
こんにちは、アッティです。
「アッティの熱湯とやま人」は、富山のために熱い気持ちを持って頑張る人の本音に迫る番組!
今回のゲストは、株式会社A-STYLE 代表取締役の小路 晃 (しょうじ あきら) さんです。※2026年1月現在
「ミスターPRIDE」としてだけでなくラーメン屋、プロレス、地域貢献など、大活躍の小路さんに熱く迫っていきます!
この記事は、FMとやま 金曜17:15~17:25放送のラジオ「アッティの熱湯とやま人」の編集前データを、ほぼノーカットでまとめたものです。
放送では流れなかった裏話も含め、お楽しみください。
魚津の少年が「最後の日本男児」になるまで

魚津の漁師町と、父の影響
小路晃さんは富山県魚津市の出身。漁師として船に乗る父は相撲好きで、小学校に上がる前から父と相撲を取りながら育ちました。体づくりと「強さ」への意識が、幼い頃から自然に培われていきます。
アッティ
ラーメンと地域に向き合う「ミスターPRIDE」。株式会社A-STYLE代表取締役の小路 晃さんです。小路さんどうぞよろしくお願いします。
小路 晃
よろしくお願いします!!
アッティ
気合い入っていますね、さすが。
小路 晃
「よろしくお願いします!」よりも、アッティ元気ですかー!!
アッティ
元気ですかー!!
さすがミスターPRIDEということで(笑)
小路 晃
スイッチ入れるというね(笑)
アッティ
全4回を通じて、生い立ちから始まって、もちろんプライドの話もそうですし、本業であるラーメン屋さんの話、また最近の活動も含めて、たっぷりとお聞きしていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
小路 晃
よろしくお願いいたします。
アッティ
ではまず最初に、小路さんはこれだけ体も大きくて、大活躍されておられますが、元々富山県のお生まれなのですか?
小路 晃
元々富山県の魚津市出身でございまして、父が漁師なんですね。
船乗りをやっており、相撲が好きな父親で。小学校に上がる前から親父と相撲を取ったりしながら、だんだんだんだん大きくなってきました。
プロレスとの衝撃的な出会い
小路晃さんは小学校1年生のとき、父が夜中に見ていたプロレスに心を奪われます。タイガーマスクやアントニオ猪木の姿に「リングに上がりたい」「世界一強くなりたい」と決意し、早くも人生の目標が定まりました。
小路 晃
幼少期、小学校1年生のとき、夜中に親父がプロレスを見ていてですね。
アッティ
なるほど。お父さんがプロレス好きで。
小路 晃
好きで好きで!
アッティ
お父さんは昔から好きだったと。
小路 晃
それを僕も目をこすりながら「何やってるんだろうな」と思って見ていたんです。
タイガーマスクが出てきたり、アントニオ猪木さんが戦ってたり、かっこいい!と。
アッティ
かっこいいと。
小路 晃
すごいと。俺もこのリングに上がりたい、俺も強くなりたい、世界で一番強い男になりたいと。
アッティ
それって、小学校のときにですか?
小路 晃
小学校一年生のときに、人生の目標設定をしてしまったんですよね。
アッティ
すごい。
小路 晃
勉強もあんまり好きではなかったし。もう俺にはもうこれしかないと。
アッティ
そこで漁師になるっていう考えはなかったんですか?
小路 晃
漁師になるっていう考えはなかったんですよね。
アッティ
全くなかったんですか?
小路 晃
全くなかったんですよね。
このリングに上がれれば。今後これで生きていくんだというくらいの衝撃を受けました。
柔道は「プロレスへの通り道」
小路晃さんは「プロレスへの通り道」として柔道を選び、小学から大学まで継続します。金メダルを狙うのではなく、強さを身につける修行として捉え、新日本プロレスへの憧れを抱えたまま進学。
さらに空手や誠心会館での経験を重ね、マスクをかぶって試合にも出始めました。
アッティ
いきなりプロレスラーになれるわけでもないと思うのですが、最初はどういう取り組みをしたんですか?
小路 晃
一番身近にあった格闘技が、柔道のスポーツ少年団でした。
小学校から入って、中学・高校・大学とずっと柔道で心身を鍛え続けていました。
アッティ
大学まで、ずっと!
小路 晃
強いものへの憧れって、男の子なら誰もがかかる“はしか”みたいなものですけど、僕は大人になるまで抜けなかったんですよね。
アッティ
柔道は、プロレスラー・格闘家になるために、ある程度満たされたスポーツだったんですか?
小路 晃
「柔道で金メダルを取りたい」とかはあまりなくて、プロレスラーになるための通り道だと思っていました。
アッティ
修行だと?
小路 晃
修行だと。
本当は「中学卒業で新日本プロレスに入りたい、高校卒業でも入りたい」と思ってました。
アッティ
そのくらい想ってたんですね。
小路 晃
ただ中学のときは第一高校の監督から声をかけていただいて、高校卒業のときも大学の先生からスカウトをいただいて、柔道を続ける形になっちゃったんですけど。
アッティ
なるほど。でも大学でも全日本学生選手権で素晴らしい成績を残したんですよね?
小路 晃
いえいえ。「絶対優勝したい」という思いでもなかったんです。
アッティ
そんな強くなかったんですね。
小路 晃
正直言うと、はい。
アッティ
そこからどうされたんですか?
小路 晃
大学時代に、誠心会館の青柳政司館長から「一緒にやってみないか?」とスカウトいただいて、柔道をやりながら空手も少し習ってたんです。
プロレスラーになったときに、打撃も練習しとかないといけないと思って。
アッティ
投げ技だけじゃなくて。
小路 晃
はい。大学時代には、実はもうマスクをかぶってプロレスの試合にも出てました。
アッティ
本当ですか!?
小路 晃
大学4年生で引退してからですけどね。夢のようでした!
住み込み生活と総合格闘技の波
小路晃さんは総合格闘技が広がり始めた時代、築地の湯葉屋で住み込みの仕事をしながら練習を継続。朝5時から働き、仮眠を挟んで夕方からジムへ通う生活を1年半続けました。
人気の高まりとともにテレビ出演や海外試合の話も生まれ、プロレスへの道が現実味を帯びていきます。
アッティ
格闘家として動き始めてみてどうでした?
小路 晃
当時は「すぐプロレスラーに」と思ってたんですけど、総合格闘技、いわゆる“何でもあり”が出始めた時期で。
「格闘技で飯を食える」とは思ってなかったんですよ。
アッティ
なるほど。
小路 晃
なので築地の湯葉屋さんで住み込みで働きながら、格闘技の練習をする生活を1年半くらいしてました。
アッティ
仕事もしながら、収入を得てたんですね。
小路 晃
朝5時から働いて2時まで。少し仮眠して、夕方4時からジムでトレーニング。そういう生活でした。
そうすると格闘技の人気が出てきて、テレビに出させていただいたり、「アメリカで試合しないか」みたいな話が出てきたりして。
「あれ、俺、いつプロレスに行けるんだ?」って思いながら(笑)。
アッティ
そういうものなんですね。
小路 晃
僕の中では「これはプロレスに行く前の準備」って位置づけでしたね。
アッティ
ちなみに、格闘技とプロレスの違いを簡単に説明お願いできますか?
小路 晃
格闘技は、相手を1秒でも早くなぎ倒す。頭突き・金的・噛みつき以外は何をやってもいい、というものです。
プロレスは、相手の技を受けて、自分の強さも見せて、相手の力も引き出して、お客様を楽しませる。見せる要素が強いのがプロレスです。
アッティ
格闘技にもショー的要素はあるんですか?
小路 晃
入場やマイクアピールなどはあります。
でも試合は1秒でも早く倒さないと、やられますから。
PRIDEで「最後の日本男児」へ
小路晃さんの転機は、PRIDEグランプリでマーク・コールマン選手と戦い、「最後の日本男児」と評されたことです。敗戦でありながらも評価につながった試合経験が、「ミスターPRIDE」という異名の由来となりました。
アッティ
「ミスターPRIDE」とまで呼ばれるようになった背景を聞かせてください。
小路 晃
試合を重ねる中で、当時「PRIDEグランプリ」という東京ドームでフジテレビ生中継の大会があったんです。
世界中のチャンピオンクラスが集結する中、僕も出場するチャンスを得ました。
アッティ
すごいですね!
小路 晃
そこでマーク・コールマン選手と戦って。
彼はアメリカのレスリング代表で、UFCという世界最大団体のヘビー級チャンピオンでもあって。
そのコールマン選手が「こんなすごい日本人がいたのは知らなかった。こいつは最後の日本男児だ」と言ってくれて、それがキャッチコピーになりました。
アッティ
そんな由来があったのですね。
小路 晃
今でもコールマン選手はレジェンドですけど、生涯の試合の中で最もタフだった選手はドン・フライと小路 晃の2人だ、と言ってくれるくらいで。
負けはしましたけど、自分を上げてくれる試合となり、そこから「ミスターPRIDE」「最後の日本男児」という異名をつけていただけるようになりました。
格闘家から店主へ、転機と立て直し

シアトル修行と格闘家の日常
小路晃さんはPRIDEの流れで26歳からアメリカ・シアトルへ渡り、環境を変えてトレーニングを開始。
ジムにはボブサップをはじめ、佐々木主浩(かづひろ)選手やイチロー選手が訪れることもあり、思い出深い交流もありました。
アッティ
2回目になりますが、どうぞよろしくお願いします。
小路 晃
アッティ、ハッスルしてますか!?
アッティ
ハッスルハッスル!!
小路 晃
ハッスルハッスル!!
アッティ
ありがとうございます(笑)
小路 晃
よろしくお願いします(笑)
アッティ
前回は、生い立ちから始まって、プロレスラーを夢としていきながら、最終的には今「ミスターPRIDE」として格闘技の世界の中で頂点を極めていこうとされているという話を聞きました。
その続きとして、実際格闘家としてPRIDEで戦っていた時代っていうのはどんな感じだったのですか?
小路 晃
そうですね。前半は日本で試合やトレーニングをしていたんですけど、26歳のときにPRIDEから「環境を変えてアメリカでトレーニングしないか」という話がありました。
アッティ
アメリカで!?
小路 晃
それがアメリカのシアトルで。ボブサップ選手などとトレーニングしておりました。
アッティ
はいはいはい。
小路 晃
当時、ジムには大魔神の佐々木選手やイチロー選手が…
アッティ
そうですね、シアトルマリナーズで。
小路 晃
も来られてました。
佐々木選手も格闘技が大好きで、息子さんなどは僕のことを僕より詳しかったですね(笑)
アッティ
面白い!
小路 晃
日本食レストランで、榎本加奈子さんと一緒におられるところを見かけたり…
アッティ
今の奥さんですよね?
小路 晃
いろいろ噂になってた時期で。
フライデーされそうになり、カメラマンを追いかけて捕まえようとしてね。そんな思い出(笑)
アッティ
小路さんが追いかけて?
小路 晃
追いかけて。
アッティ
それはカメラマンちょっと怖いな。
小路 晃
「その情報を日本に持っていかれたらヤバい」って。
アッティ
面白い(笑)
小路 晃
それがあってから、佐々木さんとも仲良くさせていただいておりました。
解雇通告から、赤提灯の一杯へ
シアトルで大晦日の試合に向けて追い込む中、PRIDE主催者から「交代する。しばらく帰ってこなくていい」と告げられ、小路晃さんは実質的な解雇通告を受けます。
どん底で彷徨う夜、赤提灯のラーメンに救われ、「日本に帰ってラーメンで人の心を温めたい」と第二の人生を決めました。
アッティ
シアトルやアメリカなどで格闘家をされて、そこから現在のラーメン店のオーナーになっていく、その経緯を少しお聞かせいただけますか?
小路 晃
そこはですね。実はシアトルでその年も大晦日の試合を控えて、最後の追い込み訓練をしているところに1本の国際電話が事務に鳴ったんですよね。
電話に出たら、プライドの主催者で「小路、練習頑張ってるか」と。
「いつでも戦える状態ですよ、俺の対戦って決まりましたか?」って言ったら、「お前より若くて活きのいい選手が吉田秀彦さんの吉田道場にいて、そいつと交代するからしばらく帰ってこなくていい」って言われて。
私の戦績は当時、オセロのように勝ったり負けたり、連敗を繰り返したりする時期だったので、本当にいわば解雇通告のような電話だったんです。
男の涙はみっともないですが、泣いても泣いても涙は枯れることがなく、クリスマスもお正月も1人、引きこもってたんですよ。
アッティ
なるほど。
小路 晃
「もう駄目だ、こんなことやっててもしょうがない」と、もう本当にそんな思いでシアトルの港町をふらついてたんですよ。もう死に場所を求めるような感じで。
そんなときに、今でも覚えてますけども、星がキレイな夜でした。「寒いな」と思いながら歩いてると、目の前に赤い提灯が目に飛び込んできたんですよね。
アッティ
シアトルで。
小路 晃
何だろう、ちょっと冥土の土産にラーメンでも食うかと。
アッティ
日本食屋さんだったんですね。
小路 晃
はい、店内では日本人の老夫婦が一生懸命汗水たらしてラーメンを作っていて。
そのラーメンのスープを飲んだ瞬間、「俺は何をやってるんだ」と。「何をこんなアメリカまできて腐ってるんだ、俺には日本がある」と。
「日本に帰ろう、第二の人生はこのラーメンのように人の心を温めるラーメン屋になろう!」と、そのときそう決めたんですよね。
アッティ
柔道をやりながら空手もやって、格闘家もやって、いつかプロレスラーになろうって道をずっと来ていたにも関わらず、そこでラーメン屋さんを目指そうと。
小路 晃
はい、たかがラーメンですけど、されどラーメン。
アイデンティティというか、「日本があるんだ」「俺は日本人なんだ」と。
富山で「えびすこ」誕生
小路晃さんはラーメン王・石神秀幸さんに相談し、修行とプロデュースを受けたうえで、引退後に富山で開業する道を選びます。
濃厚豚骨魚介のつけ麺や熱々提供など、当時富山に少なかった食文化を持ち込み、店名は大食いを意味する隠語「えびすこ」に。「腹いっぱい元気に」を掲げ、特盛無料などの形に落とし込みました。
アッティ
ラーメン屋さんって、いきなり作れるわけじゃないじゃないですか。そこはどうされたんですか?
小路 晃
ラーメンを食べ歩くのはずっと好きで、日本中もそうですし、世界各国に行ったときも麺料理を食べ歩いてました。
それで友人に「ラーメン王」の石神秀幸さんっていう方がいて。
アッティ
はいはい、いらっしゃいますよね。
小路 晃
石神さんが格闘技大好きで、友達だったので相談して。知り合いのところで修行とプロデュースをしていただきました。
それで引退後は、ふるさと富山に帰ってこようと思って。
アッティ
それから数年は格闘家を続けていたわけですね?
小路 晃
はい。
アッティ
でも、ラーメン屋を東京でやらずに富山でやった理由って何かあるんですか?
小路 晃
ギリギリまで富山と東京で迷ってたんです。
でもやっぱり富山に育てていただいたので、「第二の人生は富山に恩返ししたい」そんな思いで富山に決めたんですよね。
アッティ
プロデュースもそうですけど、最初から納得いくラーメンはできたんですか?
小路 晃
納得いくラーメンは、できました。
当時、富山になかった濃厚豚骨魚介のつけ麺を持っていきたいと思って。
あとIHヒーターで温かい熱々のラーメンを提供する、ってお店が富山になかったので。「このつけ麺の食文化を富山に持ってくる第一人者になるんだ」という思いでやりました。
アッティ
お店の名前は?
小路 晃
「えびすこ」です。
アッティ
それはどういった意味合いが?
小路 晃
「えびすこ」は、格闘技・相撲・プロレス業界の隠語で、『大食い』『大食漢』という意味なんです。
アッティ
そういう意味なんですね。
小路 晃
えびすこは、麺も自家製麺で、大盛・特盛も無料。えびすこに行けば、お腹いっぱいで元気になれる。
そんな思いで「えびすこ」という名前をつけました。
アッティ
現実、そういうラーメン屋さんになってるわけですよね。
小路 晃
そうです。
「えびすこに来たらとにかく元気になるんだ」というキャッチコピーで。
人が辞めた現実と、経営の学び
開業当初、小路晃さんは経営が分からないまま「俺がルールだ」と突き進み、社員が辞める事態に直面します。
店が続かない危機感から経営や能力開発の勉強会へ参加し、学び直しを開始。現在は3店舗に加え、空港店や県庁内でも展開しています。
アッティ
実際どうですか、ラーメン屋さんをオープンしてみて、最初のころは。
小路 晃
なかなか大変でしたね。
アッティ
大変でしたか?
小路 晃
経営の「け」の字も、右も左も分からなかったので。
アッティ
確かにね。ラーメン作るだけじゃないですもんね。現実、経営しなきゃいけないですからね。
小路 晃
「俺がルールだ。黙って俺について来い」って言ってたら、社員さんが1人辞め、2人辞め。
アッティ
あらら、なるほど。
小路 晃
なかなかお店も続かないような状況になってきて。「これはまずい」ということで、経営者としての勉強会や能力開発の勉強会などに出るようになりました。
アッティ
なるほど、なるほど。
そうすると今、現状はどうなんですか。ラーメン屋さん含めて。今、何店舗くらいありますか?
小路 晃
今は3店舗。富山と五福にあります。
あとはパートナーさんと空港店だとか、県庁の中にも、えびすこラーメンが食堂の中で食べられるように。
アッティ
そうなんですか。空港もね、寿司と一緒に。
小路 晃
「とやま鮨らーめん」っていうお店で。
アッティ
それこそ、大坪さんのとこですよね。前回の。
小路 晃
前回ゲストの大坪社長と一緒に、ご一緒させていただいて。
アッティ
協力しあいながら。
開発の裏側と、今の挑戦
小路晃さんは「富山にない味」を届けたい思いでラーメン開発を継続。県外客が8割を占める駅前店では富山ブラックが強く、ブラックつけ麺も人気を集めています。
ラーメン経営に加え、プロレス復帰や講演活動、伝える力を磨くための訓練も続けています。
アッティ
いろんな種類のラーメンも開発されてますよね、つけ麺だけじゃなくて。
あれは全部、小路さんが開発されてるんですか?
小路 晃
はい。開発するのが好きなんですよ。食べ歩きも好きですけど、「これとこれとこれ調合してやったら、こんなスープにならんかね」って。
「全国で流行ってるラーメン、富山にないラーメンを、みんなに美味しく食べていただきたい」そういう思いでいろんな開発をしております。
アッティ
富山ブラックも、名前が有名になってるじゃないですか。そこもトライされてますもんね。
小路 晃
そうですね。いろいろ試しますけど、やっぱり売れるのは富山ブラックなんですよね。
アッティ
県外の人が多いんですか?
小路 晃
県外の人が8割ですね。駅前店なんかは特に8割ですね。
アッティ
なるほど、なるほど。
小路 晃
今、ブラックつけ麺っていうのも結構人気があって。
富山ブラックつけ麺は、多分うちが初めてなんじゃないかなと思います。
アッティ
あれは驚きましたね。今まで見たことないです、あれは。小路さんが考えたんですね。
小路 晃
私が考えて、「こういうラーメンあったらいいな」と思って、いろいろ試しております。
アッティ
ラーメンの経営をしながらも、格闘家並びにプロレスラーについては…
小路 晃
今はもう、プロレスも復帰しまして。
アッティ
そうですか。「プロレスの話は次回お聞きしたいな」と思いますが、ラーメン店のみではなく。
小路 晃
はい、格闘家としてもプロレスラーとしても。そして講演家としても。
アッティ
講演家も!?
小路 晃
もう1人、3役4役。
アッティ
喋りもめちゃくちゃお上手ですけど、どこで訓練をされてるのですか?
小路 晃
プロスピーカーというか、そういうところで勉強させていただいております。
もともと話すのが本当苦手だったんですよ、今でも苦手ですけど。どもるし、詰まるし。
でも、「人に良い影響を与えたい」という思いで、1人でカラオケボックスで壁打ちしたりもしますし。
アッティ
今でもですか?
小路 晃
今でもしますね。
アッティ
その「人に伝えたい」という思いは、次回、倫理法人会の話なども含めて聞きたいと思います。よろしくお願いします。
倫理とリングで背中を見せる挑戦

倫理法人会と会長就任の背景
小路晃さんは富山市倫理法人会の会長に就任しました。
倫理運動の起点や「万人幸福の栞 (しおり)」、家庭から法人へ広がった背景を紹介。富山は、最後発の県ながら会員増加率日本一です。
アッティ
初回は格闘家としてミスターPRIDEになった話、2回目はラーメン屋さんを経営していく話を伺いました。
その中で、喋りや経営の学びも重ねてきた、という話がありましたよね。
そこで今回お聞きしたいのが、「富山市倫理法人会」の会長に就任されたお話です。倫理法人会って、どんな団体なんですか?
小路 晃
倫理法人会は、元になっている「倫理運動」があって。それが今から80年ほど前、丸山敏雄先生という方が、戦後GHQが入ってきた時代に始めたものなんです。
当時、「このまま欧米の合理化主義が広がっていくと、日本が日本らしさを失ってしまうんじゃないか」と危機感を持って、その考え方をまとめた「万人幸福の栞 (しおり)」という冊子を作って。
そこから、もともと日本にあった古き良き学びを後世に残すために、倫理活動が始まった、という流れです。
アッティ
なるほど。
小路 晃
最初は「家庭を基盤に」という形だったんですが、この学びは経営にも活きる、ということで法人にも広げていこう、となったのが約45年前ですね。
富山は47番目で、全国で一番最後にできた県なんですけど。
アッティ
へー、意外ですね。
小路 晃
今は会員者数増加率日本一になってですね。以前ゲストとして出られた岩崎弥一さんが富山県の会長をやられてまして。
富山県内に9単会ありまして、全国だと750単会くらいあるんですかね。その中で富山市倫理法人会は最大単会で、そこで会長を拝命することになりました。
知覧研修の衝撃と日本創生
小路晃さんは経営研修で知覧を訪れ、特攻隊の遺書に震えた体験から「日本のために時間を使いたい」と意識が転換。
政治挑戦も経て、倫理法人会の理念「日本創生」に共鳴し、会長を引き受けました。
アッティ
前回のお話で、ラーメンを武器にしながら経営をしていく中で、経営つまずいたが話あるじゃないですか。
やはりその経験から、こういったものに入ろうとされたんですか?
小路 晃
そうなんです。経営の勉強会で、伊勢神宮研修や靖国神社研修など、たくさんの研修に行きました。
なかでも一番衝撃を受けたのが、鹿児島の知覧研修です。
当時、日本人の若者、僕よりももっと若い若い世代の子どもたちが、日本のために命をかけて英霊になられた神風特攻隊を学んで、その方々の遺書を読んでですね。
僕は柔道しかやってなかったので、全く勉強をしてこなかった。だから遺書を読んで、体が震えたんですよ。
「俺は何をやってるんだ」「このままラーメンを作ってていいのか」って。「日本は緊急事態だ、何とかしなきゃいけない」と思って政治の方にも傾き始めたんです。
アッティ
なるほど。なるほど。
小路 晃
そして実際、県議選だったり衆院選だったり、いろいろ挑戦したんですけど、これはなかなか難しい。
それでも「日本のために何かをやりたい」「時間を使いたい」という思いで倫理法人会に出会いました。
倫理法人会の大元は、日本創生だと。世の中にはJCやロータリー、ライオンズなどの素晴らしい会があるけれど、メイドインジャパンなのは倫理法人会だけだ、と。
だから「ここに時間を投下しよう。これが自分にできる最大の世直しだ」と思って、会長を引き受けました。
15年ぶりのプロレス復帰
小路晃さんは「次世代に背中を見せる」ため、15年ぶりにプロレスの真剣勝負へ復帰。
後楽園ホールでは入場前に足が震え、息も上がりましたが、「かかってこいや!」と声をあげて会場を盛り上げました。
アッティ
倫理法人会に入ってすぐ会長、ってわけでもないと思いますし、いろんな学びを積み重ねてきたかと思います。
いざ会長として数年間やっていく中で、「特にやってみたいこと」って何かありますか?
小路 晃
政治家さんや立派な人はたくさんいますが、なかなか社会を変えることはできない。
だから「政治任せ、人任せ、他人任せにはしていられない。次の世代の子どもたちに背中を見せなきゃいけない」と思って、自分にできる最大限は何かと考えました。
そのとき、「戦える自分がまだいるじゃないか」と、15年ぶりにガチンコ真剣勝負に復帰することに決まりました。
アッティ
「ラーメンの経営だけでいいのか」という思いから、新たにそういうトライをされたと。
前回もちょっと話が出ましたけど、その裏には当然「格闘家になって、いつかプロレスラーになりたいんだ」って気持ちがまだまだ残っていたわけですよね?
小路 晃
体の中にくすぶるものがね、残ってました。「やるしかないだろう!」って。
アッティ
ここから、どんなことをしていくんですか?
小路 晃
リングの上で輝く姿を見せなきゃいけないし、次世代の子どもたちにも、こんな輝く大人・元気な大人を見せていかなきゃいけない!
そんな思いで今度は「能登復興支援プロレス」というのを北陸で立ち上げようと思っております。
能登復興支援プロレス構想
小路晃さんは少年柔道の指導や日本マスターズ出場を続け、子どもに勇気と元気を届けるため15年ぶりにプロレスへ復帰。
後楽園で緊張と「見せる難しさ」を実感し、能登復興プロレス構想も進めています。
アッティ
いよいよ「プロレスを目指す」という話に近づいてきましたね。でも、簡単にプロレスラーになれるわけじゃないじゃないですか。
格闘家としては実績があっても、プロレスはまた別の世界だと思うんですけど、そこに向けて何か準備や努力はされてきたんですか?
小路 晃
少年柔道の子どもたちの指導を続けながら、柔道の日本マスターズ国際大会にも出場していました。国際大会では準優勝したこともあります。
ただ、それでもまだまだだと思っていますし、声がかかるうちはやるぞ、という気持ちです。
それに、これからの子どもたちの未来は、今の時代より間違いなく暗くなる。そう思っているので。
アッティ
間違いない。
小路 晃
もう見えているんですよね。だからこそ、1人でも多くの子どもたちに勇気と元気を届けたい。
「おっさんでも、これだけできるんだ」「大人になったら、もっと楽しい未来が待ってるぞ」と。
まず自分にできるのは、そこだと思っています。「僕にはそれができる」と。
アッティ
これはもう立ち上がってるんですか?
小路 晃
まだ立ち上がってないです。これからです。
アッティ
じゃあ準備にあたって、今プロレスは?
小路 晃
いくつか出ております。
アッティ
久々にリングに上がってみてどうですか?
小路 晃
やっぱ緊張しました。
アッティ
格闘技はどっちかというとガチンコで、っていうところがありますが、プロレスってショー的要素があるじゃないですか。慣れもあるものなんですか?
小路 晃
相手も立たせなきゃいけないし、お客様も沸かせなきゃいけないし。
2025年の12月に、後楽園ホールで15年ぶりに戦いましたけど…
アッティ
どうでした、どうでした?
小路 晃
緊張で、入場前に足がガクガクしましたね。
アッティ
本当ですか!?
実際やってみてどうでした? 息が上がりました?
小路 晃
やってみて、息上がりましたね。
いつも練習では息上がらないのに、ドキドキしましたね。会場を盛り上げなきゃいけないし、声も出さなきゃいけないし、「かかってこいや!」って。
実際のガチンコの試合では「かかってこいや!」とかは一切言いませんからね。
アッティ
確かに。絶対言わないですよね。
小路 晃
言わないですね。でもプロレスでは、2階席3階席の一番奥のお客様まで、自分の思い、感情を伝えなきゃいけないので。
そういう部分では、まだまだ練習しなきゃいけないことがたくさんありますね。
アッティ
人生の目標はプロレスラーだったわけじゃないですか。
実際にプロレスラーになってどうですか?
小路 晃
やっぱり嬉しいですね。
「自分が生きてる」「自分の人生のキャンパスに絵を描いてるんだ」って気持ちになりますね。
アッティ
いいですね。
小路 晃
「能登復興支援プロレス」の開幕戦は、石川県知事の馳浩さんにオファーしようと思っております。
富山 vs 石川で、ガチンコ勝負ですと。
アッティ
これは受けて欲しいですよね。
収録のときは知事選の最中ですけど、どっちに転んだとしても戦いたいですね。
小路 晃
戦いたいですね。
アッティ
いいですね、能登復興プロレス。
小路 晃
石川に負けないぞと。
金沢も盛り上がってますけど、富山にも富山の熱い魂があるんだと、魂を出していきたい。
アッティ
日程が決まりましたら、ぜひ教えてください。
本当楽しみです。ありがとうございます。
小路 晃
よろしくお願いします。
富山への想い&オススメ店&リクエスト曲

北陸発「祭りプロレス」構想
小路晃さんは能登復興の支援として、屋外リングと飲食ブース、フラダンスや吹奏楽、武道演武まで盛り込んだ「祭り型イベント」を構想。最後は「3、2、1、ボンバイエ」で締め、町と子どもたちを巻き込み元気を取り戻す場を目指します。
アッティ
小路さん、どうぞよろしくお願いします。
小路 晃
オース、オスオスオス、よろしくお願いします! オッス!!
アッティ
残念ながら全4回の最終回まで来てしまいましたが、今回もまたいろんなお話を聞きたいと思います。
その前にですね、先週ちょっとお話に出ていた能登復興プロレス?
小路 晃
支援プロレス。
アッティ
能登支援プロレスですね。これを、今後富山 vs 石川でやっていきたいという話ですが、その構想を少しお聞かせいただけますか?
小路 晃
これはですね、元々千葉で「ふなばしボンバイエ」というね、私の先輩がちょっとやってたりとか、あと九州の方で九州プロレスという成功事例があるんですけれども。
今、私は富山石川北陸なりにですね。町の大きな公園とか屋外でリングを立てて。地域の飲食店にも協賛していただいて、飲食店がそこにずらっと並んで。
午前中はフラダンスのおば様方に踊っていただいて、地元の中学高校の吹奏楽の方々に演奏していただく。
そして首長にも挨拶していただいて、合間の時間に空手道場だったりボクシングのエキシビジョンがあったり、空手の演武があったり。そうやって最後にはプロレスの試合を2、3試合やって。
「3、2、1、ボンバイエ」で最後締めて盛り上げるぞ!って、町を元気にしていくぞ!と。
アッティ
いいですね、めちゃくちゃ元気になりそうですね!
小路 晃
日本なめんなよ!と。我々、自分たちの町は自分たちで守るぞ!と。自分たちの国は自分たちで守るぞ!と。
子どもたちも一緒に巻き込み、大人も巻き込み、町が元気になっていく姿を体現していくイベントを計画しております。
アッティ
プロレスだけをやる、っていうことではなくて。
小路 晃
だけをやるのではなくて。
アッティ
1日全てが復興イベントになると。それもめちゃくちゃ元気になるイベントだと。
小路 晃
もう祭りだと。祭りを各町でやっていくんだと。そんなことを計画しております。
アッティ
素晴らしい。楽しみにしております。
ふるさと富山について
小路晃さんは、富山の自然・食・人の魅力を守り広めるため、能登復興支援と道場を通じて、日本精神を備えた次世代の町のリーダー育成を目指しています。
アッティ
ここからはいろんな話を聞きたいと思うんですが、まず小路さん自身が感じるふるさと富山について、思いを語ってもらえますか?
小路 晃
やっぱり富山って本当にいいとこですよ。県外に出ないとわからなかったです、正直。
立山連峰は素晴らしいし、食もこんな美味いところは他にはない。人もいいし、水も美味い。山と海がこんなに近い県もなかなかないですからね。
だから富山をアピールしていきたいし、変わらないところも富山のいいところもしっかり残していたいし、富山に就職する方も増やしていきたいです。
アッティ
ですよね。
小路 晃
女性は県外に出たら戻ってこない率全国一位だったりするので、いい男、強い男を育てていきたいですね。
能登復興支援プロジェクトと同時に道場もやりたいんですよ。格闘技の強さを教えるだけじゃなくて、日本精神。日本人としての強さ、日本人としての誇り。座学とトレーニング、両方をやる道場をやりたい。
格闘技でもいい、野球でもサッカーでもいい。そこで育って、引退したら街に戻ってきて、ラーメン屋でもいいし、アッティのとこに就職するでもいい。最終的に町のリーダーになってほしいんですよ。
町のリーダーを育てていく道場。これをやりたい。
能登復興支援プロレスも絡めて、子どもの頃からずっと関わって、大人になって最終的に町のリーダーになっていく。
こんな仕組みを作れたら、アスリートのセカンドキャリアの一つにもなるんじゃないかと思ってます。
アッティ
すごい夢のある話ですよね。
小路 晃
これができれば、もう僕は死んでってもいいな、次の世代のリーダーに託していくんだと。それができれば「自分の人生は一丁上がりだな」と思ってます。
お気に入りの飲食店
アッティ
富山県内で、小路さんのお気に入りの飲食店を教えてください。
小路 晃
「寿司といえば富山」ですから、私がよく行くのは大坪社長の「廻転とやま鮨 富山駅前本店」です。あそこの寿司はうまい!
ネタも新鮮ですし、職人さんもピリッとしてますし、従業員の方も温かい。
会社経営や教育がしっかりされてて、私が見本にする経営のスタイルです。寿司もうまいし、雰囲気もいいし、経営スタイルもいい。
「回転とやま鮨」の他に、大坪社長の「炙庵(とやま鮨)」もいいですね。
アッティ
大坪社長とは交流もあるんですか?
小路 晃
大坪社長はずっと格闘技が好きで、私の現役時代から見ていただいてたんです。帰ってきてすぐ仲良くなって。
アッティ
ある意味、いいライバルですよね。
小路 晃
ライバルというより、目指すべき飲食店の姿ですから。学ばせていただくだけですね。
リクエスト曲
アッティ
小路さんが大好きな曲を1曲、教えていただきたいと思います。
小路 晃
尾崎豊の「シェリー」です。
アッティ
好きな理由はなんですか?
小路 晃
私、実は卑屈でですね(笑)。小学校・中学校の頃、この曲を聴いて「ちきしょう!」と。「俺もいつか強くなってやるぞ」と。「立山連峰の先に行って、東京に行って一旗あげるぞ!」っていう思いで。
「いつになれば俺は這い上がれるんだろう」「俺はどこに行けば」って。「俺は愛すべきもののために歌うんだ」って。そういう思いで聴いてました。
CDを聴くと昔を思い出して、ハングリーな自分がもう一度よみがえる。「もう一回頑張るんだ」って思えるので、「シェリー」が好きです。
これからの夢や目標について
小路晃さんはラーメン、格闘技、能登復興支援プロレス、父親としての役割まで「全部やる」と宣言。過去や未来ではなく“中今(なかいま)”に集中し、仲間や社員、お客様、ふるさと富山から日本全体まで元気にする強い男になる覚悟を示します。
アッティ
最後の最後になりますが、小路さんのこれからの夢や目標について、お聞かせいただけますか?
小路 晃
これからは次の世代の子どもたちに託していくために、今、自分ができることを精いっぱいやる。ラーメンも一生懸命やる。能登復興支援プロレスもやる。格闘技もやる。
父親としての役割も一生懸命やる。もう全部やるんだと。未来とか過去じゃないんだと。“中今(なかいま)”に集中して、今やれることを全部やる。
自分から始まり、仲間、社員さん、お客様、ふるさと富山、そして日本全体を元気にする強い男になりたい。やり切るんだと。そこで死んでいくんだと。戦って死んでいくんだ、という思いで頑張ります。
アッティ
ありがとうございます。全4回にわたって小路さんからお話をいただきました。
これまで40名以上のゲストの方にお越しいただいたんですが、一番熱いのが小路さんでいらっしゃいました!
格闘家から始まってラーメンの経営者、そして今、夢であるプロレスラーとしての次なる人生も作り上げているということで、ますますご活躍をいただきたいと思っております。
それでは今月のゲストは、株式会社A-STYLE代表取締役の小路 晃さんでした。小路さん、1ヶ月間ありがとうございました。
小路 晃
ありがとうございました。オッスオッス!
アッティ
この番組のこれまでの放送は、ポッドキャストで聞くことができます。FMとやまのホームページにアクセスをしてみてください。
お風呂の中でのぼせてまいりましたので、そろそろあがらせていただきます。アッティでした。
