こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、近藤建設株式会社 代表取締役社長の近藤 裕世 (こんどう ひろよ) さんです。※2023年4月現在
「建築物の一生の中で、建設工事はほんのわずかな時間の出来事に過ぎません。工事が終わり、人々に利用されて初めて建築物に命が宿り、長いドラマが始まります」このような想いで建設業を経営している、近藤さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
近藤建設に入社するまで
近藤さんの自己紹介
近藤裕世さんは、創業75周年を迎えた総合建設業、近藤建設株式会社の代表取締役社長です。
社長就任10年目を迎え、会社の節目と自身のキャリアの節目が重なる今年を「新たなチャレンジの年」と位置付けています。
アッティ
近藤さん、どうぞよろしくお願いします。
近藤裕世さん
よろしくお願いいたします。
アッティ
最近、ご結婚もされたということで、おめでとうございます。
近藤裕世さん
はい、ありがとうございます。
アッティ
そんな話もどこかでお聞きしていきたいと思っております。
近藤裕世さん
はい。
アッティ
まず簡単な自己紹介と、会社の紹介をしていただけますか?
近藤裕世さん
近藤建設株式会社 代表取締役社長の近藤裕世と申します。
弊社は2023年5月に設立75周年を迎え、総合建設業を主たる業務として、富山市の緑町に本社を構えております。
今月から、私は社長就任して10年目がスタートします。会社も75周年、私自身も10年目ということで「今年はいろんなことにチャレンジする年にしたいな」と思っていたので、今回のラジオ出演についても「すごくいい機会をいただいたな」と思っております。
アッティ
ありがとうございます。
幼少期のエピソード
近藤裕世さんは2人姉妹の次女で、幼少期は「ぼーっとしていて、のんびりした、ちょっとひょうきんな子」でした。
2歳上の姉とは性格が違っていて、姉は素早く行動的。外見も、近藤さんが丸顔でちびっ子なのに対し、姉は面長でスタイルが良い。両親も同様に分かれており、近藤さんは父親似で「ハンコのように似ている」と言われて育ちました。
アッティ
もともとの生まれを含めて、幼少期どんな人だったのか、お聞かせいただけますか?
近藤裕世さん
私は2人姉妹の次女です。
アッティ
お姉さんがいらっしゃるんですね?
近藤裕世さん
2歳上の姉がいまして、私は幼少期「不思議な面白い子」だったと母がよく話をしています。
どちらかというと、ぼーっとしてて、のんびりしてて、ちょっととぼけていて、滑稽な子だったと。
アッティ
なるほど。
近藤裕世さん
そう。なんか、ひょうきんな子どもだったんです。
アッティ
お姉さんもそんな感じだったんですか?
近藤裕世さん
姉は真逆ですね。
アッティ
真逆ですか!?
近藤裕世さん
今もですけど、姉はすごく素早いです。私は結構のんびりしているので、見た感じも全く違いますね。
私はタヌキ顔で。
アッティ
じゃあ、お姉さんは何顔なんですか?
近藤裕世さん
キツネ顔です。
アッティ
キツネ顔なんだ。
近藤裕世さん
わが家は、父と母もキツネとタヌキさんに分かれてて。
アッティ
近藤さんは、どちら似なんですかね?
近藤裕世さん
私はもう言わずもがなで、父をご存知の方はおわかりいただけるかと思いますけど、昔から「ハンコのように似ている」と言われて育ちました。
銀行員時代の初プロポーズ
近藤裕世さんは、高校まで富山で過ごし、その後東京の学校に進学。新卒で銀行に就職し、窓口業務を担当します。
20代前半の頃、80代の男性客から人生初のプロポーズを受けました。しかし、休日に私服姿で再会した際に認識されず、制服姿の自分がお気に入りだったことに気づきます。
アッティ
裕世さんは、富山にずっといらっしゃったんですか?
近藤裕世さん
高校生までは富山で過ごして、そのあといったん東京の学校に通ってます。
アッティ
お仕事か何かで、また富山に戻ってきた?
近藤裕世さん
私はまず新卒で銀行に入行したんですけど、いわゆる窓口のお姉さんをやってましたね。
アッティ
なるほどなるほど。
近藤裕世さん
まだ20代前半の頃、窓口にいると、当時たぶん80歳代くらいの男性のお客様から「うちの女房が死んだら、あんたと結婚したい」って、その方から人生初のプロポーズを受けたんです。
アッティ
それで、どうしたんですか?
近藤裕世さん
家族にも自慢げに話をしてたんですけど、休みの日に中央通りでその方とばったり会って「〇〇さん」って声をかけたら、「あんた…どなたやったっけ?」って言われて。
結局その方は、制服姿の私がお気に入りだったと。
アッティ
私服はいらないみたいな (笑)
近藤裕世さん
(笑) そう。っていうオチがあったんですけど、そういった楽しい窓口のお姉さんの時代を、5年ぐらい過ごしました。
テレビ局での経験
近藤裕世さんは、銀行勤務5年後、就職活動時から憧れていたテレビ局に転職します。
テレビ局では、最初は受付を担当し、その後「社長室」に異動。総務、秘書や広報、社内プロジェクトチームなど多岐にわたる業務を経験しました。
近藤裕世さん
銀行で5年働いた後、ちょうど中途採用の募集があったので、就職活動時から憧れのあったテレビ局に転職しました。
アッティ
銀行から、マスコミに入ったわけですね。
近藤裕世さん
そうなんです。
アッティ
もともと憧れてたんですか?
近藤裕世さん
東京で就職活動したときに、富山の会社も一応受けてたんですよ。
そのときに受けたのが、銀行とテレビ局の2社。
アッティ
2社だったんですね。
近藤裕世さん
「富山に帰ってくることはないしな」と思いながら、面接が進む中で、金融機関の方を選んだんです。
アッティ
うん。
近藤裕世さん
でも「何か気になる業界だな」とずっと気になってて、銀行で5年働いて、その後にテレビ局に入社しました。
受付のお姉さんをしたあとに、「社長室」という、総務も人事も経理も広報もある部署に異動になります。そこで1人三役ぐらいの仕事をさせてもらいました。秘書と広報と会社の営繕 (建築物の営造と修繕) と、みたいな感じで。
あと、社内のプロジェクトチームにもたくさん入れていただきました。着ぐるみを着てファボーレに行って、子どもたちにもみくちゃにされたこともあります。すごく充実して楽しかったんですよ。
アッティ
最初銀行に入られて、マスコミに入って、着ぐるみまで着て、果たしてそこからなぜどのように建設業の社長になられたのか?
それについては、また次回お話を聞いてきたいと思います。
入社から社長就任まで
近藤建設入社の経緯
近藤裕世さんが父の会社の将来を気にかけて質問したことがきっかけで、父が勝手に役員会議で彼女の入社を発表してしまいました。
当初は激怒し、3〜6ヶ月悩みましたが、家族への感謝と建設業界での可能性を考慮。友人のアドバイスも受け「やらずに後悔するよりもやってみよう」と決意し、父の会社に入社しました。
アッティ
前回は簡単な自己紹介と生い立ちについて、また富山に戻ってきて銀行に勤めた後、マスコミに転職された話をお聞きしました。
銀行業務からマスコミに行って、お父様の会社である建設会社に入るというのは、全然イメージがつかないんですが、きっかけをお聞かせいただけますか?
近藤裕世さん
銀行で5年間働いたあと、テレビ局で5年。その頃に私はもう30歳を過ぎていまして、ふと父の年齢を考えました。
確か自宅で食事中に「お父さんの会社、このあとどうなるの?」って。
アッティ
近藤さんが聞いたんですか?
近藤裕世さん
聞いたんですよ。たぶん何かあったんでしょうね、ずっと。
アッティ
自分の中でね。
近藤裕世さん
頭の中で「どうなるんだろう?」って思って、それをふと聞いたことによって、私の人生が大きく変わるんです。
父が早とちりをして、その言葉によって喜び勇んでしまって。
アッティ
「おっ、継いでくれるか」みたいな?
近藤裕世さん
次の日がたまたま会社の役員会議で、そこで「娘が会社に入る」って言ってしまったんですよ。
アッティ
(笑) 言っちゃったんだ。すごい。
近藤裕世さん
私は決して、「入るよ」なんて言っていなくて。
アッティ
聞いただけですよね?
近藤裕世さん
「どうなるの?」って聞いたら、いきなり「え?」っていう状態で。
正直、私は激怒しました。
アッティ
怒りましたか。それは怒りますよね。
近藤裕世さん
「どうしてそうなるん?」って思って。しばらくは口をきかなかったんですよ (笑)
アッティ
でも、役員会議で発表しちゃいましたもんね。
近藤裕世さん
確か3ヶ月から半年ぐらい悩みましたね。「お父さん言っちゃったけど、本当に私?」みたいな。
でも、ここまで育ててもらえたのは、祖父が作った会社があって、父がそれを守り抜いてきたから。「そのおかげで、私は何の苦労もせずに大きく育ってきたんだ」って思うと…。
「建設業は男性の世界」ってイメージがすごく色濃いけれど、「もしかしたら、私でも何かできるんじゃないかな」ってどこかで思ってたんです。ただ、テレビ局の仕事も本当に楽しかったので、かなり悩んでいました。
でも、通ってたお料理教室の友人と食事しながら悩み相談をしたときに、その子が「近藤裕世という人の個性は、今の職場よりも近藤建設に入った方がより発揮されるし、際立つんじゃないかな?」って言ってくれて。
そのことがきっかけで「自分の人生1回だし、やらずに後悔するよりもやってみようかな」って思ったんです。
アッティ
なるほど。
近藤裕世さん
そう思って、まずは会社に入りました。
入社後の経験
近藤裕世さんは、父の会社に入社後10年間、営業部の一社員として経験を積みます。
社長就任を明確に意識していたわけではありませんが、富山青年会議所での学びや父との会話を通じて、後継者として考えられていることを感じ取っていました。
アッティ
今、社長になって10年ですよね? 社長になるまでは何年だったんですか?
近藤裕世さん
社長になるまでも10年です。
アッティ
10年間、社長になる修行の時代というか、どんなふうに過ごされたんですか?
近藤裕世さん
会社に入ってからは、あくまでも営業部のいち社員として、先輩方や上司にいろんなところに連れていっていただきました。
お客様のところに訪問したり、現場に出向いて使いっ走りのように書類を届けたりする日々でしたね。
アッティ
その生活をしながら、どこかで間違いなく「私は社長になる」と思ったときってあるじゃないですか? それはどうだったんですか?
近藤裕世さん
意外とないまま…
アッティ
ないままですか!?
近藤裕世さん
ただ、近藤建設に入社してから入った富山青年会議所で学んだことを踏まえて父と話す中で、父が私に対する言葉とか投げかけるお題とか、「これって次の後継者として考えてるのかな?」というのを感じたことはありましたね。
アッティ
お父さんからの投げかけや、問いを聞きながら「父は想像より強く、私のことを後継者だと思ってるんだな」みたいな感じですかね?
近藤裕世さん
そうですね。
アッティ
そっかそっか。
近藤裕世さん
でもやっぱり「建設業=男性」っていうイメージがあって、私自身の中でも「まさか私が?」っていう。
社長になって感じたこと
近藤裕世さんは、女性社長として建設業界で活躍する中で、責任の重さを痛感。
特に、経験豊富な幹部社員の前で話すときの緊張感や、多くの人生を背負う責任を強く感じました。
アッティ
男社会で、あえて女性社長をしていることを踏まえて、社長をやってみてどうですか?
近藤裕世さん
一番は、責任の大きさと重さを痛感したことです。
社員の前で話すときも、最初は足が震えていましたよね。
アッティ
そうですか、なるほど。
近藤裕世さん
会社の幹部は私よりも人生の先輩ばかりで、すごい人たちの人生を背負うと思うと、大変だなって常に緊張感があります。
自分を客観視しながら、「まだまだ全然、社長として足りてないな」と、正直今も思いますよ。
アッティ
なるほど。
近藤裕世さん
「まだまだ勉強しなきゃな」と、本当に思っています。
社長就任後の取り組み
社長業の心構え
近藤裕世さんが、社長として最も重視しているのは「社員を大切にすること」です。
顧客重視は当然としつつ「会社の基盤は社員である」と認識。最近は特に、社員の心の育成や満足度向上のための取り組みに注力しています。
アッティ
前回は、近藤建設さんに入社後10年で、3代目の女性社長に就任した話をお聞きしました。
社長業を務めながら、特に気をつけている心構えや力を入れていることをお聞かせいただけますか?
近藤裕世さん
まず一番は「社員を大切にしたいな」と思っています。
お客様が大切なのは当たり前として、会社はやっぱり社員がいてくれてこそ、会社組織ですから。
最近は、社員の心を育てることや、満足度を高めるためのいろんな取り組みに力を注いでますね。
社員満足度向上の取り組み
近藤建設では、「人が育つ会社に」をスローガンに掲げ、社員の人間力向上に注力しています。
社内勉強会や社外セミナー参加を通じて、誠実さや人間性の成長を促進。高額な仕事を任される建設業の特性を踏まえ、社員がそれにふさわしい心を持つことを重視しています。
アッティ
「満足度を高める取り組み」は、どんなことをやられているのですか?
近藤裕世さん
会社のスローガンを毎年掲げていて、今は「人が育つ会社に」。
アッティ
人が育つ会社に。
近藤裕世さん
社内の勉強会や社外のセミナー参加も含めて「人間力を高めることが、建築物をお客様に提供する上でも一番大事なんじゃないかな」と。
「誠実さに気づいてほしいな」という想いもあり、人間力の向上に重きを置いて取り組んでいます。
弊社は、自分の生涯で稼ぐことができないような大きな金額のお仕事を発注していただくことが多いです。
アッティ
そうですね。
近藤裕世さん
それだけの仕事を任せていただくにふさわしい心を持った人であってほしいし、私自身もそうありたいなと思っています。
最近は、特にそういったことを心がけて社員と接するようにしていますね。
アッティ
今言われたように、発注される方にとっては、たぶん人生に一度かというほど本当に大きな発注じゃないですか?
それに心をもって対応することは、大事な大事なお仕事ですよね。
能登半島地震への対応
近藤建設では、能登半島地震後、顧客からの被害報告に対応しています。
現状確認を行い、修理の必要性や時期を顧客と相談。多くは様子見の状態です。被害の大きい七尾の顧客もおり、顧客の心情に寄り添った対応を心がけています。
アッティ
令和6年1月1日の能登半島地震で、いろんなところに影響が出ていますよね。
近藤建設さんとしては、対策というか、何かされておられますか?
近藤裕世さん
日が経つにつれて、弊社の従来のお客様から「気づいたら、どこどこにヒビが入っていて」とか「一部天井が崩れてて」というご依頼をいただいている状況です。
最近では「まずは見に来てください」と。
アッティ
そうですよね、まずね。
近藤裕世さん
駆けつけて、まずは現状確認。その上で、どう直せるか、いつ直すかを相談しています。
余震もいつ起きるかわかりませんので、お客様もそのへんは慎重に考えており、現状のままで大丈夫だったら「とりあえず様子を見ます」という方が多いですね。
アッティ
多いんですね。
近藤裕世さん
七尾にも弊社のお客様がいらっしゃって、そこの状況は非常に厳しく「いっそのこと、壊せるなら壊してしまいたい」と思われる方もいらっしゃいます。
今回の震災の被害については、お客様の心に寄り添って、心ある対応をしていきたいなと思ってます。
結婚して変わったこと
近藤裕世さんは、ストレス解消のためにピアノ演奏や書道、料理を楽しんでいます。特に結婚後は、料理を作る時間が2人分に増え、さらに楽しみが増えました。
そして北海道出身の夫がスキーをするため、再びスキーを楽しむ機会が増えそうです。
アッティ
ここでちょっとお仕事の話から離れて、近藤さんの趣味など、最近ご結婚して変わったことは何かありますか?
近藤裕世さん
趣味というか「自分の心がパンパンになって、リラックスさせた方がいいな」と思うときがやっぱりあって。
そんな時に楽しいのは、ピアノを弾いたりとかですね。
アッティ
なるほど。
近藤裕世さん
あと、ずっとやってきた書道とか。
アッティ
いいですね。
近藤裕世さん
あとは、お料理すること。もともと好きだったんですけど、最近結婚して2人分を作ることになったので、楽しく作る時間が増えました。
アッティ
それ以外に、トライしたいことって何かありますか?
近藤裕世さん
若い頃はスキーに行ってたんですけど、スキーって相棒がいないと寂しいじゃないですか?
アッティ
1人で滑るのも悪くはないんですけど、そうですよね。
近藤裕世さん
1人で行かれる方もいらっしゃると思うんですよ。でも私は相棒がいないと、寒い冬山はやっぱり嫌だなと思って。
アッティ
板を担がないといけないですしね。
近藤裕世さん
そうなんです。
結婚した旦那様が、北海道出身でスキーをするんですよ。
アッティ
あーそれはもう、なかなかですね。
近藤裕世さん
結婚したおかげで、相棒がいてくれるんです。
アッティ
それはもう仕事も何も考えずに、没頭できそうな話ですよね。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲
ふるさと富山について
近藤裕世さんは、若い頃は富山に魅力を感じませんでしたが、現在は「生活する上で、こんな幸せな場所はないんじゃないか」と感じるようになりました。
ただ「一度海外生活を経験した後に富山に戻り、改めてその良さを味わいたい」という願望も持っています。
アッティ
ふるさと富山についての想いを聞かせていただけますか?
近藤裕世さん
「富山って何もないな」って、よく言われますよね。
正直、私も若い頃はあまり魅力を感じられなかったんですけど、今は「生活をする上で、こんな幸せな場所はないんじゃないかな」って感じています。
ただ、あともう1回は富山を離れて、海外などで生活してみたいなと。それからまた富山に帰ってきて、もう1回その良さを味わいたいなって、実は思っています。
アッティ
いいですね。
お気に入りの飲食店
アッティ
富山の中でお気に入りの飲食店があればお聞きしたいです。
近藤裕世さん
アッティご存知ですかね?
アッティ
えっ?
近藤裕世さん
富山市丸の内にある「炉端 とらまる」っていう。
アッティ
「とらまる」さん? ちょっとわからないですね。
近藤裕世さん
ご存知ないですか?
アッティ
どんなお店ですか?
近藤裕世さん
「炉端」って名前がついてるだけに、炭火で焼く。
特にお魚とか、鶏肉が絶品なんですよ、かなりお気に入りです。
アッティ
丸の内にある炉端焼きのとらまるさんですね。
近藤裕世さん
はい。
アッティ
必ず行ってみたいと思います。
近藤裕世さん
ぜひ! おすすめです。
リクエスト曲
アッティ
お気に入りの曲をひとつリクエストいただけますか?
近藤裕世さん
ショパンの「ノクターン第2番」です。
アッティ
これは、どういった理由ですか?
近藤裕世さん
フジコ・ヘミングさんが弾いておられるノクターンを、たまたまYouTubeで拝見して、すごく心奪われまして。
アッティ
なるほど。
近藤裕世さん
優しさと、癒しのような暖かさ、慈愛に満ちた感じ。
彼女の演奏を聞いてるとフーッて涙が出るような、そういう優しい音なんです。
アッティ
うん。
近藤裕世さん
でも、その中にしっかり強さを感じるんですよ。
「そんな女性でありたいな」って思うものが全部詰まってるような印象を、初めて聞いたときに受けて。
それからは、私の中ですごく大切な曲です。
アッティ
いいですね。
近藤裕世さん
実は、弊社の70周年パーティーで、皆さんへの感謝の気持ちを言葉だけじゃなく何かで伝えたいと思って、ノクターンを演奏したんですよ。
アッティ
したんですか!? 素晴らしい!
近藤裕世さん
それもあって、強烈に想いの強い一曲です。
アッティ
それでは近藤さんのリクエスト曲で、ショパンの「ノクターン第2番」です。
これからの夢や目標について
近藤裕世さんは、多くの先輩から支えられた経験を活かし、後輩たちに刺激を与え支える存在になることが目標です。
そのために、社長業を精一杯楽しみ、走り抜こうとしています。
アッティ
それでは最後になりますが、近藤さんのこれからの夢や目標についてお話していただけますか?
近藤裕世さん
これまでたくさんの先輩方から、刺激や感銘を受け、そして支えていただいて、いま私がここにいると思っています。
恩返しのためにも、いつか私自身が後輩の方々に刺激を与え、支えてあげられるような存在になりたいなと。
アッティ
うんうん。
近藤裕世さん
悔いのないぐらい、社長業を精一杯楽しんで走り抜いた先に、そんなご褒美が待ってるのかなって思います。
アッティ
なるほど、とてもよい目標ですね。
今月のゲストは、近藤建設株式会社 代表取締役社長の近藤裕世さんでした。近藤さん、1ヶ月間どうもありがとうございました。
近藤裕世さん
どうもありがとうございました。
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。