代わりに北海道や富山で獲れる鮭なんかも使って合わせて作ってた時期もあるんですね。

そうした時期はやっぱり、サクラマスに比べるとどうしても鱒寿司としてはクオリティが落ちてしまいましたので。

そういったときのお寿司を食べられた方は特に、今のお寿司と比べて「美味しくなったね」と言われるんじゃないかなと思います。

アッティ
それは数十年ほど前の話ですよね? そういう理由もあるのかもしれないですよね。

源和之さん
ただ毎年、酢加減や〆るときの塩加減は、魚の状態によっても変えさせていただいています。

特に4年前は「もっと美味しい寿司飯が作れるんじゃないか」ということで、炊飯器を新しくしました。まだまだ使えたんですけど、より美味しい酢飯が作れるようにいうことで常に更新しています。

アッティ
常にそうやっていろんな改善をされているからこそ、どんどんどんどん美味しくなってるわけですよね。

源和之さん
と思っております。

アッティ
大変失礼な質問をさせていただきましたけど、本当にそういう言葉をよく聞くんですよね。

源和之さん
嬉しいですね、本当にありがたい話です。

富山を知ってもらいたい想い

要約

源の鱒寿司には「富山を全国に知ってもらいたい」という想いが込めており、パッケージでは会社名を強調せず、「富山 ますのすし」として富山を発信することに重点を置いています。

アッティ
例えば、源の鱒寿司を県外とかに持ってくじゃないですか? そうするとやっぱり県外の方々もよく知ってらっしゃって、「みなもと」って言わずに「げん」って言い方をされる方々が結構多くて。

源和之さん
私もお聞きします。

アッティ
そうですか、やっぱり! 何かそういう名前が浸透してるようなイメージがありますよね?

源和之さん
「源」はいいんです。

パッケージにもあるように、祖父の想いとしても富山をやっぱり全国に知ってもらいたいと。

アッティ
そうですよね。

あれ? パッケージって確か、会社名ドーンって載ってないんでしたっけ?

源和之さん
そうですね、会社名は横に載ってまして、表面には「富山 ますのすし」というふうに。

アッティ
やっぱりそこはもう完全に産業観光の基軸であって、「富山を発信するのに一番であるのは、この鱒寿司だ!」って想いが強いんでしょうね。

いいですね、そういう活動って。

源さんのオススメ弁当

要約

源和之さんのおすすめの弁当は「海鮮美食」。バッテラに多種の魚が入っており、タコなどの味も楽しめる押し寿司です。

アッティ
幕の内弁当もされてて、「ぶりかま弁当」とか、いろんな種類の弁当があるじゃないですか?

最近私はあれが大好きなんですけど、カズさんのお弁当のおすすめは何ですか?

源和之さん
お弁当はやっぱり僕自身も携わらせてもらった「海鮮美食 (かいせんびしょく)」という。

アッティ
海鮮美食。

源和之さん
これは、ひとつのバッテラの中に、たくさんの種類の魚が入っていまして。

まさに鱒寿司だけじゃなくて、他のタコであったりとか、いろんな魚の味を楽しめる「お弁当」。ごめんなさい、弁当ではなく押し寿司かもしれないですけど。

アッティ
あれは美味しいですよね。ちょっと縦長の四角いのでしたよね?

源和之さん
そうですね、縦長の。

アッティ
タコとかいろん海鮮がずらっと並んでるんですよね? あれ贅沢すぎますよね?

源和之さん
いやぁ、嬉しいですね。

アッティ
なかなかああいう寿司ってないですからね、食べたくなってきました。

なんかこういう話をしていると「社長の一番のお気に入りなんですか?シリーズ」をずっと続けちゃいそうですけれども、今回は以上とさせていただきます。

次回は第5回目、最終回ということになりますので、カズさんのふるさと富山についての想いであったりとか、そういったことをお聞かせいただきたいなと思っております。

富山への想い&オススメ店&リクエスト曲

【源 和之さん】(株)源 代表取締役社長。テーマ5

ふるさと富山について

要約

源和之さんは、県外での経験から富山の魅力や素晴らしさを実感しています。

また、地域が支え合って生きる温かさが、富山の大好きなところです。

アッティ
前回はいろんな質問をさせていただいて、楽しい時間を過ごさせていただきました。

最終回ということで、まずは、この富山の産業観光の一翼を担われてる会社として、北海道や静岡などの県外を経験されてる方として、このわれわれのふるさと富山についての想いを少しお聞かせいただけますか?

源和之さん
はい。そういう意味ですと、僕は高校時代に県外に出てしまったので「ふるさと富山に対する想いというものはあんまり偉そうに言えないな」と思ったんですけど、ただ、県外に出たからこそ、富山の魅力や素晴らしさっていうのもよく分かりますし、逆に言うと、やっぱり地方の方って全国どこでも頑張っておられて。

やっぱり富山も頑張らないと、やはり日本の中心である東京には、富山の想いであるとか言葉であるとか、そういったものはなかなか届かないんだというのもよく分かってますので、そういった視点を持って、しっかりとこの富山を応援していければなという想いを持っております。

アッティ
やっぱり外から見る富山っていうのがあると、富山の良さっていうのに気づかれる機会も多かったんじゃないかなと思います。

富山の大好きなとこってどこですか?

源和之さん
やはり特に人が支えあって生きてるというか、地域が支え合って生活しているという部分が、帰ってきたときにすごく身にしみて感じました。「大切にされてるな」というところが大好きでして。

言葉にできるような想いって難しいんですけれども、僕自身「独り立ちしたい」と思って富山から出てみて、それこそ「周りの人に支えられて、甘えてたんだな」っていうのをよく知る機会になりましたし、やっぱりそういう温かみっていうところが、富山の一番大好きなところなのかなと感じます。

アッティ
なるほど。大好きな富山の発信、観光としての発信、食としての発信っていうことを担われてるわけですけれども、そういった意味では県外だけでなく、やっぱり富山の人たちが自分たちのまちを誇りに思えるような、そんな活動をますます期待していきたいなと思っております。

人生のこだわり

要約

源和之さんの人生のこだわりは「とにかく楽しく生きること」です。

楽しむことで人に優しくなり、感謝の気持ちを持って次世代に楽しい人生を提供したいと考えています。

アッティ
それと、カズさん自身の人生のこだわりっていうのは何かありますかね?

源和之さん
とにかく楽しく生きたいなと思ってます。

アッティ
なるほどいいですね。楽しく。

源和之さん
シンプルですけども、楽しめるからこそ人に優しくなれますし、何よりも僕は「感謝」という言葉が、自分の中ですごく大好きでして。

誰かに支えられてるからこそ、この感謝の気持ちを忘れずに「自分も誰かを支えていきたい」と思う中で、やはりこのこだわりの中には「感謝」という言葉を持って、しっかりと楽しんで、また次の世代、子どもたちのために、楽しい人生が送れるようなもの残していきたいなということを大切にしていきたいと思っています。

アッティ
「感謝」いいですね。「ありがとう」と思える気持ちっていうのは、本当に素晴らしいですよね。

富山県内で大好きな飲食店

桂 (かつら) 【閉業】

住所:富山県下新川郡朝日町平柳129-10

アッティ
食に関わられているカズさんだけにですね、どこまでそういうお話をされるか分かりませんけども、必ずゲストの方にお聞きしているのが富山県内で大好きな飲食店、チョイスをしていただいてるんですけど、どこかありますかね?

源和之さん
これまた非常に迷ったんですけども。

アッティ
そうですよね。

源和之さん
僕が富山に帰ってきたときに、連れてっていただいたお店なんですけども、実はもうお店は閉店されてるんですが、朝日町にある「桂(かつら)」というお店。

おばちゃんが1人で切り盛りされている居酒屋さんで、お店は本当に古い平屋の居酒屋さんという感じなんですが、お店に入ると、目の前のカウンターの上に大皿でたくさんの家庭料理の総菜が並んでまして。

美味しくお食事をしながらお酒を飲んで楽しめるんですけども、後から後から、まちの消防団の方々ですとか、地元の方々がダラダラ入ってきまして、何か待ち合わせしてるわけでもなく、1人1人入ってくるんですけど「おお、来たな」みたいな感じで。

アッティ
もうみんな何となく知り合いだったり、アットホームで。

源和之さん
何よりも面白いというか温かいなって感じなんですが、お店が忙しくなってくると、もちろんおばちゃん1人でやってますのでお店が回らなくなってくるんですよ。そこをお客さんが手伝って (笑)

アッティ
なるほどなるほど。

源和之さん
1人1人、お客さんがお惣菜を取り分けて配ったりですとか。

アッティ
素晴らしい、楽しいですね!

今はそのお店はもうないんですか?

源和之さん
お歳を召されたのか、閉められてなくなってしまったんです。

先ほどの「人が人を支える」じゃないですけど、そういう「団らん」というものを味わえる素晴らしいお店だったなということで、今でも一番のお店です。

アッティ
味ももちろんそうなんでしょうけど、その雰囲気がやっぱり何よりも最高のご馳走なんでしょうね。

いいですね、そっか、行きたかったなそれは。

リクエスト曲

【源 和之さん】(株)源 代表取締役社長

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