2022年5月のインタビュー記事です。左伴さんのカターレ富山就任は2021年。
こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、株式会社カターレ富山の代表取締役社長の左伴 繁雄 (ひだりとも しげお) さんです。
左伴さんは、大学卒業後に日産自動車で生産ラインの仕事を経験。その後日産マリノス、湘南ベルマーレ、清水エスパルスの経営に関わり、現在は、富山県のプロサッカーチーム「カターレ富山」の経営をされています。
そんな左伴さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
左伴さんの自己紹介と経歴
自己紹介とニックネーム
左伴繁雄さんの名字の由来は、山梨県の富士吉田にあります。
学生時代から社会人になるまでのニックネームは「ヒダリ→ヒダさん→トモくん→ヒダリトモ→Shigeo(シゲオ)→ヒダリさん→社長」と変わってきました。
アッティ
左伴繁雄さん、どうぞよろしくお願いします。
左伴 繁雄
よろしくお願いします。
アッティ
左伴さんっていう名前は、なかなか富山にある感じではないんですが。
左伴 繁雄
変わってますよね。
アッティ
全国的にどうなんですか?
左伴 繁雄
山梨県の富士吉田 (ふじよしだ) っていうところに富士浅間神社というのがあるんですけど、そこの神主をやってたみたいで。江戸時代までは左巴 (ひだりともえ) って言ってました。
アッティ
ともえ。
左伴 繁雄
ちょっと生意気な名字だから、「え」を取れって言ってね。明治維新かな? 「左伴」に変わったって、そういうふうに聞いてますけどね。
アッティ
ちなみに、左伴さんという名前は、子どものニックネームってどんな名前になるものなんですか?
左伴 繁雄
変遷 (へんせん) してましてですね、最初が「ヒダリ」。
中学校あたりから、ちょっと運動がよくできたのとリーダータイプだったんで「ヒダさん」 になった。
アッティ
ヒダさん。
左伴 繁雄
高校生ぐらいで「トモくん」になって、社会人に入って「ヒダリトモ」って呼び捨てになったのが少しで、イギリスでは「Shigeo (シゲオ)」。
アッティ
シゲオね、はい。それはそのままですよね。
左伴 繁雄
最近は、カターレはさすがに「社長」って言いますけど。その前のクラブまでは「左さん」でしたね。
アッティ
そうですか、社長のことも。
左伴 繁雄
もういろんな呼び方をされてきました。
アッティ
「左さん」ですね。今回は「左さん」にしましょうかね。そしたらね。
左伴 繁雄
「左さん」がいいですよ。
アッティ
わかりました。新しいJ3のシーズンも始まっていますけれども、カターレ富山のことを知ってもらうために、様々なメディアにも出演されていることと思います。
この番組においても、今月1ヶ月間を使いまして、ぜひともカターレ富山の発信を。そしてまた、左さんの発信をしていただければな、というふうに思っております。
大学卒業後の経歴
左伴繁雄さんは大学時代から車が大好きで、日産自動車に入社し生産ラインで働きます。
その後、日産の再建を担うクロスファンクションチームの一員として、日産マリノスの経営を任されることになりました。
アッティ
早速ですけれども、今回1回目ということで、左さん自身の過去の経歴を含めて「どんな方か?」ということを少し探ってまいりたいなと思っているんですが。
大学を卒業されてから、まず日産自動車で働かれたとのことですけれども、そこらへんはどうだったんですかね?
左伴 繁雄
大学に入ったときから、もう車が大好きで。特にね、車っていってもプリンス (自動車工業) のスカイラインが。今は日産ですけどね。
アッティ
懐かしいですね。
左伴 繁雄
あの車が日本グランプリで、ポルシェを1周だけ抜き去ったあの残像をずっと追っかけてて、入るんだったら日産自動車で当時は広報とか企画とかね、そういうホワイトカラーのきれいな仕事に行こうとしたんですけども、僕はバリバリの生産現場。
アッティ
生産でいらっしゃったんですか?
左伴 繁雄
「昼勤と夜勤のあるところを配属させてくれ」って言って、みんな驚いてましたね。当時の採用担当はね。
アッティ
なるほど。
左伴 繁雄
そんな始めです。
アッティ
サッカー自体は、今まで関わりはあったんですか?
左伴 繁雄
全くなかったですね。強いて言えば、84年から90年ぐらいまでイギリスにいたんですけども。
アッティ
そうですね。
左伴 繁雄
ニューキャッスルのそばのサンダーランドというところで、生活にサッカーが染み込んでるような、全然浮ついた感じのないサッカー文化っていうのがあって。だからそういう感覚は経験してましたね。
アッティ
日産自動車から日産マリノスに行かれたときに、例えば周りの方っていうのは、どういう意向でそういう人事を組まれたものなんですか?
左伴 繁雄
カルロス・ゴーンさんを呼んだんですよね、僕たちの年代でね。
日産がもう倒産の危機に瀕した、有利子負債が4兆円近くあった。そのときに、他の会社とテイクオーバーされるか、持ち合いでアライアンスを組むかっていうときに、ルノーさんと最終的に組んで。
そこでいろいろな再生プランを実行していく中で、一つ若いエグゼクティブを育てようっていうプランがクロスファンクションチームの中にありましたね。
その中で当時、日産では考えられなかった「どっかの会社の社長を30代〜40代の人に勤めさせて、OKになったやつだけ日産に戻して常務にしよう」と思って。
そういう提案をね、こともあろうに人事当局が、僕もいたんですけど、「お前言い出しっぺだから、お前行け」って言われて。
2ポストあって1個はね、車の会社だったから。僕の大好きなプリンス自動車の桜井眞一郎 (さくらい しんいちろう) さんって、スカイラインの生みの親がやってたオーテックジャパンだったんです。
もう1個は横浜マリノスだったんですけど、私その「お前が行け」って言われたときに、てっきりオーテックだと思ってたら、マリノスだと言われて。
「おい!」って感じでしたね。それが元々の始まり。
Jリーグクラブ毎の違い
左伴繁雄さんが湘南ベルマーレ、清水エスパルス、その他クラブの経営では、クラブの性格や地域性、親会社の想いなどによって異なる課題に取り組む必要がありました。
アッティ
湘南ベルマーレ、清水エスパルスということで、それ以降も他のところにもいらっしゃったと思います。
経営という役割は変わらなかったんでしょうけれども、やっぱりやられてきたことは違うんですか?
左伴 繁雄
少しずつね、やっぱり違います。会社、クラブの持っているいわゆる性格とか、親会社の想いとかっていうのは。
それから地域性があって。マリノスは、とにかく優勝かそれ以外で。
アッティ
そうですよね。
左伴 繁雄
代表を何人出したの?とかね。リーグ戦で優勝してACLでどこまで行くんだ?って。やっぱりトップチームがすごく関心事になっちゃうんですよね。
湘南ベルマーレは、ちょっと来週の資金繰りが危ないっていうところで入って、今やJ1の常連になりましたけど。
そういう会社を何とか存続させるっていうことを、昇格と同時に考えなきゃいけないっていう営業面に、すごく力を入れなきゃいけなかった。
エスパルスは、もうサッカー王国っていう、皆さん思い描いてるイメージに対してチームはとても弱かったんでね。
それはやっぱり長年 (サッカー) 王国の上にあぐらをかいて、いろいろ勉強してこなかったツケをどういうふうにみんなに教えていくか、っていうことに大変気を遣う土地柄でですね。
アッティ
なるほど、何となくわかるような気がしますね。
左伴 繁雄
ある意味、まっとうに普通に社長ができて、権限と責任を行使できてる初めてのクラブは、カターレ富山ですね。
アッティ
そうですね。確かに聞いてみますと、4クラブあるとしても、同じJリーグのチームだとしてしまえば同じようなイメージはありますし、名前も有名なとこばかりではあるんですけど、おっしゃるとおり全然違いますよね、それぞれが。
チーム自体の置かれてる立場というかね、「その成功は何なのか?」自体も全然違いますしね。そういう意味では、面白い経歴をずっと過ごされて。
いよいよここからは、今J3でありますけど、カターレ富山に来ていただいてからのことをお話いただきたいと思います。
地域とスポーツチームの可能性
カターレ富山と富山について
2021年シーズン、左伴繁雄さんはカターレ富山で7ヶ月半の社長業を経験し、地域の強い郷土愛と財力を感じました。
富山の人々がカターレを通じて喜びを感じられる可能性に確信を持っており、その思いは変わっていません。
アッティ
前回の話から左伴さんの名前は、「左さん」ということでございます。
左さん、よろしくお願いいたします。
左伴 繁雄
よろしくお願いします。いいですね。
アッティ
前回はカターレ富山にお越しいただく前の話を、経歴を含めて話していただいたわけでありますけれども。今回2回目ということで、もうすでに新しいシーズンである2022年シーズンがスタートして、時間が経っているわけであります。
この新しいシーズンを語る上で、昨シーズンは編成や予算組み、そういったものを含めて、途中の段階から7ヶ月間半、社長業を務められましたけれども。
実際にカターレ富山に入ってみてのことを、お聞きしたいなと思っておりますのでよろしくお願いいたします。
左伴 繁雄
はい。
アッティ
実際昨年度、カターレ富山に来てみてどうでしたかね?
左伴 繁雄
元々知らない町ではなかったし、カターレを地域の人たちに喜んで迎え入れてもらって、その生活の糧にね、「ここに住んでて良かった」「カターレがあってよかった」って思ってもらえる。
その可能性っていうのは、すごく感じてたんですよね。
アッティ
元々そういう思いでいらっしゃいますか?
左伴 繁雄
一つはね、やっぱり郷土愛がすごく強い地域。
アッティ
うん。
左伴 繁雄
それからやっぱりスポーツチームの運営には、どうしてもお金が、先立つものがすごく大事なんですけど。
富山は、財力っていう点でとてもすごい町だっていうのがあったので、これはチームを上にあげるとか、優勝させるとかっていうだけじゃなくて、富山の人が365日、1年通してカターレについて喜んでもらえそうな可能性はとっても高い地域だなっていう思いで来て。
それはね、7ヶ月半か8ヶ月か経って、思いは1ミリも変わらないですね。
J3カターレ富山就任の感想
左伴繁雄さんは、富山の財力、地域愛、支持企業を総合して考えたとき、カターレがJ1で優勝争いをするのも自然だと感じており、県民の低めの期待値との大きなギャップにやりがいを感じています。
アッティ
何となく素人の考え的にはですね、マリノスであったりとか、それこそベルマーレ、エスパルスというと本当にJ1,J2で有名なチームでらっしゃるじゃないですかね。
でそれが、カターレというとJ3でありますけれども (2022年時点)。いきなりJ3のチームに来るっていう感覚というのは、どう思われましたかね?
左伴 繁雄
全くないですね。経営者として見るとね、カターレは皆さんが期待していることと、私が思ってることが全然違っていて。
財力と郷土愛と、それから株主さんや応援していただいてる企業さん全部を総合して考えると「J1で優勝争いしてもおかしくないクラブであり、地域だな」っていうのは見立てなんですよね。
なので経営的に見たときに、皆さんとの思いと私の思いのギャップがすごく大きいところは、やりがいがすごくあるんです。
アッティ
左さんはスポーツチームのプロの経営者でいらっしゃるじゃないですかね。そういう方が、カターレもそうですし、富山のスポーツ関連の社長を務められるってのはなかなかない話だと思うんですよね。
これは多分私もそうですし、富山県民みんなが「どういう人が来るんだ?」みたいな感じって、すごいあったような気がするんですけれども周りの人の反応ってどうでしたかね?
左伴 繁雄
最初はね、あんまり話してもらえなかったですよね。最近はお声がいろいろとかかるようにやっとなってきた。
アッティ
確かにメディアによく出られるようになったのは、ここ最近のイメージはやっぱりありますよね。
特に先シーズンのその末ぐらいに「J2に行けるか行けないか」みたいなのが非常に話題になったときぐらいから、左さん自身がメディアにものすごい出てらっしゃるような雰囲気があるような気がしますね。
積極的な情報発信の必要性
左伴繁雄さんは即時性の重要性を強調。試合後すぐに結果を発信することは、カターレ富山への関心を高め、会社の経営方針としても一貫性を保つことに繋がります。
社員に対しても情報発信をうながし、自分たちの素顔を公開することが信頼を築く上で重要だと伝えています。
アッティ
特に「SNSの発信メディアの一部なのかな?」というふうには思いますけど。
左伴 繁雄
そうですね、あれは大事っていうか即時性の問われるニュースソースだとか、その試合が終わってすぐにね、勝とうが負けようが私が打つようにしてるんですけど。
そういうところで人が、気持ちをこうカターレに向けてくれる。勝っても負けても絶対に逃げないし、ぶれないしっていうところ。
それは会社の経営の方針もそうですけども、それを皆さん方に知っていただく、継続して知っていただく情熱っていうのが、やっぱり共感度を上げるのにすごくプラスになってくると思うんで。
私はもう率先して出ますし、周りの奴らにも「出ろ、出ろ」て言ってるとこですね。
体重計に乗ってるだけでダイエットになるっていうのと同じで、「体重計に乗りなさい」っていうのは、「何でもいいから自分たちの素顔っていうのを表に開示しなさい」って。発信しなさいと。
アッティ
そうですね、スポーツチームにおいての発信っていうのは、どっちかっていうと「選手がどんどん発信してます」とかいうイメージがものすごいありますけど。
フロントが発信してるっていうのは、富山にはその感覚が今までなかったような気がしますよね。多分そこが、すごい特徴があるようなイメージを持ちますね。
左伴 繁雄
フロントは、もういろんなことやりますよ。「除夜の鐘ならせ」って言われたら、本当に鳴らしちゃいますからね。
アッティ
本当に鳴らしちゃうんですか!?
左伴 繁雄
57クラブ中、一番最初に公式行事をやったクラブはカターレ富山であるってね。
情熱のマーケティング
左伴繁雄さんは、職員にマーケティングの重要性を説きつつも、一方で辻立ちの意義も認めています。
「回収ができないことでも、自ら行動する姿勢が評価されている」と感じており、その情熱が人々の心を動かす力を持つと実感しています。
アッティ
ちょうど私は車で走っていて、掛尾のところの交差点で、それこそフロントの方がのぼりを持って「試合に来てくれ!」みたいなことをずっと辻立ちされてたじゃないですか?
あんなの見たことありませんでしたし、やっぱり情熱伝わってきますんでね、「試合行こうかな?」とかってやっぱり思いましたし、実際行きましたからね。
左伴 繁雄
ありがたいですね。職員には言ったんですよ。
お前らな、駅ビラとかね、ポスティングだったら、そこにマーキングをしてね、試合会場に来てくれた人にはクリアファイルあげるっていうと、どこの駅やどこの地域のマンションがいっぱい試合に来てくれたかって後でチェックができると。
これは立派なマーケティングだと。辻立ちじゃ駄目だと。誰が来たかわかんないんだよ、お前。そういう回収ができないようなね、リターンが回収できないようなことやるの?って。
そしたら「いや、やります!」って。
アッティ
気持ちの問題ですよね。
左伴 繁雄
「世の中で、回収ができないからこそやって、僕は自分でね、コマになりますというのがね、世の中の人に評価されてるのかな」と思って、僕はね、感心しましたね。
アッティ
なるほど、普通はね、それこそ経営者にしてみると、「検証できるものしか」っていうところはあるような気がしますけどもね。
左伴 繁雄
ありました。
アッティ
「情熱だけで行って、それが何になるんだ?」。でも実際、それが人の心を動かすっていうのは、非常に大きいのかもしれないですよね。
左伴 繁雄
そうですね。
アッティ
面白いですね。そういう意味ではね。わかりました。ありがとうございます。
カターレ富山と地域貢献
J1昇格に向けた売上目標
カターレ富山の2022年シーズンが始まり、左伴繁雄さんは全権を任された経営者として、チームをJ1レベルに引き上げるビジョンを掲げました。
売上目標は、J3の6億円からJ2の15億円、最終的にはJ1の40億円。法人収益の増加と地域貢献が重要な課題です。
アッティ
前回は、実際カターレ富山、富山に来てみての感想を含めてお聞きをしていたのですが、すでに2022年の新シーズンがスタートしているところだと思います。
ある意味権限も全て100%任せられる立場の経営者としての1年をスタートしてるわけなんですが、実際任せられていてどうですかね?
左伴 繁雄
今年はね、本当にホワイトキャンバスで、チーム編成も去年の8月ぐらいから始めてますし、予算も10月ぐらいから作りました。
左伴のビジョンっていうのは、J1に行くべき地域のクラブだっていうのが一つあって。
それからトップチームだけじゃなくて。トップチームの試合って年間でホームゲーム17試合17日しかないんでね、残りの350日ちょっとは地域に貢献する事業で楽しんでいただくっていうこともあるので。
それをちゃんとビジョニングして、方針として、皆さん方の前で開示するところから始まったので、非常にすっきりしたスタートでした。
山としてはね、やっぱりJ1まで行くことを前提にして考えると、売上高ですね。売上高も今のJ3レベルの平均6億から、15億のJ2レベルに上げなきゃいけない。その後40億っていうのが、J1で待っている。
アッティ
J1、40億なんですね。
左伴 繁雄
40億。40億でも真ん中より下ですね。私がいたエスパルスが43億で9番目ぐらいでしたからね。
で、そういうところに上がっていって、それで互角の試合をやりつつ、有名選手もいっぱい来ますからね、上には。
アッティ
そうですね。
左伴 繁雄
そういうふうに持っていくために、やっぱり法人の収益をもっと上げなきゃいけないとか、入場者3000とか4000で一喜一憂するんじゃなくて、常時1万人から1万5000人ぐらい入るサッカーをしなきゃいけない、選手を呼ばなきゃいけない。
そういうことを考えながら布石を打つと、今年はどうしても背伸びをする計画を作らなきゃいけなかったんですよね。
アッティ
なるほどなるほど。
左伴 繁雄
「J2に戻って、2度とJ3に落ちない」という統計値っていうのは、年商が10億円以上なんですよね。
アッティ
10億円ですか。
左伴 繁雄
今6億円で、4億円上げなきゃいけないので。今年は8億円ぐらい。
アッティ
はい。
左伴 繁雄
プラス2億円積んでいかなきゃいけない。そのキーを握っているのが、法人さんなんですね。
アッティ
スポンサーさんですね。
左伴 繁雄
いきなりお客さんが1万人になるわけじゃないんで。
アッティ
確かに。
地域企業スポンサーの重要性
企業がスポンサーになるにはチームの強さだけでなく、地域貢献が重要です。
カターレ富山が地域に喜びを与える活動を通じて、企業の社会貢献と連動することで、大きな支援を得られると考えています。
アッティ
例えばBリーグもあれば、それこそ野球もあったりとか、様々なチームもありますし、企業のお話をされましたけど、企業もいろんなとこに対するスポンサーをするわけじゃないですか?
そのときに何かやり方ってのは考えてらっしゃるものなんですか?
左伴 繁雄
過去の経験からいくと、チームが強くて良い選手がいるだけじゃ絶対に大きなお金は動かないんですよ。
やっぱり企業さんっていうのは、「チームが上に上がったから、じゃあお金いっぱい出すか」っていうとそうではなくて。
その地域に所在している企業として、地域の方々の幸せに資するような活動を作る。その企業自体も、地域貢献ということでお考えになってらっしゃるので。
「その規模もね、レベルも、カターレさんは到底わが社よりも上だな」と。「地域の人に大きな喜びを与えて、潤いを与えてるな」と。そういうことをご評価していただいた上で、お金を動かしていただくっていうのが過去の僕の経験なんですよね。
アッティ
なるほど。
左伴 繁雄
だからちょっと勝った負けただけじゃなくて、カターレがある富山ということ。この地域で、県民の方々がね、「ああ、カターレがあってよかった」って思ってくれるその声がね、企業さんに届かないと大きなお金を動かしていただけないと思ってるので、そこはキーですね。
アッティ
そうですね。その何か単なるスポーツ振興という感じはしないような気しますよね。
企業の立場からすると、普通は「Jのチームにスポンスしました」と。そうすると要は「富山におけるスポーツ振興をより良くしていくためにやってるんだ」みたいな、そういう感覚でしかないようなところがありますけど。
カターレ自身が多くの社会貢献に繋がってることが、スポンスする企業の社会貢献に繋がるということなんですかね。
左伴 繁雄
カターレは、この地域で非常にプロフィッタブルである (役立つ、ためになる) というふうに思っていただいて初めて、「わかった、胸のスポンサーやるよ」とかね。
「そのお金で、そういう活動に充ててくれ」と、「単に勝った負けたのチームだけじゃなくて、そういうカターレを俺たちは応援する」っていう、そういう企業さんがやっぱり多いと思いますよ。
カターレ富山の存在意義
表情豊かに感動して涙を流す人がいる。このように、富山県民に「カターレがあってよかった」って思っていただける活動の全てが、カターレ富山がある意義に繋がります。
アッティ
そうすると「カターレ自身はもちろんJ2に上がることが全てでもないし、それこそ優勝することが全てでもないし」っていうと、カターレの存在意義ってのはどこにあるものなんですか?
左伴 繁雄
「ここにカターレがあってよかった」って思っていただける活動全てが、カターレがある意義に繋がって。
アッティ
あぁ。
左伴 繁雄
だから、おじいちゃんおばあちゃんとこ行ってユニフォームを一緒に着てね、DAZN見ながら「一緒に旗振って、応援してよかったね」って。
「無表情で無感動で無反応な人が、表情豊かで幸せそうで感動して涙ぐんでたよ」っていうのもカターレですよね。
アッティ
なるほど。先ほどちらっと話があったとおりですね、例えば、J1ですと40億でしたっけ。
左伴 繁雄
はい。
アッティ
っていうのがありましたけど、我々は「今J3のカターレが、J2にはやっぱり行ってほしい」という目標が、もう一方であると思うんですけど、J1も行く可能性ってあるんですかね?
左伴 繁雄
よくね、「J2に戻りたい、J2昇格したい」とか、「復帰だ、復帰だ」とかって言ってる人いるけど。
J2もJ1も経験してる身としてみると、J2とJ3ってそんなに変わるものではないんです。
アッティ
そうですか。
左伴 繁雄
サッカーが強い弱い。ただ上がるのが大変なだけで。
よく「滝をのぼるのは大変だけど、のぼり切って上の海で、湖にでたらね、静かに暮らせる」って、あれと同じで。のぼるの大変ですよ。
アッティ
うんうん。
左伴 繁雄
だけど、そんな変わんないです。J2に行ったら、「もったいないから、もうその先行くよ」って言って。
アッティ
そうすると何か、県民としては「J1目指すぞ!」みたいなものがあるっていうのは、とても夢のある話のような気がしますよね。
それが実際、今期スタートしてるわけでありますけれども、今期の活躍については「より強いチームとして、また結果を残して欲しいな」というふうに思っています。
次回は、富山に来てみての感想。そういったものを含めて、お話をいただければなと思っております。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲
富山県に来た感想
左伴繁雄さんは富山に来た際、立山連峰の美しさに感動し、富山の魅力をもっと誇るべきだと感じました。
でも、その町で自分たちが個人的に楽しんでる幸せ感っていうのも、住んでるとだんだん分かってきました。
アッティ
最終回につきまして、サッカーの話はちょっと横におきまして、実際富山に来られてみての感想。そういったことをちょっとお聞きしたいなと思いますが、来られたのはいつでしたかね?
左伴 繁雄
ちょうど昨年 (2021年) の3月の2日。「J3からJ2や!」って願掛けて、3月2日に行くぜとかっていって。
アッティ
そうなんですね。なるほどなるほど。実際富山に来られてみてどうですか? 富山の県民性もそうですし、富山の町も含めてどういう感想を持たれましたかね?
左伴 繁雄
私ね、とにかく感動の連続で。東側に向かって車で橋を渡ってたときに、橋ってだんだん上って下っていくじゃないすか? 上ってったときにね、山の壁がね、ブワーッと出てきたんですよ!
アッティ
おぉ。
左伴 繁雄
立山連峰。
アッティ
立山連峰ね、そうですよね。
左伴 繁雄
これはすごいなと。「こんな景色見たことないな」っていう。町の背後に、こんな山が迫ってて。
アッティ
なるほど。
左伴 繁雄
雪を少しこうね、かぶってて。それはね、やっぱり圧倒されましたね。
アッティ
あれ見るとね。当たり前の景色になってしまって、その感動がちょっと薄れてるんでしょうけど。
左伴 繁雄
そっから始まったのはね、「なんで富山の人は、もっと自分たちのこと自慢しないんだ」って。
アッティ
しないですよね。
左伴 繁雄
お金も持ってるし、美味しいものもいっぱい知ってるし、それから美術館とかね、文化度も高いし。それをね、もっと前面に出してもいいと思うぐらい。
ただね、金沢が横にあるじゃないですか。太平洋側にいると、観光地のパンフレットって金沢ばっかりなんですよ。
アッティ
だいたいそうですよね。
左伴 繁雄
富山の人ってそういうところのアピールがうまくないのかな。でも逆に、その町で自分たちが個人的に楽しんでるその幸せ感っていうのも、住んでるとだんだんわかってきて。
僕もね、あんまりひけらかさなくなっちゃったんですよ。
アッティ
逆に言わなくなったわけですね。なるほど。
でも私は、県外から来られた方がタクシーに乗って「どっかいいとこない?」って話をすると、「いやー、どこも富山良いところなくて」っていう、あの言葉を変えたいなっていう気持ちは、富山県民でありながらも、やっぱり非常に思うとこあるんですけどね。
左伴 繁雄
ぜひね、そういう方がもっと出てきてくれたらいいなと思いますね。
富山県内のお気に入りの飲食店
アッティ
食事はどうです?
左伴 繁雄
たまに連れてっていただくお寿司、前にいた清水はマグロ主体で。
アッティ
そうですよね。あちらはね。
左伴 繁雄
ある程度富山は豊富なんですよね、種類がね。
アッティ
確かに確かに。
左伴 繁雄
で、いろんな味があったりして、ます寿司でもいろんな種類の味があるでしょう。
そういうところの精神性っていうのかな。その機微の細かさっていうのが、そういうのはちょっと感動もので。「いい町だな、いい人だな」っていう。
アッティ
嬉しいですね、そう言っていただくと。例えば富山で「ここ大好きだ」っていうようなお店って、どこかありますかね?
左伴 繁雄
チェーン珈琲店とかだと、高倉町珈琲店とかですね。
アッティ
あぁ、はいはい、ビートルズの歌が流れてるところですよね。
左伴 繁雄
そう。オーナーがビートルズ好きだって言って、僕も好きだから。
アッティ
そうですか。
左伴 繁雄
ああいうところで、考えごとしたりするのに、たまに行くぐらいでね。
アッティ
なるほど。
左伴 繁雄
どっか連れてってください。
アッティ
そうですね、ここからちょっとご一緒するようにいたしましょう。いくつか「ここ行ってください」っていうところをちょっとずつ。
左伴 繁雄
アッティさんの「ここ推し店」とかね。
アッティ
そうですね。
リクエスト曲
アッティ
今回は最終回ということでもありますので、左さんの方からですね、この曲が大好きだっていうような曲を1曲選んでいただいて、ここで流して参りたいと思いますが。
左伴 繁雄
Char (チャー) っていう日本のギタリストの「A Fair Wind」っていう曲ですね。もうずっと試合のときのルーティン楽曲なんですよ。
アッティ
ほうほうほうほう。
左伴 繁雄
車で競技場に行くときにかける一発目の曲は、この曲で。
アッティ
なるほど。
左伴 繁雄
マリノスで優勝したときの、選手入場のときの曲がこの曲で。
アッティ
これ、カターレの試合のときも。
左伴 繁雄
勝ったときにね、これはかけようぜと。
アッティ
なるほど。
左伴 繁雄
勝ったときに。
これからの夢や目標について
「富山での個人的な目標は、J1での優勝。これが自身と富山県民の幸せに繋がる」。左伴繁雄さんは富山駅に降り立ったときからこの目標を抱いており、カターレ富山と県民が一体となって盛り上がることを目指しています。
アッティ
それでは最後の最後になってまいりますけれども、今期はJ2復帰が最大のミッションという捉え方っていうのは、県民もそうですしね、左さんの方にもあるかと思いますけれども。
個人として、富山で実現したいこと、そういったことがあれば、お聞かせいただけますか?
左伴 繁雄
一番最初に富山駅に降り立ってクラブを見て、県民の皆さんを見て、何となくおぼろげながらにこう考えてるのは…
J1で優勝した大きなシャーレを私は2回掲げたことあるんですけど、それを達成できたら自分も幸せだろうし、富山の人も喜ぶだろうし、やっぱりそれがここでの目標かな、っていうふうに思いますね。
アッティ
そうですね、シャーレ楽しみですね。そういった意味では盛り上がると思いますしね。
カターレに対する想いだけでなく、富山県民自体が意欲的な気持ちにどんどんなれるようなきっかけに、間違いなくなると思いますのでね。
お風呂の中でのぼせて参りましたので、そろそろあがらさせていただきたいと思います。
今月のゲストは株式会社カターレ富山代表取締役社長、左伴繁雄さんでした。左さんどうも、1ヶ月間ありがとうございました。
左伴 繁雄
ありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。