こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、グリーンノートレーベル株式会社 代表取締役の明石 博之 (あかし ひろゆき) さんです。※2023年1月6日現在
富山に移り住んで12年(2023年1月時点)、現存する古い建物や町並みを大事な観光資源と考え、空き家や空き施設を利用したプロジェクトの企画運営、リノベーションを行っている明石さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
富山へ移住するまで
明石さんとアッティは同い年
明石博之さんは、51歳(2023年1月6日現在)で、アッティと同い年。バブルがはじけた直後で、よい時代を知らない世代です。
周囲からは「明石さん」と呼ばれていて、ニックネームがある人をうらやましく思うこともあります。
アッティ
明石さん、どうぞよろしくお願いします。
明石博之さん
よろしくお願いします。
アッティ
明石さんは、2010年に奥さんとともに東京から富山に移住されてきたということですが、現在年齢はおいくつでいらっしゃいますか?
明石博之さん
51歳です。
アッティ
51歳。昭和46年?
明石博之さん
そうです。
アッティ
アッティと同じ年ですね。
昭和46年、バブルがはじけた直後ぐらいに仕事をし始めて、あんまり良い時代を知らない世代ですよね?
明石博之さん
そうですね。先輩の自慢話ばっかり聞いてきた世代っていう。
アッティ
そうですよね (笑)
明石博之さん
はい。
アッティ
私が大学から企業に入るときに、ちょうど2年ぐらいの先輩が「そろそろ厳しくなってきたぞ」みたいな話を言ってらっしゃったのを覚えています。
自分たちの世代ってまさに「会社に入るときにちょっと厳しくなった」みたいな。
明石博之さん
そんな時代でしたね。
アッティ
そんな時代でしたよね (笑)
むしろ、良い時代を知らないでよかったのかなと。
明石博之さん
その通りです。
アッティ
ですね。今回こうやって同じ年齢の明石さんと一緒にお話ができるっていうのは、非常に嬉しいなと思って楽しみにしておりました。
明石さんが「なぜ富山に移住してこられたのか?」「なぜ富山のまち作りに関わっていらっしゃるのか?」全4回にわたって深掘りしていきたいと思っております。
明石さんは普段、周りの方からどう呼ばれてるんですか?
明石博之さん
呼び方ですか?
アッティ
呼び方。
明石博之さん
「明石さん」、普通に。
アッティ
「博之」とか「ヒロ」とかじゃなく?
明石博之さん
いやあ、昔からどちらかというと、下よりも上の名前で「明石」。
アッティ
そんなもんですか?
明石博之さん
ニックネームがある人とか、結構うらやましい。
アッティ
「明石博之」だと、「ヒロ」って呼ばれてもおかしくなさそうですけど、そうでもないんですね。
明石博之さん
そうでもないですね。
アッティ
わかりました、じゃあ「明石さん」ということで呼んでまいりたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
明石博之さん
よろしくお願いします。
明石さんのプロフィール
明石博之さんは、広島県尾道市の因島出身です。
幼少期は因島で過ごし、小学校から広島市に移ります。その後、一浪して多摩美術大学でデザインを学びましたが、就職はまち作りのコンサル会社にしました。
アッティ
早速なんですが、明石さん自身、富山出身ではないんですよね?
明石博之さん
そうです。
アッティ
お生まれであったりとか、幼少期どんな生活をしてこられたのか? そんなことを少しお聞かせいただけますか?
明石博之さん
僕は広島県の「尾道 (おのみち) 市」というところ出身で。
尾道市の中でも「因島 (いんのしま)」という島の生まれなんですよ。
アッティ
ほうほう。
明石博之さん
それから小学校に入って広島市に移って、一浪して大学に行ったんですけど、それまでずっと広島にいました。
大学で一浪して、多摩美術大学という美術とかデザインを学ぶ学校に入学して、4年間デザインの勉強しました。けど、就職したのが、なぜかまち作りのコンサル会社と。
まぁ、ざっとそんな感じですね。
アッティ
なるほど、広島なんですね?
明石博之さん
そうなんです。
アッティ
「因島」っていうと、何人ぐらいの人口のところだったんですか?
明石博之さん
当時は3万人ぐらい。「因島」と言いながら、「因島市」だったんですよ。
アッティ
市なんですか!? 島自体が市で?
明石博之さん
そうなんです。
アッティ
3万人いれば、結構大きいですもんね。
明石博之さん
そうですね。
アッティ
そうすると昔から「海というか、水に囲まれる生活をずっとしてきた」みたいな感じなんですか?
明石博之さん
そうです。やっぱり島なので、周りは全部海です。
因島が「造船の町」って言われてまして。昔から大型のタンカーとか、軍艦の修復とかやってるような大きなドックがあるような、そんな島で。
観光では、因島は「みかん」が有名ですね。
アッティ
呉 (くれ) も、船が有名な場所であったりしますしね。
明石博之さん
そうですね。
アッティ
因島もそうなんですね。
明石博之さん
そうなんですよね。
アッティ
なるほど、わかりました。
「社会デザイン」に関わるきっかけ
明石博之さんは、多摩美術大学でプロダクトデザインを学びましたが、在学中の先生の勧めで「社会をデザインする」ことに興味を持ちました。
グリーンノートレーベル株式会社は、古民家や空きビルなどのリノベーションを通じて、街を元気にするための企画デザインプロデュースを行っています。
アッティ
多摩美術大学を出られて「なぜ多摩美から今の仕事に?」って話もちらっとありましたけれども、今のお仕事「グリーンノートレーベル株式会社」、こちらは何をやってらっしゃる会社さんなんですか?
「グリーンノートレーベル」という名前も「ん?」と思うところがあるんですが、そちらの意味、由来も含めてお聞かせいただきたいなと思います。
明石博之さん
「グリーンノートレーベル」は非常に説明の難しい会社ではあるんですけど、平たく言いますと「まち作り」と「場作り」の企画デザインプロデュースをやってる会社です。
今は古民家や使われなくなった商業ビルとか、空きテナントなどをリノベーションして、かっこいい空間やお店にしたりする仕事がメインになります。
「場所作りを通じて、まちを元気にしていこう」という会社なので、単にリノベーションとか設計デザインをして終わりではなくて、その先に街が元気になるようないろんな「仕掛け」といいますか、ブランディングを含めてお仕事にしてるという会社ですね。
アッティ
先ほど「多摩美から今のお仕事に」という話だったんですけれども、もともと「そういうお仕事をしたい!」と思われてたんですか?
明石博之さん
学校ではデザインの勉強をしたんですね。具体的に言うと「プロダクトデザイン」と言いまして。
例えば、車ですとか、インテリアの椅子だとか、あとは皆さんに馴染みある家電製品、ああいうものの立体的なデザインをするという勉強をしていました。
順当にいけば、そういうメーカーに就職したりするんですけども、在学当時の先生が「社会をデザインするっていう面白い世界がある」と。
アッティ
「社会をデザイン」、最近は何となく聞きますね。
明石博之さん
最近では聞くんですけど、僕が大学生の頃には「なんじゃそりゃ?」っていう感じだったんですね。
「社会のデザインをする」っていうのが、今でいう「まち作り」に繋がるのかなということで、そっち方面に興味が出て、コンサルの会社に入ったっていうのが動機ですね。
アッティ
「車のデザイン」「椅子のデザイン」「家電のデザイン」みたいなのは、あまり興味はなかったんですか?
明石博之さん
いや、あったんですけど、担当教員から「君は向いてない」って言われまして (笑)。
「4年間、一生懸命頑張ったんだけどな…」と思ったんですけど、その先生は「君はもっと、社会っていうか、形あるものじゃなくて、もっと仕組み的なデザインとかそういうのが好きなんじゃないか」っていうふうなことをおっしゃってくださって。
それで、僕の目もそっち側に向くようになったという感じですね。
アッティ
社会デザイン、社会をデザインする。
明石博之さん
そうですね。
富山への移住の経緯
明石博之さんは、東京のまち作りコンサル会社で全国の地域活性化を支援していましたが、「地方に根付いて直接関わりたい」という想いから、妻の実家がある富山に移住。
妻は会社の同僚で、2人で富山での活動に転機を見出しました。
アッティ
富山には、Iターンという形で来られたわけですよね?
明石博之さん
そうですそうです。
アッティ
当時はまだ、移住っていうのがそんなに多くなく、移住と観光がごっちゃになってたみたいな、そんな時代だったような気もしますね。
実際、富山に来られてみてどうでしたかね? 最初は、どういうきっかけで来られたんですか?
明石博之さん
きっかけはですね、東京で就職したまち作りのコンサルの会社で、東京に暮らしながら、大げさに言うと本当に北海道と沖縄以外、仕事であらゆる県に行きまして。
年の半分ぐらいはほとんど地方の農山村、過疎地域に行って、地域活性化のお手伝いなんかをしたんですけど、そこで地方で頑張ってる人たちと出会うきっかけがたくさんあったんですね。
アッティ
うんうん。
明石博之さん
僕が「東京からコンサルでその町に関わる」っていう、その仕事の仕方や生き方にどこか違和感を感じるようになりまして。
アッティ
ほう。
明石博之さん
もともとは、やっぱり私は地方出身ですし。
アッティ
そうですね。
明石博之さん
自分が地方に根付いて「形あるものを表現したり」とか、「地域活性化のプレーヤーとしてまちに関わったり」とかしたくなってきたんですよ。
アッティ
コンサルからプレーヤーになりたいと。
明石博之さん
そうなんですよ。
アッティ
なるほどなるほど。
明石博之さん
それが大きな転機になっています。
そのときに思ったのは、当然「故郷の尾道、因島に帰ろう」とか。
アッティ
そうですよね。
明石博之さん
あとは仕事で関わった、特にその当時は新潟の長岡地域にけっこう行き来してたんですけども、そういう行き先が色々あったのですが…。
アッティ
なぜ富山? みたいな。
明石博之さん
そうなんですよ。妻の実家が富山市にあったということなんですけど。
今は結婚して妻になってるんですけども、実は当時、同僚として10年ほど一緒に仕事をした仲間なんですよ。
アッティ
同じ会社にいらっしゃったんですか?
明石博之さん
そうなんですそうなんです。それが出会いのきっかけになって。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
「そろそろ二人とも地方で何かやりたいよね」っていうタイミングがやってきてですね。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
そのときの選択肢として富山が増えたと。
アッティ
そうなんですね。
明石博之さん
はい。
アッティ
奥さんも同じ会社ということは、いわゆるまち作りのコンサルをされていたわけですか?
明石博之さん
そうですそうです。やる分野は若干違うんですけど、ざっくり言うとまち作りのコンサルをやっていたんですね。
アッティ
なるほど。お二人で、奥さんの実家であるということもあって、コンサルからいよいよプレーヤーとなって、富山の一員になって、富山をより良くしていこうという活動に繋がっていくということですね。
明石博之さん
はい。
アッティ
わかりました、ありがとうございます。
あっという間に1回目が終わってしまったんですけれども。
明石博之さん
早いですね。
アッティ
今回は以上とさせていただきまして、次回は、富山に来られたときの印象、富山でどういう活動をし始めたのか、まち作りのプロの目線をお聞かせいただきたいなと思っております。
富山移住してからカフェ開業まで
グリーンノートレーベルの由来
明石博之さんは、ジャズの「ブルーノートレーベル」からヒントを得て「グリーンノートレーベル」という会社名を付けました。
この会社は、地域資源を掘り起こして世に送り出す活動をしています。
アッティ
前回は明石さんの生い立ちやグリーンノートレーベルの会社についてお聞かせいただきました。
もともと広島の尾道出身で、東京でお仕事をされて富山に来られたということですが、今回は富山での活動について深掘りをしてまいりたいと思っております。
まず、「グリーンノートレーベル」という会社名って、どういうふうな由来があるんですか?
明石博之さん
由来というのが、僕ジャズが結構好きでして、ジャズのレーベルで「ブルーノートレーベル」っていうのがあるんですね。
割と安いパッケージで、有名なプレイヤーのCDがあると。
アッティ
はい。
明石博之さん
「ブルーノートレーベル」は、地方に眠る才能ある演奏家を発掘して世に送り出すっていうことをやってた会社なんですけども、そこにヒントを得て「僕らはブルーじゃなくてグリーンかな」と思ってですね。
「まちのいろんな魅力的な地域資源を掘り起こして、それを世に出すというか、みんなに知ってもらうというような活動したいな」という想いでつけた名前ですね。
アッティ
ブルーが、なぜグリーンになったんですか?
明石博之さん
グリーンは何となくイメージですね。
アッティ
なるほどなるほど、「その地域の魅力の掘り起こしをしていく」という会社なのですね。
富山の印象
明石博之さんは、最初の富山訪問で、天気が良くキレイに見えた立山連峰、「北陸の地」の今まで触れたことのない雰囲気、それらに魅了されました。
アッティ
「コンサルからプレイヤーになりたい」と、奥さんの出身地である富山に移住してきたということですが、最初富山の印象はどうでいらっしゃいました?
明石博之さん
仕事で全国いろんなとこに行った人間なのですが、なぜか富山だけちょっとご縁があまりなかったんですよ。
アッティ
そうなんですか!?
明石博之さん
そうなんですよ、来たことはもちろんあったんですけど。
「移住を決めてから富山に来た」のではなくて、実は「移住できるかどうかを決めるために富山に来てみた」っていう。
アッティ
最初まずテストで来てみたわけですね。
明石博之さん
その時にたまたま天気が良くて、立山連峰がキレイに見えて。
僕は生まれが瀬戸内海、暮らした部分の多くは太平洋側なので、北陸の風というのか雰囲気っていうものは最初あんまりなじみがなかったんです。
でも、だからこそ「北陸の地」っていうものが、何かちょっともう無条件に魅力的に感じてしまったんですね。
アッティ
なるほどなるほど。
明石博之さん
海側には漁師町がいっぱいあり、自然の中にしっかりと地方都市があって、文化や歴史があるっていう。
そういうところにちょっと興味をひかれて、来て1日目でもう好きになってしまいましたね。
アッティ
それは富山のどこらへんを見られてるんですか? 最初の1日目は?
明石博之さん
1日目は富山市。それから周辺の、車で30分以内で行ける距離のところを車でぶらぶらしまして。
主には富山市を見て何となく「いいな」と思ったところがありますね、今考えると自分なりに意外なんですけど。
アッティ
「これはいいな」ということで、富山には奥さんと一緒に来られたんですね。
明石博之さん
そうです。
新湊内川との出会い
明石博之さんは、富山に移住後、最初の1年間は県外の仕事を続けつつ、富山の15市町村をまわり様子を見ていました。
現在の拠点である内川を選んだきっかけは、妻が移住定住コンシェルジュの仕事で内川の魅力を知り、彼女に連れられて訪れたことです。
アッティ
富山に移住されて、まず最初に行われたのはどういったことだったんですか?
明石博之さん
富山に移住してからは、まだ仕事も他の地方、東京のお仕事もまだ残っていましたし、全く縁もゆかりもない人間が富山に来てすぐ仕事ができるわけでもないですから。
「1年ぐらいは県外の仕事をしながら、富山も15市町村くまなくまわって様子を確かめよう」と、そんな期間がありました。
アッティ
今は内川の方を中心にご活躍されてるわけなんですが、そのときはまだ内川との連動はなかったわけですね?
明石博之さん
まだなかったですね。
アッティ
富山全体を眺めていたっていう感じだったんですね、なるほど。
今の拠点は射水の内川にあるということですけれども、内川を選ばれた理由って何かあったんですか?
明石博之さん
きっかけは、富山に来て1年目のときに妻が「富山県の移住定住コンシェルジュ」という、そういう役割の仕事をさせていただいてまして。
彼女が「県内の15市町村の魅力を発信しながら、移住したい人のお手伝いをする」っていう県の仕事をやってたんですね。
そのときに「良いまちがあるよ」と聞いたのが、新湊の内川だったんです。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
「いいところがあるから連れてってあげる」って、妻に連れられてきたのが出会いだったという。
アッティ
奥さんが、新湊の内川に何か縁があったわけでもないんですね?
明石博之さん
全くないんですね。
アッティ
移住定住のお仕事をされてるときに、奥さん自身が見られて「いいな」と思ってということで。
明石博之さん
そうですね。
新湊内川の印象
明石博之さんが初めて訪れた当時の内川は、観光地として賑わっておらず、古い町並みと猫しか見かけない漁師町のようでした。
しかし、古い歴史的な町並みが残る新湊内川に「昭和の映画のセット」のような独特の魅力を感じ、「世界に発信しなければならない」と使命感を抱きます。
富山県内の他の場所にはない独自の風景に魅了され、まち作りのターゲットとして注目しました。
アッティ
内川はね、それこそ今富山では一つの観光の拠点であることは間違いないんでしょうけども、当時はどんな感じだったんですか?
明石博之さん
当時はですね「ただの漁師町」って言ったらちょっと失礼かもしれませんけど、観光で賑わってる様子はないですし、まちを歩いている人はいないですし、見かけるのは猫だけっていう感じでしたね。
アッティ
実際、その内川に行かれてみて印象はどうでした?
明石博之さん
「古い歴史的な町並みが結構ある」っていうのが、富山県内全体の印象だったんです。
その中でも新湊と内川は、「手つかずの古い町並みが残ってた」っていう印象があります。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
多くの町は、昭和から平成と時代を経てそれなりに変化をしていたんです。
でも、この新湊内川の町は昭和30年ぐらいで時間が止まってしまってるような、結構いろんな方が言いますけど「昭和の映画のセット」のような、そんな雰囲気を感じましたね。
アッティ
私も先日ちょっとお邪魔させてもらったんですけれども、確かに時間がゆっくり流れてるイメージがありますよね。
建物が比較的古いっていうのはあるんですが、人がせかせかしてるような雰囲気もありませんし、そんな街のイメージはありますよね。
明石博之さん
そうですね、本当に富山県の中でも「何か違うぞ」と直感的に感じました。
アッティ
それは全国まわられていても、そういう場所ってなかなかなかったですか?
明石博之さん
ないですね。結構いろんなところをくまなく見てたはずなんですけども、新湊内川は、他の地域の、どのまちにもない良さがある。
たぶん写真でパッと切り取って、瞬間的に「ここが内川だ」って分かるような風景なんですよ。
アッティ
「昭和30年ぐらいから止まってます」みたいなところを実際見て「これはいいな」と思うっていうのは、「住んでみたい」としてなのか、それとも、まち作りをするプレーヤーとして「この街をより良くしていきたい」としてなのか? どちらだったんですか?
明石博之さん
最初は「このまちの良さは世界に発信しないといけない」と、勝手にそんな使命感がわいてきました。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
それから「じゃあ、どうしよう」っていうのが次にあるんですけども、そのときはまだ「自分がここに住む」ってイメージで町を見ていなかったですね。
アッティ
「まち作りのターゲットの一つの場所」っていう見え方だったんですね。
明石博之さん
そうですそうです。
アッティ
でもすごいですね、考えてみたら。全国ずっとまわってこられた方が、富山の内川を見て「ここだ、ここを世界に発信しなきゃいけないんだ」と思うっていう。
われわれ富山県人にしてみてもすごい嬉しい話ではあるんですが、「富山県人でその良さを感じてる人ってどれだけいるんだろう」と思うと、たぶんかなり少ないような気がしますよね。
明石博之さん
当時はそうだったかもしれないですね。
今でこそ、内川はちょっと注目されるようになりましたけど。
六角堂の開業
内川に移住した明石博之さんは、最初にカフェ「内川 六角堂」を開業します。
もともと畳屋だった六角形の空き家をリノベーションしたものでしたが、周囲の反応は最初は冷たく、若者がカフェを始めることに対する懸念がありました。
アッティ
実際内川の町に入られて、最初はどうだったんですか? 住まいとして持たれたんですか?
明石博之さん
最初は、この後お話するカフェを最初に作って。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
その後に事務所ができて、その他もろもろとできてきたので、住み始めたのは実は2年前なんですよ。
アッティ
そうなんですか!? 最近なんですね。
最初はオフィスを作られて、カフェ?
明石博之さん
はい。
アッティ
カフェのことをちょっとお聞かせいただけますか?
明石博之さん
妻に連れられて新湊内川に来たとき、瞬間的に「ここをプレイヤーとしての最初の出発点にしたい」と思ったと同時に、「そうだ、空き家をリノベーションして何かをしたい」っていう想いが入ってきたんですね。
そのとき、本当にたまたまなんですけども、まち歩きの地図のようなものに「六角の家」っていうものがイラストとして表現されてたんです。
その絵がちょっと気になって、市役所の方に聞いたら「空き家になってる」と。しかも、その空き家の持ち主さんが「市役所の職員の実家だ」みたいなことで、何かトントン拍子で内見までできることになりまして。
その外観が「六角の家」っていうだけあって六角形。
アッティ
六角形ですよね。
明石博之さん
それが、元畳屋さんだったと。
アッティ
畳屋さんだったんですか? あそこって。
明石博之さん
当時、10年前まで営業されていた畳屋さん。
これで「場所もいいし形もいいし、ストーリーもばっちりじゃないか」と思ってですね。
アッティ
確かに。
明石博之さん
で、次に「よし、カフェにしよう」と思いました。
アッティ
そのカフェのお名前は?
明石博之さん
「内川 六角堂」。
アッティ
「六角堂」ですよね、そうですよね。
そのカフェからスタートしたということですね?
明石博之さん
そうですね、はい。
アッティ
もともと畳屋でありながらも、わざわざマップに載ってたってことは、六角の家自体が有名な場所ではあったんですか?
明石博之さん
あの建物の形が珍しいということと、「まち歩き絵図」というものがですね、「まち並みをしっかりとイラストに描き起こしてる」そういうマップだったんですよ。
たまたま曳山が通るような三叉路 (さんさろ) に位置してたってことで、ランドマーク的に扱ってたんじゃないかなと思います。
アッティ
名前はそういうふうになったと。
明石博之さん
そうですね、はい。
アッティ
普通に考えたら、当時、内川でまち作りどころか、その町を良いものとしてとらえて世界に発信どころか、ここをね「富山でも有数の観光地にしたい」とか思う人もそんなにいなかったと思うんですよね。
そのときに県外から来られた人が、いきなり六角の家を買って、そこを「カフェにしてやり出すんだ」って言ったら、内川の周りの方の反応ってどうでしたか?
明石博之さん
最初は正直、良いものではなかったように思います。
アッティ
そうですか。
明石博之さん
当時30代だったんですけど、「東京から来た若者がカフェをやる」って言うとですね、「賑やかになって生活を邪魔されるんじゃないか?」とか「うるさい」とか「カフェ? 何かいかがわしい人が集まるんじゃないか?」とかですね、いろいろとそんな声が遠巻きに聞こえてきました。
アッティ
面白いですね、そういう意味では。
そうしましたら、今回もやっぱりあっという間に経ってしまいましたので、次回はぜひともカフェの六角堂もそうですし、内川で手がけられている活動、いろんなプレイヤーとしてやられていること、そこらへんに焦点を絞りながらお話を聞いてまいりたいと思っております。
内川での活動とまち作り
カフェ「内川六角堂」について
カフェ「内川 六角堂」は、13歳未満お断りで、オーガニックや無添加の食材を使ったコーヒーやサンドイッチを提供するお店です。
古民家をリノベーションし、モダンなデザインを加えた落ち着ける空間を提供。子どもの立ち入りを制限する理由は、静かな時間を過ごしてもらうことと古民家の安全性のためです。
明石博之さんはカフェ運営が初めてですが、コーヒーやカフェ文化が好きだったので挑戦しました。
アッティ
前回は内川に移り住んで拠点を構えられて、新湊内川にある六角の家というランドマークを買い取とられてリノベをされて、カフェ「内川 六角堂」を作られたという話をいただきました。
今回は、その内川での活動をより深く聞いていきたいなと思ってます。
まず六角堂のカフェって、どんなカフェでいらっしゃるんですか?
明石博之さん
カフェ「内川 六角堂」はですね、なんと13歳未満お断り (笑)
アッティ
そうなんですか!? 本当ですか?
明石博之さん
はい。そして私がけっこうアレルギー体質だったもんですから、オーガニックとか無添加、保存料を使わないような食材を使ったコーヒーサンドイッチを提供してるようなお店なんですね。
内装は古い建物を活かしながら、ちょっとモダンなデザインを加えて、華美にしない落ち着けるような木造建築の良さを楽しめるカフェとしてリノベーションしました。
アッティ
13歳以下 (お断り)っていうのはなんで?
やっぱり静かに時間を過ごしてほしいっていう意味ですか?
明石博之さん
2つありましてですね。
1個は、おっしゃる通り「大人にゆっくりと素敵な時間を過ごしてもらいたい」ということ。
もう1個は、ちょっと言い方はあれなんですけど、古民家なので階段が急だったりとか、ちょっと危険な場所がある。なので「お子さんが来られると、もしかすると危ない箇所がある」という思いがあって、13歳未満お断りにしてあります。
アッティ
なるほどなるほど、そうですか。
オーガニックのコーヒーもそうですよね?
明石博之さん
そうですね。
アッティ
サンドイッチあたりも含めて、体に非常に良いものが中心に置かれているんですよね? どういう年齢層の方が多いんですか?
明石博之さん
今は若い方を中心に、県内の方が多いですね。その前は県外。
今もずいぶん県外の方がいらっしゃってるんですけども、県外の方で、わりと年配の方が多かったっていう印象があります。
アッティ
もともとカフェの運営ってされたことあったんですか?
明石博之さん
初めて。
アッティ
初めて (笑)。何でもかんでも初めてですね、そうすると。
明石博之さん
そうなんですよ (笑)
アッティ
内川でやるのも初めてだし、カフェも初めてだし。
明石博之さん
そうですそうです。もともとコーヒーやカフェ文化が好きだったんです。
初めてカフェを自分で企画デザイン、しかも経営までやろうというときに、いろんなところをまわって調査して。一部は、専門的な方に協力を得たりはしたんですけども、全く初めてのことです。
アッティ
お店の場所は、先週お聞かせていただいた元「畳屋」だったところ。
内川よりも、何となく陸寄り、ちょっと中に入ったところになりますよね?
明石博之さん
そうですね。川沿いではなくて、川からちょっと入ったところにあります。
アッティ
比較的まわりがひらけたような感じのところだと思うんですが、あそこは内川のランドマーク的な場所であったわけですよね?
明石博之さん
そうですね。三叉路に面していまして、新湊の曳山が通るコースになってるんです。
そこで90度、くいっとターンをしていく、ひとつの「見せ場」みたいになっていまして。六角形の建物の前が三叉路で、いってみれば何かステージみたいになってたと。
アッティ
じゃあ、もう有名な場所で、「六角の家」と聞くと結構知ってらっしゃる方も多かったわけですね?
明石博之さん
多いですね。
アッティ
お店の名前も「六角堂」ということで、よりランドマークにしていくイメージだったんですね。
明石博之さん
していこうと。
新湊内川での活動
明石博之さんは、「内川 六角堂」をカフェとしてリノベーションした経験から、他の拠点作りも手がけるようになりました。
妻のオフィスリノベーションから始まり、レンタル着物屋やバーのリノベーションも。また、自身で「水辺の民家ホテル」という古民家宿も経営し、県内外や国外からの観光客を迎え入れています。
アッティ
六角堂というカフェからスタートされて、それ以外にも内川で行われている活動ってどんな活動なんですか?
明石博之さん
「内川 六角堂」を自分たちのカフェとしてリノベーションしました。その経験で「これは自分たちだけが拠点を持ってやっていくんではなくて、仲間が必要だぞ」と。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
リノベーションって、やってみると古い建物の改築で、やっぱり皆さんものすごい大変な思いをして工事をしてたんですけども、「これはそういうプロフェッショナルが必要なんじゃないかな」と思うようにもなりました。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
「カフェで得た経験を人様に提供するような仕事をしても面白いかな」というようなきっかけにもなりました。
「内川沿いに同じように古民家をリノベーションして、ここに来る人たちが内川を知るきっかけになるようなお店が増えたらいいな」ということで、「お手伝いをしたい」と思ってたんですけど、すぐには「じゃあ、お願いします」という人は1人もいないわけで。
アッティ
まず最初は、新しいものはカフェしかないわけですからね。
明石博之さん
2つ目の点といいますか、拠点になったのが今のオフィスなんですね。
アッティ
オフィス?
明石博之さん
オフィスは、私の妻が「ワールドリー・デザイン」っていうデザインの会社を経営していまして。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
「その会社のオフィスとして、リノベーションしよう」ということで、完全なる身内として依頼を受けたという。
アッティ
2つとも古民家をリノベしてですね?
明石博之さん
そうなんです。それが2つ目の拠点になりました。
そのあとに「着物に着替えて内川をそぞろ歩いて楽しもう」という「おきがえ処KIPPO (きっぽ)」さんという、レンタル着物屋さんの場所作り、リノベーションのお手伝いをしたりとか。
あとは今はハワイ出身のスティーブンさんが、「BRIDGE BAR (ブリッジバー)」という素敵なバーをオープンしたんですけども、そのときのリノベーションをお手伝いしたりとか。
アッティ
あそこのバーって、ハワイ出身の方なんですね?
明石博之さん
そうなんです。
アッティ
私がお邪魔したとき、ちょうど閉まってたので見られなかったんですけど、「すごい興味あるな」と思って見てたんです。
明石博之さん
カフェの経験を拠点作りに活かそうということで、人様の場所作りを内川でどんどん手がけるようになりました。
アッティ
そうするともちろん最大のプレイヤーっていうのは、自分で店をやるというプレイヤーですけれども、人様のお手伝いをして「店を作っていく」であるとか、「いろんなアクションをしていく」っていうのも、今は力を入れてらっしゃるってことですよね?
明石博之さん
あくまでも「自分で場所を持つ」ということと、「場所作りのお手伝いをする」ということが、本業になっております。
主には、その「プレイヤー」というのは「両面でのプレイヤー」という意味で、今やっています。
アッティ
確か、ホテルとかもやっていらっしゃいますよね?
明石博之さん
そうです。「自社で場を持つ」って意味では、カフェの次にやったのが1棟貸しのホテルですね。
ホテルって言いながら、古民家の宿で。それを今、2棟経営しています。
アッティ
どういうお名前なんですか?
明石博之さん
「水辺の民家ホテル」。
アッティ
おー、いいですね。
明石博之さん
まんまですけども。
アッティ
本当に水辺の横のところにあるわけですね?
明石博之さん
そうですそうです、内川の目の前のところですね。
アッティ
そうすると、新湊内川に行くと「泊まることもできる」「カフェでお茶なり食事もできる」、そして「着物に着替えて歩くこともできる」「夜はバーに行くこともできる」という。
明石博之さん
そうですね。
アッティ
何となくの一連の流れができたわけですね、そういう意味では。
明石博之さん
ええ。
アッティ
なるほどなるほど。
明石博之さん
カフェは、わりと県内、近県の方が来てくださるんですけれども、泊まる場所になると、それこそ国外から来てくださるお客様が増えるので。
アッティ
国外から!?
明石博之さん
そうですね。
アッティ
なるほどなるほど。
明石博之さん
内川を世界に発信するためには、やっぱり宿が必要なんじゃないかなと。
アッティ
海外の方って、内川に来るとどういう印象を持たれるんですか?
明石博之さん
めちゃくちゃ喜ばれるんですよ。
アッティ
へぇ~!
明石博之さん
例えば、ヨーロッパの方なんかは1週間ぐらいお泊まりになりますけど、いわゆる「観光地」というものに飽きたような「旅にこなれた」ような方がいらっしゃるんですね。
「海外のまちの中で、ふつうに暮らすような生活体験をする」っていうイメージでお泊まりになる方が多いです。
なので、あまり観光観光していない漁師町の日本の文化を感じるようなところで「おうちを借りて住む」「1週間ぐらい生活体験をする」っていうのが、とても楽しいらしいですね。
地域との関わり
明石博之さんは、現在新湊内川に住み、地域住民として町内会に参加し、曳山祭りにも関わりながら地域活動をしています。
地元の漁師とも友達になり、カフェや「みなとキッチン」の運営を通じて魚食文化を発信。シェアキッチン形式で地元の水産加工会社と協力し、新湊の魚を使った料理を提供しており、地域の発展に貢献しています。
アッティ
海外の方も、国内の方も、いわゆる「観光地」というよりは「生活を楽しみに来る」となると、それこそ明石さん自身というか、運営をされている皆さん方が地域により密着しないと成り立たないじゃないですか?
明石博之さん
そうですね。
アッティ
ここ最近の地域の方との交流って、どんな感じなんですか?
最初カフェをされたときには「若者が何やってるんだ?」みたいな顔で見られたっていう話でしたが、今はどうなんですか?
明石博之さん
今はですね、実は私、2年前に同じく町屋をリノベーションしたおうちに住んでいて、日常が新湊内川になってるんです。
もちろん町内会のお付き合いもありますし、それこそ10月1日になったら新湊の曳山を一緒に曳いていますし。
アッティ
そうですか、いいですね。
明石博之さん
漁師さんともお友達になりましたし、わりともう完全に「住民」という立ち位置で、まち作りに関わることができてるのかなって思います。
アッティ
先ほど手がけられた一連の流れも、地元の方にしてみると「彼はもう馴染んだもの」ということになってきているわけですね?
明石博之さん
そう思います。私が勝手にそう思っているだけかもしれないですけど (笑)
アッティ
地元の方も、けっこう利用されるんですか? カフェとかバーとかって。
明石博之さん
のようですね。
アッティ
そうですか、いいですね。
もうひとつちょっと何となく気になったのが、市場の方に作られた「みなとキッチン」ってあるじゃないですか? あれも運営されてるんですか?
明石博之さん
そうですね。こちらは漁港の敷地内にあるんですけども。
アッティ
ありますよね、漁港に。
明石博之さん
そこの施設の中にあいている空間がありまして、そこを「魚食文化発信の場所にしていこう」ということで、地元の水産加工会社さんと一緒に協力してやってるっていう場所ですね。
アッティ
それはどこかの店舗がやってらっしゃるというよりは、その時々に実際運営されてる方々に入っていただいて、料理を提供してもらったりされているんですよね?
明石博之さん
そうですそうです、運営スタイルとしては「シェアキッチン」というスタイルでして、厨房設備と、お客さんに食べていただくフロアがあるという構成になっています。
魚食文化発信のために、新湊であがったお魚を使って美味しいものを提供していただくと。
アッティ
シェアですから、そこに実際入ってもらう人を探してくるのか、皆さんが来られるのかわかりませんけど、その運営もかなり大変そうな感じがしますよね。
明石博之さん
今は1人のスタッフが、べったり張り付いて頑張っております。
アッティ
今の一連の流れを聞くと、内川に限らず、ちょっとその周辺を含めて、本当にまち作りをどんどんどんどん進められていて、まちが変わってる雰囲気があるような気がします。
地元の方はどう思われてるのか、すごい楽しみですね。
明石博之さん
そうですね。
関係人口の増加について
明石博之さんは、富山の関係人口が増えつつあることを実感していますが、今は微妙なタイミングだと思っています。
コロナ禍で「東京一極集中で働く必要がない」との意識が広まり、若者が地方にフロンティアを求める時代。富山県では、移住者が最初に訪れる「玄関口」が必要だと感じています。
アッティ
富山県では、人口を増やすというよりは、人口減少の時代ですから「関係人口をどんどん増やしていこう」みたいな話になってるかと思います。
関係人口を増やすためのお手伝いをされていると思うんですが、実際増えるとどう変わってくるものなのかってのは、何か実感であるものでしょうかね?
明石博之さん
今増えてるかというと、けっこう微妙なタイミングなのかなと思うんですけど、増えつつあることは間違いないですね。
このコロナ禍を経験して、皆さんが「東京一極集中で働く必要ないよね」っていう、そんな時代の流れっていうのもあると思うんです。
特に「若い人たちが地方にフロンティアを求めてきてる」っていう、「そんな時代じゃないかな」って僕は思っています。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
そんな中で、富山であれば「富山県に来て、最初に誰に会えばいいか」とか、「どこを訪ねていけばいいか」「どんなことをやったらいいのか」っていうのを、探すのが大変な状況になってるんじゃないかなと。
私が移住したときは、よりそうだったんですけども「どこに行って誰と会えばいいか」っていう「ひとつの玄関口が、今必要なのかな」っていう気はしていますね。
アッティ
なるほど。
明石博之さん
各地域では、それぞれ今できつつあるんですけども、富山県全体で「ひとまずここに来てくれたらいろんな人に会えるよ」とか、「いろんな人を紹介するよ」っていう、何かそういう場所は今必要になってくるのかなっていう気がしています。
アッティ
特に明石さんの場合は、Iターンでこられた経験、そしてまた移住されているということを考えると、われわれ元々住んでた人間の目と、やっぱり違う目線で見られることがあるはずです。
今おっしゃられたことっていうのは、今後の富山県自体の関係人口を増やすだけじゃなくて、まち作りとしてより活かしていくためには、本当に大事なことだと思います。
明石博之さん
そうですね。
アッティ
「ますます活躍してほしいな」と改めて思いました。
それでは今回は以上とさせていただきます。あっという間なんですが、最終回は、これからの富山との関わりについてであるとか、人生のこだわり、そういったことについてお聞かせいただきたいなと思っております。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲
ふるさと富山について
明石博之さんは、リノベーションを通じて富山県全体の魅力を高める活動を続けたいと考えています。
富山の自然や食文化の豊かさを活かし、内川以外の場所でも素敵な場所を作ることが目標。特に沿岸部や漁師町に注目しており、これらの地域の魅力を引き出すことで、観光や移住を促進したいと思っています。
アッティ
ここまで明石さん自身とグリーンノートレーベルさんの紹介、そして内川を一つの拠点に置きながらまち作りのプレーヤーとして活躍されていることについて、いろいろお話をお聞かせいただきました。
今回最終回ということで、これからの富山との関わりについてどういう想いでいらっしゃるのか、まずはお聞かせいただけますか?
明石博之さん
「これからも今やってることを続けたい」っていう想いではいるんですけども。
今は、主にリノベーションをともなう場作りのプロデュースをずっとやっておりまして、そもそもカフェを作ったきっかけが「新湊内川って魅力的なところをみんなに知ってもらう」「世界に発信するような、ひとつの玄関口にしたいな」って想いだったわけです。
そういう素敵な場が富山県にいっぱいできれば、おのずと富山が魅力的になってきますし、そこに暮らす人も楽しくなる。そんな町に「来てみたい」と思う人も増えると思うんですね。
富山県って、自然も豊かだし、美味しいものもいっぱいあるんですけれども、「そういう場所に出会う場所が必要なのかな」という想いもあって、富山県内の、新湊内川だけではなくて、いろんな場所に素敵な場所を作っていきたいなと思っています。
アッティ
明石さんが、内川以外あああああああで「富山のここをもっと活かしていけばより良くなるよ」みたいな、「もっとプロデュースしていきたいよ」みたいな場所ってどこがありますか?
明石博之さん
今は、氷見でも移住を支援させていただいてるんです。
皆さん意外に思うかもしれないんですが、「富山県で、僕がもっと力入れたらいいな」と思うのは、実は沿岸部なんです。
アッティ
沿岸部。
明石博之さん
そうなんです。海沿いの要所要所に、漁師町といいますか漁港がありますし、新湊内川を始め「ザ・漁師町」みたいな風情が残ってる場所がいっぱいあると思うんですね。なんですけど、いまいち活かされてないですし、賑わってないと。
なんだったら二次交通なんかもですね、「船を使えば海を横移動できますし、いろんな面白い観光ルートができるのかな」という思いもあります。
なので、「もっと沿岸部の漁師町に注目したらいいんじゃないかな」って、実はちょっと思ってるんですね。
アッティ
確かに漁師町ってあんまり行ったことがないですね。
なんかやっぱり富山県人って当たり前化してるところがいっぱいあって、「魚は普通に横にある」「海は普通に横にある」「川は普通に横にある」。
漁師町もそうなんでしょうけど、そこにちょっと注目しきれてない部分が何かあるのかもしれないですよね。
明石博之さん
そんな気がします。
富山県って、すぐ立山連峰だったりとかですね、どちらかと山側に意識が向いている感じが。
アッティ
「水の都、富山」みたいな名前があったのかもしれませんけど、現実、水を活かしたまち作り、水をより引きだして、観光に繋げたりとか、住まいに繋げたりとかって、あんまりないような気がしますもんね。
明石博之さん
そうなんです、はい。
人生のこだわり
明石博之さんの人生のこだわりは「主体性」で、どこに行っても「お客様気分でいない」ことを心がけています。
受け身にならず「ちょっと言いづらいことでも、次に繋がる可能性があるなら言うべきだ」という姿勢です。
アッティ
明石さんは、大学ではプロダクトデザインを学ばれて、そのあとまち作りにおける経験を活かした活動をされていますよね。
そういう特異性を持ったところもそうかもしれませんが、明石さん自身の人生のこだわりってのはどういったとこにありますか?
明石博之さん
人生のこだわりはですね、一言で言うと「主体性」ですかね。
アッティ
主体性。
明石博之さん
これ「仕事と関係するかどうか」っていうところもあるんですけども、どこに行っても、どこに招かれても、お呼ばれしても「主体性を持つ」ということですね。
アッティ
なるほどなるほど。
明石博之さん
「お客様気分でいない」っていうのが、僕のポリシー。
アッティ
自分をしっかり持って、自分をアピールというか、自分の考えで物事を進めていくってことですか?
明石博之さん
そうですそうです。
やっぱりどこかお客様気分になった途端に、受身になりますよね。
アッティ
なりますなります。
明石博之さん
なので、どこに行ってもおせっかいをしてみたりとかですね。
アッティ
いいですね。
明石博之さん
ちょっと言いづらいことでも、「いや、もっとこうした方がいいよ」っていうものを、おせっかいとして言ってあげたりとか。
「こんなこと言ったら相手がちょっと気を悪くするかも」って気持ちで接するよりも、言ってしまって「何かちょっと失礼なことでも、次に繋がることになればいいのかな」っていう気持ちがあって。
アッティ
でも、明石さんの柔らかいこの雰囲気で言われれば、そんな角が立つわけでもないですしね。
明石博之さん
本当ですか? (笑)
アッティ
そう思いますよ。今日お話させてもらっていてすごい思いますね。
でも、それはいいですよね。お客様気分で受身になるのって、ものすごい楽じゃないですか。
明石博之さん
楽ですよね。
アッティ
でもそこに対して、先方も自分も「得るもの」ってかなり少ないでしょうし、関係もそんなに深くなるもんじゃないですからね。
おせっかいしながらいった方が、より深い関係になる可能性は高いかもしれないですよね。
明石博之さん
と思います。
富山県内で大好きな飲食店
アッティ
皆さんに、お気に入りの飲食店ということでお聞きしてるんですが、これやっぱりそうですか?
明石博之さん
やっぱりそうですね、うちのお店「内川 六角堂」ですね。
アッティ
そうですよね、これはもう何度もお聞きしましたね。
今更のところはあると思いますけれども、ぜひとも富山県民の皆さんに限らず、全世界の皆さんに一度味わいに行ってもらいたいなと。13歳を超えてからですけどもね。
明石博之さん
そうですね。
リクエスト曲
アッティ
最終回に必ずゲストの方にリクエスト曲をお聞かせいただいてるんですけれども、明石さんの「これはぜひとも皆さん聞いてほしい」という曲を教えていただけますか?
明石博之さん
懐かしいですよ。
カルロス・トシキ & オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」です。
アッティ
懐かしいですね。これは、私達高校生ぐらいですよね?
明石博之さん
ですよね、そうですそうです。
アッティ
トレンディードラマ「新・熱中時代宣言」の主題歌「君は1000%」とかも、有名だったような気がしますけれども。
もう二大巨頭の歌ですよね?
明石博之さん
そうですね。
アッティ
なぜ、この曲なんですか?
明石博之さん
今聞いても新鮮で、「これ、もしかして最近の曲なのかな?」って思うぐらい今の時代に合ってると思ったんですよ。
アッティ
なるほどなるほど。
明石博之さん
ぜひ僕らみたいなおじさん世代ではなくて、若い子に聞いて「おっ!」って思っていただきたいなと。
アッティ
今はそれこそ、TikTokとかいろんなSNSでも昔の歌を流されてることもあって、子どもたちが知ってたりすることはよくありますね。
明石博之さん
ありますよね。
アッティ
この歌、もしかしてそうかもしれませんよね。
ちなみにこれ、何ていうドラマだったか忘れましたけども、多分あれですよね、W浅野さんが出てる。
明石博之さん
そうです。間違っていたらごめんなさい「抱きしめて」でした。
アッティ
なんかそんな感じの名前でしたね。
ちなみに、どちらがお好きでいらっしゃいましたか?
明石博之さん
えーとですね、甲乙つけがたいので…(笑)
アッティ
(笑) じゃあ、あえて言わずということでいきたいと思います。
それでは明石博之さんのリクエスト曲、カルロストシキ & オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」です。
これからの夢や目標について
明石博之さんの夢は「経済が優先しないまちを作りたい」ということです。
多くのまち作りで経済的な制約が原因で実現できない夢があると感じており、経済を横に置いて本当の幸せを考えられる世の中にしたいと考えています。
アッティ
それでは最後の最後になりますが、明石さんのこれからの夢、目標についてお聞かせいただけますか?
明石博之さん
すごい難しいですよね、夢って。
アッティ
それも会社のというよりは、明石さんの。
明石博之さん
何か突拍子もないことでもいいんですかね?
アッティ
全然OKですよ。
明石博之さん
じゃあ僕の夢はですね、一言で言えば「経済が優先しないまちを作りたい」。それに自分がどう貢献できるかはわからないんですけども。
いろんなまち作り、場作りに関わってまして、やっぱり経済が先に立って皆さん苦労されてるなと。
本当はこういうことがしたいのに、それが資金的なものとか、売り上げとかですね、「経済が理由でやりたい夢が実現できない」ってことが結構あると思うんですね。
商売的には「それちょっと考え甘いんじゃないの」みたいなことになるかもしれないんですけど、本当の幸せって「一旦この経済を横に置いといて考えられる世の中になることなのかな」と思ってるので。
「自分がそれにどう貢献できるか、これからもちょっと考えていきたいな」と思ってるところです。
アッティ
確かにね、まず最初お金を借りて、そして借りただけでなく収益をしっかり上げてっていうのがないと運営できないってのは、当然の話ではありますよね。
でも時代的には、もしかしたら「クラウドファンディング」であったりとか、ああいったものを利用していけば「本当にこのことに賛同する人たちのお金が集まって」ということになったりしますし、まだ何かそういう方向に少しずつ進んでいるような気はしますよね。
明石博之さん
そうですね「それが当たり前の世の中になってほしいな」と思っています。
アッティ
それこそちょっと言い方悪いんですが、われわれが大学生の頃は比較的、拝金主義的な日本であったような気がします。
でも、間違いなく今はね、SDGsとかいろんなことを含めてですけれども、本当に世のため人のためにある人たちがすごい多くなっているような気がしますね。
「経済優先をしないまち作り」素晴らしいなと思いますんで、楽しみにしております。
今月全4回にわたって、明石さんから「なぜ富山に移住してこられたのか?」「内川での活動」、そして「今後のチャレンジ」などなどお聞かせをいただきました。
「早く新湊内川にお邪魔したいな」と、今からとても楽しみです。
今月のゲストは、グリーンノートレーベル株式会社代表取締役の明石博之さんでした。明石さん、どうも1ヶ月間ありがとうございました。
明石博之さん
ありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。