【原井 紗友里さん】株式会社OZ Links 代表取締役女将

【原井 紗友里さん】株式会社OZ Links (オズリンクス) 代表取締役女将

こんにちは、アッティです。
アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!

今回のゲストは、株式会社OZ Links (オズリンクス) 代表取締役女将の原井 紗友里 (はらい さゆり) さんです。※2023年8月現在

富山市八尾で、明治時代の蔵を改装した宿「越中八尾ベースOYATSU」を運営し、さらには古着の着物をリメイクして洋服にした独自ブランド「tadas (タダス)」まで立ち上げて、大活躍の原井さんに熱く迫っていきます!

株式会社 OZ Links (オズリンクス)

この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。

放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。

目次

原井紗友里さんが起業するまで

【原井 紗友里さん】株式会社OZ Links (オズリンクス) 代表取締役女将。テーマ1

原井さんの自己紹介

要約

原井紗友里さんは、株式会社OZ Linksの代表取締役女将として、越中八尾を拠点に観光業を営んでいます。

主な事業は、カフェ・レンタルスペース・宿泊施設を兼ねた「越中八尾ベースOYATSU」の運営と、着物をアップサイクルした「tadas」ブランドの展開です。

アッティ
原井さん、こんにちは。

原井紗友里さん
こんにちは、よろしくお願いします。

アッティ
代表取締役「女将」なんですね。

原井紗友里さん
はい。八尾の女将として、8年目になりました。

アッティ
これ正式名称ですか?

原井紗友里さん
正式名称です。

アッティ
名刺にもそう書いてあるんですか?

原井紗友里さん
書いてあります。

アッティ
いいですね!

アッティは「女性と話すのが苦手だ」とよく言っておりまして、先月のママスキーの土肥さんに引き続き女性ゲストということで、非常に緊張して汗をかいております。

原井紗友里さん
爽やかな汗で (笑)

アッティ
(笑) いやいやいや何おっしゃいますか。

「越中八尾ベースOYATSU」もそうですし、「オズリンクス」という名前もそうですけど、ユニークで独創性あふれるお話を聞けるかなと楽しみにしております。

それと、来月はいよいよ越中八尾の「おわら風の盆」が開催されるということでね。

原井紗友里さん
楽しみです。

アッティ
そういったことも、全4回の中でお話いただきたいなと思っております。

それでは早速なんですけれども、簡単に原井さんの自己紹介を含めて、仕事のことをお話いただけますでしょうか?

原井紗友里さん
株式会社OZ Links (オズリンクス) は、八尾町を拠点にした観光業をやっております。

カフェがあり、レンタルスペースにもなり、宿泊もできる「越中八尾ベースOYATSU」という観光拠点の運営ですね。

それから今ほどご紹介いただきました、着物をアップサイクルした「tadas (タダス)」というブランドも運営しています。

アッティ
越中八尾で行われてるということなんですけれども、元々八尾出身ではないんですよね?

原井紗友里さん
はい、富山市の藤ノ木が実家なんです。

学生時代と海外志向

要約

原井紗友里さんは、中学生から「グローバルに働きたい」「富山を出たい」と考えていました。

当初は「国境なき医師団」での活動を目指し、医学の道を志しましたが、後に教育の分野で海外に出ることになります。

アッティ
藤ノ木で生まれて、おそらく八尾とは最初そんなに縁がなかったんでしょうけど、学生時代ってどんな感じだったんですか?

原井紗友里さん
私は中学生ぐらいから、「グローバルに働きたい」「富山を出たい」とずっと思っていました。

中・高時代は「国境なき医師団で働きたい」ということで、医学の道を志します。その後、医学部ではなく、教育の道で海外に出ることになるんですけど、そんな感じで高校までは富山で過ごしました。

アッティ
「富山を出たい」というのは、「富山が嫌いで出たい」それとも「もっと幅を広げたい」どっちの意味だったんですか?

原井紗友里さん
どうですかね、ずっと「国境なき医師団で働くぞ」という想いが強かったので、「富山が嫌」というよりは「海外に出たい」って気持ちが強かったんじゃないかなと思います。

アッティ
「国境なき医師団」っていうのは、何か縁があってそういう方向に行きたいなと思ったんですか?

原井紗友里さん
中学校のときに山本敏晴 (やまもと としはる) 先生の「世界で一番いのちの短い国」っていう、シエラレオネという国で働く先生の本を見て、感銘を受けて「私もこうやって医師として海外で働きたいな」って思ったのを覚えています。

日本人学校の教員として中国へ

要約

原井紗友里さんは大学卒業後、4年間中国の青島で日本人学校の教員として勤務しました。

現地では日本人の子どもたちに英語と社会を教えながら、プライベートで中国語習得に励み、帰国時には流暢に話せるまでになりました。この経験は、現在の観光業でも活かされています。

アッティ
「国境なき医師団」には行かなかったけれども、教育の方に行かれたんですね。

原井紗友里さん
そうですね。大学では教育学部にいて、卒業後は中国で日本人学校の教員をしていました。

アッティ
中国はどちらですか?

原井紗友里さん
青島 (チンタオ) です。青島ビールの。

アッティ
何年ぐらい行かれたんですか?

原井紗友里さん
4年間ですね。

アッティ
じゃあ、ずっと青島ビールを飲み続けて。

原井紗友里さん
そうですね、だいぶお腹も大きくなって (笑)

アッティ
(笑) そうなんですね。

元々「中国に行こう」って気持ちがあったんですか?

原井紗友里さん
そうではなくて、大学で学んだ後に「やっぱり海外で働きたいな」という想いがあって、日本人学校を受けたんです。

日本人学校って世界中にあって、どこの国に行くかは、最後はドラフト制というか、世界中の日本人学校の校長先生たちが決めるので。

アッティ
自分の意思じゃないんですか!?

原井紗友里さん
そうなんですよ。

アッティ
すごい世界ですね。

原井紗友里さん
私の最終面接は、ブラジルか中国だったんです。

アッティ
自分の行きたいところに行ってるわけじゃないんですね、意外です。

原井紗友里さん
海外の教壇に立つということは決まってたんですけど。

アッティ
中国って決まったときは、どうだったんですか?

原井紗友里さん
中学校のときに中国人のクラスメイトがいて、それで中国には親しみを感じていたので「中国か、ちょっと近めだな」っていう感じでしたね。

アッティ
場所すらも決まってなかったってことは、もちろんその土地の言葉を勉強していたわけじゃないんですよね?

原井紗友里さん
大学では中国語を第2外国語で専攻していましたけど、たまたまですね。

アッティ
第2外国語で中国語を勉強してても、そこまでうまく話せないですよね?

原井紗友里さん
「ニーハオ、シェイシェイ」レベルですね (笑)

アッティ
実は私も大学のとき第2外国語が中国語だったんですけども、全然でしたね。

中国に決まって青島に行くとなったわけなんですけど、実際に中国の学校で子どもたちに教えていたんですか?

原井紗友里さん
そうですね、日本人の子どもたちに。私は、英語科と社会科の教員免許を持っていたので。

日本語で教えるんですけど「中国語をマスターしたいな」という気持ちがあったので、最初4〜5ヶ月のプライベートは中国の方と仲良くなってどっぷり浸かって学びました。

アッティ
日本語を全く喋らず生活する感じで?

原井紗友里さん
はい。

アッティ
そうすると、今じゃもうペラペラですか?

原井紗友里さん
今はだいぶレベルが落ちてると思いますけど、当時帰国したばかりのときは、中国の人と喋ってたら日本人だとばれないぐらい喋れたと思います。

アッティ
今でも観光に繋がる仕事ですけど、中国とか台湾の方も多いんじゃないですか?

原井紗友里さん
中国語を使う機会もありますけど、当時ほど喋れはしないかなって感じですね。

富山への帰郷と起業

要約

原井紗友里さんは中国での任期満了後、ビジネスへの興味から富山のコンサルティング会社に就職。8年ぶりに富山に戻り、故郷の良さに気づきました。

その後、北陸新幹線開通を機に観光分野での起業を決意。富山県庁の「富山観光塾」で半年間学び、ビジネスとツーリズムの知識を得て起業しました。

アッティ
東京の大学を出て、卒業して中国の日本人学校で教えていて、そこから富山に戻られたんですか?

原井紗友里さん
日本人学校の4年間の任期が満了してどうしようかなってときに、教員の道ではなくて「何かビジネスをしたいな」という気持ちがあり、富山のコンサルティング会社とご縁があって一度富山に戻ったんですよね。

アッティ
あれだけ「出ていきたい」って言ってきた富山に戻っちゃいましたね。

原井紗友里さん
いや、ただそのコンサルティング会社が中国の上海だとか、台湾にも支社があったので、いったん故郷には帰るけど「マスターした中国語を活かして、台湾や上海で働けたらいいな」みたいな感じで。

アッティ
そう思ってたんですね。

でも今も富山におられるというのは、どういったことがあったんですか?

原井紗友里さん
1回その会社に戻るんですけど、大学の4年間と中国の4年間、あわせて8年間富山を離れてから帰ってきたときに、故郷の美しさというか豊かさに気づいたんですよね。

アッティ
なるほど。

原井紗友里さん
「私あんなに海外に出たいと思ってたけど、富山いいじゃん」って。

アッティ
「いいとこじゃん」みたいな、富山を出るときと全く違う印象になったんですね。

外から見た姿って、全然変わってくるんでしょうね。

原井紗友里さん
そうですね。

アッティ
そうやって実際富山に戻って起業をされたわけなんですけれども、起業に向けて、やはりいろんな準備を整えられたんですかね?

原井紗友里さん
コンサルティング会社で働いていて、自分が起業するときに、ちょうど北陸新幹線の開通もあったので「観光の分野で起業したいな」と思って、富山県庁がやっている「富山観光塾」を半年間受講したんです。

そこで、ビジネスとツーリズムの部分を学んで起業したって感じですね。

アッティ
今回は以上とさせていただいて、次回は、なぜ八尾に拠点を作ったかなどを含めて、お話を聞いていきたいなと思います。

越中八尾での起業について

【原井 紗友里さん】株式会社OZ Links (オズリンクス) 代表取締役女将。テーマ2

越中八尾での起業の経緯

要約

原井紗友里さんは観光の可能性を感じ、越中八尾で起業しました。

「よそ者」の視点から、八尾の豊かさや「粋」な文化を高く評価。地域の温かさや子育て環境などにも強い魅力を感じています。

アッティ
「代表取締役 女将」という言葉だけで、グっとくるものがありますね。

前回は、富山から中国に行かれて、戻ってきて起業するまでのお話をいただきました。今回は、起業してからのお話を聞いていきたいなと思っております。

富山に戻ってこられて、そこから「富山市の越中八尾で起業された」ということだと思いますけれども、なぜ八尾だったのですか?

原井紗友里さん
富山観光塾で半年間修業して「どこで起業しようかな」と考えていたときに、越中八尾と出会いました。

いろんな観光地を見たんですけど、一番「もったいないな」というか「眠っている宝が多いな」って感じたからです。

アッティ
おわらのときは、雰囲気のある町になってますけど、ふだんの八尾の意識は、皆さんなかなか持ってないような感じがしますけど。

原井紗友里さん
そうですね。八尾に生まれ育った方たちからしたら当たり前の日常だと思うんですけど、八尾にとってよそ者の私からしたら、すごく豊かで「粋」だなって視察を重ねるたびに思いましたし、今住んでても「豊かだな」と感じますね。

アッティ
どういったところが豊かなんですか?

原井紗友里さん
たとえば、まちの方が玄関先に季節の花を飾られていたりだとか、夜に散歩をすると三味線の音が聞こえてきたりだとか。

アッティ
そうですよね。

原井紗友里さん
私は今、3歳と半年の2人の娘がいるんですけど、娘たちを地域ぐるみで育ててくれるような、そういう温かさなどが本当に「いいな」と思います。

アッティ
先ほど「よそ者」という言い方をされましたけど、実際、他から来た人に対しての対応はどうだったんですか?

原井紗友里さん
お祭りのあるまちって、やっぱり地域の結束が強いまちだと思うんですけど、一旦その中に入ってしまえば。

アッティ
なるほど。最初は大変だったんですかね? (笑)

原井紗友里さん
どうですかね? 最初、開業式をしたときなどは、まちの人たちに「私は何者である」ということを伝えたり。

あと「おや通信」という地域新聞みたいなのを作って、まちの人たちに「今月はこんなゲストが来ました」ってことを伝えたり。

まちの人に受け入れてもらえるように、心がけました。

アッティ
とりあえず、こっちを分かってもらうということですね。

坂のまちホテル化

要約

原井紗友里さんは、蔵を改装して「越中八尾ベースOYATSU」を開業。これは単なる宿泊施設ではなく、八尾町全体を「坂のまちホテル」として楽しむための拠点です。

地域の事業者と連携し、食事や観光をコーディネートする「まちのコンシェルジュ」としての役割のほか、カフェも併設させ、地元の人とゲストの交流を促進しています。

アッティ
越中八尾で、蔵を改装した宿泊施設「越中八尾ベースOYATSU」を開業されましたが、なぜこれを行おうとしたんですか?

原井紗友里さん
OYATSU自体は、元々蔵で紙問屋をされてた歴史があって。八尾は蚕と和紙で栄えたまちなので。

アッティ
和紙が有名ですよね。

原井紗友里さん
もともとは紙の原料の「こうぞ」だとか、紙製品だとか、物とか人が行き交う場所だったわけです。

紙問屋だった蔵を改装して、現代の形で新しく機能をつけることによって「また人が行き交う場所になればいいな」と思って作りました。

アッティ
「ベース」というと「拠点」という意味合いがありますが、そこを中心に何かを行っていくイメージがあるんですか?

原井紗友里さん
普通、ホテルっていうと、その中で滞在が完結できるじゃないですか? フロントがあって、上に客室があって、レストランがあって。

「坂のまちホテル化」というか、八尾町全体でそれができればいいなと思っています。OYATSUは、フロントと客室で。

アッティ
なるほどなるほど。

原井紗友里さん
まちの中に点在する、それこそ酒蔵さんだったり、和紙文庫さんだったり。

いろんな魅力的な事業者があるので、そちらの皆さんと連携をして、まち全体を回遊してもらって楽しんでもらうという滞在のデザインを、開業当初から心がけてやっています。

アッティ
そうすると、食事とかはどうされてるんですか?

原井紗友里さん
まちの中ですね。

アッティ
それは予約のときから、もうすでに決めていく感じなんですか?

原井紗友里さん
お客様によっては、そういう方もいらっしゃいますし、現地に来て「今日の気分は?」っていうので、私がいろいろコーディネートするってこともあります。

あとは、シェフを「越中八尾ベースOYATSU」の蔵に呼んでケータリングもできるので。

アッティ
すごい。そうすると食事もそうですし、ちょっとした観光も含めて「こんなプランがあります、ここどうですか?」みたいな感じで、やり取りして決めていく形なんですね。

原井紗友里さん
私たちスタッフは、「まちのコンシェルジュ」みたいな形だと思っています。

アッティ
まさに「ベース」ですよね。面白いですね。

そこに来られた人っていうのは、八尾全体のことを把握して、楽しみながら帰っていくってことになるんですね。決して、OYATSUだけが楽しかったということではなく。

原井紗友里さん
OYATSUに滞在するというよりは、八尾町に滞在するって感じですね。

アッティ
ちなみに、「OYATSU」の名前はどこから来てるんですか?

原井紗友里さん
アッティさん「おやつおやつ」って10回言ってみてください。

アッティ
おやつおやつおやつお…八尾だ!

原井紗友里さん
それですね。

アッティ
なるほど! そこなんですね。

原井紗友里さん
それとあと「おやつの時間」っていうと、3時にみんなでちゃぶ台を囲んで集まってるイメージがあるじゃないですか?

アッティ
ありますあります。

原井紗友里さん
「人が集まる場所になったらいいな」という願いも込めて。

アッティ
いいですね。そうすると、お客さんだけじゃなくて、八尾に住んでいらっしゃる方も顔を出されることがあるんですか?

原井紗友里さん
カフェも併設してますので。

アッティ
そうなんですね。

原井紗友里さん
まちのローカルな方と、ゲストの方が交われるような仕組み作りもしています。

初起業での失敗や挫折

要約

原井紗友里さんは、起業について「失敗」という感覚よりも、前に進み続けることを重視しています。

これは根本に、「失敗しても成功するまでやり続ければよい」という考えがあるからです。

アッティ
原井さんは、初めての起業だったわけじゃないですか?

起業してみてどうでした? やっぱり大変なことって多かったですかね?

原井紗友里さん
大変というか、どうなんですかね…

大変だったと思いますが、「失敗や挫折したことありますか?」ってよく聞かれるんですけど、あんまりそういう経験はなくて。

何をもって成功というかわからないですけど、失敗してもというか「できなかったらやり続ければいい」と思っているので、前に進み続けてきたって感じですかね。そんなに苦労はしてないと思います。

アッティ
そうなんですね。

今、八尾にこうやってベースを構えて、「来られるお客さんに八尾全体を知ってもらう」って意味では、非常に良い取り組みだと思います。

そしていよいよ来月、おわら風の盆が開催されますけど、八尾に住んでみて、ベースにとって、おわらってどういう存在なんですか?

原井紗友里さん
本当に素晴らしい、八尾というか富山の、そして日本の宝だとつくづく思いますね。

私自身は「よそ者」なので上手におわらを踊ることもできないし、もちろん三味線なんて弾けないですけど。

でもやっぱり、まちの方たちがずっと繋いできたこの文化は「よそ者だからこそできるやり方で守っていきたいな」って思います。

アッティ
コロナでしばらく開催もできなかったし、縮小にもなってますし。

今年も少し縮小気味で開催されるんですよね?

原井紗友里さん
そうですね。

アッティ
おわら風の盆によって、越中八尾が世の中に認知されていくってのは良いことですよね。

原井紗友里さん
本当に楽しみです。

アッティ
それでは今回は以上とさせていただいて、次回は、OYATSU以外のブランドについてや、女性経営者としてのお話などを聞いていきたいなと思います。

着物アップサイクルブランド「tadas 」

【原井 紗友里さん】株式会社OZ Links (オズリンクス) 代表取締役女将。テーマ3

「tadas」を始めたキッカケ

要約

原井紗友里さんは、2018年に着物のアップサイクルブランド「tadas (タダス)」を立ち上げました。これは、日本に眠る7億着の着物と年間50万トンの廃棄衣類の活用を目指す取り組みです。

きっかけは、母親が作った着物リメイク服が海外で高評価を得たこと。この経験から、飛行機の中で事業計画を立て、八尾でアパレル事業を始めることを決意しました。

アッティ
前回までは、どちらかというと、越中八尾ベースOYATSUのことをお聞きしました。

宿をやられていて、やはりコロナの影響は受けましたか?

原井紗友里さん
コロナが始まったときというか、2020年は1ヶ月半休業したこともありました。

アッティ
実際に休業を。

原井紗友里さん
外国人のゲストは減りましたけど、県民割などのキャンペーンの影響で、今はだいぶ戻ってきましたね。

アッティ
越中八尾ベースOYATSUの他にもうひとつ、大きな事業を立ち上げられてるということですが。

原井紗友里さん
2018年に立ち上げた着物のアップサイクルブランド、「tadas (タダス)」を。

アップサイクル
本来は捨てられるはずの製品に新たな価値を与えて再生すること

アッティ
「tadas」というのは「正す?」

原井紗友里さん
「tadas」は、「糺す (ただす)」という字なんです。

これは糸をより合わせるとか、そういう意味があります。

アッティ
アップサイクルということは、1回使われているものを、もう一度、別の形にして使うということですよね?

原井紗友里さん
そうなんです。今、日本には、7億着の着物が眠っているといわれていて。

アッティ
7億、すごい!

原井紗友里さん
1年間で50万トンかな? 廃棄衣類があるっていわれていて「ファッションの中で資源を活用できないかな」というのがあり。

でも、そもそも「tadas」のきっかけは、私の母が着物でリメイクした服を仕立ててくれて、それを私が海外出張に着ていったことなんです。

アッティ
そうなんですね。

原井紗友里さん
そしたら、いろんな国籍のいろんな年齢層の方から「その服、素敵だね」ってかなり言われて。

そんなに服を褒められたことがなかったので、「これはビジネスチャンスなのかもしれない」と思って立ち上げました。

アッティ
なるほど。

原井紗友里さん
出張帰りの飛行機の中で、事業計画を立てて「八尾でアパレルをやろう」と。

着物アップサイクルの流れ

要約

「tadas」の原材料となる着物は全国から寄付を受け、オーダーメイドも行っています。

デザインは基本パターンがあり、それに合わせて製作。家族で1枚の着物を分け合うなど、思い出を継承する形でも人気です。

特に、着物からアロハシャツを作る取り組みは、アロハシャツの起源が日系人の着物にあるという歴史的背景もあり、注目を集めています。

アッティ
着物のリメイクって、具体的にはどういうことなんですか?

原井紗友里さん
今日私が着ている服もそうなんですけど。

アッティ
そうなんですね!

原井紗友里さん
着物から、ヘアクロスバンド、トップス、スカートなどの洋服や小物を作ります。

アッティ
着物から着物にするわけじゃないんですね?

原井紗友里さん
そうなんですよ。着物から現代の形にアップサイクルしてます。

アッティ
長く続いている着物文化、そのデザインであったりとか、生地であったりは、やっぱり相当素晴らしいものなんですかね?

原井紗友里さん
着物の柄自体、例えば亀の甲羅の形の「亀甲柄」とか、それぞれ意味があるんです。意味というか、自然への尊敬の念だったり、いろんなものが。

あと、織 (おり)、シルクの織とか、そういうのも素晴らしくて「着物自体が持っている力も素晴らしいな」と思います。

アッティ
着物自体をアップサイクルするにあたって、着物の仕入れはどうしているんですか?

原井紗友里さん
全国から寄付をいただいてます。

アッティ
集まってくる?

原井紗友里さん
はい。

アッティ
へえ~!

原井紗友里さん
富山県内の方で寄付で持ってこられる方もいらっしゃいますし、県外からも。

そのように寄付をいただく場合もありますし、オーダーで、自分の家にある着物、おばあちゃんだとか、お母さんの着物をアップサイクルして、自分が着るために仕立て直す方もいらっしゃいます。

アッティ
ここまでの原井さんの話ではまだ、アパレル自体、たとえばデザインするとか、そういったことが出てきてないんですけれども。

原井紗友里さん
私は全くアパレル未経験なのですが、海外出張に行ったときの方たちの反応を見て、これはニーズもあるし、SDGsの点でも「いける」と思って、「アパレルブランドをやる」ということだけを決めて帰ってきて物件を押さえました。

アッティ
物件を押さえて。それも八尾ですか?

原井紗友里さん
はい、そうなんです。

アッティ
デザインや実際のリメイクなどは、どうされているんですか?

原井紗友里さん
「tadasをやる」って決めてから、いろんな方にお話をしたら、もともと洋裁をやってた方や、和裁をやってた方たちが集まってきてくださって今に至るという感じですね。

アッティ
着物を元にヘアバンドなどの商品を作るのか、それとも、ヘアバンドなどの商品を元に着物を使うのか、どちらなんですかね?

原井紗友里さん
「tadas」のトップスのパターンがあって、それに合わせるって感じです。

お客様からオーダーがあれば、そのお客様の身体のサイズに合わせて、仕立てるときにちょっと大きさが変わることはありますけど。

パターン
衣服制作のための型紙のこと

アッティ
ベースになる形は決まってるわけなんですね。

たとえば「自分が持っているものを、子どもに着させたい」、そういったリクエストを受けて仕立てるということですよね。

原井紗友里さん
1枚の着物、たとえばおばあちゃんの着物で、お父さんのネクタイと、お母さんのワンピースと、お子さんのスカートなど、家族の服を仕立てることもあります。

アッティ
それは、おばあちゃんとしても嬉しいですよね。

年配の方々にしてみると「これは私が大事だった着物で、ぜひとも渡したい」って言うけれども、「本当に着てくれるかな?」って思うことは多いじゃないですか? 着物を着る機会自体が減ってることもあって。

原井紗友里さん
着物を着る機会も減ってますし、ご自身で着物を着られる方もどんどん少なくなってきてるじゃないですか?

でも、こういう形でアップサイクルすることによって、気軽に身につけることができる。

アッティ
こういったことをやってらっしゃる方は、全国には多くいらっしゃるものなんですか?

原井紗友里さん
いらっしゃるとは思います。

アッティ
着物がこれだけ世の中にたくさんあるわけですからね。

原井紗友里さん
今、アロハシャツがとっても人気なんです。

アッティ
アロハのベースもあるわけですか?

原井紗友里さん
アッティさんもぜひ!

アッティ
いいですね~!

原井紗友里さん
1着仕立てられたらいいと思います。

アッティ
やっぱりそれは、着物から来るわけですよね?

原井紗友里さん
もちろんもちろん。

アロハシャツは、もともと日系人がハワイに渡って、着物でシャツを作ったのが原型らしいんですよ。だからリバイバルアロハというか。

アッティ
そうなんですか!?

原井紗友里さん
もともとの正しい形は、着物で作る。

アッティ
素晴らしい。その歴史いいですね。

原井紗友里さん
はい。

アッティ
それを着てハワイに行くとかって、むしろいいですよね。

原井紗友里さん
はい。

ジェンダーも一つの武器

要約

原井紗友里さんは、女性経営者としてジェンダーを「武器」として捉えています。

地域の人々から、若い女性だからこそ応援されたという経験を持ち、それが起業の成功につながったと感じたからです。

アッティ
実際こうやって経営者を務められてきて、女性経営者という、そこに対する意識って何かあるものですかね?

原井紗友里さん
どうですかね? 女性…、ジェンダーもひとつの武器になるというか、これ放送していいのかどうかわかんないですけど。

八尾に来て起業してしばらく経ったときに、地域の方から「もしも紗友里ちゃんと同じことを地域の中のおじさんがやってたとしても、誰も応援せんかったわ。女性で若かったし、一生懸命やっとったから応援したんやわ」って言われて。

だから「ジェンダーとか、そういうのも武器になるのかな」って思ったりもします。

アッティ
そうですよね。男性、女性、両方ともそれはありますよね。それぞれの強み、特性っていうのは、当然あるわけですから。

でもやっぱり、女性経営者がどんどん増えてって欲しいなって気はしますよね。

原井紗友里さん
そうですね。私は子育てをするなら「富山は豊かでいい場所だな」って思うので、子育てをしながら自分のやりたいことを突き詰めていけるような女性経営者が富山に増えていったら、すごく嬉しいなと思いますね。

Forbes JAPAN 世界を救う希望の100人

要約

原井紗友里さんは、「Forbes JAPAN 世界を救う希望の100人」に選出されました。

富山から選ばれたのは、このラジオ番組の1回目のゲスト前田大介さんと原井さんの2人です。

アッティ
「Forbes JAPAN 世界を救う希望の100人」に選ばれた、という話をお聞きしたんですけど。

原井紗友里さん
そうなんですよ。

アッティ
これはどういった?「Forbes JAPAN」は有名ですけど。

原井紗友里さん
Forbes JAPANから連絡があったときは、ドッキリかと思って。本当に「いやいや、まさか」と思って。

「世界を救う希望のネクスト100」って…。別に世界は救えないですけど、でも「富山、そして八尾のおわらを、よそ者ながら守っていけたらいいな」って想いはすごくあったので、とても光栄でしたね。

アッティ
素晴らしい。

「世界を救う希望の100人」というのは、日本の中での100人に選ばれたということですよね?

原井紗友里さん
富山では前田大介さんと。

アッティ
第1回目のゲスト!

原井紗友里さん
はい。2人選ばれて。

アッティ
この番組に出ると「Forbes JAPAN」に選ばれるという。逆ですけどね (笑)

そういった意味では、まだまだ経営者としてどんどん伸びていただきたいなと思っております。

それでは今回は以上とさせていただきまして、次回は、ふるさと富山についての想いなどをお聞きしていきたいなと思います。

富山への想い&オススメ店&リクエスト曲

【原井 紗友里さん】株式会社OZ Links (オズリンクス) 代表取締役女将。テーマ4

オズリンクスの名前の由来

要約

会社名「OZ Links」は「オズの魔法使い」から来ています。

原井紗友里さんは、この物語のように「富山の人々が、自分たちの地域の価値に気づいてほしい」という想いを込めました。

アッティ
「OZ Links (オズリンクス)」という名前ってどこから来たんですか?

原井紗友里さん
「オズの魔法使い」から来てます。

アッティ
ですよね?

原井紗友里さん
はい、話すと長くなるので (笑)

アッティ
ちょろっとだけ (笑)

原井紗友里さん
ちょろっと?(笑)

オズの魔法使いって、ドロシーちゃんが旅に出るんですけど、勇気のないライオンとかいろいろ、要は冒険をしてみたら「実は自分たち持ってたよね」って気づくストーリーなんですよ。

私、富山を出て、帰ってきたときに、富山の人って今はそんなには言わないかもしれないけど「何もないちゃ」って言うじゃないですか? でも「本当はあるがんぜ」って、みんなに気づいてほしいなっていう想いもあって「オズ」をつけました。

アッティ
素晴らしい! そういう意味合いがあったわけですね。

「富山っていいとこあるんだよ」という。

ふるさと富山について

要約

原井紗友里さんは、富山、特に八尾を子育てに適した豊かな環境だと感じています。それは、地域全体で子どもを育てる温かさや、働きながら子育てができる環境があるからです。

自分の娘たちが、実の祖父母ではない地域の年配者に見守られ、おわらの文化とともに成長できることを誇りに思っています。

アッティ
原井さんは「外の世界で活躍するんだ」って富山から外に出てみて、「富山の見方が変わった」って話をされてましたよね。

ふるさと富山についての想いを、少しお聞かせいただけますか?

原井紗友里さん
富山って、やっぱり幸せというか、豊かな暮らしができる場所だなと思います。

アッティ
富山の好きなとこってどんなとこですか?

原井紗友里さん
好きなところ…。今、特に八尾にいて、富山にいて感じるのは、やっぱり「子育てがしやすいな」ということ。

地域の中で子どもを育ててくれるような温かさが、私は八尾町にあると思っていて。富山の女性は働き者だと思いますけど、「働きながら子育てもできるって環境が魅力かな」と、最近思いますね。

アッティ
今の日本は、それこそ教育などにおいても、多くのことが「線」ではなく「点」になってますもんね。

原井紗友里さん
そうですね。

アッティ
「アパートやマンションの隣の部屋に誰がいるかわからない」「話もしない」みたいなことって、普通にあるじゃないですか?

原井紗友里さん
はい。

アッティ
昔は「地域で子どもを育てた」みたいなこともありましたけど、実は少子化問題などは、そういったとこに必ず繋がってるような気がしますよね。

原井紗友里さん
そうですね。うちの娘も、近所に大好きなじいじ、ばあばがいるんです。実のおじいちゃんおばあちゃん以外に。

アッティ
以外にね。

原井紗友里さん
そういう方たちに見守られて、そして、おわらとともに大きくなっていくことがすごく誇らしいです。

私自身は八尾の生まれではないので、おわらは上手に踊れないですけど、「娘たちがそういう文化を繋いでいけるのは、すごく豊かだな」と思います。

アッティ
娘さんね、上が3歳という話でしたけど、おわらは少しずつ?

原井紗友里さん
一応去年デビューしたんですけど、5mぐらいで終了しました (笑)

今年はちゃんとできればいいなと思います。

人生のこだわり

要約

原井紗友里さんの人生と経営のこだわりは、「まずはやってみる」ことと「自分のビジョンや想いを人に伝えること」です。

特に、アウトプットすることを重視し、自分の考えを積極的に共有することで多くの人の支援を得てきました。

アッティ
原井さんの人生のこだわり、経営者として大事にしていることを含めて、お聞かせいただけますか?

原井紗友里さん
「まずはやってみること」ですかね。やらずに後悔するのは嫌なので。

「まずはやってみる」ってことを大事にしてます。

アッティ
なるほど。

原井紗友里さん
あとはアウトプットするというか、「自分が描いているビジョンや想いを人に伝える」ということも大事にしています。

アッティ
アウトプットするときの工夫みたいなことって何かされてますか?

原井紗友里さん
いや特に。答えになってないかもしれないんですけど、自分1人でできることって本当に小さい。

アパレルブランドを立ち上げるときに、右も左もわからない状態だったのが「こういう想いで、こういうブランドを作るんだ」って言ったら、たくさんの人が助けてくれて、支えられて、今「tadas」というブランドができています。

そういう方たちに感謝を持ちながら、「やりたいと思ったことは、人に伝える」というのは大事にしてます。

アッティ
どうもこうやってお話をさせてもらってると、やっぱり「原井さんの魅力で人がどんどん集まってくる」って雰囲気がありますよね。

そこにプラス「やってみること」という強い信念を持ってらっしゃると、なおさらその繋がりが太くなってるような印象を受けました。

富山県内で大好きな飲食店

村上山荘 (むらかみさんそう)

公式HP

住所:富山県富山市八尾町庵谷10

アッティ
富山の日々の生活の中で、お気に入りの飲食店ってありますか?

原井紗友里さん
ありますよ。本当は教えたくないんですけど (笑)

アッティ
(笑) 教えてください。

原井紗友里さん
八尾の大長谷 (おおながたに) にある、「村上山荘 (むらかみさんそう)」。「大長谷ふるさとセンター」にあるイタリアンです。

アッティ
はいはいはい。

原井紗友里さん
富山で一番美味しいと思います! 私は。

アッティ
ケータリングとかもできるんですよね?

原井紗友里さん
はい。OYATSUでケータリングもできます。

富山駅からだと、大体1時間半ぐらいかかりますけど。

アッティ
なかなかですね。

原井紗友里さん
八尾のOYATSUからも40分。

アッティ
大長谷ですもんね。

原井紗友里さん
そうですそうです。大長谷にあって、ポツンと一軒家というか、すごく秘境にあるのに、いつでも人が賑わっていて。

富山というと、海の幸のイメージがあるじゃないですか?

アッティ
そうですよね。

原井紗友里さん
お魚も美味しいですけど、私は八尾に移り住んで、その料理と出会って「山の幸ってこんなに美味しいんだな」って思いました。

山菜とか、キノコとか、ジビエとか。あとシェフの恵美さんの人柄もとっても良くて、大好きなレストランです!

アッティ
これはOYATSUに来られた人にも、おすすめされてるんですか?

原井紗友里さん
時間がある方はランチで行かれたりとか、もちろん、事前に予約いただければOYATSUでケータリングすることもできるので。

アッティ
なるほどなるほど、それはいいですね。

リクエスト曲

grava 公式HP

アッティ
原井さんから、リクエスト曲を1曲いただきたいと思います。

原井紗友里さん
富山を愛するボーカルグループgrava (グラーバ) さんの「小石」という曲をお願いします。

アッティ
この曲には、どういった想いが?

原井紗友里さん
gravaの皆さんとは仲良くさせていただいていて、歌うことが大好きで、そして音楽を通した繋がりを大事にされてるメンバーの歌を聞くと、私も元気になれるので。

「grava」は、スペイン語で「小石」という意味らしいんですけど、gravaの原点にもなっている素敵な曲なので、ぜひ一緒に聴けたらなと思います。

アッティ
ありがとうございます。

それでは原井紗友里さんのリクエスト曲で、gravaさんの「小石」です。

これからの夢や目標について

要約

原井紗友里さんの夢は、将来、自分の孫が八尾町でおわらのまち流しに参加している姿を見ることです。

よそ者の女将として、事業や資金、人材を通じて八尾町に貢献し、おわらという富山の宝を次世代に繋げていくことを目標としています。

アッティ
それでは最後の最後になりますけれども、原井さんのこれからの夢や目標についてお聞かせいただけますか?

原井紗友里さん
これからの夢というか、私の夢は「おばあちゃんになったときに、自分の孫が八尾町でおわらのまち流しをしている」。そういう未来があったらいいなって思っています。

よそ者女将ながら、八尾町に事業だとか、お金だとか、人を残していって「富山の八尾の宝であるおわらが繋がっていけばいいな」と。

アッティ
いいですね。人生全てが八尾に繋がっていて。

原井紗友里さん
そうですね。

アッティ
面白い縁ですよね。

原井紗友里さん
本当に。

アッティ
今月全4回にわたって、原井さんからお話をいただきました。

来月9月には原井さんの活躍する越中八尾で、おわら風の盆が開催されますが、「越中八尾ベースOYATSU」「tadas」など、越中八尾の楽しみが、おわら風の盆以外にもたくさん出来上がってきていることに将来性を感じております。

今月のゲストは、株式会社OZ Links 代表取締役女将の原井紗友里さんでした。原井さん、1ヶ月間ありがとうございました。

原井紗友里さん
ありがとうございました。

アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。

お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。

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【原井 紗友里さん】株式会社OZ Links (オズリンクス) 代表取締役女将

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