【花田将司さん】いなほ化工株式会社 代表取締役

【花田将司さん】いなほ化工株式会社 代表取締役

こんにちは、アッティです。
アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!

今回のゲストは、いなほ化工株式会社の代表取締役の花田 将司 (はなだ まさし) さんです。

Visionドリブンホールディングス代表取締役CEOも務める花田さんに熱く迫っていきます!

いなほ化工株式会社

この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。

放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。

目次

花田さんの生まれや幼少期について

【花田将司さん】いなほ化工株式会社 代表取締役。テーマ1

花田家と富山の関係

要約

いなほ化工の創業者である花田さんのおじいさんと、2代目のお父さんは、北九州市の小倉の出身です。

安宅産業という鉄鋼系商社で働いたおじいさんは、その商社が倒産した際に富山の三協立山と縁ができ、富山に移住して起業。その後、花田さんが生まれ、富山で育ちました。

アッティ
花田さん、どうぞよろしくお願いします。

花田将司さん
よろしくお願いします。

アッティ
Visionドリブンホールディングス。めちゃくちゃかっこいい名前ですね。

花田将司さん
ええ。

アッティ
この話もね、ちょっと後ほどまたしっかり聞いていきたいなと思っておりますけれども、花田さんは高岡の方ですよね?

花田将司さん
高岡市ですね。

アッティ
そうですよね。生まれも高岡ですか?

花田将司さん
高岡市の方に生まれましたけれども、正確にいうと、初めて花田家として富山に住もうとしたのが僕になると。

アッティ
それまでは県外なんですか?

花田将司さん
そうですね、私3代目になりますけれども、創業者と2代目は九州の。

アッティ
九州なんですか。

花田将司さん
北九州市の方におりまして。

アッティ
なるほど。生い立ちもいろいろ聞いていきたいなと思うんですが、そうすると元々お父さんもおじいちゃんも、九州のどちらですか?

花田将司さん
小倉の方ですね。

アッティ
小倉で。

花田将司さん
正確にいうと、宗像 (むなかた) になるんですけどね。

アッティ
なぜそこから富山の方に来られたんですか?

花田将司さん
それこそ創業者がですね、昔10大商社だった安宅産業っていう鉄鋼系に強い商社で。

アッティ
鉄鋼系の商社。うん。

花田将司さん
そこの今でいう八幡製鉄、今、日本製鉄ですけど。そこの八幡製鉄の取引をやっていて、そのときにどうも富山の三協さんとか、そういった接点がある中で、安宅産業の商社が潰れたんですね。

安宅産業 (あたかさんぎょう)
1904年創業の日本の総合商社。第1次オイルショックによってプロジェクトが失敗し巨額の損失を被り、1977年に伊藤忠商事に救済される形で吸収合併。(出典:Wikipedia)

三協立山 (さんきょうたてやま)
三協立山株式会社。事業内容は、アルミニウムおよびマグネシウムの鋳造・押出・加工ならびにその販売。グループ会社に、三協アルミ社、三協マテリアル社、タテヤマアドバンス社などがある。

アッティ
へえ。

花田将司さん
そのときに起業しようということで、ご縁あった富山に移住してきたと。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
という感じですね。

アッティ
縁というのは、いわゆる三協さんとかそういったところのご縁があってということですね。

花田将司さん
そうですね、はい。

アッティ
そうですか。それでじゃあ実際、富山に移り住んで。高岡ですよね?

花田将司さん
そうですね、はい。

アッティ
そこで花田家として初めて生まれたのが…

花田将司さん
私と。

自己紹介といなほ化工株式会社について

要約

いなほ化工は農業資材のメーカーで、培養土や肥料をJAやホームセンターに卸しています。また、富山と岩手で居酒屋を経営し、タリーズコーヒーの店舗も運営。新たに高岡のおとぎの森公園にもタリーズを出店予定です。

アッティ
まず最初にですね、リスナーの方もわからないと思いますので、簡単な自己紹介と、会社の紹介を少ししていただけますでしょうか?

花田将司さん
はい、ありがとうございます。

改めて、いなほ化工株式会社の代表をしております、花田将司 (はなだ まさし) と申します。年齢でいうと42歳、1982年の1月生まれになります。

高岡市で生まれ育ちまして、その後高校まで富山にいまして、大学から県外に出て、石川県へ。そして就職して東京に行ったと。

30歳のときに富山に戻ってきて、会社の家業に入っていた、というような形になります。

会社なんですけども、なかなか表舞台に出るような会社ではなくてですね、農業資材を作るメーカーなんですね。

アッティ
農業資材を作るメーカー。

花田将司さん
そうですね。農業資材っていっても幅広いんですけれども。

アッティ
はい、はい。

花田将司さん
ホームセンターとか行くとよく「培養土」って土を売ってたりとか、肥料が置いてあったり。その培養土とか肥料を作ってるメーカーになりますね。

アッティ
肥料とかそういうのを作ってらっしゃるんですね。

花田将司さん
そうですそうです。直接何か作って農家さんに売るというよりも、地元のJAさんであったりとか、地方の問屋さんであったりとか、ホームセンターさんとか、そういったところに卸してるという感じですね。

アッティ
なるほど、比較的そういう土壌系のものが多いんですか? 資材といっても幅広いような気がしますが、どういったものなんですか?

花田将司さん
土壌系のそういった土を元気にする肥料とか、植物に必要な直接的な栄養素を補う肥料であるとか、それと田植えをするときに苗を育てると思うんですけど、それに必要な土であるとか。

そういったのをメインの事業としてるんですけども、他に食と農というのは、すごく親和性が高いので。

アッティ
はい。

花田将司さん
居酒屋をやっていたりとか。

アッティ
居酒屋の経営もされてるんですか?

花田将司さん
そうですね。富山県と岩手県に、フランチャイズの店舗ですけど。

アッティ
岩手県でもやられているんですね?

花田将司さん
岩手県にも工場があるんです、その近くにあって。

アッティ
いなほ化工さんの工場が岩手県にあって、その近くで飲食もやってらっしゃるんですね?

花田将司さん
そうですね、はい。居酒屋2店舗と、富山の県立中央病院の中にタリーズコーヒーがありますけれども。

アッティ
ありますね、あれもそうなんですね?

花田将司さん
そうですね。

アッティ
なるほど、タリーズコーヒーさんですね。タリーズさん、なんか今度どっかにも出すとかいう話…

花田将司さん
そうなんですよね。ご縁あって高岡のおとぎの森公園と。

アッティ
ドラえもんの公園。

花田将司さん
そうですそうです。

アッティ
あそこに。

花田将司さん
PFI案件として、官民連携で今度タリーズコーヒーを出す予定にしています。

PFI案件
民間の資金と経営能力・技術力 (ノウハウ) を活用し、公共施設等の設計・建設・改修・更新や維持管理・運営を行う公共事業の手法。

アッティ
そうなんですね、新聞で見てワクワクしてました。

花田将司さん
そうですね、ええ。

アッティ
花田さんのところで、そういう事業もされてるということですね。

花田将司さん
はい。

アッティ
なるほど、楽しみですね。

全5回にわたって、お話を聞いていきますが、ものすごい楽しみだなと思いながらスタートを切っております。

幼少期と学生時代のエピソード

要約

花田さんは、幼少期は恥ずかしがり屋で、人前で話すのが苦手でしたが、様々な習い事をすることで克服しました。

スポーツが好きで、水泳、野球、ソフトテニスに打ち込み、特にソフトテニスでは富山県や北信越でタイトルを獲得。大学は金沢で過ごし、その後、東京の農業資材商社に就職しました。

アッティ
簡単な自己紹介をいただいたんですけれども、生まれが高岡で、昔はどんな子だったんですか? 高岡時代。

花田将司さん
それこそ今こうやってラジオに出させていただいてますけども、小学校の頃とか幼稚園のときもそうですけど、人前に出てしゃべるときとか、もう、わんわんわんわん泣いてるような子でして。

アッティ
本当ですか!?

花田将司さん
いや本当に恥ずかしがり屋で、そんな幼少期だったと思いますね。

アッティ
全くそんなふうに見えないですけど?

花田将司さん
いやいやいやいや、そんなことないです。

アッティ
いつでも前に出て、胸張ってしゃべってる。そんなイメージありますけどね、そうじゃないんですね?

花田将司さん
ただ、たぶん母親もそういうのを脱却してほしいということで、何か習い事をいっぱいさせたような気がしますよね。

アッティ
そうですか、その中でも「特にこれに力を入れてた!」みたいな、例えばスポーツがどうとか、何かあるものなんですか?

花田将司さん
僕自身はスポーツが大好きで、スポーツの方へ行きたかったんですけども、母親は音楽系だったので、もうそれこそピアノとか、マニアックなところでいうと、お琴とか。

アッティ
お琴??

花田将司さん
お琴もやっていました。

アッティ
花田さんが、お琴もやっていたんですか!?

花田将司さん
そうなんです。

アッティ
すごいですねえ!今でもできるんですか?

花田将司さん
いやいや…もうさすがに。

アッティ
難しいですよね。

花田将司さん
難しいですね。

アッティ
スポーツは、何をやってらっしゃったんですか?

花田将司さん
スポーツは当時は、水泳中心に体を鍛えて、野球やってましたね、小学校の。中高大は、もうソフトテニス1本で。

アッティ
ソフトテニス。

花田将司さん
はい。

アッティ
なんか相当なとこまで行かれた、とかって噂が。

花田将司さん
過去の話なんで、あれですけども。ええ。

アッティ
どこらへんまで行かれたんですか?

花田将司さん
富山県のタイトルは、全て獲ったとは思います。

アッティ
おー!スゴイですね!

花田将司さん
北信越チャンピオンにはなりましたかね。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
全国もいろいろ、推薦も一気に5校いただいたりとかしましたけれども。

アッティ
私はあんまりテニス詳しくないんでわからないんですけども、テニスっていうのは、硬式と軟式の両方あるじゃないですか? ソフトテニスは日本にしかないんですか?

花田将司さん
いやいや、実はそんなことなくて。

アッティ
あっ、違うんですか?

花田将司さん
「オリンピック競技にしよう!」みたいな動きも。

アッティ
あるんですか?

花田将司さん
オーストラリア、韓国とか、いろんなところにちょっとずつですけど、広がってはいるような感じですかね。

アッティ
なるほど、じゃあ今でも何か振興みたいなことをしてるんですか?

花田将司さん
高岡市のソフトテニス連盟の副会長は今やってますけど (笑)

アッティ
やっぱり試合もしたりとかして?

花田将司さん
自らやるのはもう引退しますけどね。応援というような感じです。

アッティ
なるほど、本当何でもできそうですよね、そしたらね。

花田将司さん
いやいや、全然です、全然です。

アッティ
そうやって人前に出ると、ちょっと恥ずかしがり屋でありながらも、お父さんお母さんがスポーツで「これもやりな、あれもやりな、お琴までやりな」みたいな感じで、少しずつ前に出るような子になってたという感じなんですかね?

花田将司さん
そうですね。

アッティ
なるほど。実際、学生時代は金沢にもいらっしゃったんですか?

花田将司さん
そうですね、大学のとき、金沢にいて。

アッティ
4年間ぐらいですか?

花田将司さん
そうですね。

アッティ
なるほど、そこから東京に行ってということですか?

花田将司さん
行きましたね。

アッティ
東京では、どういう仕事をしていらっしゃったんですか?

花田将司さん
それこそ今の農業資材を扱っている商社ですね。

アッティ
なるほどなるほど、商社ですね。そしたら、今作ってらっしゃるものを実際売ってるような商社だったってことですか?

花田将司さん
そうですね。商社が我々みたいなメーカーから仕入れて、全国の問屋さんに売ったりとか、ホームセンターさんに売るような、そういった商社の方に。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
三井物産系の会社でしたね。

アッティ
なるほどなるほど。

飲食事業を始めた理由

要約

いなほ化工は農業資材メーカーとして、最終的な食品が消費者に食べられて喜ばれる姿を見ることがないため、飲食業に進出しました。これは、食を支える価値を理解し、川上から川下まで全体を把握するためです。

アッティ
農業資材を作るメーカーとして、具体的にはそういう土壌系のそういうものが多いと言いながら、さっき「食品とも繋がってますから、飲食を…」って話で。

いまいちピンとこないんですけど、なぜ飲食をやり出してるものなんですか?

花田将司さん
まず、本業というか土壌を作るメーカーの立場にいるとですね、出来上がった食べ物を (消費者が) 食べて喜んでる顔って見るシーンがないんですね。

アッティ
なるほどなるほど、そういう理由ですね。

花田将司さん
やっぱり根底たるのは「人の生きるための食、それを支えてる」という、そういった価値観をやっぱり持っていってほしいな、というところもあって。

川上の立場ですけども、川下もちゃんと。

アッティ
「両方見て、初めて全体がわかる」ということでやってらっしゃるということですね。

花田将司さん
そうですね。

アッティ
なるほど、ちょっとあっという間に第1回目はこれで終了なんですけれども、あと4回ありますので、そこでちょっとより深く、花田さんもそうですし、事業の方の深掘りもしていきたいなと。

次回は、事業としては3代目ということもありますので、3代目の想いであるとか、そういったことについてお話を聞いていきたいと思います。

3代目として会社を継ぐまで

【花田将司さん】いなほ化工株式会社 代表取締役。テーマ2

花田さんの経歴と教育背景

要約

花田さんは、富山へ帰郷後すぐに家族が経営する「いなほ化工」に入社する道を選び、経営者としてのキャリアをスタートさせます。

アッティ
生い立ちについて、大学は金沢に行って、数年間東京でお仕事をされて、富山県に戻ってきたという話までお聞きしたんですけれども、戻ってきてすぐに今のいなほ化工に入られたんですか?

花田将司さん
そうですね。もともと、帰ってくる年齢も父親と協議した上で話してたので。

アッティ
いなほ化工に入るということと、社長になる将来になるっていうこと、そこらへんはいつ頃から考えてたものなんですか?

花田将司さん
えっとですね、それこそ大学時代に、父親が高岡にあるとりでんを経営すると。

アッティ
フランチャイズの飲食のとりでんを?

学生時代の貴重なビジネス経験

要約

花田さんは大学在学中に、父が経営するフランチャイズ店「とりでん」で実践的なビジネススキルを身につけました。

この経験が経営の実務に興味を持つキッカケとなり、後に家業を継ぐ際の重要な基盤となります。

花田将司さん
とりでんを経営するときに、私も大学時代ちょっとフラフラしてたもんですから「お前の知り合いを副店長にしろ」と。

アッティ
知り合いを副店長?

花田将司さん
そうですね、「店長は自分の知ってる人にしたいんだ」と。

「副店長以下、お前の思うようにやってみろ」というようなお話もあってですね、自分の友達とかむちゃくちゃ集めてですね。

アッティ
それを学生のときに?

花田将司さん
学生のときに。ワーッと祭りのようにやったんですね。

アッティ
そのときの花田さんの役割は何だったんですか?いわゆる店長、副店長は用意されてた?

花田将司さん
普通のいちスタッフ。

アッティ
いちスタッフで、それで?

花田将司さん
それを任せられて、みんなでワーッと、もうそれこそ夜遅くまでやって、夜作戦会議して、カラオケ行くぞとか言って、朝からまたチラシ配ったりとかして。

そういった経験があって、そのときにふと「これを任せてくれた父親ってすごいな」と。

アッティ
そうですよね。

花田将司さん
そういうふうに思いまして、そこで初めて「継ぎたい」という意思表示をしたんですね。

アッティ
ほうほう。

花田将司さん
そのときにいろいろ話し合って「継ぐためにはどうしたらいいんでしょうか?」というような話をしてですね。

そのときに、人生設計をお互い協議して「じゃあ30歳のときに帰ってこい」と。私が40で、父親が70のときに代表を譲るという。

アッティ
もうその段階で決めたんですか?

花田将司さん
そうなんですよね。

アッティ
早いですね~。

花田将司さん
その約束に従って、こうやって動いてきたような感じですかね。

アッティ
あれですよね、とりでんって釜飯のフランチャイズですよね?

花田将司さん
そうですね。

アッティ
多分、いちスタッフっていいながらも、ある程度少し経営にも、もちろん携わっていたんですか?

花田将司さん
数字面とかそういったものは、わりとオープンに共有しながらやってたので、みんなが責任感を持ってやってたような感じですかね。

アッティ
なるほど、もしかしたらそういう意味では、コンパクトな経営を学ぶいい機会だったのかもしれないですね。

花田将司さん
そうだと思いますね。

アッティ
販売もあれば仕入れもあるし、経理もあるし人事もあるしって全部がそこに一手に入り込んでますからね。

花田将司さん
そうですね、フランチャイズだったんで全国のアワードとかあるんですね。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
そこで「賞を受けたい」っていう目標とかができて、「じゃあ1日いくら売り上げないといけない」とかそういったのもみんなで研究して。「じゃあ1テーブルこうしないといけないとか」そういった作戦とかも練ってたんで、そういう意味では経営に携わった感あるのかもしれないですね。

アッティ
なんか大学行ってる場合じゃないぞ、と(笑)

花田将司さん
そう、楽しくて(笑)

アッティ
楽しくてしょうがないみたいな。

花田将司さん
ええ。

祖父からの「あとは任せたぞ」

要約

おじいさんからの最後の言葉「あとは任せたぞ」というメッセージは、花田さんに大きな影響を与えました。

この言葉が、いなほ化工への深い責任感を植え付け、家族企業を次世代へと引き継ぐ決意を固めさせ、社長として取るべき道を指し示す指針となりました。

アッティ
そのときに、いわゆる経営に目覚めて、「会社を継ぎたい、戻りたい、社長も目指したい」みたいな感じだったんですか?

さっき言った年齢が決まったって話ありましたけど。

花田将司さん
これまた過去をさかのぼると、15歳のときに創業者が亡くなったんですけども。

家族を集められたときに、最後僕の手を握って「あとは任せたぞ」って言われたんですよ。

アッティ
おじいちゃんが?

花田将司さん
おじいちゃんから。ただそのとき、この言葉がすごいのは、主語がないんですよ。

アッティ
確かにね。

花田将司さん
何を任せられたかわからなかったんですね。花田家を任せられたのか、いなほ化工を任せられたのか。

アッティ
15歳って高校生?

花田将司さん
ちょうど1年。

アッティ
高校1年ですよね。

花田将司さん
なので、その後モヤモヤが続いてたんですけど、父親に「とりでん」を任せられたのを含めて、あの経験をして、これはもう「いなほ化工を任せられたんだ」というので、自分で腑に落ちてですね。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
そこでもう「社長になる」というのは、自分の中では決まった感じですね。

アッティ
ちなみに、おじいさんは花田さんが15歳のときに亡くなられて、そのときに「あとは任せたぞ」って言うってことは、その前も、結構そういう教えというか…

花田将司さん
そうですね。

アッティ
花田家の中では「おまえは当然継ぐもんだ」みたいな雰囲気ってあったんですか?

花田将司さん
直接創業者と2代目からは言われなかったですけども、やっぱり周りから言われてて、それはあえて言ってもらってたのかわからないですけど、刷り込みはすごかったですよね。

アッティ
染み付いてたんですね。

花田将司さん
そうですね。

アッティ
なるほど面白いですね。実際、会社に入った後は、そのフランチャイズの店舗をずっとやってたって感じなんですか?それとも、すぐ農業の方で始めたんですか?

花田将司さん
そうですね、農業の方でしたね。

アッティ
なるほどなるほど。花田さんは、農業の事業の内容をある程度把握していた状況なんですか?それとも全くゼロからだったんですか?

花田将司さん
商社に行ったときに同じ業界でしたので、そういった流通の流れとか商品とか、そういったのは把握した上で帰ってきてましたね。

アッティ
なるほど。おじいさんから「あとは任せたぞ」って言われながらも、継ぐとなるとやっぱり「3代目になる」という想いがあったと思いますが、そこらへんはどんな想いがありました?

花田将司さん
なる前となってからじゃ見える景色も違いますし、覚悟感も違いますし、「すごい重いな」というのは感じましたね。

ただ、今でも大事にしてるんですけども「今あるポジションと役割は、未来からお借りしているものでしかない」と。

なので「未来に対していかに良い状態でお返しするか」というところは大事にしてまして。それは「社長のみならず、どんなポジションと役割でも一緒だな」というふうに思ってるんですけど、社長になってからは「余計大事にしたいな」とか思ってますかね。

アッティ
社長になるのに何年ぐらいかかったんですか?

花田将司さん
2019年なんで、入社して8年。8年ですね。

アッティ
結構あっという間ですね。

花田将司さん
そうですね、ええ。当初40歳の予定だったんですが、ちょっと父親の死もあったので、2年早まって。

アッティ
お父さんは、おいくつのときに亡くなられたんですか?

花田将司さん
68。

アッティ
68歳。花田さんがおいくつのときですか?

花田将司さん
38。

アッティ
38歳の時に亡くなられて。そこで、ちょっとその予定よりも早く社長になったということですか?

花田将司さん
そうですね、はい。

経営理念と未来に対する責任感

要約

花田さんは、父親から学んだ「人のいいところを見る」という教えを大切にしています。この考え方は経営スタイルに反映され、常にポジティブな人間関係を築くことを心がけています。

これは社長としてだけでなく、一個人としての行動指針にもなっています。

アッティ
お父さんがずっと何十年にもわたって社長業をやってこられて、それを見てこられていて。働き出して7~8年は、ご一緒されてましたけど、例えば入社する前と入社した後では、その会社を継ぐという想いっていうのは、やっぱり変わってきたものって何かあります?

花田将司さん
そうですね、花田家家訓じゃないですけども、父親がよく「人の良いところを見ろ」と。

アッティ
人の良いところ。

花田将司さん
要は「人間って、人の悪いところって簡単に見つけれるんだ」と、「人のいいところを見つける、というところがすごく大事なんだ」という教えがあって。

それが腑に落ちたのと、あとは父親が今の価値観とかを形成するためにやってきた、いろんなまち作りの団体とか、それこそJCとかもそうですけれども、「同じ価値観に触れてみよう」という努力は、僕自身もさせていただいて。要は「何で今の価値があるのか? 判断のそういった基準があるのか?」とか。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
「そういったところを同じところまで経験しないで先代を批判するのって、もうナンセンスな経営者だな」と思ってたので。

アッティ
見た目だけで批判するっていうね、表面だけ言ってもしょうがない。

花田将司さん
そうですね。

アッティ
一回全部をやってみて、っていうことですか?

花田将司さん
ええ。

アッティ
それ、すごいですよね。

花田将司さん
何かやってみると、「こういったバックボーンがあるから、あの時こんな発言したんだ」とか、何かちょっとずつ繋がってくる部分もあったりして、なんかそういったのは大事にしましたかね。

アッティ
それはでもあれでしょうね、多分これから社長をやればやるほど分かるようになっていくんじゃないですかね?

花田将司さん
そうだと思いますね。父親の最大の教えって、言い方変ですけども、亡くなってから、亡き父と対話する中で気づかされる部分とかも結構多かったりしますよね。

アッティ
そうすると何か悩むときであったりとか、決めるときであったりとかっていうのは、お父さんの影響ってやっぱり出るものですか?

花田将司さん
そうですね。「先代だったらどう決断するかな」とか、「どう判断するかな」っていうのは、必ず何かイメージするようにして、それも踏まえて自分をどうするか。

アッティ
そうですか。

花田将司さん
そうですね。

アッティ
先代のやってきたことを一回全部知る、考え方も何となく把握していく、先代だとどう思うかを考えていく。今度そこにプラスアルファ、自分の考えをどんどん入れていくということですよね?

花田将司さん
そうですね、はい。

アッティ
いやでも地道な、なんていうんですか、本人にしてみれば当たり前なのかもしれませんけど、我々からすると「雰囲気だけ知って、あとは自分の考えでやっていこう」みたいなとこがあるような気がしますけど、そこをあえてそうされてるってのはどうしてなんですか?

花田将司さん
「商社時代、いい経験させてもらったな」と思ったんですけども、やっぱり取引先の地方の問屋さんとかって、もうそれこそ3代目どころじゃなくて、5代目6代目とか。

「どうしたらこんな続くんだろう」とか考えている中で、業績が落ちてるところの社長像みたいなのを整理したときに、先代批判がすごいなってのがあって。

アッティ
そういう会社さんが。

花田将司さん
でも「先代のことを本当に理解しようとしたのかな」っていうのが、やっぱり疑問としてあってですね。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
そこだけは自分なりにちゃんと向き合って、知ろうとすることは大事にしようと決めて帰ってきたような感じですかね。

アッティ
ちなみにちょっと失礼ですけども、先代が亡くなられたっていうのは、かなり大きな出来事だと思うんですが、それがあったからそう思われるもんなんですか?

それとも、先代が今でもやっぱり存命でいらっしゃると、そうはなってなかったってことってあるんですか?

花田将司さん
なんて言えばいいですかね、先代が生きてても、亡くなってても、この姿勢は変わらなかったと思うんですけれども

「生きてたのであれば動かなかった事柄」ってのも一方であったりする、という理解はしていますかね。

アッティ
なるほどね。そっかそっか。わかりました、ありがとうございます。

実際社長になられて、これからどういうことをしていかれてるかについて、次回はお話を聞いていきたいと思っております。

3代目として会社を継いでから

【花田将司さん】いなほ化工株式会社 代表取締役。テーマ3

経営スタイルの変革

要約

花田さんは、会社の経営スタイルをトップダウンからミドルアップダウン型へと変更し、中間管理職を意思決定プロセスに積極的に関与させました。これにより中間層が経営の柱になっていくのを感じています。

また、会社の50周年を契機に、従業員全員で新たな目標と理念を再定義し、権限移譲などにも積極的にチャレンジ中です。

アッティ
先代の教えから「人の良いところをしっかり見ろ」ということから始まって、先代がやってきたことの全体を見て、どのような考えだったかを理解し、その後に自分の考えを入れていく。

このような経営を行われているのですが、具体的に、いなほ化工はどういった特徴がある経営をされてますか?

花田将司さん
私が引継いだ2年後に50周年を迎えるというタイミングだったんですけれども、そう考えたときに、今まで親族経営で、どちらかというとトップダウン型の経営だったと。

アッティ
うん。

花田将司さん
それを「ミドルアップダウン型経営」というものに持っていきたい。要はトップダウンではなく、中間層がしっかりと経営の柱担って、下の意見も吸い上げながら私にいろいろ提言してくる。

あるいは、私がこうやって伝えたことを噛み砕いて下に伝えていただくとか。

「そういった次のステージに上がっていきたいな」っていうのは、思ったとこですよね。

アッティ
比較的に中小企業でうまくいってらっしゃるとこって、良くも悪くもトップダウンってとこ多いじゃないですか。

「トップが全ての決断判断をして、情報は全部トップに集めてやっていきます」みたいな。「その代わり人は育ちません」みたいなパターンが多いようなイメージがあるんですけれども。

この「ミドルアップダウン型」っていうと、今言われるように「中間を中心に持ちながら、上にも下にも力を合わせてやっていく」みたいなパターンだと思うのですが、それをやるための何か、当然、文化があったわけじゃないですかね、風土が。

トップダウンから移すときに、何かその仕掛けであったりとか、やり方を変えたとか何かあるものですか?

花田将司さん
みんながどういった想いを持って今までやってきたかとか、会社に対してどうあってほしいと思ってるかとか。

それこそ2年後に50周年を迎えるので、新たに理念というものも一新したりとか、社是に向き合ってみたりとか、50年以降の100年を迎えるにあたってのビジョンをどうするかというところを、みんなと対話するというところからスタートしました。そこが肝かなと思ってますね。

アッティ
まず思想の部分で、トップだけが作る思想じゃなくて、もう一回作り直しをしようと。それを中間が中心になって作る、という考え方ですよね?

花田将司さん
そうですね。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
要は共感というものを作りたいなと。「指示の共感ではなくて、みんなで作り上げたという共感が欲しいな」というのがありましたね。

アッティ
そこで少し風土が変わったんですかね。

花田将司さん
おそらくそこで。一気には変わっていかないと思いますけど、今もなおチャレンジ中ですけれども。

そのへんは権限委譲を進めてみたりとか、会議のあり方とか、そういった細かなところから見つめ直してみたりとか、そういったところは、今もなおチャレンジしてるとこですね。

成功よりも成長を!

要約

花田さんは、フィリピンに新たな法人を設立したときに、社内から「やりたい」と手を挙げてくれた方がいたことに変化を感じました。

積極的にチャレンジしてもらって、「成功よりも成長を」という風土に切り替えていきたいと思っています。

アッティ
何か一つ、例えば「こういう仕掛けをしました」「やり方を変えました」みたいなことって何かありますか?

花田将司さん
まず圧倒的に変わったポイントでいうと、去年フィリピンに現地法人を作ったんですが、今までの風土でいうと必ず僕が社長になってたかもしれないんですよね。

アッティ
なるほどなるほど。

花田将司さん
社内の中から「僕がやりたい」と言って手を挙げてくれた方がいたので、その方に現地法人の社長を任せて。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
今まではどちらかというと、何か決めることも、承認というものも、「ここまで細かいところまで承認取るんだ」というところがあったんですが、それはもうある程度任せ切ったりしてて、というのは一番大きなポイントのような気がしますね。

アッティ
なるほど。比較的アッティはトップダウン型なんですけど、ある意味、楽は楽じゃないですか。自分の考えのもとに全部やっていけばいいっていうところがあるので。

中間が中心になったときに、最終的にやっぱり承認をするのは、トップじゃないですか?

花田将司さん
そうですね。

アッティ
でもトップにしてみたら、「中間が決めてきたことが、自分の意向と100%一緒」ってことって、逆にまずないじゃないですか?

花田将司さん
そうですね。

アッティ
そこはどう考えるものなんですか?

花田将司さん
大枠のビジョンの部分はアグリー (同意) をとってる状態にまずしておく、ということが大事だと思ってまして。その中で泳いでもらえるのは、いくらでもOKかなと。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
もちろんその中の途中段階においてのターニングポイントは、ちゃんと承認とっていきますけども。

そこはある程度、軌道修正も対話をもってするということを大事にしたいなと思ってます。ある程度はやっぱりチャレンジしていただく。

成功よりも成長というところは、結構大事にしていてですね。

アッティ
なるほどなるほど。トップとしてうやむやとするところがありながらも、ただそこは「その人の成長のためだから」という割り切りを持ちながらやってるんですか?

花田将司さん
そのへんも理念に落とし込んであったりするので、「成功じゃなくて成長を求めていく」という風土に切り替えていこうというのがあるんですよね。

アッティ
やっぱりそういう意味で変わってきました?組織は。

花田将司さん
どうですかね、全部が全部、全員が全員じゃないですけども、何となく少しずつ「今までとはちょっと行動とマインドが変わってきたな」と思えるシーンも出てきましたかね。

アッティ
なるほど、いいですね、楽しみですね。

かつての上司が全員部下に!?

要約

いなほ化工は、関東電工とのM&A (合併と買収) を通じて、経営の効率化と革新を進めています。

この経験は、異なる背景を持つ組織が一つの目標に向かって協力するための貴重な学びとなり、長期的な企業成長へと繋がっています。

アッティ
ここ最近の中でも、M&Aをした企業があるという話もあったんですけども、少しお話いただけますかね?

花田将司さん
2015年に群馬にある関東電工という会社をM&Aしたんですが、それは三井物産の100%子会社だったんです。

これも面白いご縁があってですね、先ほど東京で商社に勤めた時代があったと話しましたよね。

アッティ
そうですね。

花田将司さん
そのときに最初、出向したんですね。ゆくゆくもし (家業へ) 帰るのであれば、「メーカーという、そういった経験も大事かもしれない」と、はからっていただいて。

要は出向していろんな方々に教えをしていただいたんですけども、その時の出向先を今、M&Aするという。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
言い方を変えると、全員上司だったのが、今は全員部下っていう (笑)

アッティ
全員部下 (笑)

花田将司さん
いや本当…

アッティ
当時は絶対それはわかってなかったですよね? 考えてもなかったですよね?

花田将司さん
もちろん、全然わからないですし、いや、だから人のご縁ってどこに落ちてるかわからないな、っていうのがあって。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
彼らの立場からすると、あそこの会社、労組もあって、もう創業75年くらいなんですよね。長い。

アッティ
歴史がある会社で。

花田将司さん
歴史ある会社なんですよね。三井物産の100%子会社なわけですから、要は三井の金看板から地方の中小企業に移り変わるって、彼らの生活とか未来を考えたときに不安でいっぱいだったんですよね。

アッティ
確かに、感覚的にはね。

花田将司さん
そのとき、皆さん言ってくださって嬉しかったのが「花田くんのところだったら」。

アッティ
あ、そっかそっか。昔一緒に働いているから。

花田将司さん
当時、真面目に働いててよかったなと。

アッティ
そこで何か、酒ばっかり飲んでるような生活をしてたら、もしかしたらね。相手は「大丈夫かな」とか思って、余計不安になっていた。

花田将司さん
みんな反対していたら絶対進まなかったでしょうから。

アッティ
なるほどなるほど。

花田将司さん
だから「1人1人のご縁は、やっぱり大切にしないといけないな」というのは本当に感じましたね。

アッティ
なるほど。ちなみにM&Aをやると、やっぱり難しいところっていうのはもちろん、いい点は相乗効果を生む点とかたくさんあると思うんですが、要は文化が違うじゃないですか。

先ほど言われていたように多分いなほ化工としては、経営理念を含めた文化をすごい大事にしていて、「それを少し変えながら、もう一回みんなでやっていく会社にしていこう」っていうのがあると思うのですが、M&Aをした会社とそこを無理やりくっつけると難しいじゃないですか。そこらへん、どうされてるものなんですか?

花田将司さん
もう完全分離型で経営してますけれども。

アッティ
そうですか。

花田将司さん
ちょっと似てるなと思ったのが、相手も商社の子会社で、社長がこうやって落下傘でくるようなところだったので、わりとトップダウン型経営だったんですね。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
なので同じような状況で、そうはいってもふつふつとしてる昔から知ってるメンバーもいたりしたので、「もう次の主役はあなたたちですよ」というところと。

あとやっぱり、投資するにしても上の親会社の承認を得ないといけないとか、そういったのは一気に動きやすくなったってのも、やっぱり彼らは感じていたので。そういった意味では、次のステージに一気に行ったような感じはしますね。

アッティ
なるほど。そうすると理念とか考え方も、少しずつ近づけていくという感じですね?

花田将司さん
そうですね。

アッティ
なるほど。面白いですね、昔の上司が全部部下みたいなの。

花田将司さん
そうですよ。いや僕自身「大丈夫かな、これ?」と思いましたけど (笑)

アッティ
多分、最初はね、やりづらかっただろうなと思いますけどね、今は大丈夫でしょうけど。

花田将司さん
ええ。

アッティ
なるほど。面白いですね。そうやって今、社長業を満喫しながら、本当に力を入れていらっしゃる花田さんですけれども。

ぜひとも次回はですね、ホールディングスについてということで、それともう一つは、Visionドリブンホールディングスという会社も経営されておりますので、そういった話をお聞きしていきたいと思っております。

ホールディングス化を含め、目指しているもの

【花田将司さん】いなほ化工株式会社 代表取締役。テーマ4

ホールディングス経営への移行

要約

花田さんがホールディングス経営に移行した理由は、新事業展開の速度感に対応し、固定概念を払拭するためです。また、農業資材の製造だけでなく、まちづくりにも取り組むことで、より良い社会を作ることを目指しています。

アッティ
いなほ化工という会社と、もう一つ、Visionドリブンホールディングスという会社の代表もされておりますが、こちらのホールディングスの役割と活動など、まずお聞かせいただけますか?

花田将司さん
ありがとうございます。ホールディングス経営に移行しようと思ったのは、ソフト部分でいうと先ほども申したように「成功よりも成長を」ということで、いなほ化工で何か新しい次なる事業展開をしていこうと思ったときに、なかなかやっぱり今までの固定概念からの払拭というのは難しいなと。

この時代の速度感に合わせていくためにも、別業態で、違う法人で回してた方がいいんじゃないか、っていうのが目先に見えてきた部分がありました。

一方で、「会社というものは、人もそうですけども、よりよい社会を作るためのツールである」というふうに考えていったときに、いなほ化工は今までもの作りももちろん大事なんですけども「農業資材を作って売る」、ただこれだけだと世の中がより良くなっていくかって考えると、そうじゃないなと考えたときに、もの作りからまち作りの方に移行していきたいなというところの考えにも至って。

それを実現していくためには「いろんなプロジェクトを事業単位で回していくというのが重要だな」と思ったときに、ホールディングス経営の方に移行していったというような感じですかね。

アッティ
なるほど。そうすると、このVisionドリブンホールディングスというホールディングスの中に、いなほ化工さんがあったりとか、他の関連会社も横並びであるという。

花田将司さん
そうですね、横並びで今5社あるという感じですね。

アッティ
これまで、中心はずっといなほ化工できてたんだけれども、このままだといなほ化工の考えでしかいかないし、多分農業資材のメーカーとしての考えにしかならないけれども、そこに、それとは別に、いろんな考え方を持って、いわゆるまち作りに入っていくという、そういう方向にしたいということですね。

花田将司さん
そうですね、はい。

フィリピン事業とベンチャー出資

要約

花田さんは、フィリピンに現地法人を設立し、お米由来のプラスチック原料を作るベンチャー企業に出資するなど、循環経済を目指しています。

ホールディングス制により権限を委譲し、社長に挑戦できる環境を整備。まちづくりのビジョンを明確にし、全体で統一された目標に向かって取り組んでいます。

アッティ
もの作りから、まち作り。でも具体的に、例えば、いなほ化工はこういうことをやってますが、それ以外のところでこれからやっていこうとする考え方って何かあるのですか?

花田将司さん
そうですね、今も展開し始めてますけれども、フィリピンに現地法人を作ったのと、あるベンチャー企業、お米からお米を素材にしたプラスチック原料、レジンを作るベンチャーがあるんですが、そこに出資をして、従業員を送り込んで、お米由来の農業資材を作っていくというようなところにも今取り組んでいて。

いろんなプロジェクトが全て繋がってくると循環経済、いわゆるサーキュラーエコノミーの世の中、まちが作っていけるという、そんなイメージでいますので、そういった戦略も全てコントロールしていくためにはホールディングスというのが、大事かなと。

アッティ
ホールディングスがなく、いなほ化工だけだったら、その発想にも至らなかったかもしれないし、もしかしたら発想に至ったとしても、例えばそこに行く人であったりとか、実際その運営をするってことが、やっぱりやりづらかったっていうところがあるんでしょうね。

花田将司さん
そうですね。やっぱり横並びの並列で対等というか、そういった環境にもしたかったですし、どんどん権限委譲していって、今までだと社長というポジションというのは、この僕であり続けるような環境だったのが、そうではなくて、そういった仕組みにすることによって、みんなが社長にチャレンジできる環境っていうのも作っていけるなってのもあったので。

アッティ
そうですよね。やっぱりそうすると、メインのいなほ化工も、いつかは社長が花田さんから変わる可能性もあるということですか?

花田将司さん
ゼロではないと思います。

アッティ
人が出てくればということですよね。

花田将司さん
そうですね。

アッティ
でも何か夢ありますね。あえて「ビジョン」とついてるってのは、そこに対してなにか想いがあるんですか? Visionドリブンというね。

花田将司さん
それこそドリブンは、ご存知の通り「drive」の過去分詞でして、突き動かされたという。そのビジョンですね。

我々、まちを作っていきたいと思ってるので、まちを今明確に絵にもしてますし、言語化もしてるんですけども、そのビジョンを実現するための集団でありたいというところですね。

理念とかそういったところは、50周年の準備をする上で統一してきたものの、「最後どういったまちを作りたいのか」っていうビジョンが統一されてないと、みんな矢印がバラバラになってしまうっていうのがあったので。

このグループ全体で、このビジョン、まちのある姿を実現したいなというところが込められた想いですかね。

アッティ
いいですね。なるほど、わかりました。

日本の農業資材産業の将来

要約

花田さんは、日本の農業と農業資材産業の未来について、資源依存の高い現状を指摘し、俯瞰的視点の重要性を強調します。

フィリピンでの産業廃棄物の活用や国内の原材料調達を通じて、経済と食料の安全保障に貢献する必要があり、ライスレジンのような環境に優しい技術の導入も国力向上に必要だと考えています。

アッティ
今、フィリピンでもそういう現地法人を立ち上げられている状況ですが、そうやってちょっとグローバル視点になってきて、そこから見た花田さんとして、例えば、日本の今の農業であるとか、農業資材の産業であるとか、こういったものの将来ってどういうふうに考えてらっしゃるんですか?

花田将司さん
そうですね。今まで、いなほ化工の中だけだと、どうしても主観的とか、国内の客観的になりがちだったんですが、今後の経営に大事なのは、俯瞰的という視座だと思ってまして。

俯瞰的にこうやって見ていくと、日本ってやっぱり資源大国ではないので、こういった農業資材作りにしても、海外への依存度って高いんですね。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
なので、ウクライナ、今のイスラエルとかもそうですけれども、そういった有事の際にやっぱり国力が問われる。

あるいは世界的に見ても人口増をしている中、食料争奪とか資源争奪ってのは起きてくる可能性がある中において、そこらへんに対して、どうスムーズに調達できるか?

フィリピンのその事業っていうのは、あっちで産業廃棄物になるものを有効活用して、こっちの貴重な資源にしようっていう動きと、あと国内でも動いてるのは下水処理場から出てくるものを肥料の原料にしたりということで、いかにこの自国の経済安全保障と食料安全保障に貢献していけるか? そういったことが大事かなというふうに思ってまして。

なので日本農業の未来を考えると、やっぱり国内でいかにそういった原材料を調達できるか?、それによっておそらく変わってくるんだろうな、というふうには見てますね。

アッティ
なるほど。そうか、面白いですね。

単純なる日本の農業の未来じゃなくて、やっぱり資材産業からした未来として考えると、いかに材料を日本で用意できるかっていうのが一つの勝負なわけですね。

花田将司さん
そうですね。でもさっきのベンチャーの出資したライスレジンも、お米からビニール袋とか、例えば、おもちゃの原料とか、スプーンフォークとか、ああいったプラスチックの原料って石油に依存してるわけですから、それをお米から作るっていうのはやっぱりすごく環境的にもいいですし、自国の国力も上がる話ですし。

お米というのも、物はこの国の戦略物資であると思いますから、そういったところにもコミットしていきたいというところですね。

アッティ
なるほどね。

若手経営者との交流

要約

花田さんは現在、起業家団体EOに所属しています。EOは世界的な組織で、日本に多くの会員を持ち、その中には上場企業や上場を目指す企業も多いです。

既存と新たな経済のブリッジ役が重要であり、異なる価値の組み合わせがイノベーションを生むと考えています。

アッティ
花田さんって今おいくつでしたっけ?

花田将司さん
42です。

アッティ
42ですよね。ちょうど先ほどベンチャーへの出資の話もあったりしたんですが、やっぱり今いろんな企業がそれこそコロナもあって退場されていく一方で、いろんな種がこれからどんどん目を開いて、いろんなベンチャーが立ち上がってきますけれども。

42歳の経営者として考えたときに、やっぱり比較的若手の20代30代の経営者との絡みも多いと思うんですが、何かそういった活動ってされてるものなんですか?

花田将司さん
そうですね。それこそ40歳まではJCという団体にお世話になって、今このEOという起業家の集まりの会にも入らせていただいてます。

JC
青年会議所

EO
Entrepreneurs’ Organization (起業家機構)

アッティ
これは全国組織なんですか?

花田将司さん
世界組織ですね。日本が一番会員が多いんですけども、特徴的なところは、今1000人~1200人くらい日本にいるんですけれども、1割が上場企業なんですね。

アッティ
1割上場。あぁ、実際上場した企業。

花田将司さん
上場した企業ですね。で、約3割ぐらいが上場予備軍。チャレンジしようとしている人たちで。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
この日本の経済を新たに引っ張っていこうという人たちの集まりですかね。

何か今後、地方として大事になってくるのが、今まで、今もそうですけど、経済を回してる人たちと新たに回そうとしている人たち。国も、こういった企業家を生み出していく。

これ、二項対立するわけにはいかなくてですね。そこでブリッジできるリーダーが多ければ、多いまちっていうのが強くなるんじゃないかな、というふうに思っていたりするので。

「新たな価値と価値の組み合わせでしか、イノベーションが生まれない」という大好きな先輩からいただいた言葉なんですが。なのでイノベーションの焦点は、コンビネーションだと。

アッティ
おー、なるほど。

花田将司さん
経済学者のシュンペーターさんがおっしゃってたんですけど。

経済学者のシュンペーターさん
オーストリアの経済学者 (1883~1950)

アッティ
イノベーションの正体。

花田将司さん
「そのコンビネーションを生み出せる経営者でないといけないっていうのが、おそらく今リーダーに問われている資質なんじゃないかな?」というふうに思っていたりするので、何かそういったところは大事にしていきたいなと思ってますね。

ずっと続いていく企業作り

要約

長寿企業であるいなほ化工は、新技術を取り入れる重要性を認識し、将来的に生き続ける企業を目指しています。

異業種との技術融合によるイノベーションが鍵であり、伝統と革新の両立が大事だと考えています。

アッティ
そういうベンチャーや、スタートアップ企業ともたくさん繋がりを持たれてると思いますし、逆にいうと、いなほ化工とすれば、長い歴史のある、昔からの企業じゃないですか。

イメージ的に昔からの企業っていうのは、比較的継続をすごい大事にするところがあるじゃないですか? 70周年というのもそうでしょうし、続けることがかなり大事であるっていう感覚がある中で、スタートアップベンチャーって、比較的、例えば、成長したらすぐにバイアウトしてお金を儲けるって、言い方は失礼なんですが、そういう感覚があるとすると、ちょっと何か同じ経営なんだけど目的が違うイメージがあるのですが、そこらへんどう思います?コンビネーションとして考えたときに。

花田将司さん
そんな人たちもいらっしゃいますけれども、僕らいなほ化工が数十年もこの先生きていく上で、新しい技術も取り入れていかないといけないですし、ホールディングス制も考えないといけないですし。

いなほ化工がいらなくなる世の中ができてしまうかもしれないので。

アッティ
なるほどなるほど。

花田将司さん
いなほ化工がいらなくなる世の中を想定したときに、今どんな会社を立ち上げておかないといけないのかとか、そういった視点も大事だと思うんですね。

そのへんを考える上では、そういったベンチャーの方々とか、何にチャレンジしてるかとか、キャッチアップしておかないといけないかな、とか思いますね。

アッティ
確かに、なるほど。さっき言われた「コンビネーション」ってあるじゃないですか? 実際それは何かもう活動としてやられてますか?

花田将司さん
そうですね。例えば、いなほ化工の業界。我々肥料業界とかいいますけれども、肥料業界の中でイノベーションを起こそうと思ったらすごく難しいんですね。

今、どの業界を見ても、業界の垣根がどんどんなくなってるんですよね。なので、肥料業界のこの技術と、一方で違う技術が組み合わさったときに、初めて面白いものが生まれたりする。そんなところを僕自身が探し続けないといけないんだろうなと。

アッティ
面白いですね。

花田将司さん
バイオマスの出資もしかりですね。肥料業界だけにいたら、多分出会ってない。

アッティ
ですね。

花田将司さん
ですので、そういったところから新たな、長年、ずっと続いていくような企業を作っていきたいなと思います。

アッティ
いやー、めちゃくちゃ面白いですね。

なんかあれですね、ちょっと変な言い方ですけど、40ちょっとで、その年齢でありながら、スタートアップも歴史のある企業も両方見てる花田さんだからこそわかる、みたいなところがある中で、それが今の世の中のスタンダードになってる感じも受けますよね。

花田将司さん
はい、そうですね。

アッティ
わかりました、ありがとうございます。なんかあっという間に4回がこれで終了しちゃいまして。

もう次が最終回になるってのは非常に寂しいところではありますけれども、今回は以上とさせていただきたいと思います。

富山のこと&オススメ店&リクエスト曲

【花田将司さん】いなほ化工株式会社 代表取締役。テーマ5

ふるさと富山について

要約

花田さんは富山県のポテンシャルを評価し、「ビレッジ構想」を提案しています。

この構想では、米由来のレジンと下水処理由来の肥料を利用し、生活用品の製造と農業を循環させます。高岡市で米を育て、レジンを作り、生活用品を製造。下水処理場の肥料で再び米を育てるというサイクルを通じて、持続可能な街づくりを目指しています。

アッティ
東京に何年間かいらっしゃって、金沢にもいたということで、県外を見てこられている。ましてやフィリピンでも事業をされているという、外の目があると思います。

実際ふるさと富山、また、ふるさとの高岡についての想いを少し語っていただけますでしょうか?

花田将司さん
ありがとうございます。やっぱりポテンシャルがすごく高いエリアだなと思っていまして、そのポテンシャルをいかにコーディネートしていくか、みたいなところが重要かなと思ってます。

今まで申したとおり、まちを作っていきたいっていうのが会社としてあるので、その次なるまちの姿を実現していきたいってのはありますね。

アッティ
ちなみに、まちの姿はどんなイメージなんですか?

花田将司さん
よりよい社会を、まちをつくるために、我々はツールとして何ができるかというふうに考えたときに、最後やっぱりビレッジ構想っていうのがあるんですよ。

アッティ
ビレッジ構想?

花田将司さん
はい。先ほど言ってた、お米由来のレジンを作る。例えば、高岡に田んぼをこうやって広めて。

今までお米って食料か飼料、口に入るものだったけども、レジンの原料になるっていうことは、これが工場に見える。意味ある工業に見える。

それを収穫してレジンにして、例えば高岡市のゴミ袋であるとか、いろんなプラスチック原料になるんですね。パレットとか、いわゆる生活用品の方に変わっていくと。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
下水処理由来の肥料の開発もご紹介させていただいたと思うので、一方で、お米由来の農業資材も今開発して。言ったら、マルチフィルム、畑におおってあるビニール。

マルチフィルム
マルチ (マルチング) フィルム。作物の株元をおおうフィルム。

アッティ
ありますね。

花田将司さん
そうすると、その肥料と下水処理場から出てくるものだけで、田んぼがまた作れるというふうになって、それがまた生活用品になっていくと、ずっとここにサーキュラーエコノミー (循環経済) の世の中ができるんですね。そういったビレッジ。まちを作ると。

アッティ
それは完全に、まち作りですよね。

花田将司さん
そうですね。ええ。

アッティ
一瞬ね、「まち作り構想」って言われたときに、どういう「まち作り」だと思ったけど、やっぱりその中心は、今の事業等でやられてるものからの広がりで、いろんなコンビネーションのもとにできあがる「まち作り」ということですよね?

花田将司さん
そういうことです。はい。

アッティ
なるほど、わかりました。ありがとうございます。

富山県内で大好きな飲食店

GEJO (ゲジョウ)

公式HP

住所:富山県富山市東岩瀬町180

アッティ
これも皆さんにお聞きしてるんですが、富山県のお気に入りの飲食店を教えていただきたいんですけど。

花田将司さん
行くところは決まってるんですよ。5つあるのですが、今日は1つに絞るということで、岩瀬にある「GEJO」ですね。

アッティ
あー、お寿司屋さん。

花田将司さん
お寿司屋さん。ええ。

アッティ
ここはなぜ?

花田将司さん
それこそ彼自身って、いろんな料理をこうやって学んで、フレンチとかブルガリアの料理とか、いろんなものを学んで寿司に生かして。

要はコンビネーションを体現してるっていうところで、めちゃくちゃ経営としてもヒントありますし。

アッティ
なるほど。

花田将司さん
飲食店を選ぶ一つの基準は、自分より年下だということ。一生通えるんですよね、年上だと亡くなられると…

アッティ
行けなくなると辛いですよね。

花田将司さん
そうなんですよね。

アッティ
おっしゃる通り。

花田将司さん
そういったところは応援したいですし、一緒に生きていってね、高めあえるといいなっていうのは思うポイントなので、GEJO好きですね。

アッティ
「年下だといい」って、何かわかりますね。例えば美容院とかにしても床屋にしても、年下じゃないと途中で変わっちゃうとかね。

花田将司さん
そうなんですよね。

アッティ
その観点が抜けてましたね、面白いですね。なるほどGEJOさんですね。わかりました、ありがとうございます。

リクエスト曲

【花田将司さん】いなほ化工株式会社 代表取締役

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