【張田 真さん】株式会社HARITA 代表取締役

【張田 真さん】株式会社HARITA 代表取締役

こんにちは、アッティです。
アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!

今回のゲストは、株式会社HARITA (ハリタ) 代表取締役社長の張田 真 (はりた まこと) さんです。※2024年9月現在

「世界に循環を、あなたと幸せを」を経営理念として活動する、張田さんに熱く迫っていきます!

株式会社HARITA (ハリタ)

この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。

放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。

目次

(株)HARITAに入社するまで

【張田 真さん】株式会社HARITA 代表取締役。テーマ1

「株式会社HARITA」へ社名変更

要約

ハリタ金属株式会社は、2024年7月1日に「株式会社HARITA」へ社名変更しました。

会社は金属回収から始まり、現在は使用済み製品の回収など、環境課題解決へと事業拡大しています。時代の変化と事業拡大にともなって「金属」を外し、新たな一歩を踏み出します。

アッティ
張田さん、どうぞよろしくお願いいたします。

張田真さん
よろしくお願いします。

アッティ
張田さん、最近、会社名を変えられたということで。7月でしたかね?

張田真さん
長らく「ハリタ金属株式会社」の社名で、たくさんの方にお世話になりました。

今年、2024年7月1日に社名変更しまして、新しい社名は「株式会社HARITA」。「HARITA」は英語表記にさせていただきました。

金属回収の営業から始まり、現在は使用済み製品などの地球温暖化を中心とする環境課題の解決まで行っています。社名変更の理由は、このように仕事の守備範囲が拡がってきたからです。

ちょっと比べるのもおこがましいんですけど、たとえば「Apple (アップル)」も、最初は「Apple Computer (アップルコンピューター)」の名前でスタートした会社だったので。

アッティ
Appleも、最初はそういう名前でしたよね。

張田真さん
コンピューターから、どんどん業態を変えていって。

アッティ
幅が広がっていったんですね。

張田真さん
私たちもそうですが、Appleは、いつの間にか業態が変化していったんですよね。

意識はしてなかったのかもしれないですけど「コンピューター」が取れて、今では「Apple」。

アッティ
今「Apple Computer 」っていうと、すごい古いイメージで、逆に違和感がありますよね。

張田真さん
そういう感覚とよく似ていて。

「ハリタ金属」と、社名に「金属」と付いてきたことに対しては、もちろんリスペクトしてます。でも、時代とともに「金属」がポロっと取れて「HARITA」と。

アッティ
考え方など、さまざまな進化をしてきて、社名を変えられたということですね。

ずっと高岡市福岡町

要約

張田真さんは高岡市に生まれ、3歳で旧砺波郡福岡町 (現:高岡市福岡町) へ引っ越しました。

「福岡小学校」「福岡中学校」「福岡高校」とずっと福岡町です。

アッティ
初回ですので、まず最初に、簡単な自己紹介と会社紹介をいただけますでしょうか?

張田真さん
先ほどご紹介いただきました、株式会社HARITAの代表取締役を務める張田真です。

私は、旧市町村合併前の高岡市で生を受けました。3歳の頃、会社の移転とともに西砺波郡福岡町に引っ越しまして、その後「福岡小学校」「福岡中学校」「福岡高校」とずっと福岡の校区です。

今は、市町村合併をしまして「高岡市福岡町」になります。そのような流れで幼少期を過ごしました。

野球漬けだった幼少期

要約

張田真さんは、幼少期から高校まで野球に打ち込みました。

当時の野球は根性主義の全盛期で、厳しい練習の日々でしたが、その経験は良い思い出です。

アッティ
昔は野球少年だったんですか?

張田真さん
小学校から高校生までは、ずっと野球少年でした。

アッティ
幅広い知識でロジカルに話されてる印象ですが、もともとはスポーツマンだったと。

張田真さん
僕らが中学、高校時代の頃の野球は、まさに根性野球でした。

アッティ
「水飲むな!」みたいな? (笑)

張田真さん
そうですそうです。「走れ!」とか「気合いだ!」みたいな (笑)

そんな時代の中でスポーツをできたのは、とても良い経験として残っています。

このように、高校生までは、富山県の自然豊かな土地でしっかり育てていただきました。

アッティ
幼少期はずっと、主に野球をして育ったという感じですか?

張田真さん
そうですね。

大学受験のエピソード

要約

張田真さんは、独特の視点と極端な性格の持ち主です。当初は大学進学を否定していましたが、先輩の影響で高校3年の8月に急遽進学を決意します。

父のアドバイスで薬学部を選択し、3ヶ月で化学の偏差値を40未満から72まで上げ、23倍の競争率を突破して薬学部に合格しました。

アッティ
どんな性格でいらっしゃったんですか?

張田真さん
道を外すことはなく、変な反抗期もそんなになかったと記憶しています。

アッティ
おとなしかったんですか? それとも活発だったんですか?

張田真さん
おとなしくはないですけど、「人と違う視点で見て考える」というのは、その頃から自分でも感じていました。

若いときは、極端な解釈をするところもありましたね。

アッティ
違う観点でものを見たときに、極端に違う考え方をすると?

張田真さん
そうですね。たとえば、高校のはじめに「大学行かない」って言ってましたね。

その後、大学に進学するわけですけども。

アッティ
そうなんですね。

張田真さん
僕たちが高校生の頃は、尾崎豊が出てきたときだったんです。

あの時代の感情にのせて「大学に行って何になるんだ」みたいな。そんな雰囲気をよく覚えてます。

それで「大学に行かない」って言ってたんです。でも、高校の野球部の先輩が東京に行って帰ってきて、部室に来られたんですね。

「大学でいろんな経験をしてる」ってのを聞いて、単純なんですけど「やっぱり大学行かなくちゃ」って (笑)

アッティ
そこは意外に単純だったんですね (笑)

張田真さん
これ、高校3年生の8月なんですよ。

アッティ
あららら、もう遅い時期じゃないですか!?

張田真さん
遅いですよ。

アッティ
そこから本気で動き出したわけですか?

張田真さん
決めたら、戦略的に動く方なんです。

アッティ
なるほど。

張田真さん
すぐに調べて「今から勝負するならば、教科を絞らないといけない」って。

アッティ
なるほどなるほど。

張田真さん
父親に「やっぱり進学する」って言って、どこの学部に行くかだけ相談しました。

そしたら「車か薬にしろ」って言われて。

アッティ
車か薬にしろ?

張田真さん
「なんで?」って聞いたんですよね。そしたら「なくならないから」って。

それで「なるほど、そうだな」と思って、「じゃあ薬にする」ってことで。

アッティ
なんで薬にしたんですか?

張田真さん
白衣を着てる姿が「なんかいいな」って。

アッティ
張田家の血筋の中で、薬があったわけじゃないんですか?

張田真さん
一族で薬系っていうのは…

あ!? そういえば、母方のおじさんに薬剤師の方がいらっしゃいました。ですので、張田家初ではないですね。

それで薬の道に進むことになりまして、推薦で受けられるところに絞り込んでいって、先生に「推薦を受けさせてくれ」って言ったんですよ。

そしたら「お前、薬学部へ行きたいって言っても、化学の偏差値が…」って言われました。化学の偏差値が40を切ってたんですよね。

アッティ
(笑) 一番大事なところですよね。

張田真さん
「寝言は寝て言え」っていわれて、「いや、先生、俺、決めたら絶対にやりますから」って。

英語と数学と物理は好きだったので「これは何とかなる」と思ってたんですよ。結局、英語と化学の2科目で受験するコースを選びました。

アッティ
なるほどなるほど。

張田真さん
そこから試験まで3ヶ月間、化学だけを勉強しました。

私達のときって、旺文社などから全国の偏差値が出てたじゃないですか?

アッティ
今はよくわかんないですけどね、ありましたよね。

張田真さん
それで、偏差値40を切ってた化学の偏差値を、3ヶ月で72まで上げたんですよ。

アッティ
(笑) めちゃくちゃすごいじゃないですか!

張田真さん
極端なんですよ。

アッティ
やると決めて、方針を明確にしたら「そこに行く!」みたいな。

張田真さん
「大学にも入っちゃう」っていう。

昔からそういう極端なところが…。今もあるんですけども。

アッティ
今と、全く一緒ですよね。

張田真さん
何かあるんですよね。

アッティ
なるほどなるほど。

張田真さん
23倍の競争率だったんですけども、ご縁があって何とかクリアして薬学部に進学しました。

大学野球で最優秀投手賞

要約

張田真さんは、高校野球引退後も大学で野球を続け、最終的にはピッチャーとして活躍し最優秀投手賞を受賞。打者としても優秀な成績を残しました。

中学、高校時代の最後の打席での見逃し三振がトラウマとなっていましたが、大学最後の打席で振り抜いてセカンドゴロに倒れたことで、そのモヤモヤ感が解消。これにより、野球人生に区切りをつけることができました。

アッティ
学生時分はどんな感じだったんですか?

張田真さん
高校野球が終わったときに「もう野球はやめた」って思ったんですよ。

でも、地方から出ていて寂しかったのかもしれないですけど、気づいたら、また野球部に入ってました。

アッティ
大学でも野球部に入ったんですか?

張田真さん
そうです。

アッティ
そうなんですね、なるほどなるほど。

張田真さん
ひとつ心残りがあって。

中学校最後のバッターボックスで、見逃し三振してるんですね。

アッティ
中学校の最後に。

張田真さん
高校も、最後の打席を見逃し三振してるんです。

アッティ
「振っておけば良かった」という心残りが、とんでもなくあるわけですね。

張田真さん
とんでもないじゃないじゃないですか?

アッティ
だと思いますよね。

張田真さん
振って結果が出なければ、それはそれでっていう。

アッティ
そうですよね。

張田真さん
そのモヤモヤ感があるまま大学に行って、最後の方はピッチャーをやってたんですね。

なぜか突然変異しまして、最優秀投手賞と。

アッティ
すごい! 大学でですか?

張田真さん
最後、打率も3割4部。

アッティ
めちゃくちゃ二刀流じゃないですか!

張田真さん
打率と両方で賞をもらったんですけど、そしたら「どっちか一つにしてくれ」って言われて。

アッティ
「どっちか一つにしてくれ」って言われたんですか!?

張田真さん
「どっちかは違う方にあげないといけないので」ということで。

アッティ
今の時代だったら、たぶん両方もらえてましたね。

張田真さん
かもしれないですけどね。ピッチャーの最優秀投手賞をもらいました。

そして、大学最後のバッターボックス。

アッティ
一番大事じゃないですか。

張田真さん
絶対に振らないといけない!

でも、振り抜いたらセカンドゴロだったんです。

アッティ
でも、振り抜いてよかったんですよね?

張田真さん
そこで、引っかかってたものが全部吹っ切れて「野球が終わった」って。

アッティ
そこで「野球は引退した」という感じですか?

張田真さん
そうですね。

外資系製薬会社への就職

要約

張田真さんは、大学卒業前の3ヶ月間、突如ピアノとギターを始め、バンド活動も行いました。

就職活動では、20〜30年後の製薬業界の展望を考慮し、外資系のスイスの製薬会社「サンド薬品」の日本法人1社のみを受験。海外志向もあり、この会社に入社しました。

アッティ
薬学部に行って、野球もそこまでやられて、いよいよ学生を卒業して、当時のハリタ金属 (現在のHARITA) に入社したんですか?

それとも間を挟んで、どこかに行かれたんですか?

張田真さん
野球が終わって、今度は就職活動になるわけですけれども。

アッティ
そうですよね。

張田真さん
野球が終わった夏に、突然ピアノを始めだしたんです。

これも極端なんですが、かじりつくように。

アッティ
なんでピアノに行っちゃったんですか?

張田真さん
当時、高校の当直のバイトをしてたんです。

音楽室に入って、夜中じゅうピアノを弾き放題ですから。

アッティ
そうでしょうけどね。

張田真さん
そこでピアノをやって、すぐギターを買いに行って。

アッティ
今度、ギターになって。

張田真さん
バンドを組んで、ライブをやっていましたね。

アッティ
大学の終わりですよね?

張田真さん
そうです。

アッティ
(笑) なるほど。

張田真さん
就職するまでの間、3ヶ月間ぐらいのことでした。

当時から視点が変わってたエピソードとして「20〜30年後を見据えると、日本の製薬会社の開発費では世界と戦っていくのが難しいだろう」ということで、外資系であるスイスの会社を選びました。

僕は就職活動で、その1社しか受けてないんですよ。

アッティ
それは医療系のとこですよね?

張田真さん
製薬会社です。

アッティ
製薬会社、1社だけ?

張田真さん
みんな複数受けるじゃないですか?

アッティ
受けますよね。

張田真さん
僕は極端なので、「ここ」って決めたらガッツリ入ってくんですよ。

海外に行きたかったのもあって、スイスの「サンド薬品」という会社の日本法人に入社するわけです。

薬剤師と音楽の道へ

要約

張田真さんは就職後、現実社会に直面し、過去のピアノ経験を思い出します。

「行動しないと後悔する」との思いから、製薬会社を辞め薬剤師として勤務を開始。これは音楽活動との両立を図る決断でした。

ところが、音楽活動を重ねるにつれ、自身の実力を認識するようになります。

張田真さん
働いたら、現実社会にぶち当たるじゃないですか?

アッティ
そうでしょうね。

張田真さん
それは、今の子もみんなそうだと思うんですけど。

アッティ
やりたいことだけじゃないですからね。

張田真さん
そうですそうです。そこで突然、ピアノを始めたのが頭をかすめてきて。

アッティ
ここでピアノ!?

張田真さん
「このままいけば、音楽の道で何かできるんじゃないか」って、バッターボックスの見逃し三振の話と一緒で。

アッティ
何か残ってたんですか?

張田真さん
残るんですよ。あのときのようにバットを振らずに何もしないのではなく「行動しないと後悔する」。

ということで、製薬会社を辞めて。

アッティ
えっ! 辞めて!?

張田真さん
製薬会社の東京支店での仕事を辞めて、薬剤師として働き始めました。

薬剤師って、勤務時間が決まってるので活動しやすいんですよね。

アッティ
なるほどなるほど。

張田真さん
音楽のことをやっていくと、だんだん自分の実力もわかってきて。

ハリタ金属入社の経緯

要約

張田真さんは26歳頃、薬剤師として社会貢献する道を選び、研究を始めようとしていました。

しかし、父からの電話で家電リサイクル法の施行に伴う家業の需要を知り、急遽進路を変更。当時交際していた人と結婚し、1999年7月にハリタ金属に入社しました。

張田真さん
26歳ぐらいのときに、自分の人生におけるターゲットを「薬剤師として社会貢献していくこと」に絞ろうと思って、「亜鉛欠乏症におけるアレルギー疾患の研究」を始めようとしたんです。

その直前に、父から勤めていた病院に電話かかってきました。

アッティ
病院に電話がかかってきたと。

張田真さん
「たぶん、不幸だろうな」と思いました。

でも、電話に出たら「家電リサイクル法って法律が始まって、家電メーカーから指名を受けた。化学的な知識が必要になる時代になるから帰ってこい」って話だったんです。

アッティ
なるほどなるほど。

張田真さん
「家電リサイクルって何?」って、全然わからないじゃないですか?

そんなこともあって、当時、病院で付き合ってたうちのかみさんと、結婚と同時に富山に戻ってきました。

アッティ
そういうことなんですね。

張田真さん
ハリタ金属 (現 株式会社HARITA) に入社したのが、1999年の7月。

アッティ
なるほど、ハリタ金属に入社するまでの経緯はわかってまいりました。

次回は、入社してみてどうだったかなどについて、お話をいただきたいと思います。

(株)HARITA入社後の取り組み

【張田 真さん】株式会社HARITA 代表取締役。テーマ2

ハリタで感じた違和感

要約

張田真さんは30歳で富山に戻り、ハリタ金属に入社しました。

製薬業界から金属リサイクル業への転身で、仕事の単位や目標設定の違いに困惑。薬の世界では明確な数値目標があったのに対し、リサイクル業では環境配慮以外の具体的な目標設定が難しく、モヤモヤした感覚を抱えていました。

アッティ
前回は、生い立ちと学生時代、ハリタ金属に入社した経緯をお聞かせいただきました。

今回は、東京から富山に戻ってこられて、実際に入社してみて感じたことについてお聞かせいただきたいなと思っております。

最初はどんな感じでいらっしゃいましたか?

張田真さん
学生時代は大阪、その後は東京で過ごし、30歳で富山に戻ってきました。

長い時間ふるさとを離れていましたので、戻ってきたときは、なんかしっくり来ないっていうか…。適応するのに、モゴモゴしていたのは記憶しています。

アッティ
製薬メーカーにいらっしゃったので、全く違う商売じゃないですか。

周りの方も「張田さんが入社する = 将来を見据えて入社する」と思われていたはずですよね。そこは何か違和感を感じたものですか?

張田真さん
もともとは「家業を継がない」って言って出て行って、結婚と同時に30歳でこちらに戻ってきたことになるわけです。

たとえば、薬って「mg (ミリグラム)」単位の世界なんですよ。でも、当時入ったハリタ金属の鉄とか非鉄金属とか、そういったリサイクルの世界って「t (トン)」の世界。単位が全然違うんですよね。

アッティ
面白いですね。

張田真さん
その感覚のズレもありました。

病気には「治療して治す」というゴールがありますよね?

アッティ
明確なゴールがありますね。

張田真さん
数値があるので、たとえば「血糖値をどのくらいにする」「合併症のリスクを下げる」って、ゴールが明確でわかりやすいんですよね。

でも、リサイクルとか廃棄物処理では「環境にしっかりと配慮した会社」だとしても、「何のために」というのを売り上げ以外の言葉にするのが難しいんですよ。

アッティ
明確なゴールを作るのが難しいんでしょうね。

張田真さん
当時は、何にモヤモヤしているのか分からなかったんです。

アッティ
入社したての頃は気づかないですよね。

JC加入が人生の転機に

要約

張田さんは30歳で富山に戻り、40歳で社長に就任しました。

地域での人間関係が限られていた中、高岡青年会議所 (JC) に入会。JCでの活動は、自身の考えを言語化するトレーニングとなり、人生最大の転機となりました。

アッティ
入社して何年後に代表になられたんでしたっけ?

張田真さん
戻ってきたのが30歳。社長に就任したのが2010年ですから、10年後。40歳のときですね。

アッティ
10年経ってから代表になったとすると、目標を明確に作って代表になられたと思います。

代表になってみて、どうだったんですか?

張田真さん
東京から戻ってきたのもあり、地域での人間関係は、高校までの同級生が中心だったわけです。

アッティ
そうですよね。

張田真さん
それが、あるとき、高岡青年会議所の方から入会勧誘を受けまして。

アッティ
JCですね?

JC
青年会議所のこと

張田真さん
そうです。JCに入会して、高岡青年会議所理事長、富山ブロック協議会の会長をさせていだだきました。

JCでの活動中に、自分の想いややるべきことを、しっかり言葉に落としていくトレーニングをさせてもらったんですよ。

アッティ
JCのほうで?

張田真さん
すごい大変でした。

アッティ
なるほど。

張田真さん
今となってみると、JCでの経験は人生で最大の転機でした。

社長になった瞬間に手をつけたのが、まずは企業理念を作ること。そして、その理念に基づいた会社を、どういうビジョンを立てて設計していくかってところで。

持続可能な経営ビジョン

要約

張田真さんは社長就任後「We Create」という企業ビジョンを策定し、目的と手段を混同しないことを重視。売上や利益は目的ではなく、それを通じて何を実現するかが重要だと考えています。

また、組織経営への移行を目指し、従業員との理念共有や具体的な戦略の言語化に注力。

さらに、人口減少予測を踏まえ「従業員に選ばれる会社」作りを目指し、先見的な採用戦略や労働環境の整備に取り組みました。

アッティ
社長業を続けてこられて、今はどっぷりと経営をされてると思います。

もともと、会社や業界として目標を見出すのが難しい中で、経営理念からスタートしていろんなものが見えるようになってこられて。

張田さんが行われている経営について、お聞かせいただけますか?

張田真さん
最初に作ったビジョンは「We Create (ウィー クリエイト)」私達はつくる。「私達は社会的意義ある新たな価値をつくり、人と社会の発展に貢献する」。

この1文を作るのに、書いてカットしてという作業を繰り返して、実際はパソコンですが、紙でいえば1000枚分ぐらい試行錯誤しましたね。

そのとき感じたのは「目的と手段を混同してはならない」ということ。

企業は、売上と利益を追求していくのが使命ですが、それは目的ではありません。「売り上げと利益を通して何をしていくのか?」という設定をしないと、会社が間違ったものになっていくんですね。

掲げるビジョンの部分には、決して「売り上げを10倍にする」とか書くものじゃないんですよ。

アッティ
そうですね。売り上げは「結果」ですから、「目的」ではないですよね。

張田真さん
あとは「組織内にいる従業員のみんなが、その理念にどのくらい共感してくれるか?」これにかかってると思っています。

そうやってスタートしていきながら、経営骨格の土台作りを始めていきました。そして、私達の次の課題は「組織経営への移行」です。

アッティ
組織経営への移行。

張田真さん
私は社長をやってますけども、社長だけの力量に依存している会社ではリスクが高い。

だから、団体戦で戦えるような会社作りをするために、しっかりと組織理念を共有して、いろんなものを策定していく必要があります。

あとは、具体的にどういう戦略戦術で戦っていくのかを、最初に言語化して発表しないといけません。

アッティ
目的だけだとわかりませんからね。

張田真さん
目的だけだと、ぼやっとしてしまいますよね。

未来を見据えた経営改革

要約

張田真さんは、十数年前から2024年問題を見据えた経営改革に着手しました。

40名の採用や有給休暇の完全消化など、大幅な経費増加を伴う施策を実施。社長として強い決意を示しつつも、内心では不安を抱えていました。

同時に、新規事業の開拓や既存事業の選択と集中を進め、人員のリストラなしで事業構造の転換も図りました。

張田真さん
当時2010年、私が注目して頭に叩き込んだのが「人口減における日本および富山県の人口予測図」です。これを見たときに「大変なことになる」と思いました。

「今から従業員に選ばれる会社としての基礎を作っておかないといけない。これからは、会社側が従業員を選ぶ時代ではなくなるぞ」と思ったんですね。

だから「運転手不足が深刻になる」という話をして、運転手の採用に力を入れ始めました。

さらに、管理部門の強化のために人を採用しましたし、有給休暇を基本的には全部取得してもらえる体制にもして、急に舵を切って整えて。

方針を出した後、40人採用したんですよね。当時は「募集すれば来るのに、何を言ってるんだ?」「こんなに人を入れて大丈夫なのか?」と、よく言われましたね。

アッティ
今言われた話は「2024年問題」といって、今では当たり前化していますが、十数年前から取り組み始めているのは素晴らしいですね。

でも、40名の採用や有給消化などをしていくと、とてつもない経費がかさんでいくじゃないですか。

その当時って、どんな感じだったんですか?「先行投資だ」みたいな?

張田真さん
私は、やっぱり社長なので、1回外に出ると自分の顔に責任を持たないといけません。

アッティ
そうですね。

張田真さん
当然、会社で不安な顔なんてできないわけですよね。

「こういう会社にするんだ」「いい会社をつくる。そしていい会社であり続けるために、強い会社をつくる」と宣言しながら、社員には「今、改革をしないと将来が危ないんだ」「ここにコストをかけて、人手不足時代に先回りした体制が必要なんだ」って言っていました。

でも、おっしゃる通り経費が…

アッティ
目の前の数字がね…

張田真さん
数字が、人件費がどんどん上がってくるわけですよね。

でも顔はニコニコ、およびキリッとして。

アッティ
「当たり前にやってんだ」みたいな雰囲気でね。

張田真さん
でも、足が震えてるっていう、そういう時代。今でも覚えてますね。

アッティ
なるほど。

張田真さん
「本当に大丈夫か?」って不安を吹き飛ばすためにも、新しい仕事の領域をどんどん増やしていって。

未来に続けていく事業と、役目を終える事業の選択と集中にも舵を切って、すごい速度で事業と設備のリストラを行いました。

もちろん人はリストラしないので、新しい未来の領域の事業に移ってもらう。そんな3年間がありました。

アッティ
十数年前に未来を見て、足が震える思いをしながらも改革をやってこられた。それが今になって、とてつもない成果を生み出しているような気がしますね。

まだまだ、いろんな経営の話があるかと思いますので、次回も楽しみです。

経営改革の取り組み

【張田 真さん】株式会社HARITA 代表取締役。テーマ3

「国語」の重要性を再認識

要約

張田真さんは、高校時代に国語の重要性を感じていませんでした。しかし、今では経営に国語力が不可欠だと実感。

経営理念を言葉で表現し、伝える力が重要と考え、青年会議所での経験を活かして新会社の経営理念に取り入れています。

アッティ
前回は、ハリタ金属の代表になられてから進めていらっしゃる経営の内容についてお聞かせいただきました。

まだまだ全然足りないと思っているので、今回もたっぷりと経営のお話をいただきたいなと。

現在、経営のテーマはどんな感じですか?

張田真さん
中心に添えるのは、やっぱり「理念」になりますね。

第1回目の放送で、極端に化学を勉強した話をさせていただきましたが…。

アッティ
たった3ヶ月で、化学の偏差値を20近く上げたという。

張田真さん
本当に極端で、国語は全く勉強しなかったんです。

「国語って、将来何の役に立つんだ?」って思っていて。

アッティ
当時は思ってましたよね。

張田真さん
そしたら、高校を卒業するときに国語の先生から「国語をなめるな」「本当に落第させるからな」って言われて、何日も期間をとって職員室で補習をしてくださったんですよ。

アッティ
(笑) それは大学が決まってるときですか?

張田真さん
漢文とかも含めて「国語をなめるな」って、とても怒られました。

アッティ
そうですか。

張田真さん
私は、今年 (2024年) で、54歳なんですけれども、そのときのことはすごく覚えています。

そして今「会社の経営を5教科で表現するなら何だ」って言われたら、こう答えたいと思うんですよ。

アッティ
どうぞ。

張田真さん
「会社経営は、国語だ」と。

アッティ
「国語だ」と!

張田真さん
今は、本当にそう思います。

アッティ
なるほど。

張田真さん
経営理念って、まず頭の中にぼんやりあるものを言葉という形にして、限りなく3次元に立体化したものを作らないといけないんですよね。

次に、言葉にのせてしっかりと伝えていかないといけない。

理念を形にすることと、伝えていくこと。経営って、もう限りなく「国語」なんですよね。

私は理系ですし、薬剤師としてずっと「1+1=2」という世界を生きてきました。昔の自分に同じ質問を投げかけたら「そんなの数学に決まってるじゃないですか」って言ってたと思います。

アッティ
ですよね。

張田真さん
でも、これだけ多様性が問われる時代に共感を得て、一つの戦略に束ねていくには、やっぱり言語化する力がないと厳しいなと。

アッティ
「言語化する力」と「伝える力」ですよね。

張田真さん
私は過去に、青年会議所の中で議論するなどのトレーニングをさせていただいたおかげで、基礎ができていました。

新しくスタートした会社の経営理念でも、そこを重要視しています。

脳科学と心理学で革新的経営

要約

張田真さんは、経営において心理学と脳科学の理解が重要だと考えています。

人間の脳は本能的に「変化を危険」と判断するため、単に「変われ」と言っても効果がありません。そのため、経営の仕組みの中に、変化を常態化させ、安全に変われる環境を作ることが重要になります。

人間の本質を理解し、適切な人事制度で社員を伸ばすことが、これからの会社発展に不可欠です。

張田真さん
もう一つ、僕は経営において、心理学と脳科学をしっかりと理解することが、会社を発展させていくための重要なファクター (要因) だと思っています。

というのは、「人を伸ばしていく」ってことを人事制度などに落とし込むときに「人間ってなんだろう?」「人間って、どうすればやる気を持ってイキイキと働いて成果を出してくれるんだろう?」ってところに向き合わないといけないからです。

昔の野球部のように「気合いで頑張れ」とか、そんな時代でもありませんから。

アッティ
そうですね。

張田真さん
たとえば、経営において「なぜ人は変われないか?」っていう。

「変わる」って難しいじゃないですか?

アッティ
難しいです。

張田真さん
僕は、もともと医療系にいたこともあって、神経経路とかの基本的なことは理解してる方なんですけど。

いろいろ見ていきますと、人類の誕生から500万年経っていますが、人間の身体って基本的に変わってないんですよね。

アッティ
変わっていない。

張田真さん
人間は、脳内で信号の処理をするときに「変化は危険」と判断するんです。

アッティ
「変わることは危険だ」と。

張田真さん
理屈ではなくて、太古のすごく危険な野畑を走り回っていた、僕たちの遠い祖先が持ち合わせていた、危険から子孫を守るための重要な本能なんです。

それが、現代社会でも残っている。

アッティ
なるほど。

張田真さん
「何かを変えるのは、基本的にはやめとけ」ってなるんです。

アッティ
みんな拒否し始めるわけですね。

張田真さん
良いか悪いかじゃなくて、本能でそうなるんです。

アッティ
なるほど。

張田真さん
「人の本能は変化を拒否する」ってことを前提としておかないと、ただ「変われ、変われ」では、もっと変われなくなっちゃうんです。

アッティ
なるほど。

張田真さん
経営の仕組みの中に「変化していくことを常態化させていく」つまり「いつでも自由に安全に変化できる」、そんな仕組みを入れたりして工夫しました。

「幸せ」を軸とした経営理念

要約

張田真さんは「世界に循環を、あなたと幸せを」という経営理念を掲げ、従業員の幸せを企業成長の原動力と位置づけています。

WHOの定義を参考に、精神的・身体的・社会的側面からウェルビーイングを分解し、キーサクセスファクターとして、社内システムに落とし込むことを重視。

「従業員の幸せが同僚や取引先、地域社会へと波及し、他者の幸せに寄与することが最大の幸せになる」という考えのもと、ウェルビーイング経営を実践しています。

張田真さん
経営理念を「世界に循環を、あなたと幸せを」にしました。

「あなたと幸せを」って理念を一番上に掲げたのは、すごく単純な理由です。

「自分の将来や幸せを言及してくれてない企業で頑張ろうと思えるか?」って言ったら、頑張れないですよね。

人の根っこのところにこだわったというわけです。

アッティ
「幸せ」も漠然としてますし、人によって違いますからね。

張田真さん
主観的なものですけど、会社が成長していく大きなエンジンの一つは「幸せ」に解がある。

こう考えて「幸せは、企業成長の最強のエンジンである」っていうのを会社の中に。

アッティ
なるほど。

張田真さん
うちの会社は、いろんな手段で従業員の幸せを実現させています。

理念が「あなたと幸せを」ですから、幸せになった従業員は、自分以外の同僚、家族、取引先、地域社会にも幸せを与えていく。他人様の幸せに寄与する喜びが、最大の幸せになってくるわけです。

これはウェルビーイングの経営で、理念は「幸せ」、ロジックとしては「ウェルビーイング」。

幸せを実現するための要因を因数分解しているところです。

ウェルビーイング:
心身共に満たされた状態。良い状態であること。

アッティ
因数分解して伝えるんですね。

張田真さん
そうですね。

アッティ
なるほど。

張田真さん
WHOは、ウェルビーイングを「健康および幸せとは、精神的、身体的、社会的に幸せな状態を示す」と定義しています。

「身体的、肉体的、社会的」という因数分解された状態から、それをキーサクセスファクターにしていく。

キーサクセスファクター:
事業を成功させるために必要な要因

アッティ
なるほど。

張田真さん
精神的なウェルビーイングを達成するための手段を全部ロジックで組み上げたシステムを、会社の中に作りました。

ウェルビーイング経営の実践

要約

張田真さんは、従業員の幸せを科学的に追求する経営を実践しています。

精神的・身体的ウェルビーイングを因数分解し、ストレスチェックや健康経営の取り組みを通じて、具体的な施策を展開。KGIとKPIを設定し、数値化して進捗を管理しています。

この取り組みには3年を要し、客観的な指標と主観的な幸福感のバランスを取ることに苦心しました。

アッティ
心の幸せの部分を、どんどん分解して深掘りしていくと、一番最後はどういう形になるものですか?

張田真さん
とてもいい質問ですね。

たとえば、精神的ウェルビーイングに入っている、ひとつの最終因子が「ストレスチェック」です。

アッティ
なるほど、そういうことですね。

張田真さん
「ストレスチェック」は、企業に義務付けられてるじゃないですか?

アッティ
「心、身体、社会」に、1個1個ありますよね。

張田真さん
うちはストレスチェックには、もともとすごく力を入れてやっています。イヤイヤやってる企業もありますが、あのシステムって実はかなり良くて。

なぜなら「ひずみがたまってるところはどこだ」っていうのが数字で出てくるので、それを参考に「幸せになるためのマイナス因子」を消していけるんです。

あと、私たちは「幸せシリーズ」と呼んでいるんですが、コミュニケーションのシステムや「幸せになるためには、知識と技術がいる」ということも把握しないといけません。漠然としたものを追いかけて、幸せになれないのはもったいないですから。

それをフォローするために、精神的ウェルビーイングで骨格を作って仕組みづくりをしています。

アッティ
そういうことですね。

張田真さん
身体的ウェルビーイングのところは、今、経済産業省の健康経営の最高峰である「ブライト500」の最終申請の一歩手前まできていまして。

健康になっていくための要素を「食事、睡眠、運動」に因数分解して、ここから何を取り組んでいくかということに取りかかっています。

最終的には、ウェルビーイングのシステムのKGIをとって、全体目標を掲げながら、各部門でKPIを積み上げ、みんなで数値で追いかけていく。

科学的アプローチのウェルビーイングですね。これをやれば「幸せになっていく確率は上がるぞ」と。

でも「主観的な幸せ」っていうのは、僕たちが手を突っ込んで「幸せはこうだから」って定義をするものではないんですよね。掲げるものと、数値で科学的にロジックを組むのに苦労して、3年かかりました。

ブライト500:
経済産業省が推進する「健康経営優良法人制度」の中で、上位500に入る中小企業にのみ与えられる称号

KGI:
Key Goal Indicator (キー・ゴール・インジケーター) 重要目標達成指標。長期的な最終目標のこと。(例) 売上高や成約数、利益率など。

KPI:
Key Performance Indicator (キー・パフォーマンス・インジケーター) 重要達成度指標。最終目標達成の途中で設定された中間目標を数値で表したもの。

アッティ
難しそうには聞こえますけど、逆に言うとシンプルですよね。

今まで意味もわからずにやってたこと、例えばストレスチェックも「やらされてるからやってた」のが、最終的には「幸せに繋がるロジックがしっかりあるからやってるんだ」と。

新しくやることも、「幸せになるため」ってことから考えていくと「やんなきゃいけない」ってなりますよね。全部そこに繋がってますから。

先ほど言われたように、国語の「伝える」「表現する」ってことに、すごくフィットしてる感じがしますよね。

張田真さん
本当に。一つ一つ分解していくと科学的な根拠があります。

でも、骨格を作っていくところは、国語の力が必要なんですよね。

だから、もっと国語を勉強しておいたらよかったと思います。あのときの先生に、今、お詫び申し上げたいなと…。

アッティ
なるほど、面白いですね。

経営の話については、まだまだ深掘りできるお話だらけだと思いますので、これはまた張田さんの講演会などでお聞きいただければと。

今回は以上とさせていただいて、次回は全4回のうちの4回目、ふるさと富山に対する想いなどをお聞きしていきたいと思います。

富山への想い&オススメ店&リクエスト曲

【張田 真さん】株式会社HARITA 代表取締役。テーマ4

ふるさと富山について

要約

張田真さんは、県外経験を経て富山の良さを再認識しています。特に魅力を感じるのは、豊かな自然と恵まれた食、のんびりした空気感です。

また、稲盛和夫氏の「才能を私物化するな」という言葉に影響を受け、次世代育成や地域発展に注力。現在は県の委員として、新たな成長戦略に携わり続けています。

アッティ
学生時代と社会人時代に県外に行かれていた経験をふまえて、ふるさと富山への想いをお聞かせいただけますか?

張田真さん
富山は生まれた土地なので、とても好きな場所ですね。

青年期に1度外に出て戻ってきたのですが、年齢が経っていくとともに価値観も変わってきています。

「自然が豊かで、食に恵まれていて、せかせかした空気感ではない」。本当に良いところに生を受けたなって、改めて思います。

アッティ
1人の経営者であり、1人の社会人として活躍しながらも「富山や高岡に貢献していきたい」という気持ちは持ってらっしゃるものですか?

張田真さん
私が尊敬する経営者の1人、稲盛和夫さんが言われていた「自分の才能を私物化するな」という言葉。この一文が、強烈に頭に残っています。

稲盛和夫:
(1932年~2022年)日本の実業家。京セラ、KDDIの創業者。「経営の神様」と呼ばれる。

アッティ
なるほど。

張田真さん
もし、自分に何か才能があるなら、いろんな方のおかげだと思っています。いろんな経験をさせていただき、成長させていただいたので「自分」は私物ではないんですよね。

50代に差し掛かり還暦が見えてきた今、やらないといけないのは、次の世代を育てて時代の継承をしていくことです。

また、私は今、国の審議員や、富山県の成長戦略の「新産業プロジェクトチーム」の委員もさせていただいています。これまでの延長にない地域を、いかに次の段階にのせていくかということに注力している最中です。

会社も含めて「それをシステム化して繋げていきたいな」と思っています。

張田さんの思考法

要約

張田真さんは、経営を「幸せの因数分解」と捉え、常にアイデアをメモし、即行動しています。

しかし、休息なく考え続けることによる脳の性能の低下が課題に。瞑想などでメリハリをつける必要性を感じています。

アッティ
「幸せを因数分解しながら経営を組み立てる」。受ける側は、シンプルで受けやすいですよね。

でも、考える側はものすごい大変じゃないですか? お忙しい中で、どういうふうに考える時間を取られてるものなんですか?

いつも考えてらっしゃるのか。それとも、集中的に時間をとって考えてるのか。考える場所なんかも含めて、どうですか?

張田真さん
結構せっかちなところもあって、何か決めたら結果に対してストレートに。そこへ向かって猛突進していくってところもあるんですよね。

アッティ
そうですよね。

張田真さん
目標って、やっぱり何かぼやけているじゃないですか?

それを言語化して、可視化して、カメラのレンズのようにピントを合わせていく。そのピントが「パチッ」とあったときに「ドーン!」と進むんですよね。

そのときは、考えるというより、どんどんアウトプットしていくモードになっていて。でも、その状態に行くまでは、もう四六時中考えてますね。

アッティ
なるほどなるほど。

張田真さん
ミュージシャンだったら「シャワーを浴びてるときに良いフレーズを思いつく」とかあるじゃないですか?

経営の中でもよく似たことがありますけど、思いついてもすぐ忘れちゃうんでメモしてますね。

アッティ
スマホのメモとかに。

張田真さん
とにかく四六時中「メモ、メモ!」ってやってるんですけど、メモを取れないときもあるじゃないですか?

アッティ
それは、モヤモヤするんじゃないですか?

張田真さん
「すごいこと思いついた!」と思ってたのに、忘れちゃうんです (笑)

アッティ
「あれ? 何だったっけな?」みたいな感じになっちゃうんですよね (笑)

張田真さん
よくあります、よくあります。

アッティ
張田さんは「やるぞ!」と決めたことに、短期間で思いきり取り組む集中力がとてつもないですよね?

張田真さん
集中力の根っこの部分は、心理的な面でいう「恐怖感」ですね。

会社って、ちょっとよそ見すると簡単に潰れちゃうので。

アッティ
そうですね。

張田真さん
自分の中のどこかが、恐怖感に押されて動いているのかもしれません。

人間の感性を言語化していった結果、「自分を理解していくことも大事なんだ」と最近気づきました。

アッティ
「自分を知る」ってことですよね。

張田真さん
いろいろできるようになったのは、本当に、ごく最近なんです。

アッティ
まだまだ、考えることが山ほどありますね。

張田真さん
考える時間があまりに長すぎると、脳の回路の性能が落ちるんですよ。

アッティ
そうなんですか?

張田真さん
アイドリングしている時間を止めないといけないんです。瞑想などは、科学的にも効果が証明されてますよね。

僕みたいに四六時中考えているのがクセになると、睡眠中も…。

アイドリング:
(車などの) エンジンをかけたまま、アクセルを踏まずにエンジンが回り続けている状態のこと

アッティ
考えちゃってるんですか?

張田真さん
アイドリング状態で寝てるんですよね。

これではまるで、マラソンしている状態みたいじゃないですか?

アッティ
そうですね。

張田真さん
100m走だったら、一気にワーッと走って終わっちゃえばいいんですけど。

アッティ
なるほど。

張田真さん
「違う習慣もつけないといけないな」と、反省してるんです。

アッティ
「何も考えず、頭を休める時間も必要」ってことですよね。

張田真さん
ちゃんとメリハリをつけることが重要。

富山県内で大好きな飲食店

和彩膳所 樂味 (わさいぜんどころ らくみ)

公式HP

住所:富山県富山市春日56-2 リバーリトリート雅樂倶内

アッティ
富山県のお気に入りの飲食店があれば教えていただけますか?

張田真さん
お気に入りは、リバーリトリート雅樂倶 (がらく) さんにあります「和彩膳所 樂味 (わさいぜんどころ らくみ)」 さんです。

アッティ
樂味さん。これはどんなお店なんですか?

張田真さん
ホテルの中にある、和食のお店です。富山の自然の中にひっそりとあり、落ち着いた中で和食をいただけます。

夕食も美味しいんですけど、朝食がとても美味しくて。

アッティ
朝食もですか。

張田真さん
味といい、空気感といい、極上を提供してくれるんです。

雅樂倶さんと一緒になって、富山だから提供できる付加価値の出し方をしてる。それが、僕は大好きなんです。

樂味さんのようなお店が、どんどん富山県に増えてほしいなって思います。

リクエスト曲

【張田 真さん】株式会社HARITA 代表取締役

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