
こんにちは、セイセイです。
「熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、サクラパックス株式会社 代表取締役の橋本 淳 (はしもと あつし) さんです。※2025年1月現在
「ハートのリレーで笑顔を創り、世界の和をつなぐ」という理念のもと、被災地支援にも注力するなど、大活躍の橋本さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
サクラパックスに入社するまで

臨時パーソナリティ「セイセイ」
アッティの海外出張により、「セイセイ」さんがパーソナリティを務めることに。
ゲストの橋本淳さんは周囲から「変わった声」「いい声」と評されることが多いものの、ラジオ出演は珍しく緊張した様子で番組をスタートさせました。
セイセイ
こんにちは、セイセイです。
いつもこの番組のパーソナリティを務めているアッティが今回は海外出張で出演できず、「謎のパーソナリティ」は私「セイセイ」が務めさせていただきます。
まずは皆さん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
そして橋本さん、どうぞよろしくお願いします。
橋本淳さん
よろしくお願いします。
セイセイ
まずはじめに、橋本さんはすごい素敵なお声をされていますよね。
過去にラジオに出演されたことはあるんですか?
橋本淳さん
周りの方から「何か変わった声してるね」とか「いい声だね」と、よく言われることがあります。
でも実は、テレビにはたまに出ることがあるんですけれども、ラジオに出演したことはあまりなくて。すごく緊張しております。
サクラパックスの会社概要
橋本淳さんは、富山市出身の53歳で、現在サクラパックス株式会社の代表取締役。
サクラパックス株式会社は、北陸信越地域をカバーするダンボール製造販売会社で、特に設計を伴うパッケージを得意としています。
コロナ禍でのEC取引増加により、一般消費者のダンボールへの認知が高まりましたが、あまり知られていないダンボールの魅力についてもラジオ内でたっぷりと語っていくつもりです。
セイセイ
今月は全5回にわたっての放送になりますので、橋本さんの過去から現在までをたっぷり聞いていきたいと思います。
まず最初に、簡単で結構ですので、自己紹介と会社紹介をしていただけますか?
橋本淳さん
橋本淳と申します。現在53歳の男性で、富山県富山市に生まれました。
後ほど大学の話をするんですけれども、少し県外に行っていて、そこからサクラパックスに入社しました。
うちの会社の説明をさせていただきますと「サクラパックス株式会社」と申しまして、ダンボールの製造販売を行っている会社であります。
富山・石川・福井の北陸3県と新潟に工場を保有し、だいたい「北陸信越」と呼ばれるところをエリアにして商売をさせてもらっているところです。
皆さんの家でも使う四角い箱のダンボールも、もちろん製造させてもらっているんですけれども、設計が伴うパッケージを得意としている。そんな会社であります。
セイセイ
ダンボールといえば、日常生活に欠かせないものですが、あまり強く意識したことのないものではありますね。
橋本淳さん
コロナ禍の時代を思い出していただくと、たぶん皆さんECサイトで様々なものを買われてたと思うんです。
そうすると家には、いらなくなったダンボールが沢山あって、意外とそこでなじみがあるんじゃないですかね。逆の言い方をすると、ダンボールがめちゃくちゃ邪魔だったんじゃないかと。
でも実は、ダンボール自体にも様々な面白みがあるので、全5回たっぷりとダンボールの魅力についても語っていきたいと思っております。
セイセイ
すごい楽しみです。
橋本淳さん
ありがとうございます。
無気力だった幼少期&学生時代
橋本淳さんは、現在の活躍とは対照的に、幼少期から大学時代までは無気力な日々を過ごします。
スポーツや勉強などで特に打ち込んだものもなく、何事にも興味を持てなかった時期が続き、小学校時代の記憶も曖昧なほど学生時代は消極的でした。
セイセイ
橋本さんの幼少期から学生時代についてお話を聞いていきたいと思います。
幼少期は、どんな子だったんですか?
橋本淳さん
めちゃくちゃ面白くない話になってしまうんですけれども、実は幼少期から大学くらいまでは、ずっと無気力状態で過ごしていました。
例えば何かに特化して、スポーツをすごいやったとか、勉強をすごいしたとかってことは全くなく、何かに興味を持つってこともほとんどなかったですね。
「小学校のとき、どんな子でした?」って聞かれても、無気力であんまり覚えてないので答えることができないという。
小学校の同窓会などに行くと、なんとなく友達の顔はわかるんだけど「あれ、この人たちとどういうことしたかな?」ってピンとこないぐらい無気力な時代でした。
セイセイ
今のご活躍を見ていると、まさか子どもの頃はそんな無気力だったとは全く見えませんが、そうだったんですね。
橋本淳さん
そうなんですよ。面白くない話ですみません (笑)
アメリカ留学での転機
橋本淳さんは大学卒業後も目標がなく、とりあえず紙を扱う商社に入社しました。
京都での勤務を経て、シアトルに2年間留学。アメリカの多国籍な環境と、広大な大地の中で自己と対峙し、価値観が変化します。
人生の悩みが些細に思え、帰国後、父が経営するサクラパックスへの入社を決意しました。
セイセイ
無気力だったのは、いつ頃までだったんですか?
橋本淳さん
大学生活でも、「僕は何のために大学に行ってるんだろう?」と思ってたぐらい無気力だったんです。
いよいよ仕事をし始めるときにも、目標がなかったので「これからどうしようかな」って…
とりあえず、とある紙の商社に入社するんですが、強い想いはありませんでした。
配属がたまたま京都になったということもあって、京都に1年間いたんですけど、ずっと「僕はなんで京都にいるんだろう?」と思って過ごします。
将来とか目標とか進むべき道が見いだせなかったので、「ちょっとお金も貯まったし、1回海外に行ってみようかな」と、アメリカのシアトルに2年間ぐらい留学をしたんですよ。
そこで、自分自身が変化した出来事がありまして。アメリカって、多国籍じゃないですか?
セイセイ
確かに。
橋本淳さん
様々な国の人たちがたくさん集まってるし、肌の色も違えば宗教も文化も違う。言葉も違って、みんなが英語を喋るわけじゃない。
そして自己主張がすごく強い人たちが山ほどいるんですよね。そういった人たちと会話をしていると「世の中っていろいろな人たちがいるんだな」と思ったことがまず一つ。
もう一つは、実は私、大きな公園とか大地を見るのが好きなんです。
アメリカには、グランドキャニオンとか、モニュメントバレーとか、有名な「国立公園」があって。そういうのを見るのが大好きで、何度か1人で国立公園の旅をしたことがあるんですよ。
あるとき「デスバレー」と呼ばれる大地で1人ポツンと立ってたら、すごく広大な大地の中で自分がちっぽけに感じたんです。
そのとき「自分の夢」とか「目標」とか「将来どうしようかな」って考えてること自体、何か小さなことに感じられて「人間って小さいな」と思って。
それだったら、せっかくうちの親父がサクラパックスという会社を経営しているんだから「もう自分の夢とか目標とかあまり気にせずに、1回日本に戻って入社してみようかな」というところからスタートいたしました。
セイセイ
サクラパックスに入社したきっかけは、そんな感じだったんですね。
橋本淳さん
そうなんです。
サクラパックスでの経験
橋本淳さんは入社当初も無気力でしたが、過酷な工場環境で働く中で社員の苦労を実感します。
その経験から、現在は社員への感謝と敬意を大切にし、ドリンク無料化など、社員の身近なニーズに応える取り組みを実施。
「ありがとうカード」の文化も定着しており、社員の笑顔を大切にする経営を実践しています。
セイセイ
サクラパックスに入社して、まず最初はどんな様子だったんですか?
橋本淳さん
これも残念なんですが、実はサクラパックスに入社してからも無気力でした。
あまり「仕事したいな」という気はしていなかったんです。
でも、ダンボールを作る工場って、夏はめちゃくちゃ暑くて。それでいて、冬はめっちゃくちゃ寒いんです。
セイセイ
そうなんですね。
橋本淳さん
そんな環境の中、実際に工場で働いてみると、周りにいる他の社員の方々の気持ちがわかるようになりました。
「みんなこんなに暑~い中で仕事をしてくれていて、ダンボール1枚を本当に苦労しながら作ってくれているものなんだな」って。
まさに「汗も水も流しながら作っている」ということをそのときに感じました。
それは今でも、自分の中に強く残っていて。社員の方々に対しては、大きな感謝と敬意を忘れずに仕事をしています。
セイセイ
今年 (2024年) 夏の新聞記事にも載っていましたが、だから暑いときにドリンクを無料で飲み放題にし、社員の皆さんに提供されたんですね。
橋本淳さん
そうなんですよ。社員の方々を笑顔にする活動は、社内でたくさん行ってるんですけどね。
その中でも、ちょうど今年の夏「ドリンクを無料にする」ということが一番反響が強く、みんなすごい喜んでくれました。
弊社には「ありがとう」と思ったら、手紙を書く「ありがとうカード」という取り組みがあって。そのときは社長に「ドリンク無料にしてくれてありがとうございます」みたいなことを書いたカードがたくさん届きました。
そのとき「みんなが身近で求めてること、身近で苦労してることに応えてあげることこそが、一番大事なことなんだな」と感じましたね。
セイセイ
今回は橋本さんの生い立ちから始まって、サクラパックス入社までのお話を聞かせていただきました。
次回は「無気力だった橋本さんが、どこから気力が湧いてきたか?」というお話を聞かせていただきます。
サクラパックス入社後に起きた心境の変化

入社後も続いた無気力期
橋本淳さんの無気力状態は、サクラパックス入社後も続きます。
新潟工場を皮切りに、石川での営業、富山での営業・経理と、実務をこなしながらも、「社長の息子」という周囲の見方とは裏腹に、モチベーションの上がらない日々を送っていました。
セイセイ
サクラパックスに入っても、やる気がなかなか上がってこなかったんですか?
橋本淳さん
普通は会社に入ると、やる気もグッと上がるものだと思うのですが、私の場合はそうではありませんでした。
私はサクラパックスに入社して、最初は新潟の工場で働いていたんですね。その後、石川に行って営業をして、そしてまた富山に来て、営業や経理なんかをしていたんです。
実務をしっかりこなしていたのですが、モチベーションは上がらず。
周りの人たちは「社長の息子だ」みたいな見方をしてくるんですけれども、こちらとしては正直、無気力のままだった。そんな状況でしたね。
青年会議所での転機
橋本淳さんは28歳のときに入会した青年会議所 (JC) で、無気力だった人生に転機が訪れました。
青年会議所では、橋本さんが何気なく作った案内文が大きく褒められ、それまで欠如していた他者からの承認を得て、自己肯定感が向上。
そこから人生が変化し、最終的には4万人規模の日本青年会議所のNo.2にまで上り詰めました。
セイセイ
どこで無気力から脱却し、やる気が出てきたんですか?
橋本淳さん
やっと無気力から脱却できたきっかけは、2つあります。
一つはちょうど28歳のとき、富山に戻ってきて2年ぐらい経った頃に青年会議所に入会したんです。
いわゆる「JC (ジェイシー)」と呼ばれるところで、40歳までの青年経済人が集まって、世の中のために地域貢献をしながら自己研鑽をしていくという団体で。
真剣にやっていくと、リーダーシップやマネージメントなどが、しっかりと身につくんです。
今でもよく覚えてるんですけれども、青年会議所に入会してちょうど半年ぐらい経った28歳のときに、あるまち作りの委員会に配属になったんですね。
そこで新人の私に、先輩がいきなり「橋本、ちょっとこの案内文を1枚作ってみろ」とおっしゃって。ワードを使って、ササッと案内文を作って提出したら、先輩が「お前すごいな!こんなの作れるのか!」と言ってめちゃくちゃ褒めてくれたんですよ。
大した内容じゃないんですけれども、案内文を作って出しただけですごく褒めてもらえて「これ、何だろう?」と思ったんです。
その後も、様々なことをやっていく中で「褒められる」という経験を多く体験して。
今振り返ってみると、無気力だった原因の一つは「人から褒められる」「認められる」ということがあまりなかったからなんですよね。
「私に自信がなかった」というのがあったのかもしれませんが、例えば親であったり、周りの友達、先生など、そういった人たちから「すごいね!」と褒められることが、ほとんどなかったんだなって思いました。
青年会議所では、ただ案内文を作るだけでもすごい褒めてくれるので、褒められることによって、だんだんと自分の中に自信がわくようになってきたんですね。
よく自己肯定感が低い、高いって言いますけど、昔は自己肯定感がめちゃくちゃ低かったんだと思います。でも、青年会議所に入って認められていくことによって、少しずつ自分の中の自己肯定感が高まってきました。
そこから、「自分自身の中で一つスイッチが入ったな」と思っています。
40歳になったときには、実は「日本青年会議所」という団体をまとめてるところのNo.2にまでなったんです。この「日本青年会議所」って、全国で4万人のメンバーがいる結構大きな団体なんですよ。
セイセイ
すごいですね!
東日本大震災での復興支援活動
2011年、日本青年会議所の副会長として防災担当だった橋本淳さんは、東日本大震災の支援活動の指揮を執り、400トンの物資支援、延べ3万人のボランティア派遣を統括。
福島での炊き出し活動後、避難者たちが数分間にわたり頭を下げ続ける姿に深く感動し、「誰かの笑顔のために生きる」という人生の目的を見出しました。
橋本淳さん
単年度ですが、2011年に副会長という役割になりました。
そのときの私の担当が「経済」や「環境」、そしてあともう一つは「防災」だったんですよ。
そんな中、2011年の3月11日、あの東日本大震災が発災します。たまたま防災の担当だった私がそのときのトップである会頭から「全国の青年会議所、4万人の力を全部借りて、東日本大震災の復興活動についてくれ」と言われたんです。
そこから、もう10ヶ月間ぐらい富山には全く戻らずに東北に入ったり、東京でコントロールをしたりする役割をずっと担っていました。
最初は、食べ物や物資が必要だということで、物資を全国からかき集めて、被災地の方々のニーズに合わせて届けました。約400トンの物資を全国からかき集めて送ったんです。
物資の次に大事になってくるのは「人」です。がれきの処理など、様々なところに人の力が必要になので、全国の方に声をかけて、延べ3万人に被災地に入ってボランティア活動をしていただきました。
そのように司令塔的な役割をずっとやっていた中で、東北に数十回入って炊き出しや青空市みたいなこともしたんですよ。
今でも覚えているのですが、福島県の浪江町で原発問題があって「半径10キロ圏内の、人が入れないエリアのすぐ横にある中学校に、おじいちゃんおばあちゃんが避難している」ということで、炊き出しに行ったんです。
焼き肉丼みたいなものをバーッと振る舞ったら、おじいちゃんおばあちゃんがすごい喜んでくれました。
大体2泊3日でボランティアをして、帰るときに30人くらいの方々がお見送りに来ていらっしゃったので、「また一緒にボランティアしに来ます」って言ったら、「また来てください、一緒に頑張りましょう」って言ってくれて。それで、その場を去ったんです。
富山から福島まで5人くらいが乗った車で帰ろうとしたら、30人みんながパッと頭下げて「ありがとうございました!」って言ってくださって。
たまたま左にも右にも曲がる道がなかったので、何分間かずっとまっすぐの道を走らせていたんです。それで、ちょうど左に曲がるところがあったので、たまたま後ろを振り向いたんですよね。
お見送りしてくれてから何分も経ってるので「当然誰もいなくなってる」と思って、ふと振り返ったら、30人が全員残ってらっしゃって。遠いので、もうだいぶ小さくなっているんですけどね。
セイセイ
すごいですね。
橋本淳さん
よくよく見たら、全員が頭を下げ続けてるんですよ。
セイセイ
ずっとですか!?
橋本淳さん
数分間ですよ!? それを見たときに、自分の中で「ビビビッ!」と走るものがありました。
当時40歳でしたけど、それまで「自分が何のために生きてるか」とか「自分の存在意義が何か」などを考えたことって全くなかったんです。
でも、そのとき「誰かの笑顔のために生きていく」というのが、自分の中にストンと落ちてきて。そこから自分の中でかなり大きなスイッチが入って、それを会社に持ち帰り、そこから社長業にも繋がっていったんです。
これがまず、1つめの私自身がやる気になったきっかけなんですよ。
セイセイ
素晴らしい!
社長としての責任感
橋本淳さんの2つ目の転機は、社長就任です。
社長に就任し、350名の従業員とその家族の人生を背負う重責を実感しました。
「従業員とその家族を笑顔にする」という使命感と、東日本大震災での経験。この2つの出来事が、現在の積極的な経営姿勢の源となっています。
橋本淳さん
もう一つのきっかけは、実は、社長業なんです。社長になるまでは、あんまりスイッチが入ってなかったんですけどね。
今、社長になって15年になりますが、やっぱり社長になった瞬間に「従業員の人生や家庭を背負わなきゃいけないんだ」ってことが、自分の中にストンと入ってきました。
うちは従業員の方が350名いらっしゃるんですけど、さすがに今までみたいにフラフラと「やる気がないからどうのこうの」じゃないんですよね。
人生を背負うって、ものすごく重たくて「この人たちのために俺はやってくんだ」と思いました。
さっき「笑顔を作る」って言い方をしましたけども、社長に就任したとき、まさに「従業員の方々を笑顔にしていく」「家族を笑顔にしていく」ということを強く感じて、そこから自分の中にまたやる気が入ったんです。
「JC (青年会議所) で東日本大震災を経験したこと」そして「社長になったこと」、この2つの出来事によって自分の中にスイッチが入り、今のような元気な私になっちゃいました。
セイセイ
人っていうのは、何かのきっかけで大きく大きく変わるものなんですね。
橋本淳さん
はい、変わっちゃうんです。
セイセイ
今回は、橋本さんが無気力から脱却し、大きく前向きにやる気を持つようになったきっかけについてお話いただきました。
次回は、やる気になった橋本さんが行っている世の中を笑顔にする活動についてお話を聞いていきたいと思います。
サクラパックスの社会貢献活動

社会貢献活動への想い
サクラパックスでは、東日本大震災での経験から「笑顔を作る」という理念を導入しました。
橋本淳さんは、企業の社会貢献について各社の専門性を活かすべきと考え、サクラパックスではダンボールと包装設計という強みを活かした独自の社会貢献活動を展開しています。
セイセイ
前回は、生まれたときからサクラパックスに入社しても無気力だった橋本さんが、東日本大震災の支援、そして社長に就任することによって大きく考え方が変わり、やる気が満ちあふれ、前に進むようになったお話をいただきました。
今回は、前向きになった橋本さんによる、世の中を笑顔にする活動について聞いていきたいと思います。
テレビや新聞の記事では、サクラパックスが様々な社会貢献活動をしている姿をよくお見かけします。過去の経験の影響で、このような活動を行うようになったんですか?
橋本淳さん
そうなんです。やはり「東日本大震災での復興活動の経験が大きかったかな」と思っています。
あの経験で本当に自分自身の考えが変わって「世の中にたくさん笑顔を作ろう」という想いになり、会社にもその考え方を持ち帰ったんです。
今は様々な企業が「社会貢献」と言っていますが、考えてみると確かに、税金を納めるのももちろん社会貢献で、雇用を作るのも社会貢献。でも、これは企業としてみれば当たり前のことだと思うんですね。
私は、それぞれの企業が持っている専門性を活かした社会貢献の取り組みこそ、企業がやるべきだと思ってるんです。
サクラパックスの専門性は何かというと、まず一つはダンボール。もう一つは包装設計。このダンボールと包装設計を活かした社会貢献を徹底的に行っています。
セイセイ
なるほど。専門性を活かした社会貢献なんですね。
熊本城復興プロジェクト
サクラパックスでは、創業70周年を機に、熊本地震の被災者支援として「熊本城復興プロジェクト」を立ち上げました。
ダンボール製の熊本城キットを2,000円で販売し、全額を寄付。さらに組み立て時間37分間の「熊本への想い」を集める意味と、キットを目にすることで震災を忘れない「風化防止」という3つの目的を持つ活動を展開しました。
セイセイ
具体的にはどのような社会貢献をされているんですか?
橋本淳さん
実はたくさんやっていて、全部話すとたぶん3時間ぐらいかかってしまうので、かいつまんでお話していきたいと思います。
うちの会社は2025年に創業78周年を迎えるのですが、70周年のときに、せっかく70周年だということで「何か世の中を笑顔にする活動しよう」という話があったんです。
そのとき、社員が「うちの会社は様々な社会貢献をして、世の中をいっぱい笑顔にしてます。せっかく70周年なので、今一番笑顔じゃない人を笑顔にしませんか?」ということを言われたんです。
「それはいい!」と言って、「じゃあ、一番笑顔じゃない人って誰ですかね?」という話をみんなで議論していったら、そのときに大きな地震があったので「熊本の方々が一番笑顔じゃないはずだ。熊本の方々を笑顔にしよう」となりました。
富山県人は「立山」がプライドであり誇りですが、熊本のプライドや誇りを聞くと、多くの方が「熊本城だ」と言われる。
セイセイ
そうなんですね。
橋本淳さん
朝起きて窓を開けたら、自分のプライドや誇りである熊本城が崩れ落ちてしまっている。
その姿を見たら、当然、笑顔になるわけがないですよね。
セイセイ
確かに。
橋本淳さん
だったら「熊本の方々の誇りを取り戻す活動をしよう!」ということで、社内で「熊本城復興プロジェクト」を立ち上げて「熊本城の立て直しをして、熊本の方々を笑顔にしよう!」という活動をするようになりました。
具体的には何かというと、セイセイさん、ちょっとこれ見てみてください。
これ、差込式の熊本城のダンボール製のキットなんです。意外に小さいでしょ?
セイセイ
はい、意外に。
橋本淳さん
実はこれ、1個2,000円で販売しています。
「売り上げの全額を熊本城復興に充てて寄付しよう!」というのが、まず1つめ。
セイセイ
素晴らしいです。
橋本淳さん
1つめっていうのは、実は3つのアクションがあるからなんです。
2つめのアクションは何かというと、これ1個を組み立てるのに平均37分かかるんですよ。
みなさん、この熊本城のキットを組み立てるときに、熊本のことや、もしくは熊本城のことを想いながら組み立ててくれるんですよね。
その「熊本のことを想ってくれてる時間を、全世界からかき集めて、それを熊本の方にプレゼントしよう!」というのが2つ目のアクションです。
セイセイ
はいはい。
橋本淳さん
3つ目のアクションは、実はあまり知ってる人がいないんですよ。
これ (熊本城のキット)、結構かわいらしいじゃないですか? だから皆さん、自分で作ると机の上などに置かれるんです。すると、朝起きたときにそれを見て熊本を思い出す。
災害の一番の問題点って、実はお金だけじゃなくて「忘れられてしまう」ということなんです。
セイセイ
「風化」ですね。
橋本淳さん
まさに「風化」なんですよ。能登地震も、1年も経ってくると県外では結構な人が忘れてらっしゃるんですね。
だから、要は「忘れられない」「風化をなくす」ということ。
この熊本城のキットを見えるところに置いておくといつも思い出すということで、実はその3つのアクションで成り立ってるんですね。
まさにこれが、1つめの大きな社会貢献事業としてやらせていただいたことです。
コロナ禍での支援活動
現在、廃棄問題が深刻化しているアクリル製パーテーションですが、橋本淳さんはダンボールのリサイクル率が98%という点に着目し、環境配慮型の解決策を早期に提案。
コロナ禍初期に、サクラパックスから全国400施設に約1万枚のダンボール製のパーテーションを無償提供しました。
橋本淳さん
もう一つは、数年前にコロナが流行ったじゃないですか?
セイセイ
ありましたね。
橋本淳さん
実は、コロナのときも様々な活動をやっていたんです。
「パーテーション」ってあるじゃないですか?
セイセイ
ありますよね。
橋本淳さん
今でこそ、もうパーテーションってなくなってきたのですが、当時は、例えば机の前に透明なアクリル製のパーテーションみたいなものが置いてあって。
セイセイ
ずっとありましたね。
橋本淳さん
よくありましたよね。実は、コロナ禍になってすぐくらいに、サクラパックスでダンボールのパーテーションを作っていたんです。
それで、全国の病院や関係施設400か所に、約1万枚のパーテーションをいち早く無償提供させてもらいました。
そのときに、実は「ダンボールだから意味があるんです」って言ってたんです。なぜかというと、ダンボールってリサイクル率が98%なんですよ。
セイセイ
かなり高いですね!
橋本淳さん
だから、たくさん使っても「ダンボールになって戻ってくる」「リサイクルできる」、そういった商材なんです。
アクリル製のパーテーションが今どうなってるかというと、廃棄問題が国会でもすごく問題になっている。
セイセイ
確かに。
橋本淳さん
「だから言ったじゃないか!」って。
セイセイ
ですね。
橋本淳さん
「リサイクル率が高いから、ダンボールにしとけ」と言ってたという。そういう事業も実はやっています。
富山HappyBabyプロジェクト
サクラパックスは、富山市との協働で、年間約3000人の新生児に「はじめてばこ」を贈呈する「富山HappyBabyプロジェクト」を展開しています。
箱の中には、「富山の材料を使用」「富山の企業が製造」「富山もようのデザインを使用」のいずれかの条件を満たす育児用品の詰め合わせセットが入っています。
生まれたときから子どもたちが富山を身近に感じられる環境づくりで、郷土愛の醸成を目指す試みです。
橋本淳さん
もう1個いいですか?
セイセイ
どうぞ!
橋本淳さん
富山市とタイアップしてできた事業で、「富山HappyBabyプロジェクト」という事業があります。
どんな事業かというと、富山市では毎年3,000人近くの子どもが生まれてくるんです。その「富山市で生まれてくる子どもたちを、富山大好きっ子にしよう!」という事業で。
「はじめてばこ」というボックスがあるんですけど、そのボックスの中には子どもが生まれてすぐ使うもの、例えば、マグカップや、スプーン、おくるみ、スタイなどが入ってるんです。
富山市で子どもが生まれると、それらがプレゼントされるという。
セイセイ
すごいですね。
橋本淳さん
実は、ここには3つのテーマがありまして。
一つは「富山の材料を使っているか」もしくは「富山の会社さんが作ってるか」もしくは「『富山もよう』という模様が入ってるか」という、必ずそのどれかに決まっています。
セイセイ
全部富山関連なんですね。
橋本淳さん
そうなんです。そうすると生まれてきた子どもは「いつも富山が横にある」「富山が好きになる」という、そんな事業も行っています。
実際はまだまだあるんですけれども、こんな形で世の中をたくさん笑顔にさせてもらっております。
セイセイ
いや~、すごいですね!
「ダンボール屋さんがこんなことまでやっているんだ」というような活動だらけですね。
橋本淳さん
そうなんですよ。
でも、こういうことができるっていうのは、ありがたいことですよね。
社員の自主的な活動
当初は橋本淳さんが一人で行っていた社会貢献活動も、イベントなどに社員を巻き込むことで、徐々に「他人事」から「自分事」へと意識が変化していきました。
現在では、社長の知らないところで、社員が独自に社会貢献活動を展開するまでに成長。
ガバナンス面での課題はあるものの、橋本淳さん自身は社員の自主性を喜ばしく感じています。
セイセイ
社会貢献活動の発案は、誰が行うのですか?
橋本淳さん
最初はずっと、ほとんど私1人だけで行ってました。
でも、だんだんと社員の方々も巻き込むようにしていったんです。
例えば、熊本城の復興プロジェクトでイベントを開催する場合、そこにはできるだけ社員の人に入ってもらって、社員自らが説明するわけです。
そうすると、だんだんと「他人事」から「自分事」になっていくんですね。そのようにして、社員の方をどんどん巻き込むようにしてきました。
そのことによって、みんな気持ちが芽生えるようになってきて、最近ではなんと、私が知らない事業をやっていたんですよ!
セイセイ
へぇ~!
橋本淳さん
私が朝、新聞を見たら「サクラパックスがこういう社会貢献事業をやっています」という記事が載っていて。
「おっ、なんだ!? いやいや、何かやってるやん!」みたいな。
実は、そんな状況にまでなっています。
セイセイ
社長の橋本さんが知らないことが勝手に記事になってるって、それはそこそこ問題ですね (笑)
橋本淳さん
実は相当問題なんですよね (笑)
ガバナンスがきいてない会社という問題があるんですけども…。ただ、私としては、結構嬉しいことなんですよね。
だから今では、私が何も言わなくても、社員のみんなが当たり前のようにどんどん世の中を笑顔にする活動をし始めていて。そういった社員が育ってきてくれていることは「本当にありがたいな」と思っています。
セイセイ
「素晴らしい!」としか言いようがない社会貢献ですね。
橋本淳さん
ありがとうございます。
セイセイ
今回は、世の中を笑顔にしようと考えているサクラパックスが行う社会貢献についてお話をいただきました。
次回は、2024年の元旦に発生した能登半島地震に対しても大きな貢献をしているということで、その話をお聞きしていきます。
また、サクラパックスとしてではなく、個人でも行っている社会貢献について聞いていきたいと思います。
社会貢献「活動」から「運動」へ

能登半島地震発災後の対応
橋本淳さんは2024年元日の能登半島地震発災後、家族と会社の安全確認を経て、3日目に行動を開始しました。
東日本大震災の経験から、備蓄していたダンボールベッドやパーテーション、簡易トイレを社員と共に被災地へ運搬。
約1ヶ月間で1,500個のダンボールベッドを提供した後も、まだまだ支援は必要だと感じていました。
セイセイ
前回はサクラパックスが行っている「世の中を笑顔にする社会貢献」についてお話いただきました。
今回は2024年の元日に発生した能登半島地震に対する活動、そして個人の活動についてもお聞きしたいと思います。
本当にたくさんの社会貢献活動を行われていますけども、特に印象深いのが、能登半島地震が起きてからのサクラパックスの活動です。その話をお聞かせいただけますでしょうか?
橋本淳さん
早いもので、能登半島地震発災からもう1年が経ちます。
思い出してみると、1月1日に大きな地震があって、私は家にいて、すごいびっくりしたんですよね。
そこには家族もいましたので、当然、まず家族を守るところからスタートしました。
その後に、もちろん会社のことが心配だったので、まず「社員の方々が大丈夫か」ということで安否確認をして、あとは「工場が大丈夫か」という確認をしたんですね。
1月2日に安否確認が大体取れて、1月3日「今まで世の中を笑顔にする活動をしてきて、ましてや東日本大震災の経験もしてきて、うちの会社が本当に世の中を笑顔にするんだったら、今動かなきゃ、いつ動くんだ」という気持ちが自分の中に落ちてきました。
それで、すぐに会社の方々に連絡をして「今うちの会社にダンボールのベッドやパーテーション、簡易型トイレなんかの備蓄はいくつある?」と聞いたら「数百個ある」と。
そう返ってきたので「まずはそれを持って被災地に飛んで行こう。俺らがやろう!」ということで、社員と私で荷物をバンに詰め込んで、それを被災地に持って行ったんですね。
当時はあまり北の方には入れなくて、七尾ぐらいまでしか行けませんでしたが、七尾の避難所を周りました。
そしたら「持ってきてくれて、ありがとうございます!」と感謝され、持って行ったダンボールベッドなどが避難所ですぐに使われて、あっという間になくなったんです。
「こんな状況なのか…」ということで、そこから約1ヶ月間ぐらいローラー作戦で避難所をぐるぐる周りました。
ダンボールベッドや必要なものをどんどん渡していって、全部で1,500個のダンボールベッドを被災地に送り込む活動を行ったんです。
「活動」から「運動」への展開
橋本淳さんは「活動」と「運動」について、「支援の広がり方が違う」と考えています。
サクラパックスの支援活動を積極的にマスコミに発信し、他団体からの問い合わせに対してノウハウを提供したことで、被災地支援の輪が広がり、より多くの支援団体が被災地に入れるようになりました。
橋本淳さん
被災地にダンボールを送り込んだときに、もう一つ「本当にこの活動でいいのか?」という問いが自分の中に出てきました。
「東日本大震災で支援活動をしてきたにも関わらず、本当にこの活動だけでいいのか?」とそのときに思ったんですよね。
セイセイ
そうなんですね。
橋本淳さん
「活動」と「運動」って全然違うんですよ。
「活動」を釣りで例えると、魚を釣ること。でも、釣りってその人だけしか釣らないじゃないですか?
セイセイ
確かに。
橋本淳さん
釣竿をいろんな人たちに渡して魚の釣り方を教えると、釣りが拡がってより多くの人に影響を与えることができる。
それが「運動」なんです。
セイセイ
違いますね。
橋本淳さん
我々は東日本大震災で支援活動をしてきたんだから、「活動」をやるんじゃなくて「運動」をやっていこうと思ったんです。
まず最初に、ダンボールベッドなどをどんどん避難所に持っていくことから始めました。これは「活動」なんですけど、それを新聞やテレビなどのマスコミの方々にガンガン取り上げてもらったんですね。
決して目立ちたいわけでもないし、もちろん売名行為でもないんですけど、支援活動をあえて表に出していったんです。
そうすると、様々な各種団体から山ほど電話がかかってきて。当時は「七尾より北には入れない」って言われていたので、「どうやって七尾より北に入って支援活動をやってるんですか?」って聞かれたんです。
やり方やコツを教えてあげることによって、多くの団体がそれを知り、どんどん能登の奥に入っていって「活動」から「運動」に広まっていったんですよね。
まずそれを1つめにやりました。
金銭的支援とECサイト立ち上げ
橋本淳さんは義援金集めの運動として、富山・石川両県に各1,000万円ずつ寄付し、意図的にメディア露出。
その結果、サクラパックスよりも大きな企業からより多額の寄付を引き出し、支援方法に悩む人々への具体例を示す効果が生まれました。
また、能登に想いを寄せてもらう施策として、ECサイトでの特産品販売も開始しました。
橋本淳さん
2つめは、お金を集める運動をしました。いわゆる「義援金」を集めたんです。
もちろん物資なども必要なんですけど、次は、当然お金が必要になってくるんですよ。
セイセイ
そうですよね。
橋本淳さん
サクラパックスから、富山県に1,000万円、石川県に1,000万円の寄付をさせてもらったんです。
そのとき、新田知事に「いち早く1000万円持っていきますから、できればお金を渡しているところを、ぜひともマスコミの方々に写真に撮ってもらって、テレビなどに出してほしい」とお願いしました。
セイセイ
それも拡まっていきますもんね。
橋本淳さん
そうなんですよ。
売名行為にとられがちなんですが、そんなこと全く気にせずにやったんです。
セイセイ
素晴らしい!
橋本淳さん
そのことによって「サクラパックスぐらいでも、ああやって何とか1,000万円を出すってすごいことだな」ってなるんです。
そうすると、うちの会社よりも売り上げが大きい会社さんは、1,000万円以上出さなきゃいけなくなる。実はそんな運動を起こしました。
それで、その後「どこどこがいくら義援金を出した」みたいなことが様々な新聞に出ていて、「しめしめ…」と思いましたね。
もう一つは、支援したがっているけど「どう支援していいかわからない」という人がいるんですよね。
でも私たちの支援活動の姿を見せることで、「なるほど、こういうお金の支援ってできるんだな」とわかるんですよ。
そういった「支援活動を世の中に拡げる」という運動もやりました。
セイセイ
サクラパックスが先導したんですね。
橋本淳さん
実は、まだまだ運動をやります。
それからすぐに能登の良いものを集めたECサイトを作って、能登のものを売ることをお手伝いしました。
全国の方々にお土産など、能登の良いものを買ってもらって、「能登を思い出してもらう」という運動も起こしたんです。
自粛をなくそう運動
橋本淳さんは、新聞一面を活用し「自粛をなくそう」運動を展開。
SNSを活用して賛同者を募り、わずか30分で集まった50社の企業と共に、富山弁の柔らかいメッセージで経済活動の必要性を訴求しました。
橋本淳さん
それともう一つ、「自粛をなくそう」という運動を起こしました。
1月10日ぐらいに、震災が起きてから初めて会社に行ったんですよ。そしたらFAXがたくさん届いていて、見てみると多くの新年会の案内が全部中止になっていたんです。
地震があったということもあるので、それは中止になりますよね。ただ、新年会のような人が集まる活動が全部中止になると経済が全く動かなくなるんですよ。
セイセイ
確かに。
橋本淳さん
これはこれで大問題ですよね。もちろん自粛は必要だけれども、やっぱり自粛をなくすことも大事だということで「自粛をなくそう運動」をしたんです。
新聞の一面広告を買い取り、「自粛をなくそう」って文面を掲載。それも、あえて富山弁のちょっと柔らかいメッセージで。
でも、これはサクラパックス1社でやると効果がないので「これに賛同する人いますか?」と、SNSにバッと流したんですよ。そしたらなんと、たった30分で50社の方々が賛同してくれて。
その50社の方々と一緒に広告に名前を載せて、新聞に掲載してもらったんです。そしたら、ある会合では元々新年会を中止にしようと思ってたらしいんですが、「能登復興の会」に切り替えて新年会を開催したんだそうです。
会の冒頭で、その会の会長さんが、なんと「この新聞の一面を読んだから、今日の会をやったんだ」と言われたそうなんですよ。
これで、また運動の拡散に繋がりました。
これ以外にも実はたくさん活動をやってるんですけど、「活動する」のではなくて「運動にして拡げる」ことをしっかり意識しながら取り組んでいます。
セイセイ
すごいですね。
「活動」ではなく、「運動にして拡げることを心がけていく」という感覚が驚きです。
橋本淳さん
そうなんですよね。
セイセイ
「活動」は一点かもしれませんけど、「運動」は平面で多くの人たちが関わっていくので本当に素晴らしいことですね。
橋本淳さん
やっぱり1人、1社では、限界があるんですよ。それを学ぶことができたのが、東日本大震災でした。
能登には、傷跡がまだまだ山ほどあります。今の段階で一番心配してるのは、「世の中から能登の地震のことが忘れられてしまう」ことです。
このラジオもそうだし、様々な場面でお話をさせていただくことによって、多くの方々に思い出していただく。1人でも多くの人がまた能登に心を寄せていただけると嬉しいですね。
富山インターンシップジャーニー
橋本淳さんは、個人事業として「富山インターンシップジャーニー」を主催しています。
富山の高校生10名を東京のスタートアップ企業に派遣し、経営感覚と都会での生活を学ぶ機会を無料で提供。
参加者、受入企業、協賛企業、行政の四者が関わる複合的な教育プログラムとして2024年3月に始動しました。
セイセイ
橋本さんは、個人でも社会貢献活動をされているそうですね?
橋本淳さん
気づいたら、個人でも活動するようになっちゃいました (笑)
実は、今もやっている事業が楽しくてしょうがないんですよ。
セイセイ
そうなんですね。
橋本淳さん
去年 (2024年) から「富山インターンシップジャーニー」という事業をやっています。
富山の高校生10人を、東京のスタートアップ企業10社に1人1社ずつ、1週間インターンさせるって事業なんですよ。しかも、参加費は全額無料。
インターンの中でスタートアップ企業のスピード感やマネージメントを学ぶことができるのですが、なかなか東京に馴染めない人もいますよね。
東京に放たれて、それこそ会社の行き方もわからない中で学ぶところからスタートしていくという経験ができます。こういった事業に取り組むようになりました。
セイセイ
無料で行けるってすごいですね。
橋本淳さん
最初は悩んだのですが、やっぱり「全ての高校生に平等にチャンスを与えたい」ということもあって、「参加費無料」という形を取らさせてもらっています。
セイセイ
次回の開催はいつなんですか?
橋本淳さん
あと2ヶ月後ですね。第1回目が2024年の3月で、第2回目は2025年の3月に開催です。対象者の人数も少し増やしていこうかなと思っています。
この活動の良いところは、参加する高校生、受け入れてくれるスタートアップ企業、協賛してくれる企業さん、助けてくれる行政、この4つが混じり合って様々なことが生まれることです。
「そういったところが面白いところだな」と思いながら、この事業をさせてもらっています。
セイセイ
今回は、サクラパックスの震災への復興の取り組み、そして橋本さん個人が取り組んでいる「富山インターンシップジャーニー」についてお話をいただきました。
次回はあっという間に全5回のうちの最終回になりますので、富山への想いを語っていただきたいと思います。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲

ふるさと富山について
橋本淳さんは東京での生活を通じて、富山の食材の美味しさなど、当たり前と思っていた価値に気づきました。
一方で、地元の人々が「何もない」と語る状況を危惧し、「みんなが胸を張って富山の魅力を語れるまちにしたい」という想いを持っています。
セイセイ
県外や海外にもいらっしゃった経験がある橋本さん、ふるさと富山への想いを聞かせてください。
橋本淳さん
海外ももちろんなんですけど、東京に行って住んだとき、富山では当たり前だと思っていたことが初めて当たり前じゃないということに気づきました。
東京の人には申し訳ないんですけど、例えば刺身を食べたときに、めちゃくちゃまずくて「なんだこのイカ!?」みたいな感じでしたね。
セイセイ
富山の魚介類は美味しいですもんね。
橋本淳さん
たしかに! イカだけに、「いかに」富山で美味しいものを食べさせてもらってたか気づいたというか、富山には良いものがあったんだということを改めて感じました。
皆さんよく「富山はキレイ」「住みやすい」「食事が美味しい」って言われるんですが、自分なりに思ってることがあるんですよ。
私は県外に行くと「どこか良いとこありますか?」って聞くんですが、「何もないんだよ」という言い方をされることがあります。
でも富山って、そういうところがより強い気がしていて。
ちょっと失礼ですけど、富山でタクシーに乗って運転手さんに「富山って何か良いとこありますか?」って聞くと、結構「いや、富山は何もないよ。面白いとこも全然ないんだよ」って言い方をされるんですよ。
それをいつか「絶対なくしたいな」と思ってるんです。やっぱり「誇るべき富山」って、山ほどあるじゃないですか!
セイセイ
そうですよね。
橋本淳さん
胸を張って「富山、最高なんですよ!」「富山って、こんなに良いところがあるんですよ!」ということを、みんなが言えるようなまちになって欲しいなというのが想いとしてあります。
セイセイ
富山は本当に誇るべきまちですよね。
橋本淳さん
はい、そう思いますね。
富山県内で大好きな飲食店
セイセイ
橋本さんの大好きな富山の飲食店を教えてください。
橋本淳さん
好きなところはいっぱいあるんですけれども、今が1月ということもあるので「割烹 扇 (かっぽう おうぎ)」という富山市の桜木町にあるお店です。
たまたまなんですが、私の高校のときの同級生がマスターをしているんですよ。
セイセイ
そうなんですね!?
橋本淳さん
「ブリしゃぶ」って、最近流行ってるじゃないですか?
今でこそ、様々なお店が「ブリしゃぶ」をやってらっしゃるんですけど、実は割烹 扇さんが「ブリしゃぶ」発祥のお店なんです。
「ブリしゃぶ」って、お湯や、お湯に昆布などの出汁を入れてしゃぶしゃぶするのが普通ですよね。
びっくりすることに、割烹 扇さんではなんと日本酒を使っているんですよ。日本酒を一升瓶丸ごと鍋に入れて、火で熱してアルコールを飛ばして、そこでブリしゃぶをするんです。
これがまた、めっちゃくちゃ美味しくて!
ここはぜひとも、皆さんには行ってもらわずに、私の大好きなお店としてとっておきたいなと思っております (笑)
まだブリが美味しい時期ですので、ぜひともセイセイさんも行ってほしいなと。
セイセイ
「ブリしゃぶの発祥の地」と聞くだけで、ぜひとも一度行ってみたいなという気分になりました。
橋本淳さん
ぜひとも一緒に行きましょう!
セイセイ
はい。まだ時期的にはブリが美味しい時期ですので、ぜひとも行きましょう!
橋本淳さん
行きましょう、行きましょう!
リクエスト曲
セイセイ
橋本さんが大好きな曲のリクエストをお願いします。
橋本淳さん
私のリクエスト曲は、COMPLEXさんの「BE MY BABY」です。
COMPLEXは布袋寅泰さんと吉川晃司さんが作ったバンドで、元々好きだったんですけど、解散してしまったんですよね。
解散した後に、2011年3月11日の東日本大震災をうけて、なんと東京で一夜限りの復興ライブをやったんです。
当時めちゃくちゃ行きたかったんですけど、復興活動がすごく大変で行けなくて。「残念だな」と思いながら、後でそのビデオを見て「やっぱり行きたかったな~」ってずっと自分の中にあったんですね。
そしたら、1月の能登の震災後の5月にもCOMPLEXが復活して、能登震災に対しての復興ライブを東京ドームで2日間ほど開催したんです。
チケットを取って1人で行ってきました。
ライブ中に吉川晃司さんが「能登へ、我々の想いを!」と言われて。そのときに私は、もう号泣しちゃって…思い出すと今でも泣きそうです。
そういった想いがあるので、COMPLEXの「BE MY BABY」が私のリクエスト曲です。
セイセイ
それは魅力的ですね。
橋本淳さん
はい。
セイセイ
それでは橋本淳さんのリクエスト曲COMPLEXさんの「BE MY BABY」です。
>> リクエスト曲を聞く
これからの夢や目標について
橋本淳さんは創業77周年を迎えるサクラパックスの継続を最重要課題とし、100周年 (自身78歳) までの存続を車のナンバーにも刻んでいます。
個人の夢としては、富山インターンシップジャーニーなどを通じ、人口減少や国力低下という厳しい時代を乗り越える若いリーダーの育成です。
セイセイ
最後の最後になりますが、橋本さんから将来の夢や目標についてお聞かせください。
橋本淳さん
まずサクラパックスの夢、目標ついては、ありがたいことに2025年で創業78周年なんですね。
78年という長い時間をかけて作られてきてる会社で、初代が祖父、2代目は父、そして私に繋がってきてるんですけど「やっぱり続けることが一番大事だな」とすごく思っています。
続けないと、世の中、お客さん、取引先、従業員、みんなに迷惑をかけることになってしまうので、しっかりと継続することが一つの目標ですね。
会社が100周年のとき、私は78歳なんです。それで、私の車のナンバーは100周年の年号になってるんですよ。そのぐらい「続けたい」という想いがありますね。
個人的な目標、夢としては、「若者をどんどん育てていきたいな」と思っています。
この富山で、リーダーシップを持って、それこそ世界や日本をグイグイ引っ張っていくような若者をどんどん育てたいです。
これから人口がどんどん減ってきて日本の国力もどんどん落ちるので、やっぱり様々なことが今より厳しくなってくると思うんですよ。
だから富山インターンシップジャーニーのような事業をどんどん起こして、厳しい中を頑張って乗り越えて欲しい。そのために若者を育てることをやっていきたいなと思っています。
セイセイ
全5回にわたり、橋本さんの生い立ちから社会貢献までお話を聞いてまいりました。
橋本さんの笑顔作りの活動も素晴らしいのですが、「橋本さん自身の笑顔が素敵だな」と思いながらお話を聞いておりました。
橋本淳さん
ありがとうございます。
セイセイ
これからもたくさんの笑顔を作ってほしいです。
橋本淳さん
はい、ニコニコしていきます!
セイセイ
今月のゲストはサクラパックス株式会社代表取締役社長の橋本淳さんでした。橋本さん、ありがとうございました。
橋本淳さん
どうもありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。