こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、十全化学株式会社 代表取締役社長の廣田 大輔 (ひろた だいすけ) さんです。※2023年4月現在
企業としては医薬品の原薬、中間体の研究および製造受託をしており、個人としては『楽天で学んだ100%やりきる力』という本も出版されている大活躍の廣田さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
楽天に入社するまで
「ダイスケ」トーク
廣田大輔さんの名前は、当時流行していた野球の山下大輔選手が影響しています。
同世代の経営者にも「ダイスケ」が多く、アッティの熱湯とやま人でも3人目の「ダイスケ」です。
アッティ
全4回になりますけど、廣田さんよろしくお願いします。
廣田大輔さん
こちらこそ、よろしくお願いします。
アッティ
廣田大輔さんということで、実はこの番組これで13回目ぐらいなんですけれども、「ダイスケ」という名前のゲストが多くてですね。
前田大介、藤井大輔、廣田大輔ときているのですが、「ダイスケ」の名前はどこからきているのですか?
廣田大輔さん
うちの父が名付けたんですけども、そのとき「ダイスケ」が流行ってたみたいで (笑)
アッティ
やっぱり?
廣田大輔さん
はい。前後の世代で「ダイスケ」っていう名前の人が非常に多くて。
「ダイスケ」一択だったと、そういうふうに聞いております。
アッティ
誰だろ? 荒木大輔かな?
廣田大輔さん
荒木大輔より前なんですけど、山下大輔ってわかります?
アッティ
わかります! 大洋ホエールズ!
廣田大輔さん
そっちの方です。
アッティ
ちょっと渋いって言ったらあれですけど、渋いですね。
やっぱり皆さん結構、野球から名前が来るんですよね。
廣田大輔さん
今ちょっといくと、松坂世代が多かったりするんですよね。
アッティ
そうですよね、確かに。
私の場合でも、経営者で「ダイスケ」って名前の方多いですよ。
廣田大輔さん
そうですね、同じ世代だと結構多いですね。
アッティ
多いですよね。この番組で13回やってるだけで、もう3人も「ダイスケ」が出演しているのは、なかなかのことだなと思います。
ぜひとも「ダイスケの会」でも作っていただきたいなと思います。
廣田大輔さん
そうですね。
十全化学の事業内容
十全化学は医薬品の有効成分 (原薬) の研究開発と製造を受託する会社です。
研究段階の薬の臨床試験用原薬製造から、承認後の安定供給まで手がけ、全国の製薬会社と取引があり、廣田大輔さんは自社を「黒子のような存在」と表現しています。
アッティ
今回全4回にわたって、廣田さんと十全化学さんのことなど、今までの生い立ち含めてパッションをいろいろ語っていただきたいなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いしたいと思います。
廣田大輔さん
よろしくお願いします。
アッティ
それではまず最初に、十全化学さんといわれても皆さんわからないところもあると思いますので、簡単にで結構ですので、現在のお仕事をちょっと紹介していただけますでしょうか?
廣田大輔さん
医薬品関係の仕事をしておりまして、医薬品の中でも効き目の部分、有効成分の部分なんですけども、こちらは「原薬 (げんやく)」って呼ぶんですけども、こちらの研究開発や製造を製薬会社さんから受託して製造させていただく。そういうような仕事をさせていただいております。
アッティ
それは医薬品メーカーさんから、研究であるとか開発であるとか、そういった依頼を受けて行うということなんですか?
廣田大輔さん
そうですね、まだ研究段階にあるようなお薬の臨床試験に使用される原薬を作ったり、将来的に商用生産することが出来るかどうかを確認したりします。
臨床試験の結果がきっちりと出て、世の中に薬が出てきたときに、そちらを安定的に供給させていただくような、そういうようなお仕事をさせていただいています。
アッティ
富山は「薬の富山」ということで医薬品メーカーさんが多いですけれども、富山に限らず全国の医薬品メーカーさんがお客さんになるってことですか?
廣田大輔さん
そうですね、いろんなお客様とお仕事をさせていただいてますね。
アッティ
医薬品メーカーさんというと、本当にそこの薬を作ってるというイメージがありますけど、その前段階の研究をされてるっていうのは非常に面白いですね。
廣田大輔さん
「黒子みたいな存在だな」というふうに思いますね。
アッティ
全国にもやっぱりそういう会社さんって多いんですか?
廣田大輔さん
規模感や、それをメインなのか、いろんなことをやられてる中のひとつなのかっていうとこもありますけれども、数を上げれば、かなりの数の会社さんがいらっしゃるんじゃないかなと思いますね。
人のせいにしていた子ども時代
廣田大輔さんは幼少期、努力を避け、問題を他人のせいにする傾向がありました。
高校時代は部活を途中でやめ、成績不振の原因を外部のせいにするなど、自己責任を取らず自分から逃げていました。
アッティ
いきなり話はプライベートに飛んでいきますけれども、廣田さんは幼少期の頃はどんなお子さんであったのか、学生時代もどんな感じだったのか、ちょっとお話聞かせてもらえますか?
廣田大輔さん
非常に恥ずかしいんですけども、努力することができない子どもでした。
何か自分に良くないことが起こったら、それを周りや人のせいにしてたりだとか、そんな子どもでしたね。
アッティ
なるほどなるほど、そういうエピソードって何かあります?
廣田大輔さん
まず、例えば部活動。僕は高校時代は部活動を途中でやめてしまったんですけども、成績が伸びないのは何が理由なのかっていったら、部活をやってるからだとか。
自分の問題ではなくて、周りに起こってることに問題があるっていうところで、そこから自分が逃げていたところが非常にあった子どもでした。
おそらく私の同級生からすると、私がこんなところで喋ってるのを聞いて「なんであいつが喋ってるんだ?」みたいな方もいらっしゃると思いますね。
アッティ
面白いですね。どこでどう変わったかっていうのを深掘りしたいなと思いますけど、幼少期はそんな感じでいらっしゃったんですね。
そうすると、部活などを活発にやってこられたわけではなく?
廣田大輔さん
そうですね、本当に一歩間違うと存在感のない子どもだったかもしれませんね。
バックパッカーだった大学時代
大学時代の廣田大輔さんは、週5回のアルバイトに励み、その収入でバックパッカーとして世界各地を旅しました。
この行動のきっかけは、テレビ番組「進め! 電波少年」と沢木耕太郎の「深夜特急」。それまでの自分を変えたいという思いから始めた旅は、人生の転機となり、その後の人生の糧になりました。
アッティ
大学に入られて、そのときに何か興味を持って行われたこととかってあるんですか?
廣田大輔さん
大学時代は、もうほとんどアルバイトに明け暮れておりました。
私は大学時代が東京だったんですけども、日比谷にフランス料理のレストランがあって、そこのレストランのアルバイトを週5回ぐらい、土日はもうほとんど一日中フルに。
アッティ
勉強をせず?
廣田大輔さん
勉強もせず、アルバイトに入ってまして。
稼いだアルバイト代を使って、夏休みと春休みの長期休みにバックパックを背負って海外旅行をするっていうことを繰り返す生活を送ってました。
アッティ
バックパッカー。そうすると、結構全世界渡り歩かれたんですか?
廣田大輔さん
いろんなところには行きました。
アッティ
例えばどういったとこに行かれました?
廣田大輔さん
ヨーロッパはかなり幅広く回りましたし、インドですとか、ネパールですとか、東南アジアだとか。アメリカの方も行きましたし。
アッティ
1人でずっと回ってこられたんですか?
廣田大輔さん
そうですね。
アッティ
なんでバックパッカーを急にやろうと思われたんですか?
廣田大輔さん
大学時代に、北日本放送さんとかで「進め! 電波少年」っていうのが…
アッティ
ありましたね。
廣田大輔さん
そこで、それこそ猿岩石が…
アッティ
猿岩石ね、今活躍してますよね。
廣田大輔さん
そこで、ヒッチハイクで香港からロンドンまで行くっていう企画があったんです。
私それが非常に好きなんですが、それの原点になってるのが作家の沢木耕太郎さんの「深夜特急」っていう全5冊の小説なんですね。
それを知って読み出したら、面白すぎて。もう寝るのも惜しんで、2〜3日ぐらいで全部読んじゃったんです。
自分自身、人のせいにしている生活をしてたっていうところで、「自分はこのままでいいんだろうか?」って大学時代にちょっと感じるところがあって。
「何か突拍子もないことをやってみるのもどうなんだろうか」って思ったのがきっかけなんです。
アッティ
実際バックパッカーをやってみて、先ほど言われたように、なかなか努力することもなく何となく逃げてるみたいな感じだった大輔という人間が、やっぱり変わってきたところってあるんですか?
廣田大輔さん
僕の人生をグラフにすると、やっぱり高校時代が底だったと思うんです。そこから何とか這い上がろうといろいろやっていく中での、糧になったことは間違いないなと思います。
海外で仕事をしたいとか、そういうふうに思ったのはそこがスタートだったかなと。
忙しかった日本精工時代
廣田大輔さんは大学卒業後、総合商社への就職を目指しましたが、日本精工の英語のリクルーティング資料に惹かれてそちらに入社しました。
宇都宮市の厳しい部署に配属され、当時としては一般的だった長時間労働を経験。その後、楽天に入社するまで、忙しい職場での勤務が続きます。
アッティ
楽天さんに入る前にいろんな経験をされてこられたと思いますけど、どういったことをされてきたんですか?
廣田大輔さん
まず私は、就職活動で総合商社が第1志望だったんですね。
いろんな総合商社をたくさん受けに行って、面接を受けて進むところもあったんですけど、残念ながら最終的にはご縁がなくて。
唯一受けたメーカーが「日本精工」という会社だったんです。
「英語化を進めていく」みたいな感じのリクルーティングの紙が流れてきて、英語しか書いてなかったんですよ。
最初僕は「外資の企業かな?」と思って。
アッティ
そういう企業に何か縁がありますね。そういう意味では、楽天さんもそうでしょうし。
廣田大輔さん
はい、それでそこを受けたらススッと内定をいただきまして「それだったらここに行ってみようか」ということで、会社に入らせてもらいました。
そこの会社の中で一番厳しい部署っていうか、忙しいっていわれる部署に幸い配属されまして、それが栃木県の宇都宮市。
アッティ
餃子の町。
廣田大輔さん
餃子の町ですね。餃子も食べながら、ただ今でこそあり得ない話ですけど、本当に過酷労働で。
夜22時ぐらいに「そろそろ帰ります」みたいに言ったら、「もう帰るの?」みたいな。
アッティ
今じゃあり得ない。
廣田大輔さん
こんなこと言っていいのかなと思ったんですけど (笑)
アッティ
富山に来るまでは、相当ハードな仕事をずっとされてこられたんですね。
廣田大輔さん
そうですね、逆に忙しい職場にしか行ったことがなかったですね (笑)
アッティ
なるほど、なるほど、いいですね。今の時代と逆行していて面白いです (笑)
廣田大輔さん
本当に (笑)
経営者を志すきっかけ
廣田大輔さんは日本精工勤務後、28歳で大学院ビジネススクールに進学しました。
きっかけは、経済小説を読んで経営者への憧れを抱いたことです。特に、ヤマト運輸創業者の小倉昌男氏の話に影響を受けました。
アッティ
日本精工さんを経て、そこからすぐ楽天に入社されたんですか?
廣田大輔さん
楽天に入る前に、大学院に行きました。
学生時代は先ほど申し上げたようにアルバイトしかしてなくて、全く勉強してなくてギリギリ卒業したという情けない状態だったんですけども。
日本精工に入った後に経済小説っていう、いわゆる経営者だったりだとか官僚だったりだとか、技術者だったりとか、そういう人たちをモデルにした小説みたいなものをたくさん読むようになったんです。
その中で特に好きだったのが、ヤマトの宅急便を作った小倉昌男 (おぐらまさお) さんの名前が出たノンフィクションの小説。そちらを読んだり、他の経営者の方のものを見たりしていたら、「経営者になりたいな」と思える自分が出てきたんですね。
でも「経営の勉強なんて全然できてないな」と。大学院のビジネススクールでそういう勉強ができるところがあるとわかって、自分自身いろいろ考えたときに「会社を辞めてそこに行きたい」っていう思いが出まして、ちょうど28歳のときにそちらの大学院に進学しました。
アッティ
もうその頃には「経営者になりたい」そして「十全化学にも将来的には」みたいな考えは、おぼろげながらにあったんですか?
廣田大輔さん
全くないと言えば嘘になるんですけども「自分自身が十全化学という場所ではなくても、経営者になりたい」っていう想いが強くありました。
「他で認められないと、十全化学のあとを継ぐっていうのは考えられないな」みたいなところがあったのが、正直なところです。
アッティ
なるほどなるほど。
元々そんなに努力ということがわからなかった子が、こうやっていろんな経験をして、ビジネススクールにも行って、経営というものに興味を持って、いつか十全化学も考えたいと思うようになったということまでお聞きしました。
次回は、楽天に入社をされて楽天の中で多くのことを学んでこられたというお話をしっかりと聞いていきたいなと思っております。
楽天時代のこと
楽天入社の理由
廣田大輔さんが楽天に入社を決めた理由は、次の2つの基準に合致したからです。
1つ目は「短期間で自分を鍛えられる場所」、2つ目は「学んできたことを試せる場所」。
アッティ
前回は、幼少期からのこと、バックパッカーのこと、日本精工に入社したこと、経営を学びたいとビジネススクールまで行ったことをお聞きしました。
そこから、なぜ楽天に入社しようと思われたんですかね?
廣田大輔さん
大学院を修了するにあたって、自分がどういうとこで仕事をしようかっていうときに、まず2つの基準みたいなものを設けました。
一つは「自分にかなり負荷がかかる、短期間で自分を鍛えられるような場所はどこか?」ということ。
もう一つは「自分が学んできたことがどれくらい通用するか試せるような場所」っていうこと。
この2つの視点で探しているときに出会ったのが、当時非常に伸びていた楽天でした。
アッティ
自分を追い込むタイプでいらっしゃいますね。
楽天で学んだこと
廣田大輔さんは、楽天で「100%やりきる力」を学びました。
入社時、全社員が楽天市場への出店営業を行い、月10件の目標達成が求められました。当初は7〜8件で十分と考えていましたが、周囲の成長と上司の期待に応えるため、必死に取り組みます。
先輩社員からのサポートもあり、目標達成のためのアイデアを考え抜く経験を通じて、自信と楽観的な姿勢を身につけました。この経験が「やりきる力」の基礎となり、その後のキャリアに大きく影響しています。
アッティ
廣田さん自身、『楽天で学んだ100%やりきる力』という本も出されていますけれども、楽天ではどういったことを学んだんでしょうか?
廣田大輔さん
「物事を達成することに対して、本当にこだわって、最後までやりきる」っていうところが、私自身の学んだところです。
アッティ
「やり切る」ということですね。
例えば「こういう経験をして、こういう実績を上げて、それでやりきる力っていうものが身に付いた」といったエピソードってありますか?
廣田大輔さん
まず最初楽天に入ったときに、その当時は、全員が「楽天市場」っていうインターネットのショッピングモールにご出店される企業さんへの出店営業をしていました。
「楽天にご出店されませんか?」と、そういった営業を入社してきた全社員がやってたんですね。それは営業はもちろんですけども、エンジニア、経理、法務、部署関係なく。
営業で月10件獲得するという目標が達成されないと、エンジニアだったり経理だったり正式な部署に行けないっていう、そういう仕組みになってたんですね。
アッティ
ハードですね。
廣田大輔さん
最初は、目標10件なんて言っても7〜8件ぐらいやっておけば「頑張ったね廣田くん」とか何とか言われながら、正式な部署に配属されると思っていたんです。
でも「いや廣田くん、あれは達成して当たり前だから。どうなの? 大丈夫? いけそう?」とか、毎日進捗の確認だったりだとか、契約取れそうな見込みをどれくらい持ってるのかとかを確認されて。
周りがどんどんどんどん数字が上がってきて、私も最初「7〜8件ぐらいやっとけばいいや」と思ったんですけど「このままだとまずいな…」みたいな話になってきて。
自分自身もそれで火がついて必死にやるんですけども、目標が非常に高いので「どうやったら目標を達成できるのか?」みたいなことを、あれやこれやと自分のアイディアを駆使していろいろ考えたり、周りの人に相談したりして取り組んでいました。
すごかったのは、孤独なわけじゃなくて、例えば先ほど経理とかエンジニアってあったんですけど、その経理とかエンジニアの先輩方が、みんな同じ経験されてるわけなんですよ。
そして、その人たちがサポーターみたいな形になって「こういうふうにやってみたら?」とか、「こういうふうにやってみた?」とか、アドバイスをいろいろくれるんです。
何とか達成するためにみんながいろんなことを考えて、アイディアをひねり出してみたいな形で、最終的に達成できたと。
そういったときに「自分たちもできるんだ」みたいな形の、小さな自信みたいなものを得られたっていうのが一番大きかったですね。
それからいろんな仕事にどんどんチャレンジしていくようになったんですけど、自分の中で「何とかできるんじゃないか」って、自分を楽観的、客観的に見れるようにだんだん醸成されてきたような気がして、そこが非常にいい経験だったのかなと思っています。
アッティ
先ほど言われた「やる切る力」っていうのは、まさにそういった経験からなんでしょうね。
それこそ7件8件でも十分成果が本来あるところを、10件っていう目標があるんだったら、もう絶対それを達成させる。それも、いろんな手法を考えて、自分だけでなくみんながやりきるチームになってる。
当然チームの仲間として、困っている人のところにはいろんな助けが来るので、やりきる力がより醸成されていくみたいな、そんな感じになるんですかね。
楽天での仕事内容
廣田大輔さんは、楽天で10年間、多様な役割を経験。ECコンサルタント、戦略立案、銀行業務、国際化推進、タイのeコマース会社の社長など、幅広い分野で活躍します。
これらの多様な経験を通じて、困難に対する柔軟な対応力と自信を培いました。
アッティ
実際、楽天ではどういったことがお仕事だったんですかね?
廣田大輔さん
いろんな仕事をさせていただいたんですけれども、最初は「楽天市場」というインターネットのショッピングモールにご出店されている企業さんの売り上げを伸ばしていくためのサポート。「ECコンサルタント」という仕事だったんですけど、それを2年ぐらいさせてもらいました。
その後、楽天市場全体の戦略だとか、新しいサービス設計だとか、そういった仕事を2年ぐらいやらせてもらいます。
そのあと、楽天銀行というネット銀行、当時はイーバンク銀行という銀行だったんですけど、銀行を買収するんです。そして「銀行と楽天本体で、どういうふうな形でシナジーを作っていくかを考える」ということで、私が銀行に出向することになりまして、銀行で働いた経験もあります。
アッティ
銀行マンもやってたんですね?
廣田大輔さん
なんちゃって銀行マンを (笑)
その後、楽天が国際化をしていくために「国際事業の人を社内からも集める」という話が社長からありまして、朝礼で「やりたいやつは俺にメールしてこい」と。
それに応募したのですが、半年間何も連絡がなかったので「あれはどうなったんだろう?」と思ったときに「国際担当の役員と面接してくれ」みたいな話が来まして。それで「国際部」っていうところに移ることになり、楽天の国際化の仕事を2年ぐらいやりました。
そのあと最後は、楽天が買収したタイのeコマースの会社の社長としてタイに赴任して、会社の経営をやらせていただきました。
アッティ
なるほどなるほど。全部で10年ぐらいですかね?
廣田大輔さん
10年です。
アッティ
ECの売り上げを伸ばすコンサルから始まって、楽天市場の戦略を立てるっていうのは一つであるような気がするんですが、そこに銀行が入ってきて、国際化の仕事が入ってきて、いろんなことをやられていて、われわれが見ると一体感がそんなにないようなイメージがあるんですけど。
様々な仕事をすることに「楽天」という一つの共通項があるとはいえ、戸惑いであるとかブレみたいなものって出ないものなんですか?
廣田大輔さん
おっしゃる通り、戸惑いがなかったといえば嘘になります。でも、無理難題が来て、それを何とか解決するっていうことを繰り返してるうちに、自分自身「何とかなるんじゃないか」っていう、心の中で余裕感みたいなものがだんだん出てくるようになったかなと思います。
昔は「こんなこと言われた」ってすぐテンパっちゃってるところもあったかもしれないんですけど、「何とかできるんじゃないか」という自分の中での遊びみたいなものも少し出てくるようになったっていうところが大きかったですね。
あとやっぱり、自分に何が足りないから、どういうことを、どの人に聞いたり、どの人に助けてもらったり、「どうしたらできるようになるだろうか?」を考えるようになったので、「自分がどこまでわかって、どこまで足りないか」を把握することで、仕事を進めることができたのかなと思っています。
アッティ
今ずっとお聞きしてると、かなりハードですよね? 自分のことだから自分を追い詰めて乗り越える、それでやりきる力もどんどんついていく。それは自分のことなのでOKじゃないですか。
でも今、社長を務めていらっしゃって、社員の方々がいて、その方々もどんどん伸びてほしいと思ったときに、働き方改革も含めてやっぱり時代がちょっと変わってきている。
個人個人の教育というか成長という部分に関して、高い目標を掲げてそれを乗り越えていく、それも結構ハードな状況であるってことが一番の成長に繋がるってことだと思うんですが、時代との錯誤というか、そこらへんはどう思われます?
廣田大輔さん
非常に難しい質問ではあるんですけども、弊社では「1on1」っていう1対1の面談を多く取り入れています。
「仕事に対する価値観」だとか、「どういうことをやりたい」「どういうことをやったときに自分が仕事を楽しいと感じる」っていうところが、人それぞれでどう違うのか。
面談を通して「それぞれの人が実現したいことや、やってみたいことが何か」っていうところを聞きながら、「会社としてはどういう期待値があって」っていうところをすり合わせることを非常に重視させていただいてますね。
英語公用化のリアル
楽天の英語公用語化について、廣田大輔さんは以前から英語学習を始めていたため良い機会と前向きに考えましたが、同僚の中には苦労する人もいました。
実際の業務環境では、資料の英語化、英語話者の外国人採用増加により徐々に英語使用が日常化、ミーティングや社内表示の英語化など、組織全体が段階的に変化していきました。
アッティ
英語が公用語であるってどうだったんですか?
廣田大輔さん
私は元々「国際部に行きたい」という想いを持っていたので、楽天が英語化するっていう前から自分で英語の勉強はしてたんですね。週2回、1時間ぐらいは外国人と朝カフェで話す、みたいなことをずっとやっていました。
ただ、いわゆる執行猶予というか「2年後までに一定以上のスコアを取らないといけない」という話だったので、実際そういうのが来たときに、私自体は「良い機会というか、こういうことがないと自分のお尻に火がついて勉強しないな」ってうところがあったので、いい機会と捉えました。
でも逆に言うと、「それがきたら僕はもう駄目だ」っていう人がいっぱいいらっしゃって、正直な話、やはりそれが理由で他の職場に行かれた方もいなくはなかったと思います。
アッティ
現実、やっぱりもう「英語が喋れないと仕事ができない」って環境になってしまったんですか?
廣田大輔さん
さすがにそこまでではないんですけど、資料とかは全部英語になりました。
そしてこれは楽天自身も予想してなかったと思うんですけど、英語を公用語化することによって、海外にいる日本が好きな外国人で日本語が喋れない人が、楽天に応募してくるようになったんですよ。
アッティ
それはいいですね。
廣田大輔さん
そういう方々が結構入ってこられたので、ミーティングをやるときに1人だけ日本語が喋れない人がいるっていうようなシチュエーションが増えてきたんですね。
そういうときはもうみんな英語を話さなきゃいけないので、急にではないですけど徐々にっていうか、周りのいろんなものがだんだん英語化されてきました。
食堂のカフェテリアのメニューも英語になったりとか、本当に身近なものがどんどん英語にreplaceされていく (置き換わっていく) ような、そういう世界になってきましたね。
三木谷社長ってどんな人?
廣田大輔さんは、三木谷社長について厳しさと優しさを併せ持つシャイな人物だと感じています。
ミーティングでの頭脳明晰な議論や指摘が、廣田さんの成長に大きく影響しました。三木谷社長の「Get Things Done(仕事をやり遂げる)」という姿勢は楽天の標語となっています。
アッティ
皆さん気になるのは、「三木谷社長ってどんな人ですか?」みたいなところだと思うんですが。
廣田大輔さん
もちろんすごく厳しい人ではあるんですけど、同時に優しい人でもあるんですよね。
ただちょっと結構シャイな方でもあるかな (笑)
アッティ
シャイな方なんですか!? (笑)
廣田大輔さん
ですね。見た目、ちょっと怖そうなとこもあるんですけど。
アッティ
身体も大きくてね。
廣田大輔さん
そうなんですよ、もう顔も体も大きいので。
アッティ
そうですよね。
廣田大輔さん
ただシャイなので「もう少し一言かけてあげれば、僕らももっとリラックスして話せるのに」ってとこはあるんですけど、でも本当に優しい人なんですよ。
アッティ
今でもたまに連絡取られることってあるんですか?
廣田大輔さん
周りの方々を通じてっていう形にはなりますけども。
アッティ
なるほど。
廣田大輔さん
ただ非常に頭がシャープな方なので、ミーティングとかでいろんな議論をさせてもらったりするときに、いろんなアドバイスだとか指摘だとか、そういったものをいろいろたくさん受けました。
それは自分自身の脳みその筋トレになって、そこは本当にありがたい経験だったし、自分の自信になった部分もあったのかなと思っています。
アッティ
三木谷社長自身は、やりきる力がバリバリあるって感じですかね?
廣田大輔さん
そうですね。
アッティ
当然ですよね。
廣田大輔さん
まさに、『楽天で学んだ100%やりきる力』の本にも「Get Things Done (仕事をやり遂げる)」って書いてあるんですけど、これ楽天の標語の一つなんですね。
アッティ
なるほど、やりきるっていうことがね。
廣田大輔さん
まさに三木谷さんは、そういうのをやり切られた方かなと思いますので。
アッティ
なるほど、ありがとうございます。
それでは今回は楽天時代についてお話をいただきました。次回は、いよいよ富山に帰って来られてからのことについてお話を聞いていきたいと思っております。
十全化学時代のこと
十全化学に入社した理由
廣田大輔さんは、楽天などでの経験を活かし、40歳で十全化学に入社。経営者としてのチャレンジや、家族の事情で決断しました。
豊富な経験により向上した新環境へのアジャスト能力で、入社後は社員の意見を重視し、会社の状況を見極めながら前向きに課題に取り組んでいます。
アッティ
前回は、楽天時代のことについてお話をお聞きしました。学んだことは「やり切る力」、われわれの興味としては「英語の公用語化」「三木谷社長の人柄」、そんなお話をお聞きしました。
今回は、富山に帰って十全化学さんに入ってからのことについてお話を聞いていきたいなと思っております。
まず、なぜ楽天を辞めて富山に戻って、十全化学さんに入社したんですかね?
廣田大輔さん
いろんな要素があったんですけども、私自身、十全化学っていう会社の存在は常に頭の中にありました。
楽天の中でいろんな仕事をさせてもらって、最後は子会社ですけども経営者の仕事もさせてもらって、私自身、経営者として「もし自分がもっとチャレンジできる場があるんであれば、十全化学という場でそういったものを活かすっていうのも、自分にとって良いことなんじゃないか」って思うようになったことと。
あとこれは私事なんですけども、父の健康状態があまり良くない状態になってきましたので、そういったところも含めて「30歳で楽天に入って、ちょうど40歳で十全化学に戻ろう」と決意いたしました。
アッティ
第1回目のときですかね「十全化学に入るっていうのも、いきなり入りたくはない」と、「何かしらどこかで実績・経験を積んでからじゃないと入りたくない」って話があったと思います。
それはここまでの経験値の中で、もう十分「俺は十全化学に入ってやっていくんだ」みたいな状態になったということでもあるんですか?
廣田大輔さん
そこまでではなかったんですけども、私自身「これだったらなんとかやれるんじゃないか」っていうのを、ようやく遅ればせながら持つことができました。
「これだったら従業員や、家族の皆さんに迷惑をかけないでやれるんじゃないか」って想いを持ったというところになりますかね。
アッティ
ちょっと気になるのが、相当ハードに仕事をされてきて、最後はタイの子会社の社長もされてということで、ご自身の中では「仕事はガンガンやっていくもんだ」みたいなイメージがあったと思うんですよね。
その状況で、ましてや世界で戦っていた人が富山に来るときに、たぶん廣田さん自身も違和感を感じたような気もしますし、たぶん社員の皆さんも社長に対して違和感を感じたと思うんですが、そこらへんはどうでしたか?
廣田大輔さん
私自身は自分の中で、十全化学がどんな会社かというイメージみたいなものはもちろん持ってましたし、良いか悪いかは別にして、楽天っていう会社がかなり振り切れた会社であるっていうところは自覚してました。
十全化学という会社がどういう状況かとか、そういったものを見極めるところも含めて「自分自身がアジャストするような形で入っていくことは、やっぱり大事かな」と思いまして、最初は皆さんの意見をたくさん聞くことにウェイトを置いた形で入らせてもらいました。
アッティ
アジャストしていこうとしながらも、やっぱりだいぶストレスは感じましたかね?
廣田大輔さん
感じなかったと言えばもちろん嘘になりますけども、楽天は楽天で、ある意味で振り切れてる部分があったので、いわゆる楽天時代もやっぱりいろんな会社さんとお取引しながら、スピード感の違いみたいなものはありましたので。
もちろん課題として認識はしつつも「今こういう状況で、課題としてどういうことがあるのかな?」っていうところを前向きに受け止めるような気持ちで、いろんな人の話を聞いてたのかなって思っています。
アッティ
勝手な想像ですけど、20代とかであまり経験がなく会社に入ってそのまま社長になりましたっていうよりは、40歳まで、世界もそうだし、世界に限らずメーカー経験や銀行仕事などの経験を豊富に積んだことで、自分の幅を広げられてアジャスト性がすごい高くなってたのかもしれないですよね。
廣田大輔さん
そうですね、そうだったらいいのかなとは思ってるんですけど。
アッティ
多分そうなんだろうなと思いながら、お話を聞いておりました。
十全化学の目標
十全化学の目標は、製薬会社の開発スピードの向上支援と医薬品の安定供給を確保することです。
品切れが許されない医薬品の重要性を認識し、安定供給に注力すること。また、地方に住みながらグローバルに働ける企業になることを目指しています。
アッティ
十全化学さんの今の目標って、どういったとこにあるんですかね?
廣田大輔さん
十全化学は、今、医薬品会社さんの黒子として活動させていただいてますけども、お客様である医薬品製薬会社さんが開発されてる製品をより早く出せるようにするために、開発スピードを高めるサポートをさせていただくこと。
あと、世の中に出た薬を安定供給すること。薬は、この製品があって健康状態を保たれている方がいらっしゃいますので、品切れが許されない製品です。そのため「安定供給」が必須のキーワードになります。そこの部分を、まずきっちりやっていくってところが一つですね。
それから今、目指しているところとしては「地方に住みながらグローバルに働けるような会社になっていきたい」という想いを強く持って、仕事を進めさせてもらっているところがあります。
アッティ
今、薬の安定供給の問題が世の中で出てきてますよね。
「薬は当たり前にあるもんだ」と思っているので、それが手に入らないというのは、世間の皆さんが非常に怖さを感じるとこだと思います。
「薬を安定供給をする」という大きな目標は、すごい大事なことですよね。
廣田大輔さん
本当に、医薬品においては必須のキーワードなので。
新社屋の取り組み
十全化学は、従業員の働きやすさを重視した新社屋を建設しました。
社員参加型のワークショップで意見を集約し、コンセプトを決定。食堂、図書館、テラス、ディスカッションスペースなど、多様な作業環境を提供したことで、社員のモチベーション向上に貢献しています。
アッティ
今、地方でもグローバルな会社、そしてグローバルな人を育てていくという観点もあると思います。
お聞きしていますと「十全化学の中の働く環境を良くしていこう」というところに繋がっているかと思いますが、そういう取り組みっていくつかされてるものでしょうか?
廣田大輔さん
今、進めていることとしては、3月に新社屋を作らせていただいて、皆さんが働きやすい環境を用意させてもらいました。
個人がどこでもより深く考えられるように食堂があるんですけども、食事の時間以外でしたらそこで仕事ができます。ライブラリー (図書館) みたいなところもあって、そこで集中して仕事もできますし、テラスもあって、晴れた日だったら外で仕事もできる。
そういった形で、仕事に集中できる環境づくりに取り組んでいます。
アッティ
いいですね。
廣田大輔さん
ホワイトボードや画面などがあるところで、メンバーたちと立ってディスカッションをするような、そういったディスカッションスペースもたくさん設けさせていただいたりだとか。
あと、先ほどテラスって話もさせていただいたんですけども、普段とは違うような環境の中で新しい発想をしていってもらいたいので、そういった場所を用意させてもらいました。「そこが、みんなが踊る場所になってほしいな」という、そういう想いを持っています。
アッティ
すごいですね、テラスまであるのですね?
廣田大輔さん
そうですね。
アッティ
これは外ですよね?
廣田大輔さん
外です。
アッティ
そこでみんなが集まって、いろんな発想で話し合いをするっていうのも良いイメージですね。
新社屋を作られて、そのアイディアというか「こういうのにしたいよ」っていうのは、社長自らの考えなんですか? それとも社員の方々の?
廣田大輔さん
実はですね、事前にアイディアを出すためのワークショップを開催させてもらいました。
それこそ世代だとか部署だとかに関係なく、いろんな方々がワークショップに参画してポストイットをいろんなところに貼っていって「どういう社屋にしたい」とか、そういった皆さんの意見をどんどん出してもらいました。
それらを集約したものが、今回の新社屋のコンセプトになっているので「私というよりは、もうみんなのいろんな想いの中で作らせていただいた新社屋かな」と思っています。
アッティ
もう今、すでに新社屋は動いてらっしゃるわけですよね?
廣田大輔さん
ちょうど今、実は2023年の3月に引っ越しをしたばかりです。
アッティ
今どうですか? 社員の皆さん方、自分たちの意見でできた新社屋、そこで働いてみた感想はどんな感じですかね?
廣田大輔さん
皆さんやっぱり、いい意味ですごく驚いてるのと、モチベーションを高くしてくれてるように思っています。
アッティ
たぶん社長もそうですし、社員の皆さん方自体が「こういう仕掛けをして、ここではこういうディスカッションができたらいいね」とかいう考えがあるじゃないですか? そこは何か稼働してるものなんですか?
廣田大輔さん
これからそれをさらにちゃんと稼働させていくように、みんなで意識していくことがすごい大事な気がしますね。
同じものでも、それをどういうふうに使い倒していくかっていうところが、非常に大事かなと思ってます。
富山での働き方
廣田大輔さんは、富山での勤務により、通勤時間が大幅に短縮され、可処分時間が増加。ワークライフバランスが改善し、家族と過ごす時間も増えました。
地方での働き方や暮らしに魅力を感じる人々が、「働きたい」と思える理想的な会社作りを目指しています。
アッティ
富山で働き出すっていうことによって、やっぱり廣田社長自身が変わってこられてることがあると思うんですよね。
とてつもなくハードな環境、仕事自体もハードだし、周りの環境もハードだったと思うんですが、それと比べて、自然豊かで人もちょっとのんびりしている富山での仕事っていうのは、ワークライフバランスとして何か変わってきたことってありますか?
廣田大輔さん
東京にいるときは通勤に片道1時間~1時間半かけて、それの往復なので電車の中で2時間〜3時間過ごすような生活だったんですけども、今は車で10分~15分っていう生活です。
私は、リクルーティングなどで県外に行くときに「可処分時間」っていう言葉を推していて、「東京だと2時間~3時間電車の中にいるんですけど、こっちで働くと、その時間は全部皆さんの時間になるんですよ」っていうお話をさせていただいてます。
ですので、「ワークライフバランスは、大幅に改善したところはあるかな」と思ってます。家族と過ごせる時間も非常に増えたかなと。
東京とかにいる方々でも、そういうふうな働き方や、地方で暮らすっていうことに対して、みんながみんなじゃないですけど、魅力的だと感じる方は少なからずいらっしゃると思っていて、そういった方々が「働きたい」と思えるような会社を何とか作っていきたいなと思っています。
アッティ
ハードな環境で仕事をされてきたからこそ何か感じていて、それを作ろうとしている意思があるっていうのがよくわかりますね。
だからこそ、新社屋もそういうところに繋がるようなものになってらっしゃることだと思いますしね。
一度お邪魔させてもらって見せていただきたいので、よろしくお願いします。
廣田大輔さん
もうぜひ!
アッティ
それでは、今回は「楽天を出られて、今の十全化学に移られてどういう活動をされているか」、そういったことについてお話をいただきました。
次回は第4回目になりますので、ふるさと富山に対する想いであるとか、そんなお話を聞いていきたいなと思っております。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲
ふるさと富山について
廣田大輔さんは富山の魅力を高く評価し、地域の発展に貢献したいと考えています。
十全化学では県外からの新卒採用を積極的に行い、富山の活性化に寄与。さらに社会的に貢献できる実感を持つために、地元に還元できるものができてくるともっと良いと思っています。
アッティ
これまで、廣田さんの幼少期からの話、楽天時代の話、そして今の十全化学での活動について、お話を聞いてまいりました。
今回は最終回となる4回目ということで、海外でも働かれた経験があり、外から見た富山も理解されている廣田さん自身、ふるさと富山についての想いを少しいただけますでしょうか?
廣田大輔さん
私が言うのもなんですけども、富山って非常にいいところだなと思いますね。
当然のことながら、食事も美味しいですし、自然も豊かですし、災害もそれほど多くありませんし、何かやるにしてもすぐアクセスできるっていうところにおいては、非常にいいところだと思っています。
本当に微力ながら、この富山がさらに元気になっていくようなことに貢献したいって想いは、非常に強く持っています。
アッティ
何か考えてらっしゃることはありますか?
廣田大輔さん
私どもがやっている十全化学という会社を通して、っていうところでお話します。
今、弊社も新卒での採用を定期的にさせていただいてますけれども、新卒採用しているメンバーの3~4割程度は県外から来たメンバーです。それこそ北海道から九州まで、富山に全然ご縁がなかった方々が入ってきてくれて活躍してくれてるところは、微力ながら貢献できてるかなと思います。
事業がしっかりとできることで富山に貢献できる部分もあるので、さらに地元に還元できるものができてくると、われわれも社会的に貢献できる実感がより出てくるのかなと思っております。
アッティ
私の小さな経験上「富山に県外から人が来るわけがない」「わざわざ県外から、東京の方から富山に来て仕事するわけがない」みたいなイメージがありましたけども、考えてみると、今は皆さん世界で活躍する方も多いですし、オンラインの時代になってくると「別に富山で働くのは全然問題ありませんよ。新幹線が通ってれば、東京まで2時間だし」みたいな方が多いような感じはしますよね。
廣田大輔さん
そうですね。
アッティ
今言われるように、関係人口以上の、実際リアルで富山に来て働かれる方が増えるっていうのは、非常にいいことだなと思いながらお聞きしておりました。
こうやって様々な経験をされてきた廣田さんだからこそ、人生のこだわり、そしてまた経営者として大事にしているようなことがあればお聞かせいただけますか?
廣田大輔さん
自分自身は、やはり「誠実でありたいな」と思っています。小さなことの積み重ねが非常に大事なのかなと。
いろんな方々とのご縁をいただいているおかげで、自分が今のような形でやれているのかなと思っています。ですので、誠実であるということをいつも自分で意識しながら、いろんな方々とのコミュニケーションを大切にさせていただきたいと思っております。
アッティ
全4回お話させてもらっていて、廣田さんの誠実さはもう本当に伝わっております。
富山県内で大好きな飲食店
アッティ
皆さんにお聞きしてるのですが、富山のお気に入りの飲食店があればお聞かせいただきたいです。
廣田大輔さん
私は根塚の「大喜」が好きですね。
アッティ
お~、ブラックラーメンの大喜!
廣田大輔さん
ときどき無性に食べたくなって、1人で行って食べるっていうのが結構ありますね。
アッティ
ちょっと中毒性がありますよね?
廣田大輔さん
そうですね。なんかちょっと切れてくると…(笑)
アッティ
何ヶ月に1回か、ぐらいとかですかね?
廣田大輔さん
そうなんです。
アッティ
あ~、わかります。
廣田大輔さん
実はうちの祖父や父も好きなんですよね。もしかしたら何か遺伝的なものかもしれないですけど (笑)
アッティ
すごいな~ (笑) 大喜は遺伝的なところに入り込むという、そのぐらいの中毒性がある味っていうのがいいですよね。
県外の方でも「食べたくなって来ちゃいました」みたいな人をよく聞いたりしますので、それは思いますよね。
リクエスト曲
アッティ
廣田さんが大好きなリクエスト曲をお聞かせいただきたいなと思うのですが。
廣田大輔さん
パインフォレスト・クランチという方が歌っている「Cup Noodle Song (カップヌードルソング)」。
私は学生時代にアメリカをレンタカーで横断する旅行をしたことがありまして、そのときにレンタカーの中でよくかけていた曲の一つなんです。
この曲を聞くと、私自身が原点回帰したような気持ちになりまして、今でもときどき車を運転してるときにかけて、そのときの風景を思い出したりしているのでリクエストさせていただきました。
アッティ
この「パインフォレスト・クランチ」さんというのは、どこの国の方なんですか?
廣田大輔さん
スウェーデンの。
アッティ
スウェーデンの方なんですね。それでいて、カップヌードルソング?
廣田大輔さん
そうなんですよ。
アッティ
面白いですね。
廣田大輔さん
面白いんです。それで一撃で覚えてしまったという。
アッティ
なるほど。廣田さんの原点回帰の歌であります、パインフォレスト・クランチさんの「Cup Noodle Song」です。
これからの夢や目標について
廣田大輔さんの夢と目標は、人材育成と社会貢献です。
若い社員がチャレンジし成長する姿に喜びを感じるので、その支援を重視し、より明るく希望に満ちた社会づくりに貢献したいという想いを持っています。
アッティ
最後の最後になりますけれども、廣田さんのこれからの夢、目標についてお聞かせいただけますか?
廣田大輔さん
私自身、人が成長していくところに非常に喜びを覚えています。
まず弊社に入ってくるような若い人たちが、どんどん自信を持っていろんなことにチャレンジしていってほしいなと。ですので、人を育て、成長していってもらうような支援をやっていきたいなと思っています。微力ながら、そういったところをお手伝いとか、貢献できることをやっていきたいなと。
「より明るく、皆さんが希望が持てるような社会に少しでもお役に立てることがあればな」とは思いますね。
アッティ
ありがとうございます。今月全4回にわたって、廣田さんからお話をいただきました。
楽天で「やりきる力」を身につけられて、そしてまた廣田さん自身が誠実な心をお持ちだからこそ吸収力がとてつもなくあるのだなと。
「やりきる力」が身に付いたのはそういったところにあるでしょうし、いち経営者として成長された廣田さんが意識を置いてるのは「対、人である」「人の成長である」という、原点に帰られているのが本当に素晴らしいなと思いますし、たっぷり学ばさせていただきました。
それでは今月のゲストは、十全化学株式会社 代表取締役社長の廣田大輔さんでした。廣田さん、1ヶ月間どうもありがとうございました。
廣田大輔さん
ありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。