こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、株式会社河内屋 (かわちや) 代表取締役社長の河内 肇 (かわうち はじめ) さんです。※2023年5月現在
老舗の伝統を守りながらITも上手く活用し、鮨蒲 (すしかま)、棒S (ボウズ) と新商品への挑戦を続けて、かまぼこ業界を引っ張る河内さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
結婚して富山移住するまで
河内さんの生まれ
河内肇さんは東京生まれで、幼少期は滋賀県の琵琶湖畔で過ごし、その後神奈川県で育ちました。
自身は神奈川県出身という意識が強いです。
アッティ
河内さん、どうぞよろしくお願いします。
河内肇さん
よろしくお願いします。
アッティ
1ヶ月全4回になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
実は、アッティはあんまり友達がいなくて、先輩と呼べる人もあんまりいないんですが、河内さんには以前から大変お世話になっておりまして、もう大先輩です。
ハードルを上げてしまいますが、私が富山で尊敬する先輩の1人でございますので、今回はとても楽しみにしております。
いつも理路整然 (りろせいぜん) とされているイメージがありますけれども、このラジオでは河内節をお願いしたいなと。
それでは早速ではあるんですけれども、最初ですので、簡単に現在のお仕事の紹介をしていただきたいと思います。
河内肇さん
ありがとうございます。
私は、富山県魚津市に本店と工場を構えている、かまぼこ専門店「河内屋」の代表取締役を務めております、河内肇と言います。どうぞよろしくお願いいたします。
富山県にはかまぼこ屋さんが何軒もあり、当社は「老舗」って思われてるんですけども、実は富山県の中では一番後発メーカーなんですよ。
アッティ
そうなんですか!?
河内肇さん
当社は昭和22年に創業してるんですけど、それ以降は富山県にかまぼこ屋ができていないんです。
そういう意味では、富山県で一番新しいかまぼこ屋かもしれませんけども、今創業75周年です。
アッティ
75周年で一番新しいという、すごい業界ですね。
河内肇さん
そういう意味では、そうかもしれないですね。
アッティ
なるほどなるほど。
河内さん自身は、富山生まれじゃないんですよね?
河内肇さん
そうなんです。生まれは東京なんですよ。
アッティ
東京なんですか!? 生まれは神奈川というイメージがありました。
河内肇さん
小・中・高と、神奈川県で育ったので、自分の気持ちの中では神奈川県出身ってイメージがあります。
ちなみに幼稚園のときは、滋賀県の草津市に住んでいました。
アッティ
滋賀県にいらっしゃったんですか?
河内肇さん
そうです。琵琶湖のほとりに住んでいました。
だから幼稚園時代は、もう琵琶湖でいっつも遊んでた思い出がありますね。
アッティ
滋賀県を経て、そこから神奈川に移られたんですか?
河内肇さん
そうですね。
学生時代の河内さん
小学生時代の河内肇さんは、早生まれで体格が小さかったですが、社交的で口論に長けていました。
中学ではバスケット部に所属し、多くの場面でリーダー的役割を担います。
大学は、千葉工業大学の金属工学科に進学。授業や実験、レポート、卒論に励む一方で、アルバイトにも力を入れ、貯めたお金で旅行するなど、勉学と遊びのバランスを取った学生生活を送りました。
アッティ
神奈川時代、それこそ幼少期というか、学生時代ってどんなお子さんでいらっしゃったんですか?
河内肇さん
小学校の低学年時代は、当然、遊んでばっかりいました。
早生まれなもんですから、小学校時代は同学年の女の子たちってほら、体でっかいじゃないですか? だから、ケンカしても力ずくで負けてたりだとか。
アッティ
あのときの1年間って、ものすごい大きいですもんね?
河内肇さん
体格で勝てないんで、口げんかで (笑)
アッティ
(笑) まさに今のような感じですね。
河内肇さん
小学校時代は、そんな思い出ですね。
中学のときは、部活でバスケットをしていました。
アッティ
バスケットをやっていらっしゃったんですか。
河内肇さん
あんまり勉強しない学生でした。
アッティ
(笑) 人前で話をしたりとか、社交的な学生ではあったんですよね?
河内肇さん
そうですね、たとえば、クラスで何かをやるだとか、部活で何かをやるっていうと、基本的にはリーダーというか、そういったタイプの役職をやることが多かったですね。
アッティ
なるほどなるほど。
河内肇さん
それこそ口で (笑)
アッティ
口でね (笑)。なるほど、喋りには自信あるということで。
河内肇さん
いや、全然そうじゃないんですけど。
アッティ
興味がわいたのは、大学時代のことです。
大学時代の学科も含めて、今のかまぼこ屋さんの社長をやられてるところにどう繋がるんだろう? と思うぐらいの学科なんですけど。
河内肇さん
僕の場合、いわゆる受験失敗組なんですけど、大学は千葉の千葉工業大学を出ました。
そこでは金属工学科を専攻してやっていたんですね。大学時代は理系だったので、やっぱり授業に出なきゃいけないし、実験はしなきゃいけないし、レポートは書かなきゃいけないし、卒論はもう当然のことながら一生懸命やらなきゃいけない。
でも、その合間を縫ってアルバイトもしっかりやってました。千葉で4年間過ごしてたんで、勉強しなかったとは言いませんけども、それなりにバイトで貯めたお金で旅行したりとか、そういった青春も過ごしてましたね。
いすゞ自動車への入社
河内肇さんは大学で金属工学を学び、教授の推薦でいすゞ自動車に就職。
配属先は生産設備の設計部門で、トラックや乗用車の生産ラインを設計する仕事に携わりました。
アッティ
就職については?
河内肇さん
理系だったので、就職に関しては、ほら、当時は教授の推薦みたいな感じで。
いくつか会社を出されて「お前どこ行きたい?」と言われ、「ここに興味があるんで」ってことで行ったのが、いすゞ自動車だったんですよ。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
いすゞで配属されたのが、生産設備を設計するとこだったんです。
アッティ
設計だったんですね。
河内肇さん
工期設計っていうんですけども。
アッティ
トラックとかではなくて、」生産設備なんですね。
河内肇さん
トラックもそうだし、乗用車。当時のジェミニとか、117クーペとかね。
もうやってなかったけども、ピアッツァとか。
アッティ
その設計をされてたんですか?
河内肇さん
その生産設備の設計をやってたんです。
アッティ
なるほどなるほど。もともと金属工学科っていう金属を扱うところに行かれてたっていうのは、どういったことだったんですか?
河内肇さん
いやそれはほら、いくつか受験をして (笑)
アッティ
最終的に残ったとこで、特に想いがあったわけではないんですか?
河内肇さん
そうそう、そうです。
かまぼこ屋の娘さんとの結婚
河内肇さんは、婿養子として富山に来ました。元々親戚を通じて富山との縁があり、紹介で現在の奥さんと出会います。
当初は東京のいすゞで働き、結婚後も社宅に住んでいましたが、先代の勧めで富山への移住を決意。河内さんにとって、富山での生活や仕事、さらには改姓は全く予想外の展開でした。
アッティ
それこそ金属を扱ってきて、ましてや、いすゞさんでそういった設計もされてる方が、なぜ富山に来られたんですか?
河内肇さん
これはね、婿で。
アッティ
婿さんなんですね。
河内肇さん
婿なんですよね。
アッティ
もともと河内って名前ではないんですね?
河内肇さん
河内という名前ではないんです。
いすゞで働いてるときに、こっちに親戚がいたんですよ。
アッティ
富山にですか?
河内肇さん
はい、富山に親戚がいまして。
その親戚の子どものピアノを教えてたのが、うちのかみさんなんですよね。
アッティ
そうなんですか!? そういう繋がりがあったんですね。
河内肇さん
そうそう。その親戚が一家でディズニーランドに来るってなると、千葉に住んでる僕がお世話すると。
お世話するっていうか案内してた、要するに案内というか、一緒に付き合って遊んでたみたいな感じだったんですよね。
そうすると、どうやら学年が一緒らしいと。
アッティ
奥さんと?
河内肇さん
そう。そして、その親戚が勝手に「会わせたい」と思ったんでしょうね。
アッティ
なるほど、仲人が。
河内肇さん
そうそう。写真を見たりとか、別に何かしてるわけじゃないんだけど、「軽くちょっと飲もうよ」みたいな感じでね。
軽く飲みに来たつもりが、一緒に紹介してもらったっていうか。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
そこが最初の出会いだったんです。
アッティ
今の奥さんが、河内屋さんの娘さんだったんですね?
河内肇さん
かまぼこ屋の娘だったんです。
アッティ
ピアノを教えてもらってた親戚が、河内さんを繋げたというスタートだったんですね。
河内肇さん
そういうことだったという。
本人も、うちの奥さんも、そういうことだとはお互いつゆ知らず会ったという感じですね。
アッティ
もともと富山っていうのは、全く行ったことがない場所であったわけですよね?
河内肇さん
そうなんですよ。
まさか住むとは思ってなかったし、「仕事」や「子育てをしていく」みたいな、そういうイメージは全くなかったですね。
アッティ
ましてや名前を変えるってことにまでなるとは、思いもしないですよね?
河内肇さん
全く考えてなかったです。結婚したときは、嫁にもらった形だったので。
アッティ
最初はそうだったんですね。
河内肇さん
そうです。いすゞで働いてましたから。
アッティ
結婚されて、すぐに富山に来られたわけじゃないんですね。
河内肇さん
いすゞの社宅で住んでいましたしね。
アッティ
そこから、なぜ富山に来ることになったんですか?
河内肇さん
亡くなった先代が、よく東京に出張に来てたんですよ。
アッティ
もしかして、狙われてたんですかね?
河内肇さん
そのときに「来ないか」という話が、だんだんだんだん大きくなってきて。
「それだったら」ということで。一大決心でしたけどね。
アッティ
なるほど。そういったことなんですね。あっという間に時間が経ってしまいましたけれども、とりあえず今回は以上とさせていただきます。
次回は、富山に来られてからの話をさせていただきたいなと思っております。
河内屋でのかまぼこ作り
朝5時起きの生活
河内肇さんは婿として富山に来た当初、自然の美しさに驚きつつも、仕事に没頭する日々を送ります。
朝5時から始まるかまぼこ作りの仕事を一から学び、生活に余裕がなく、富山の四季を感じる余裕もなかったとのこと。会社と工場の往復の毎日で、友人もおらず、仕事以外の社交活動はほとんどありませんでした。
アッティ
前回は、生い立ちから「なんで富山に?」というところまでの話をお聞かせいただきました。
富山とはほとんど接点がなかったことだと思いますが、富山に来たときの最初の印象ってどうでしたか?
河内肇さん
初めて住んだところが魚津インターからちょっと上がったところで、山がきれいで、アパートから富山湾も見えたんですね。
だから本当に「自然豊かなところに来たな」というか、「来てしまったな」というかね。
アッティ
「来てしまったな」ですね (笑)
河内肇さん
そういう感じですね。それと、生活環境を変えて、仕事を変えてきたもんだから…
かまぼこ屋の朝って、実は早いんですよね。
アッティ
そんなイメージがありますよね。
河内肇さん
当時は、朝5時から出社してました。
アッティ
朝5時から!? 早い!
河内肇さん
もうとにかく、かまぼこ作りの1から。1からというか、マイナスからのスタートぐらいのイメージでしたから。
アッティ
そうですよね。
河内肇さん
仕事を覚えることが精一杯で、生きることが精一杯っていうかね。
ちょっと大げさですけど、富山県に四季があるってことを全然感じませんでしたね。感じる余裕がなかったっていうか。
アッティ
富山がどうだとか、そんなことを感じるどころじゃなかったと?
河内肇さん
それどころじゃなかったっていうかね、最初に山と海を見て「こういうとこに来たんだな」と思ってから、あとはもう仕事に集中していて「富山がいいところだとか、悪いところだとか」そういうことすらも感じなかったと。
そういうイメージです。最初はね。
アッティ
朝の5時から夜遅くまでずっと働きっぱなし、みたいな日々を過ごされてたんですか?
河内肇さん
だいたい夕方には、仕事が終わって帰ってました。
でもやっぱり、時間帯がそういう時間帯ですから。
アッティ
そうですよね。
河内肇さん
しかも、友達もいないですし。
アッティ
夜の会食とか、誰かと飲みに行くとか、そういったこともなかったのですか?
河内肇さん
全くなかったです。とにかく会社と工場の往復。
アッティ
往復をずっとやる、富山を感じてる場合じゃない。
河内肇さん
感じてる場合じゃない。
食事しながら、かまぼこの本を読んだりとか、当時は一生懸命勉強してましたね。
アッティ
先ほど言われた「マイナスからのスタートだ」ってなったときに、会社の方々も「何者が来たんだ?」みたいなイメージって、やっぱりあったものですか?
河内肇さん
やっぱりそういうのはありましたね。
当然「先代の長女が結婚した」と。まだ婿ではありませんでしたけど、言い方とすれば「婿さんを連れてきた」っていうイメージでしたから。
そんな中で、仕事を教えてもらったり、一緒に仕事をしたり、そういったことをしながら過ごしてましたね。
かまぼこ製造業へのイメージ
河内肇さんは、いすゞ自動車での経験から、当初かまぼこ製造を「アバウト」と感じました。
しかし、魚がかまぼこに変わる過程に、化学的な観点から興味を持ちます。その流れで、かまぼこ業界の水産学に基づいた専門知識や魚の種類、加工法について深く学びました。
アッティ
かまぼこの仕事は、いすゞさんの生産設備の仕事とは全く違うじゃないですか?
最初どういうイメージを持たれたのですか?
河内肇さん
曲がりなりにも、いすゞ自動車で精密な仕事をしてきたので、最初はやっぱり「かまぼこ工場、食品工場って、アバウトなとこがあるな」と。
機械も単純で「オンかオフか」「止まるか回るか」みたいな、そういうイメージがありましたね。
ただやっぱり「魚が、かまぼこ製品に変わる」っていうのは、化学じゃないですか?
アッティ
そうですよね、確かに。
河内肇さん
化学っていうかね、「これを考えた先人はすごいな」って単純に思いました。もとは魚ですからね。
魚が加工を経て、かまぼこ製品に変わっていくっていうのは「非常に化学だな」っていうイメージを持ちました。
アッティ
やっぱりそれは理系の目線ですよね。
河内肇さん
実は、かまぼこは、水産学で確立された分野なんです。
たとえば、医学部だったら「心臓の権威」とかあるじゃないですか? そんなイメージで「この魚の権威」だとか、「この魚についてはこの先生が有名」だとか、そういうのが業界にもしっかりあって、本にもなってるんですよね。
アッティ
かまぼこの勉強だけではなくて、魚であるとか、水産業であるとかの勉強も相当されたんですか?
河内肇さん
もちろん、それもしたんですけど、基本はやっぱりかまぼこを中心に。
かまぼこになる魚だとか、かまぼこにしやすい魚だとか、かまぼこには向いてない魚だとかがあるので。
他には「かまぼこにすると、なぜ弾力がでるのか?」とか。
アッティ
そうですよね、あれ不思議ですよね。
河内肇さん
その不思議が、もういろいろ確立されてるんですよ。
アッティ
自分たちのところで開発するわけじゃないですからね。
河内肇さん
確立された技術をもとに、全国津々浦々で、かまぼこ製品が伝統文化として根付いてるわけですよね。
だから、全国のかまぼこもよく食べましたよ。富山県ももちろんですけど。
富山のかまぼこの特徴
富山県のかまぼこの特徴は、板に付いていないことと蒸して作ることです。
全国的に見ると、かまぼこの調理法は蒸す、焼く、茹でる、揚げるの4種類。富山では昆布に巻いて蒸すという独特の方法を用いており、これは北前船や地域の昆布文化の影響と考えられます。
アッティ
富山県のかまぼこの特色って、何かあるものなんですか?
河内肇さん
決定的なのは、まず板に付いてないってことですよね。
アッティ
ですよね。
河内肇さん
僕も最初驚きましたけど、関東人というか、富山県人以外は「かまぼこって板についてるイメージ」なんですよね。
アッティ
私は逆に東京に行ったときに、びっくりしました。
「板についてる!」「なんだこれ? かまぼこがこうなるか?」と思いましたもんね。
河内肇さん
あともう一つ特徴を言うならば、富山県は「蒸しかまぼこ」なんですよ、小田原と同じように。
たとえば、仙台の「笹かま」は、「焼き抜き」って言って焼いてるやつですね。あとは中国地方のちくわなんかも、焼き抜きですよね。
あと、東京の「はんぺん」とか、静岡の「なると」とか、ああいうのは茹でてるんですよ。
アッティ
「茹で」と「焼き」があるわけですね。
河内肇さん
それと、九州の揚げる「さつま揚げ」があるわけですよ。
アッティ
揚げるか、なるほど。
河内肇さん
そして、富山と小田原の「蒸す」。
だから、火の入れ方っていうのは、4つあるわけですよ。富山の場合は「蒸す」。
アッティ
「蒸す」ということなんですね。
河内肇さん
板に乗っけるのではなく、昆布に巻いたと。
アッティ
そうですよね。
河内肇さん
北前船の関係もあるでしょうし、富山が育んできた昆布の文化もあるでしょうから、その地域地域の理由がきっとあるんでしょうね。
アッティ
「富山らしい」というか、富山にしかないようなかまぼこ文化ができていて、これ自体は他県などでも通用してるものなんですか?
河内肇さん
あんまり通用してないですね。
アッティ
やっぱりそうなんですか。
昆布で巻いてたら、これが糸を引いて「あれっ!?」と思うときがあるって話はよく聞くんですけれども。
全般的にそうなんですかね?
河内肇さん
全般的に。その代わり、富山にも他のかまぼこの文化が入ってきてないんですよ。
アッティ
確かにそうですね。板についているかまぼこは、ほぼ見ないですもんね。
河内肇さん
マーケティング的に言うと、攻めていけない。
周りから攻めてこられないけど、富山の独特の文化を持って富山県外に攻めていこうと思っても、なかなか攻めきれない。
アッティ
じゃあ、地場産業中の地場産業になってしまっているんですかね?
河内肇さん
地場産業中の地場産業になってしまってますよね。
「鮨蒲」の開発と評価
河内屋は、同じ商品の安売り競争を避けるため、オリジナル商品「鮨蒲 (すしかま)」を開発。当初、富山では評価されませんでしたが、東京の百貨店や高級雑誌で注目され、逆輸入的に富山で人気が出ました。
「鮨蒲」は河内屋の商標ですが、類似品が全国で作られています。この戦略により、河内屋は地域性の強いかまぼこ業界で独自のブランドを確立。「鮨蒲」は、富山のお土産としても定着しました。
アッティ
河内屋さん自身の特徴として、新商品をたくさん出してらっしゃるじゃないですか。
昔は「鮨蒲 (すしかま)」が河内屋の一つのブランドみたいなイメージがありましたし、最近ですと「棒S (ボウズ)」みたいなのもあったりしますよね。
これらの特徴って、何かあるものなんですか?
河内肇さん
やはり富山県内のかまぼこ屋さんは、みんな同じ商品を作ってるわけですよ。
アッティ
そうですね。
河内肇さん
昆布巻き作ってる、赤巻作ってる、ブランドがわからない同じ商品を作ってる。
何が始まるかっていうと、結局、安売り競争が始まるわけですよ。
アッティ
そうですよね、確かに。
河内肇さん
うちの先代は、その安売り競争に巻き込まれないために、オリジナルの商品「鮨蒲」を作ったんですね。
それが富山県外で評価されるようになって、逆輸入的に富山県に入ってきました。
アッティ
そういうことなんですね。
河内肇さん
板付きよりも「鮨蒲」の方が、逆に認知度も高まっていったかもしれないし、興味を持たれたかもしれないっていう。
アッティ
「鮨蒲」っていうのは、開発をされて売り始めて、それを県外の人たちが真似して、また富山の人も真似したってことなんですか?
河内肇さん
これは父から聞いたんですけども、最初、鮨蒲は富山県内でまるで評価されなかった。
アッティ
そうなんですか?
河内肇さん
昆布巻きの世界ですから。
アッティ
全く違いますもんね。
河内肇さん
赤巻きとも全く違う。そこに興味を持ってくれたのが、東京の百貨店だとか、有名な高級雑誌だとか。
アンテナの高い人たちが「富山でこんな面白いものが、業界で初めて出た」と東京で取り扱っていただいたのが、やっぱり大きかったんだと思います。
アッティ
地場への集中が主流の中で、先代はそこを打破されていったんですね?
河内肇さん
そうですね。当時はインターネットの時代じゃないですから、「東京の有名百貨店に取り扱われる」となると、やっぱり「すごいな」ってなるじゃないですか。
アッティ
なりますよね。
河内肇さん
富山で「東京で流行ってる、評価されてる」となり、富山に逆輸入的に評価されきた。
普通「富山で成功して東京に進出」っていうパターンですよね? でも、鮨蒲の場合は逆だったんです。
アッティ
今「鮨蒲」は、全国のかまぼこ屋さんで扱われているものなんですか?
河内肇さん
「鮨蒲」は、当社が商標を持ってますけども、「鮨蒲」に似た商品は、富山県内を初め…
アッティ
全国的にも?
河内肇さん
そんなに多くはないですけど、もうすでに全国でやってるとこはありますよね。
特に富山県内は、いろいろ違う名前をつけてやってますね。
アッティ
「鮨蒲」とは言ってないわけですね。
河内肇さん
でも、みんなそれを見て「鮨蒲」って言うんですよ。
アッティ
そうでしょうね。名前が浸透してますからね。
河内肇さん
おかげさまで、富山のお土産を代表するかまぼこ製品にもなってくれてるので、ありがたいなと思ってます。
アッティ
最近では、「棒S (ボウズ)」も話題になっていますよね。
次回は、「棒S」の話や、かまぼこ業界の中のECとかIT化の話をいただきたいなと思っております。
新たな挑戦を続ける河内屋
新商品「棒S」開発の想い
河内肇さんは先代の「鮨蒲」開発を受け、自身も新商品開発のプレッシャーを感じていました。
北陸新幹線開業を機に、新たな商品が必要だと考え「棒S」を開発。これは、新幹線でやってくるアンテナの高い顧客に向けた戦略でした。
先代の他界後、夫婦で悩みながら、講演会参加やデザイナーとの面会など、新商品開発に向けて様々な努力を重ねます。
アッティ
前回は、幼少期の話や、先代が地場産業の中から「鮨蒲 (すしかま)」を開発して全国に打って出た話などをお聞かせいただきました。
河内さんの代になり、新商品「棒S (ボウズ)」を作られたりしていますよね。
母の日やバレンタインのほか、様々なコラボなど、先駆者的な売り方をされてるような感じがしますが、何か想いってのはあるものですか?
河内肇さん
先代は「鮨蒲」を開発して引っ張ってきたので、「自分の代も何かしなきゃいけない」っていう。
アッティ
「そのままってわけにはいかない」っていうね。
河内肇さん
そういうプレッシャーは常にありました。
ただ、新商品やヒット商品は、全て計算で売れるってわけではないじゃないですか?
アッティ
そうですよね。
河内肇さん
前回「鮨蒲」の「東京でアンテナの高い人に見つけてもらって逆輸入された」って話をしましたよね。
「棒S」に関しても、実はきっかけは北陸新幹線開業だったんですよ。
アッティ
なるほどなるほど。
河内肇さん
北陸新幹線開業にあたって、当社はもともと金沢駅、金沢百番街だとか、富山駅に店を持ってたんですけども、まだその段階では次も入れるかどうかっていうのは当然わからない。ただ、いずれにしても、そこを攻めにいくんだと。
北陸県民の夢である北陸新幹線がやっと開通するというときに、「当社の今売ってるラインナップでは戦えない」と思ったんですよ。
アッティ
ラインナップが弱いと。
新幹線で、東京からアンテナの高い人がたくさん来るわけですからね。
河内肇さん
今の当社のラインナップで「勝てないな」と。
しかも、新幹線開業前に先代が亡くなってしまったものですから…。本当に、夫婦でよく悩んでいました。
アッティ
何か新しいものを作ろうと?
河内肇さん
「こういうことをやっていかなきゃ」「どうしようか」ということで、いろんな講演会を聞きに行ったり、デザイナーさんに会いに行ったり、またあるいは提案を受けたり。
でも、なかなかそういう出会いがなくて。
「棒S」の誕生秘話
「棒S (ボウズ)」は、世界的に有名なグラフィックデザイナー「KIGI」が手がけました。
既存のスティック型かまぼこを改良する予定が、予想外の形状と名前で提案。河内肇さんは生産ラインや販売戦略に悩みましたが、妻と相談して実行を決意します。
しかし、当初はお土産店からの反応が悪く、苦戦。それでも決断した以上は取り組む必要があると考え、前に進みました。
アッティ
どういうきっかけで「棒S」が生まれたんですか?
河内肇さん
「棒S」をデザインしてくれた人は「KIGI」さんといって、今やグラフィックデザイナーとして世界的に有名な、日本でも本当にトップクラスの方。
その方をたまたま紹介していただいたんですね。そのデザイナーを選んだのは、うちの奥さんなんですけど。
もともとあった当社のスティック型のかまぼこは、お土産的にも売れてたのですが、「新幹線では通用しない」と思ってたので、改良しようと思ってお願いしたんですよね。そしたら出てきたのが…
アッティ
あの形?
河内肇さん
あの形と、そして名前と。名前は頼んでないのに (笑)
アッティ
頼んでない!? (笑)
河内肇さん
頼んでないんですよ。初めて試作デザインを見に行ったときに、衝撃を受けちゃって「これ大丈夫かな?」と。
生産ラインも考えなきゃいけないですから、いろいろとね。ちょこっと売るだけじゃないわけですから。
要するに生産ラインに乗せて、どう売っていくかということも考えると、社長としては非常に悩むじゃないですか?
アッティ
どのぐらい売れるかもわかりませんしね。
河内肇さん
当時は新幹線じゃなく、帰りの「はくたか」かな? に乗って2人で東京から帰ってくるときに、もうあっという間に富山に着いたぐらい。
アッティ
ずっと会話して?
河内肇さん
会話して、考えて考えて。そして、実行したんですね。
実際に変えて、お土産店を回ったら、もうほぼほぼ良い反応がなかった。
アッティ
ダメだったんですか?
河内肇さん
全くダメですよ。前のやつが売れてたから、なおさら…
アッティ
「何でこんなパッケージにしちゃったんだろう」って、ましてや「名前もよくわかんないぞ」みたいな。
河内肇さん
名前もよくわかんない。
アッティ
「なんだ、棒Sって?」ってね。
河内肇さん
「なんだ、棒Sって」みたいなね。本当にちょっと大変でしたね。
でもほら、決断した以上は取り組んでいかなきゃいけないし。
「棒S」大ヒットの理由
「棒S」は、北陸新幹線開業を機に人気が急上昇。発売当初は評価が低かったものの、口コミで広がり、特に若い世代や女性に受け入れられました。
これは、新幹線内でおしゃれに食べられるというコンセプトが功を奏したためです。パッケージデザインの新しさや個包装の手軽さが、消費者の興味を引き、成功につながったと分析しています。
河内肇さん
「棒S」の売り上げは、北陸新幹線開業で全く変わりました。一挙に反応が良くなって売れるんですよ、本当にびっくりするぐらいに。
「棒S」が新幹線を中心に良くなってくると、今まで「ダメだ」と評価してた人が急遽評価を変えるんですよね。
アッティ
「俺はいいと思ってたよ」って言い始めるという感じで?
河内肇さん
そういう感じなんです。「本当にそういうもんなんだな」と思いましたね。
「鮨蒲」のときも地元で全く評価されなかったっていうし、赤巻、昆布巻きの中で「鮨蒲って、なんだそれ」みたいな。
アッティ
「鮨蒲」の時代と違って、今であれば、ブレークするとネット上にガーッとあがるでしょうし、もちろん雑誌も含めてでしょうけど、広がり方が違いますよね?
河内肇さん
やっぱり口コミで広がりましたね。
でも「かまぼこ」っていうと、「オヤジ」ってイメージがあるじゃないですか? お酒のつまみで片手にビール飲んで。
アッティ
「飲みながら食べる」みたいなイメージですよね、かぶりついて。
河内肇さん
「棒S」のコンセプトは、北陸新幹線が開業したら若い世代の方も来るだろうと。
つまり、女性の方が新幹線の中でおしゃれに食べられる。「おしゃれ」とまでは言わないけど、決して「恥ずかしくない」というようなコンセプトで、もともとは考えたので。
そういう意味では、デザイナーの方が本当にうまく具現化してくれて、そしてよく工場がね。
アッティ
そうですよね。
河内肇さん
工場も最初は大変でしたよ。やっぱり「社長、え~…」みたいな感じで。
アッティ
「大丈夫か? これ?」みたいな。思いますよね。
河内肇さん
普通は思いますよ。しかも、売れてるわけですから。
現に売れてる商品の生産ラインを切り替えるっていうのは、大変だし、勇気あることだし。
でもね、本当に信じて突き進んでやってみたら、非常に好評を得ることができました。
アッティ
味もいろんな種類が増えてきて、先ほど言ったようにいろんなものとコラボし始めたりとかして。
特に女性向けに攻められてるイメージがありますけど、そういう意識ってあるんですか?
河内肇さん
決してそんなことはないんですけど、ただやっぱり食の多様化で。
昔、たとえば昭和の戦後すぐだとか、そういう時代は「かまぼこ」をたんぱく源として、日本人の食生活をしっかり支える食品の一つとして食べていました。
平成、令和の時代になってきて、食の多様化で世界で和食が注目されてるかもしれないけど、足元の日本人の子どもたちは、やれ「ハンバーグだ、スパゲティだ」と洋食化してるわけですよ。うちの子どもも、そうやって育ってきたしね。
「かまぼこに少しでも注目してもらうこと」や「日本人の皆さんに振り向いてもらうこと」が、主たる目的だったんですよね。
「棒S」を作って、リニューアルしてね、食べてもらったら自信はあったんですよ。上質の、良いすり身を使いながら、こだわって作ってるんでね。
でも食べてもらうには、買ってもらわなきゃいけないじゃないですか。そして、買ってもらうには、手に取ってもらわなきゃいけない。それで手に取ってもらうためには、気づいてもらわなきゃいけない。
だから今までのラインナップだと、ほら、全然振り向いてもくれないっていうか、気づいてもくれない。興味も持たれない。
アッティ
「これ何だろう?」と思って、手を伸ばすことができるかどうかっていうときに、確かにあのパッケージだと、ふっと取ってしまうとこありますよね。
河内肇さん
「かまぼこ屋の中に、何か変なのがある」みたいな。
アッティ
「見たことないぞ」みたいなね。なりますよね。
河内肇さん
個包装で手が汚れずにパッと食べられるっていうかね、そういったことや、いろんな要素でウケたんでしょうね。
アッティ
そうやって新しい商品「棒S」が爆発的に売れたと。
ITへの取り組み
河内肇さんは、IT好きな理系出身という背景から、かまぼこ業界の先駆者としてECに参入。
「kamaboko」ドメインの早期取得や、楽天市場への参入 (1999年) など、インターネット黎明期から積極的に取り組みました。
アッティ
私の思う河内屋さんの特色は、ECなどのネットを使った活動をすごい推進されてる。それこそもう、かまぼこ業界に限らず、全業界の中での先駆者ってイメージがあります。
やっぱりそれは、河内さんが手がけられたんですか?
河内肇さん
それはちょっと、評価が高すぎて恐縮です。
自分のキャリアが理系だったものだから、インターネット黎明期 (れいめいき) に興味を持って手を出したっていうだけなんですよね。だから、例えばドメインも「kamaboko」ドメインを。
アッティ
普通取れないですよね?「kamaboko」のドメインは。
河内肇さん
今から取ろうと思っても、それは無理です。
アッティ
無理ですよね。
河内肇さん
でも、30年前は取り放題だったんですよ。
アッティ
他はまだ皆さん手をつけてないですもんね。
河内肇さん
これ「kawachiya」で取ろうかと思ったんですけど、「河内屋」って全国に1,000社ぐらいありますから。
アッティ
いろんな業界で?
河内肇さん
はい。当時、いろんなITの雑誌を読んでたんですね。
「かまぼこ屋で、何でそんなITの雑誌を読んでるのか?」っていうと、そもそもそういうのが好きだったんですよ。
記事を読んでると、「アメリカでは すでに、一般名詞のドメインが売り買いされてる」って。
だから「日本もそうなるな」と思って、先に業界を代表するドメインを取ってしまおうと思って「kamaboko」を取ったんですよね。
それと1999年に「楽天市場」が出てきて。今年、それこそ4月6日で24周年。
アッティ
うわ~、すごいですね!
河内肇さん
だから、北陸では多分相当早い方だと。
アッティ
そうでしょうね。
河内肇さん
楽天さんの創業が1997年でしたっけ? だから、すぐですね。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
それも、よく「先見の明がありますね」って言われるんですけど。
アッティ
そう思いますけど?
河内肇さん
全然そんなこと考えてないんですよ。
アッティ
そうなんですか?
河内肇さん
当時、自分でホームページを作ってたんですよ。夜な夜な。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
Windows3.1のメモ帳でタグを組んで、自分でホームページを作ったり、自分で「ショッピングカートどうしよう」とかやってたんです。
そこに楽天さんが出てきて、自分が徹夜に近く一生懸命やってたことが…
アッティ
「このホームページ自体いらないじゃん」みたいな話になりますよね。
河内肇さん
「これは便利だな」と思って、飛びついただけなんですよ。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
先見の明なんかひとつもないんですよ (笑)
アッティ
それを言わなかったら、すごい先見の明がある人になるんですけどね (笑)
河内肇さん
(笑) そうそうそう。
「自分が苦労してたところが、いわゆるアウトソーシングで簡単にできるような時代になったんだ」っていうことで、取り組んできたと。
チャレンジを繰り返す河内屋
当初かまぼこのネット販売は、全く売れませんでした。しかし、先代の後押しもあり、新しい取り組みを継続。
河内屋には、新しいことに挑戦する風土があります。
アッティ
かまぼこは、ネットで最初から売れたものなんですか?
河内肇さん
全く売れなかったですね。
周りから「パソコンに向かってかまぼこを買う人がいるのか、世の中に?」と。
アッティ
社員の方も「社長、大丈夫か?」みたいな感じになりますよね (笑)
河内肇さん
当時は、専務だったんですけど。
ただね、そういういろんな取り組みを、先代は否定せずに後押ししてくれたっていうのがあったんでね。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
だから、やりやすかったですね。
アッティ
先代の方もそうでしょうし、奥さんも含めて、皆さんやっぱり「いろんなものにチャレンジしていく」っていう風土があるんですかね、会社の中に。
河内肇さん
風土は、確かにあるかもしれないですね。
アッティ
今は、いろんなものが通販で売られるようになってますけれども、その状況を見てどう思われます?
河内肇さん
Amazonが最初に出てきたときも「本当に便利だな」と思いました。
日本のようなきめ細かいシステムの対応はしてないですが、ただほら、流通はとてつもないですよね。みんな当たり前に使うようになってきて。
今はもう、星の数ほどホームページもあるし、そこには星の数以上に商品も乱立してるので、だからなおさら「いい商品を作って販売しないとダメだな」って本当に思いますよね。
アッティ
先駆者として動きながらも、それがまた逆に特徴にならなくなってきてるってことでしょうからね。また次なるトライを期待しています。
ということで、今回は以上とさせていただきます。次回は、最終の第4回目になりますので、ふるさと富山についての想いであるとか、そういった話をお聞かせいただきたいと思っております。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲
副賞の上質すり身1トン
河内屋は、全国かまぼこ品評会で2つの賞を受賞。1つは富山の細工かまぼこ技術を活かした「絵画のような細工かまぼこ」が技術大賞を、もう1つは「白エビ蒲鉾」が「アメリカ大使館アラスカシーフード賞」を受賞しました。
特に後者は、副賞として上質なすり身1トンが贈られるという珍しい賞で、業界内外で話題になっています。
アッティ
全4回の最後になりますけれども、よろしくお願いします。
河内肇さん
よろしくお願いいたします。
アッティ
前回は、IT、EC、そして「棒S」の話をしていただきました。
最近聞いたところでは、何か大きな賞を取られたということで。
河内肇さん
ありがとうございます。
アッティ
どのような賞だったんですか?
河内肇さん
業界で「全国かまぼこ品評会」が、年に1回あるんですね。
全国からかまぼこ商品が集まって、そしてそこで水産学の先生たちや、マーケットを代表する人たちが商品を選ぶんです。
この品評会なんですが、コロナで2〜3年やってなかったんですよ。
アッティ
止まってたんですね。
河内肇さん
3年か4年ぶりに開催するということで、当社も久々に商品を出しました。
そしたら、富山の細工かまぼこの技術を利用したデザイン性のある絵画のような「細工かまぼこ」が、技術大賞をもらったと。
アッティ
素晴らしい!
河内肇さん
あともうひとつ、「棒S」の派生商品なんですけど「白エビ蒲鉾」っていうのが。
アッティ
ありますね。
河内肇さん
実はあの商品、北陸新幹線のマーケットを狙って、2020年の1月に発売したんです。
でもコロナの影響で、出した瞬間「もう全く売れない」という、本当に悔しい想いもあって。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
「いよいよコロナが終わって、これから普通になっていくな」ということで、品評会に出したんですね。
そしたら、全国から800品目ほど応募があった中で「アメリカ大使館アラスカシーフード賞」を受賞したんですよ。
アッティ
いいですね。ネーミングがいい。
河内肇さん
「アメリカ大使館賞」というのは元々あったんですけど、今回から名前が変わって。
われわれのかまぼこの原材料って、スケソウダラなんです。この世界中の海で、上質なスケソウダラが獲れるところは、まさにアメリカのベーリング海なんですね。
アッティ
そうなんですね。
河内肇さん
この海域の魚は、世界から注目されて、世界で取り合いになってるんですよ。
アッティ
なるほどなるほど。
河内肇さん
あと、タンパク源でもある。「フィッシュプロテイン」って言って。
アッティ
みなさんダイエットにもね。
河内肇さん
ダイエットも含めて非常に注目されていて、アラスカも「アラスカで獲れたスケソウダラを、もうちょっと広めていこう」ってことで、今回新たに「アラスカシーフード賞」となって。
副賞として「上質すり身を1トンくれる」って言うんですね。
アッティ
1トンも、もらえるんですか!? 面白いな (笑)
河内肇さん
業界で話題になってたんですけど、まさか本当にもらえると思ってないし「へえ~」ぐらいな感じだったんですよ。
過去の全国品評会で、副賞があるなんて1回もないですから。
アッティ
ないんですね。
河内肇さん
見てはいましたけど、別にほら、当社がもらえると思ってないんで。
アッティ
1トンですもんね?
河内肇さん
1トンですからね。
アッティ
面白いですね (笑)
河内肇さん
もういろんなところから「1トン、おめでとうございます!」っていうね。
アッティ
インパクトがすごいですよね。
河内肇さん
反響が大きくてね。
アッティ
いつ頃届く予定なんですか?
河内肇さん
いや、全くわからないです (笑)
アッティ
(笑) 急に1トン届いたら、それはそれで困りますけどね。
河内肇さん
でも、アラスカの上級なすり身を1トンっていうんでね、ありがたく頂戴しようかなと思ってます。
アッティ
おめでとうございます。
ふるさと富山について
河内肇さんは当初、富山に特別な愛着はありませんでしたが、子どもたちの誕生を機に富山への見方が変化。子どもたちと一緒に富山の魅力を発見し、愛着を深めていきました。
現在は孫の誕生も重なり、富山の未来への関心が高まっています。
アッティ
河内さんは県外からお越しということもありますが、ふるさと富山についての想いを少しお聞かせいただけますか?
河内肇さん
第2回で富山に来たいきさつを話しましたけども、正直、初めて富山に来たとき「富山が好きだったか?」って言われると…
なかなかほら、やっぱり保守的じゃないですか?
アッティ
そうですよね。
河内肇さん
ちなみに、今でもたまに「旅の人」とか言われちゃいますけどね。
アッティ
いまだに言われるんですか?
河内肇さん
だからそういう意味では保守的で、なんて言うんだろう、自然も豊かだし、いろんなことは思いましたけど、最初はあんまり好きになれなかったっていうか。
好きになれなかったっていうよりも、好きとか嫌いの対象でもなかったっていうかね。もう仕事に精一杯で。
自分が変わってきたのは、子どもが生まれてから。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
うちの子たちは、富山生まれですからね。
アッティ
そうですよね。
河内肇さん
富山県生まれ。長男は富山市生まれ、長女は魚津市生まれ。
この子たちが生まれてきたときから、富山に対するイメージがだんだん変わってきたっていうか。この子たちが生まれ育っていく環境を、彼ら彼女らの目を通じて、体験を通じて、一緒に好きになっていったっていうかね。
だから「富山の魅力」は、うちの子どもたちと同じ時間なんです。僕にとってはね。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
今、長男にね、娘が生まれまして。
アッティ
いいですね。
河内肇さん
もう2歳半なんですけど、孫が生まれて、またさらにね。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
「富山県が、ずっといいまちであって欲しい」っていうか。この子が育っていく環境を、やっぱり意識するようになったっていうか。
アッティ
息子さんもお孫さんも、今、富山にいらっしゃるんですか?
河内肇さん
昨年10月に戻ってきました。
アッティ
同じ富山の空間を過ごすことができるとなると、より富山が違う目線で見れますよね。
河内肇さん
自分の子どもが生まれたときに、「どこどこでこういうイベントがある」とか、「どこどこでこんなのがある」っていうと、よく子どもを連れて行って、その子も自分も初体験で「富山っていいとこだね」とかね。
富山の四季折々を感じたりだとか、そういった目線で富山を好きになっていったってことですね。
アッティ
今はもう、富山をかなりエンジョイされてるわけですね?
河内肇さん
今ですね、釣りが趣味なんですよ。
アッティ
最高ですね、そしたら。
河内肇さん
近くに富山湾があるものですから。
今、うちの奥さんからは「富山生まれの人より、あなたが一番富山をエンジョイしてるんじゃないか」って言われます。
職業柄、海に関する仕事をやってるわけですから、やっぱり天候とか、海況、海の様子を常にチェックしながら、そして趣味も楽しみながら。
富山への愛着は、この歳になってどんどん出てきたなって感じはしますね。
富山県内で大好きな飲食店
アッティ
河内さんが、この富山に来られて、お気に入りの飲食店ってどこかありますか?
河内肇さん
お気に入りの飲食店はたくさんあるんですけど、最近はほら、やっぱりどうしても魚津中心になりますね。
夜なんかは、魚津の街で飲むことが多いです。魚津は本当にお寿司も美味しいし、魅力的な居酒屋さんもたくさんあるんでね。どこかとはちょっとね、あれですけど…
アッティ
ひとつあげるとしたら? 怒られますかね?逆に。
河内肇さん
周りから怒られるから。
アッティ
「なぜあそこだけ選んだんだ」と言われそうですよね。
河内肇さん
でも、魚津の夜の飲食店街には、魅力的な店がたくさんあるんでね。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
アッティもぜひ。
アッティ
ぜひともご一緒させてください。
河内肇さん
ぜひ来てください。
アッティ
楽しみにしてます。
リクエスト曲
アッティ
ゲストの方のリクエスト曲を流してまいりたいなと思っておりますが、河内さんの選ばれた曲は何になりますかね?
河内肇さん
ちょっと古い曲なんですけど、Earth, Wind & Fire (アース・ウィンド・アンド・ファイアー)の「Fantasy (ファンタジー)」を。
アッティ
お~、いいですね!
これは、何か昔の思い出と繋がってますか?
河内肇さん
これはね、小学校か中学校だったと思うんですけど、当時流行ったんですよ。
「ABBA (アバ)」とか「Earth, Wind & Fire (アース・ウィンド・アンド・ファイアー)」とか。
アッティ
流行りましたよね。
河内肇さん
「Billy Joel (ビリー・ジョエル)」とか、いろいろあったんですけど、友達のお姉さんが「Earth,Wind & Fire」のLPを持ってて。
アッティ
レコードを?
河内肇さん
ジャケットもまた、なんか良かったんですよね。そういうのもあって非常に好きで。
曲も元気が出るしね。そして、しばらく経ってから、詩の内容も好きになってね。
アッティ
なるほど。
河内肇さん
英語はできるわけじゃないんですけどね。
今回「好きな曲は?」って言っていただく機会があったので、「じゃあこれ」って思って。
アッティ
いいですね。それでは河内さんの思い出の曲であります、Earth,Wind & Fireの「Fantasy」になります。
これからの夢や目標について
アッティ
それでは最後の最後になりますけれども、河内さんのこれからの夢、目標についてお聞かせいただけますでしょうか?
河内肇さん
夢とか目標というとね、なんかすごいことになっちゃうんですけども。
今、息子が会社に入ってきたということで、先代が一生懸命僕を育ててくれた恩返しじゃないですけども、「今度は自分が責任を持って、次の世代に引き継いでいかなければいけないな」と思ってます。
かまぼこ業界も、原材料の問題だとか、いろんなことで非常に厳しいんですよね。
でもまずは、練り物にこだわって「富山に河内屋あり」って言われるような、そういった商品作りをしっかりとやっていきたいなと思ってます。
アッティ
はい。ありがとうございました。
河内さんは、もう誰よりも富山をエンジョイしてらっしゃるということで、ますます富山を大好きになっていただきたいなと思っております。
今月のゲストは、株式会社河内屋 代表取締役社長の河内肇さんでした。1ヶ月間どうもありがとうございました。
河内肇さん
ありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。